7499 RCB 1976
RCB 1976
rider ; Jean-Claude Chemarin & Alex George
アゴラというサイトの、野口和彦氏という、群馬県立女子大学国際コミュニケーション学部の教授、経歴を見れば、国際政治学者と一般人は認識してよい、方の文章、「ロシア・ウクライナ戦争で覚悟すべきリスクとは何か」について、思うことがあったので、書き記すこととする。
要するにロシアによる核使用を回避するためにロシアに妥協せよ、ウクライナは諦めろととられかねないような論旨であると感じたが、結構多くの人も感じると思うが、オレは釈然としない思い、反感を感じた。
一つには、この論法では、ロシア軍によって殺されてしまったウクライナの人々、ロシア軍が多くのウクライナの人を殺した事がなかったことにされてしまう事。多くの人が殺されたのは残念だが未来を見なければいけない、とでも言うのだろうか? そのような屈辱的な未来であれば要らない、という言い方もできるが、別の言い方をするならば、そういった無法によって殺された人々の事、その事についての残された人々の感情を一顧だにしない未来というのは有り得るのだろうか? ということである。まぁ、それですべてを決定してしまうのも問題多いのだが。
関連してもう一つ。国際政治学者の口から、このような言葉が出てしまう事は、かつての政治学の学生だった者としては非常に残念だ、ということ。こういうことを言っていては政治学というものへの信頼は低下していくことだろう。本人は中立な所に立ったつもりなのだろうが、ロシアに利し、ウクライナに忍従を強いる論法というのは、伝え聞くウクライナの惨状を聞くに、とても公正な物言いとは思えない。
文中、とにかく、彼が所属する学派というか、同じ考え方をする学者連中は、何はともあれ、今のコレを収めてしまえ、手段は問わんから、ということであるらしい。それが「現実的」であるらしい。如何にも、救いようがない今の世界の現実である。
口を開かせて、その程度の事しか言わんのなら、黙ってろ、と思う人、結構多いような気がする。斯くして政治学者の言葉を聞いてくれる人が激減していく。
印象として、ウクライナ、ロシア双方とも完全勝利は諦めているような気がする。停戦、終戦調停で、如何に自国に有利な条件を付けられるかというところで戦っているのだろう。それは確かに泥沼なんだが、
世界のどこかで、ロシアの政変で劇的にこの動乱が終わるというシナリオを進行させているところがあるかもしれない。そして戦後は多大な人的損害、インフラなどの壊滅の賠償はロシアに求めない、国際社会でその辺は面倒を見る。その代わりロシア大統領以下戦争犯罪人には極刑も含めた厳しいペナルティを課す、と。
まぁ、そうなるといいね、という妄想なのかもしれないが。
まぁ、そうなるといいね、という妄想なのかもしれないが。
政治学者に言ってもらいたいのは、戦争終結、戦後のあるべき姿と、その為の道筋であり、現状追認の言葉ではないのである。あいつ、怖いし面倒だからいうこと聞いとけ、じゃないのである。
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