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2015年4月26日日曜日

2014年7月4日金曜日

3481 加藤大治郎_8 & モータースポーツと死のリスクと


加藤大治郎_8 (3481/7670)

Daijiro Kato
on NSR500
@Comunitat Valenciana,Valencia
VALENCIA GRAND PRIX
rd.1 MotoGP 2002


モータースポーツと死のリスクと

 74日だからといって、アメリカの独立記念日ネタはやらない。74番のライダーにまつわり、例えばレースと死生観について、みたいな事をちょこっと考えた。

 石原慎太郎氏が東京都知事だった頃、三宅島の復興のために、三宅島でマン島TTレースのような公道レースを行って観客を集めるとか何とか、そういう構想をブチ挙げて、しかし、よりによって二輪のメーカーやレース関係者の反対を受けて、なにやらよくわからないイベントにスケールダウンして、今はもう立ち消えになったんじゃないかしら? よく知らない。とりあえず検索もしていない。

 検索した。2010年でそのようなイベントは終わっている。おそらく東日本大震災により継続するような雰囲気ではなくなってしまったのだろう。

 Wikipediaによれば、GPも走ったことのある宮城光氏などが反対し、ホンダや他の日本のメーカーも石原氏とは「レースに対しての考え方が違う」と協力をしなかった、一方でハーレーダヴィッドソンやBMWが割りと積極的に協賛に応じようとした、とある。
 実際、1966年には藤井敏夫氏、2006年の前田淳氏、2013年の松下佳成氏と、三氏が落命しているし、毎年一人か二人亡くなるのが普通、というところなのではあるが、しかし、それにしても、三宅島の件でも海外のメーカーが協賛しようとしたりしたのも然り、それだけ危険なイベントであっても、ゆるぎなく連綿と歴史が刻まれるところを見ても、日本では考えられないことである。
 facebookをみても分かる。今年のTTでもそうだったし、パイクスピークでもそうだった。死亡者がでてしまったら、ずらっと「R.I.P.」の三文字、即ち、Rest In Peace、安らかに、という言葉が並ぶ。死んでしまったことについては盛大に悲しむ。しかし、日本人と違うのは、であるから、死を絶対悪とし、ソレを避けることが何によりも優先する、とは決してならないところだ。

 寧ろ、死のリスク、ソレに対する恐怖すら乗り越えて、自分の望む方向に突き進む者、一人一人が例え無名であっても英雄で、それを実に直截的に体現しているレーシングライダーがその際たるもの、ということが、欧米では確実にあるのである。10年ほど前であるならば、ヒデトシ・ナカータよりもテツヤ・ハラーダやダイジロ・カトーの方がヨーロッパでは知られた日本人であったというのも、そういうところからであろうよ。

 ただ、逆に欧米では人の死に対し、過剰に躁状態になり、ということもないのかもしれないが、悲しみや死に対する恐怖を乗り越えるための精神状態をアクティブに作り出すための心の動かし方をするのかもしれない。
 日本土着のものとしては、死というのはもっと静かに受け止めるものだったのではないか? そのように感じるようになったのが、東日本大震災からのことである。

 そして、それらのいずれとも違う、死は絶対悪であり、何としても、最優先に避けなければいけないものという考え方が、多くの場合、この日本では現在の主流であり、こういった流れの中で、モータースポーツというものが済みに追いやられているのではないか、そう感じているのだが、この問題は、この何週間、何ヶ月間、トップニュースになっている、集団的自衛権の問題、その反対派の意識の大きな柱ではあるのだけれど、逆に、緻密で実のある反駁立論を不可能にし、結果内閣、政府の動きを抑止できなかった、というところにつながるのではないかと感じている。柔軟な理論構成を出来なくしてしまっている、ような。
 こういった、どこかで身に着けてしまった「・・・ねばならない」的なものの考え方というのは、ずいぶんと足枷になってしまうものだ。これ以上は、ここでは、別の話になってしまうが。

 モータースポーツから何かインスピレーションを得られるとすれば、それは、まさに、それでも前に進む意志であり、それを、段々と奪われて来てしまっている。その時々、レーサー達の死を契機に。

