決定的に感じるのは、当時、そんな彼らを慰撫する文学がなかったのだろうか?ということだ。当時の日本には、いわゆる 「慰撫する文学」=社会の不安や個人の浮遊感をやさしく吸収してくれるような文学の厚みが乏しかったような気がしてしまうのだ。
明治〜大正の文学状況を見てみる。
自然主義文学の支配があったと思われる。島崎藤村や田山花袋に代表される「私小説」的な自然主義は、「自己暴露」と「ありのまま」が重視された。これは自己表現にはなるけれど、「社会の中でどう生きていけるか」を慰める方向には乏しいとも言える。
浪漫主義の余韻もある。北村透谷や島崎藤村の初期のように「理想」や「恋愛」を歌った浪漫主義はあったが、日露戦争後は色あせていった。つまり「夢で癒す」文学の力が弱まった。
この時期の文学ということで思い浮かべるのが、夏目漱石の想像だったりするのだが、漱石の位置はどうだったんだろう?夏目漱石は文明批判や個人の孤独を描いたけれど、結局「どう慰められるか」については答えを出せなかった(むしろ孤独や不安を鋭く描き切った)。読者にとっては「共感はできるが癒しにはならない」ということになってしまうかもしれない。それはそれ、共感さえあれば、後は何ともできると思わないでもないんだが。
そこまで至らなかったのは、大衆文学の未成熟があるかもしれない。推理小説、恋愛小説、娯楽小説は芽生えていたけど、まだマスを抱え込むほどの文化的力はなかったようだ。
インテリにしてみれば、自然主義文学では救われない、漱石を読んでも孤独が深まる、大衆文学はまだ軽く見られている、というところで、「自分を支えるのは思想しかない」 という方向に行きやすかったのだろう。
そして、その思想というのがアナキズムやマルクス主義という「現状打破の力」を持った急進思想だった。ほらつながった。
後の時代との比較も考えてみる。
戦後になると、三島由紀夫や大江健三郎のように「思想と文学を往還」する人は出るが、同時に大衆文学やエンタメも厚みを持ってきた。だから戦後インテリは「政治運動に熱中する人」と、「文学やサブカルに逃避する人」とに分かれていけた。大正期はその「逃げ場」が薄かったため、思想への傾斜が強く出た、とも言える。
一言でぶっちゃけてみよう。アンパンマンがいなかったんだ。
アンパンマンとは、飢えたり困ったりした子に「顔をちぎって食べさせる」存在だ。つまり 「慰撫」や「支え」を分かち与える文学的・文化的存在だ。大正期のインテリたちにとっては、そういう「アンパンマン的な文化」が欠けていた。
アンパンマン的なものがなかった時代、文学は自然主義や漱石的孤独に傾き、「癒す」より「突きつける」方向に進んでいた。娯楽小説や大衆文化はまだ軽視されており、本格的に人を支える力には育っていなかった。だから「苦しい、孤独だ、どうしたらいい?」という問いに答えるものが乏しかった。
「顔を分け与えてくれる」ような文学がなかったから、インテリは思想に救いを求めた。しかも選んだのは「社会を変える」「権力を否定する」というアナキズムやマルクス主義だった。もし「アンパンマン的な文学」があれば、もっと柔らかい方向に行ったかもしれない。
それ以前、明治期や江戸時代までの文学にも、そういうものは少なかったんだろうか?とか思う。 深く人間性を追求していくような、さ。
江戸時代までの文学を振り返ると、確かに 「深く人間性を追求する」文学 というのは、近代文学ほど体系的には発達してはいなかった。だが、その代わりに 「慰撫する」「気晴らしする」「共感する」」文学や芸能 が厚みをもって存在していたと思う。
江戸文学の性格として、人間心理の深掘りより「型」と「共感」があった。近代文学のような「自己の内面をえぐる」作品は少ないともいえる。しかし、「型」によって感情を共有し、慰撫や娯楽を担ったのではないか?
