The Fast and the Furious X3 Tokyo Drift

9146 Veilside Fortune FD3S _11
Veilside Fortine FD3S
Han (Sung Kang)
The Fast and the Furious X3 Tokyo Drift
当地出身の柴田理恵氏はハリウッド女優と言えるのかどうか? と、chatGPTに尋ねてみたら、「いや、そりゃ、ムリっしょ」との事だった。あ、やぱし?
サン・カン氏演じるハンの「Veilside Fortune FD3S」がカッコよかった、以外、かの映画、文字に起こすことがないんですよ。困った。だって、まず、あらすじで言えば、もう王道のハリウッド活劇を踏襲している。「トップ・ガン」の一作目とか「ベストキッズ」あたりとか、いやもっと適切な例がゴロゴロありそうじゃん。
それとも、現実のものではない、異世界線の「トーキョー」について書くか? いろいろ突っ込みどころが多すぎて、早い内に、ああ、これはこれでこういう世界観ね、と、有無も言わせず観客を巻き込んでいく感じ。
どっちもそれなりに文字数は行けそうだけど、そうじゃないんだよなぁ。最初の第一作からして、いい意味で雑なB級風味の娯楽に極振り映画で、一つには「サーキットの狼」と同じ、ミニカーぶちまけたような楽しさが魅力だった。
でも、割と記憶の棚の目立つところに置かれている理由と言うのは、そこじゃないんだ。
どこだろう。「Veilside Fortune FD3S」から辿っていくことにしようか。
鮮烈なスカーレットだったドミニク・トレットのFD3Sとは対照的に、ハンのそれは夕焼けのようなオレンジと黒のツートン。Veilsideが本来リリースしたガンメタと黒に近いブルーから、さらに独自の色味に染め上げられたその姿は、シリーズ中に登場する数多の改造車の中でも、ひときわ「コンプリートカー」としての完成度と異物感を放っている。他のクルマが「速さ」や「派手さ」を競う中で、このFDだけは「自分であること」を主張しているように見えた。そして、常にアウェイであることが宿命づけられているようにも。
ハン・ルーという男もまた、そうだった。 作品世界の時系列では『Tokyo Drift』より前のエピソードで既にドミニクの「family」に加わっていたはずなのに、彼はどこか一歩引いた位置にいた。嫌われてはいない。むしろ好かれている。だが、完全に溶け込んではいない。居心地の悪さを、薄い笑みで誤魔化しているような、そんな距離感。
終盤で因縁をつけられ、後に味方になるデッカード・ショウ(ジェイソン・ステイサム)や、ドミニクの弟ジェイコブ(ジョン・シナ)も含め、俺がこのシリーズで特に好きなキャラクターたちは、皆どこか「屈託」を抱えている。完璧に「family」の一員になれない者たちだ。
実はハン・ルーは、ジャスティン・リンとサン・カンが『Better Luck Tomorrow』で生み出したキャラクターだったという。優秀なアジア系アメリカ人の青年が、徐々に社会の枠組みからずれ落ちていく物語。そこで培われた「ずっとアウェイであること」の感覚が、そのまま『Fast & Furious』シリーズに横滑りしてきた。 ハンにとって東京は、二重の意味で異世界だった。
アメリカ人にとっての異国であると同時に、彼自身にとっても「馴染めない場所」であり続けた。
Veilside Fortune FD3Sが、東京の街を疾走しながらも、どこか浮いているように見えるのと同じように。 レベッカがハーレーに跨がった瞬間だけ「自分の時間」を生きていたように、ハンもまた、FD3Sのステアリングを握り、夜の東京をドリフトする短い時間の中でだけ、誰の「family」にも属さない、静かな居場所を見つけていたのかもしれない。 完璧に溶け込めない者、常に少しだけアウェイに立っている者——そういう人間の、ささやかな美学と居心地の悪さが、俺は妙に好きらしい。
0 件のコメント:
コメントを投稿