7406 Matchless G50_2
3月20日の作業こそ、今回のメインイベントとなるも、作業量としては大したことなく、午前中いっぱいで所沢を切り上げ、ゆるゆる関越道~上信越道を移動し、小諸で降り下道で佐久に折り返し投宿。21日、同じく下道で東御を目指したわけであるが、一つ前のポストに書いた通り、新幹線や高速道路ではそれほど実感できなかった地形の起伏を存分に感じたわけである。
左手に浅間山とかそれに連なる山々を見ながら、いや、まず浅間山からいこうか。何日か前の降雪でそれは綺麗な白の成層火山だった。煙は出てなかったけど。
ふと、高校生の時読んでいた「軽井沢シンドローム」という漫画を思い出して、主人公たち、この辺でわちゃわちゃやってたんだなぁ、と思った。
オレもいい加減変な高校生だったのかもしれないが、ド東京、渋谷、原宿よりは西東京、福生とかあと、吉祥寺、国立、そのあたりにあこがれていたし、いつか単車で晩秋の信州を走ってみたいと思っていた。
オレもいい加減変な高校生だったのかもしれないが、ド東京、渋谷、原宿よりは西東京、福生とかあと、吉祥寺、国立、そのあたりにあこがれていたし、いつか単車で晩秋の信州を走ってみたいと思っていた。
まぁ、よくある話なのかもしれない。漫画とかの影響だから。
前者は、例えば「河より長く緩やかに」という吉田秋生氏の漫画とか、片岡義男氏の小説とか、RCサクセションの曲だったりが影響していたように思えるが、後者、あ、これも片岡義男氏のがまずある。「ときには星の下で眠る」が、地名は明らかになっていないものの、恐らく信州界隈が舞台だったように思う。
で、「軽シン」だよ。主人公相沢耕平のような、目くるめくセックスライフ、のちのエロゲーみたいな展開の青春、田舎の少年で憧れない奴の方が少数派だと思うのだが、それは決めつけか? でも、晩秋の信州を単車でとは関係ないような気がする。にしても、2022年において、信州のこの界隈は程よく田舎で、それがやがて40年前(!!)にもなろう当時、都会だったはずがなく、良くて、ところどころ国道18号線沿いのいかがわし気なスポットで若いコがたむろしているぐらいのものだったろう。なんで、そんなのにあこがれてたかね?
それはともかく、目くるめくセックスライフなんて良いものにはついにありつけずに来てしまうし、一度大学生の時、それこそ晩秋、単車でこのあたりを走ったのだが、三笠教会の横の道を鬼押出に向かう途中こけちゃって、ブレーキレバーとフロントフォークを曲げて、フットブレーキはへし折れ、佐久のバイク屋で応急処置をして、霙の中泣く泣く京都まで走って帰ったことがあったんだった。現実はそんなもんさ、と。
まだ、高校生の時、晩秋の信州を単車で走ってみたいと思った理由、一つ書いてない。
それは、多分信州ではなかったと思うが、高校生当時のインスタントコーヒーのCMで冬枯れのアップダウンをマチレスが疾走し、最後にライダーがコーヒーを飲むというのがあったんだ。マチレスと言っても画像のG50ではないと思うが。G50といえば、今のデスモセディチかRC213Vみたいなもんだから、そんなのが田舎を単騎で駆け抜けるはずがない。でも、あのCM、かっこよかったんだよなぁ。それに片岡義男氏の小説が重なったんだろう、きっと。
とか考えながら、4tダンプで駆け抜ける信濃路は、あまり楽しくないのである。重いし、慣れないし。忘れてたけど、ちょっと頑張って、コケて泣く泣く走った大学生の時よりはもうちょっといいコンディションで、もう一度単車で走ること目標に、ちょっと頑張ってみようか、などと、ひそかに思ってしまったのでありました。