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2022年5月22日日曜日

7493 Matchless G80 1954 & 「最勝」?

7493 Matchless G80 1954


 よくみりゃ、ホンダのCBX550Fか400Fの足回りに換えてある。Matchlessって、Match(勝負)がless(無い)? 勝負がない? 試合(レース)にならない? 程無敵? 速い? っていう含意のブランド名なのかしら?
 ふと、前にツイッターで読んだ、亡くなった御尊父を偲んだツイートを思い出した。


Itsuko@smilesfor

オフコース懐かしい

2年前に亡くなった父は

よく言い間違いをしたけど

一番笑ったのはコレ


「朝方ラジオ聞いてたら

あの、オフコースのあの曲、いいな

あの"話にならない"ってやつ」


あなたに会えてほんとによかった

言葉にできないよ、お父さん


午前8:27 · 2018年9月12日


 うん、関係なかったな。


 東上線上福岡駅近くに宿をとり、所沢多門通り沿いの会社の敷地を借りての作業、2週間、終わって帰宅後の一発目。この歳になって、客地での解放感から夜遊び、まして池袋にでてまで、などと、事前に考えないでもなかったが、実際には、昼間の業務に神経持ってかれて、そんな余裕もなく、宿でごろごろしていたのだが、その時のためにと持って行った、法華経に関する本、パラパラめくってはみた。読み進めるときは読み進めもしたが、割とそのたびにすぐに倦んでしまい、思ってたほど読めたわけではない。

 法華経についての本を読むようになって、っていうか、その方面のこと、いろいろ勉強するようになって、急に聞くようになったのが「最勝」という言葉。いわく、法華経は「最勝」の経文であると。

 PCの予測変換の中には入っていたのだから、別にこの方面だけの専門用語的なものでもないのだろうが、「最良」「最強」「最高」又は「最優」、「究極」でもよい。それら辺りをなぜ使わないのか?  いや、もっともかどうかはともかくも、優れた経文であることは、唱えてみたら直感的にではあるが理解できるのだが、あくまで「勝ち」にこだわりますか。何なんでしょうね、これって?

 「最良」「最強」「最高」ではなく、「最勝」としたのは、いつ頃誰からで、何故敢えてこの言い方なのか? その辺もこの後のテーマ。

 しかし、「勝ち」「負け」というのは、対象があっての物で、絶対的なものではない相対的なものだ。そんなこと言えば「最も」なんていうのも、数多ある中で一番なんたらということなんだから、きりがないけれど、輪郭をはっきりさせる代わりに、何か価値を薄っぺらいものにしないか? というのが第一印象。「良」や「強」、「高」なら、幾分柔らかくはなっても、絶対感は強く、「勝ち」は、或る一定のフィールドにおいてのみ、というニュアンスが紛れ込まないか?

 いや、逆に経文なんて言うのはそういうものだ、という謙虚さのあらわれなのか? そんなものよりも大切なことがこの世にはたくさんあると。

 いやいや、ちょっとまてよ。え?え~? 実は経文の価値なんてそんなもの、というのは、確かに、巷の凡夫の皮膚感には近いけれど、え?え~? そしたら、その程度の物に、歴史のある時点ではリアルに殺傷沙汰になるくらい、正偽について議論、対立してきたわけ? うそでしょ~?

 勝ち負けこそが、人生の価値を最終的に決める最重要なファクターだ、という価値観によるものか? って、それだと、法華経も、現代の薄っぺらな二流の自己啓発本やビジネス本程度の物になってしまう気がする。それともそんなことを言ってしまうオレのような了見自体を問題にしているんだろうか? オレにしたところで「2番じゃダメなんですか?!」なんて言ってしまうつもりはないが、しかし、その辺を宗教には急かされたくはないものだ。

 とはいえ、実際のところ、原始仏教、どうやら釈尊が述べたかったことは、つまりは心をどう整えるかということで、ある意味方便として宇宙観みたいのは説いているが、呪術的なものは極力排除したかった、っぽい。さっと斜め読みした現段階の印象によると。かなり形而下の感情も問題にしていたのではないか? ある意味自己啓発本っぽいかも。儒教、道教も神仙思想に力の根源を持つらしいが、あれも、生きていく作法の話っぽいし。

 ついでにいうなら、法華宗だけじゃなかった。開祖、教祖が入滅した後、後継者をめぐってとか、教義をめぐって分裂するなんて言うのは、ほぼどの宗教でも見られる。キリスト教もイスラム教も、仏教他宗派も。あいつには勝たなきゃいけない、なんていうのは、もう、偉大なご教祖様でもどうにもできない、人間の業なんだろうか?


