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二週間ぐらい前の天気予報では、GW、雨にたたられるという話だったけれど、実際には当地の祭礼がある日に、よりによってその日だけ雨だったのだが、その他の日は結構快晴で、こう晴れの日が続けば、ウチの上長、釣りで海に出っぱなしだったろうな、と思う。オレより若く、見た目は、モロ土建屋のオヤジで声もダミ声だが、頭は柔らかく面倒見がいい、好人物である。SNSによれば、仕事でいろいろ技術的なコンサルティングをしてくださっている神村真さんは、ギターのエフェクターの虫干しをしておられた。引っ越しされて荷物整理とかなされていたのだろう。そういや、昔はギター少年だったと書いておられたか。
人それぞれで面白いよね、別に遠くに出かけなくても。オレはというと、やりたいこといっぱいあるはずだったのが、結局、日蓮宗系内部抗争の件に気を取られてそれっきりでした。でも、まぁ、非常に面倒くさい反面、いろいろ考えたり、自分の思い違いが分かったり、楽しく思わなかったわけでもない。
面倒ごとを引き連れてはきたけれど、姫には感謝していないこともない。っていうか、案外楽しんでいたのかもしれん。知らんけど。
多分現代の創価学会、顕正会については、そうそう思い違いはなさそうだが、日蓮宗ができたころのこと、オレの勝手な思い込みで書いてたことが多く、非常にダサかった、おれ。詳しく、新しく勉強したことについては、追い追い書いていくことにして、
いろいろ思い出したことがある。まずは青木新門氏のこと。これもやはり、昔付き合ってた女性に教えてもらった、当地大手の葬儀屋さんに勤めておられた青木さんの「納棺夫日記」を教えられて読んでみた、という思い出。青木氏は当地入善町の在家の念仏者である。死に対する諦観。オレはその時まだ30代半ばだったか。自分の事として死はまだリアリティはなかったが、何やらかが染み入ってくる感覚があった。
その中で、氏が納棺夫を始めたころと、最近のご遺体、少々様子が違ってきている、というようなことが書かれていたのではなかったと思う。昔は生活、仕事で、生前体を酷使し、その挙句骸として横たわるのは、黒く縮こまった密度の高いご遺体。最近(と言っても、もう20何年か前)のご遺体は、食事がよくなって、なんか白く少しむくんだ柔らかいご遺体へと変化してるのだそうだ。
ふと姫が、顕正会の教えとして、地獄に堕ちる人の骸は、黒ずみ重くなる、というよなことを言ってた。って、それを聞いたとき、まさか顕正会の人、葬式でご遺体を見てご遺族の前でそんなこと言ってないだろうな、とか思ってしまった。言ってしまったら、なんだこいつ? ってことになりかねない。それにしても、顕正会の教え通りなら、ひたすら真面目に生きてきた人が挙句地獄に落とされるとか、何とも報われない教えだな、と思ったものだが。
もう一つ思い出したのが、父方の祖父の事。父は8人兄弟の5番目。男3人女5人の兄弟である。本当は、長子にもう一人男がいたらしいが、早逝している。三男だが実質次男として育ってきた。さて、祖父のある時期の大きな悩みというか、心に大きな重しになっていたのが、嫁に出した娘たちのうち何人か、次々と戦後の新宗教に入信してしまったことだったらしい。生長の家とか創価学会とか。あともう一つあったような気がする。
祖父は、オレには想像できないかったが、父たち子供に対しては、結構厳格な父親だったらしい。娘たちにも厳しくしすぎたかと酷く悩んだ時期もあったらしいのだが。娘たちが新宗教に入信したのもその反動ではないかと悩んでいたのだろう。
さてオレが京都にいていよいよ主に精神的に立ちいかなくなっていた時、兵庫は三田で学校の校長先生をしていた父の兄弟の末っ子の叔父が訪ねてきてくれたことがあった。叔父が来て何かが解決するわけではなかったが、一言だけ何やら忘れられない言葉がある。
祖父が、かなりの晩年、叔父に言ったには、「念仏とかお題目とか、結局はみんな同じなのだ」と。そうやって祖父は娘たちのそれぞれの信心を受け入れたのだろうと。
そういえば、高校の時の事だ。結構、その頃から困難なものを抱えていたオレは、両親に相談するよりは、例えば土曜の午後の学校帰り、祖父母のところへ行って、何をするわけではない暗くなるまで時間つぶしをしていたような記憶がある。祖父の書棚には仏教関係の書籍がいっぱいあった。基本、この辺に多い真宗門徒だったか、若いころはそんな熱心な念仏者ではなかったのではないか? 真宗に関する本だけではなかった。真言、天台、法華経の本もちらほら見られた。祖父も祖父なりに、いろいろ勉強したのだろう。
そういえば、オレは結構後で聞いたのだが、恐らくごく軽い気持ちで、祖父は幼かったオレを仏門に入れ、どこかの高名な僧侶に弟子入りさせてはどうか、と、父に言ったそうだ。祖父は、このオレが、あの子はなんか違う、と思っていたそうで。まぁ、しっかり今じゃ只の凡夫なんだがな。父は内心慌てふためきつつもやんわりと断ったそうで。
そんな祖父が亡くなった時の事だ。やや緩めの念仏者として祖父はなくなった。そんな祖父の骸は、日蓮にすれば唾棄するべきで地獄に堕ちるとされるところであるが、白く、寧ろ奇妙なくらい柔らかかった。
調べてみるに、日蓮自身はそんなことを言うはずはないような気がしている。どちらかというとそんなことは興味がなさそうな印象を持っている、今のところは。その認識はあとで改まるかもしれない。いずれにしろ、誰が言い出したか地獄に行く人間の骸は黒く縮こまる説、でたらめ認定である。
祖父の魂はどこに行ったのだろう? 浄土か?地獄か? いや、ただ虚空に消えていったのだろう。その時からそう思っている。
これから、いろいろ日蓮宗、法華経を調べていくに際し、仏教形而上学に触れなくてはならなくなる。若い時は、心の救済に、そんなあるかどうかわからないものの話、要る? とか思っていたし、今も結構そう思っている。
上記、青木氏が、何かの文章で、般若心経は念仏者としては受け入れがたきものだと書いておられた。その不寛容に少々残念な思いをした記憶があるが、それについての文章の内容はまさしくそれで、日蓮も、法華経以外を否定した理由はその辺にあるので、理解しなければ次に進めない。
まぁ、一般にはGW最終日の明日、オレは所沢に移動しなくてはいけないので、明日がGW明け。で、そこで待っているのが少々オレの手には余ってるプロジェクトで、がぶり四つで組まなきゃいけない以上、あんまり時間的精神的余裕もないはずだが、まぁ、ボチボチとやっていきます。