 「死のリスクは何としても避けなければならない」という考え方も「死を恐れず、ソレよりもソレを乗り越えて死地を前に進むことが大事だ」という考え方も、それぞれその時々で正しいのであるのであろう。が、今のこのタイミング、とりあえず集団的自衛権の話は脇に置くにしても、一方の「死のリスクを避けることが何よりも最優先」という考え方のほうが、代々なにやらおかしな、怪しげな論者によって変な力を持ってしまっているために、いろいろ変なことも困ったことも起こってるような気がして仕方ない時がある。

(0014/7670)

2014年6月29日日曜日

3459&0038 加藤大治郎_1&ver.2 and 「又も加藤の死についての繰言」


加藤大治郎_1 ver.2 (3459/7670)

Daijiro Kato
on NSR250
@ Jerez,Spain
Grand Primo de Espana
rd.3 GP250,WGP 2001


 「又も加藤の死についての繰言」

 今年のMotoGP、誰も言わないけど、誰もが思っている。マルク・マルケスの独走で興味が薄まったと。オレ的には、マルク・マルケスが登場しなくても、この何年か、段々とGPへの興味が下がってきてしまっている。それはどうしてなのか、考えないではないのだが、ソレについてはここでは書かない。
 せめて日本人が活躍してくれれば、もうちょっと見ていて楽しめるのではないかとも思うのだが、青山博一選手にしても下のクラスの中上貴明選手にしても頑張っているのはよくわかるのだが、チャンピオン争いに絡むというのとは程遠い状況だ。

 老いた両親の楽しみの一つに海外旅行があるが、何年か前、スペインに旅行で行ったときに、丁度トニ・エリアスが最上クラスで初優勝した時で、国を挙げて大騒ぎだったそうである。両親、海外まで行って、トニ・エリアスという名前を覚えてきた。あと、イタリアに行ったときは、ロリス・カピロッシという名前とか。ヴァレンティノ・ロッシの名前は母は覚えていたんだが。
 今更書くまでもなく、ヨーロッパでは二輪のライダーは老いたるものも知るほどポピュラーな存在だが、二輪の最大の製造国にして、あらゆるレースカテゴリーでトップ争いを演じるメーカーを有する日本での、彼ら二輪のレーサー達への認知の低さはどうしたことだろう?

 90年代から今世紀の初めぐらいまでは、それでも日本人ライダーもトップ争いの一角にはいたものだが、2009年のGP250の最後のチャンピオンを青山選手が獲って以来、パッとしたところがない。

 2003年の加藤大治郎の死で、何か終わっちゃったんだろうな、という気がする。あの時にしたって、トップカテゴリーで始めての日本人チャンピオンになれる可能性が現実的にあった青年の死よりも、首都圏の川に紛れ込んだ調子ハズレのゴマフアザラシのほうが、重大ニュースとして扱われていたのだが。
 四輪にしてもそうだ。1994年のセナの死で、実質日本のF1ブームはプツリと終わってしまったのだ。その後のトヨタの新規参入などで無理やり盛り上げようとしたことはあったとしても、ヨーロッパの様にポピュラーな文化として定着することはなかった。一部の好事家の供物に留まることとなった。

 本気でこれではいけない、何とかしなくては、と、思うのであれば、どうしてそのようになったか、色々検証しなければいけないこともあるのだろうが、ここでは、即ち、日本人の死生観に沿わないものなのだろうか? ということを考える。

 などと、大上段でかまえてみたが、今のオレではそれをある程度論じる材料にさえ乏しいことに気づく。2013年の大地震の時の夥しいばかりの死に対してどうであったかを考えた時、ここで書こうとしたことに、些か矛盾が生じるような気がしたのだ。土着あった死生観と、ひょっとしたら死生観とは言えない戦後作られた妙なイデオロギーの二つがある予感がした。欧米のような、簡単に割り切ったように、ソレを乗り越え進んでいく勇ましさというのは、いずれにしろないのだが、とりあえず、ここで、いつも想定しているほどの文章量ではとても書ききれるものではない。もう少し整理が必要なようだ。

(0011/7670)



加藤大治郎_1 (0038/7670)

2003年夏ごろ


2013年1月20日日曜日

1994年5月7日土曜日