 などと。

 ホント、この「最勝」という言葉、法華経関係の書籍等には度々出てきて、そのたびに違和感を感じている。敢えてこの言葉を使っている真意も知りたい。


2022年3月21日月曜日

7406 Matchless G50_2 & 2022年3月あたりの近況なんぞ 2

 

7406 Matchless G50_2


 3月20日の作業こそ、今回のメインイベントとなるも、作業量としては大したことなく、午前中いっぱいで所沢を切り上げ、ゆるゆる関越道~上信越道を移動し、小諸で降り下道で佐久に折り返し投宿。21日、同じく下道で東御を目指したわけであるが、一つ前のポストに書いた通り、新幹線や高速道路ではそれほど実感できなかった地形の起伏を存分に感じたわけである。
 左手に浅間山とかそれに連なる山々を見ながら、いや、まず浅間山からいこうか。何日か前の降雪でそれは綺麗な白の成層火山だった。煙は出てなかったけど。

 ふと、高校生の時読んでいた「軽井沢シンドローム」という漫画を思い出して、主人公たち、この辺でわちゃわちゃやってたんだなぁ、と思った。
 オレもいい加減変な高校生だったのかもしれないが、ド東京、渋谷、原宿よりは西東京、福生とかあと、吉祥寺、国立、そのあたりにあこがれていたし、いつか単車で晩秋の信州を走ってみたいと思っていた。
 まぁ、よくある話なのかもしれない。漫画とかの影響だから。

 前者は、例えば「河より長く緩やかに」という吉田秋生氏の漫画とか、片岡義男氏の小説とか、RCサクセションの曲だったりが影響していたように思えるが、後者、あ、これも片岡義男氏のがまずある。「ときには星の下で眠る」が、地名は明らかになっていないものの、恐らく信州界隈が舞台だったように思う。

 で、「軽シン」だよ。主人公相沢耕平のような、目くるめくセックスライフ、のちのエロゲーみたいな展開の青春、田舎の少年で憧れない奴の方が少数派だと思うのだが、それは決めつけか? でも、晩秋の信州を単車でとは関係ないような気がする。にしても、2022年において、信州のこの界隈は程よく田舎で、それがやがて40年前(!!)にもなろう当時、都会だったはずがなく、良くて、ところどころ国道18号線沿いのいかがわし気なスポットで若いコがたむろしているぐらいのものだったろう。なんで、そんなのにあこがれてたかね?

 それはともかく、目くるめくセックスライフなんて良いものにはついにありつけずに来てしまうし、一度大学生の時、それこそ晩秋、単車でこのあたりを走ったのだが、三笠教会の横の道を鬼押出に向かう途中こけちゃって、ブレーキレバーとフロントフォークを曲げて、フットブレーキはへし折れ、佐久のバイク屋で応急処置をして、霙の中泣く泣く京都まで走って帰ったことがあったんだった。現実はそんなもんさ、と。

 まだ、高校生の時、晩秋の信州を単車で走ってみたいと思った理由、一つ書いてない。
 それは、多分信州ではなかったと思うが、高校生当時のインスタントコーヒーのCMで冬枯れのアップダウンをマチレスが疾走し、最後にライダーがコーヒーを飲むというのがあったんだ。マチレスと言っても画像のG50ではないと思うが。G50といえば、今のデスモセディチかRC213Vみたいなもんだから、そんなのが田舎を単騎で駆け抜けるはずがない。でも、あのCM、かっこよかったんだよなぁ。それに片岡義男氏の小説が重なったんだろう、きっと。

 とか考えながら、4tダンプで駆け抜ける信濃路は、あまり楽しくないのである。重いし、慣れないし。忘れてたけど、ちょっと頑張って、コケて泣く泣く走った大学生の時よりはもうちょっといいコンディションで、もう一度単車で走ること目標に、ちょっと頑張ってみようか、などと、ひそかに思ってしまったのでありました。

2014年6月9日月曜日