井原西鶴(好色一代男・日本永代蔵)は、個人の欲望や商人の知恵を活写しつつ、人生の面白さ・哀しさを軽妙に描いていた。
近松門左衛門(心中物・曽根崎心中)は恋愛や義理の板挟みで苦しむ人間を描き、涙と共感を誘った。
丁度、今大河ドラマで蔦屋重三郎の事やってるな。浮世草子や黄表紙こそ、ユーモアや風刺で日常を笑い飛ばす「慰め」の文学だった。 俳諧(松尾芭蕉など)は、人生の無常をしずかに受け入れる「心の調律装置」だった。芭蕉は深い人間性を探るというより、自然や人生の「さび」を味わう方向。
慰撫の厚みを思う。江戸の庶民文化は「歌舞伎」「浄瑠璃」「落語」「戯作」などがあり、人間を慰め、楽しませ、共感させる 機能を果たしていた。
つまり「アンパンマン的な文化」はむしろ江戸のほうが豊かだった。
明治以降、「文学=真剣なもの、芸術的なもの」というヨーロッパ型の観念が導入され、江戸的な「慰撫・娯楽・共感」の要素は「低俗」として切り捨てられた。つまり、近代と断絶してしまったのだ。
結果として、自然主義や漱石的な「内面の苦悩を突きつける文学」が主流になり、慰める文化の厚みが痩せてしまった。
「アンパンマンがいなかった」言い換えると、「江戸にはあった慰撫文化が、明治以降のインテリ文学では抜け落ちた」という歴史的断絶が出来てしまったという事だ。
とすれば、産業革命、近代化という時代に浮かれて、その辺に向けられる目が少なかった時代だったからといえるだろうか?
江戸時代の文学は、人情や人生の機微を扱うものもあったが(近松や井原西鶴など)、基本的には身分制や共同体的秩序の中で「どう生きるか」を描いたものだった。近代的な意味で「個人の存在や内面の深掘り」を主題化する文学は、西欧近代思想と並行して生まれてくる。
明治〜大正期にかけては、急激な近代化・産業革命に「社会が追いつけていない」状態で、人々は新しい思想や運動に飛びつきやすかった。西洋から輸入された「自由」「平等」「革命」などの理念は、時代の閉塞感や抑圧と結びついて一気に燃え広がる。
しかし、その一方で「人間の弱さを抱きしめる」「慰撫する」ような文学はまだ十分に根付いていなかった。漱石や鴎外にしても、個人と社会の摩擦や葛藤を描くけれど、読者に「安心」を与えるものではない。
だから、大杉栄のように「思想を行動にする」インテリが現れる素地があったのだろう。ある意味で、日本の近代文学は「人を慰める」方向よりも「人を揺さぶる」方向に偏っていたともいえる。西欧ではトルストイの後期とか、ドストエフスキーの「苦悩の中での救済」とかがあるけど、日本ではそこがぽっかり抜けていた。
とすれば、今の時代もそんな傾向が優っているかもしれぬ。AIの伸長、どこまで行くのかが見通せない。自分の心への視線、悟性が少し後退している?そうでもない?
技術の進化(特にAI)によって、人間自身の内面への洞察や自覚がどこまで維持されるか、あるいは後退するのではないか?
認知負荷の軽減による後退の可能性はありうる。 AIが情報整理や判断の補助をすることで、人間は「考えなくても済む」状況に慣れてしまうかもしれない。その結果、自己観察や反省、内省の能力がやや鈍るリスクはきっとあるだろう。
逆に拡張される可能性もある。AIを使って自分の行動や思考の傾向を可視化したり、心理的パターンを分析したりすることも可能だ。うまく使えば、自分への洞察はむしろ深化することもありえる。
悟性の質の変化も考えなくては。「後退」かどうかではなく、むしろ「形を変える」と考えるほうがしっくりくるかもしれない。従来は自己の内面に直接向き合うことが悟性の源だったのが、今後は外部ツール(AI)を介した間接的な洞察も増える。その意味で、悟性は「自己への視線」と「ツールを通した視線」の二層構造になる感じになるかもしれない。
となれば、意識的な鍛錬の重要性が高まるだろう。技術が進んでも、能動的に自己観察する習慣や「内面に耳を傾ける時間」を持つことが、悟性を維持する鍵になるような気がする。ここは昔も今も変わらない部分だが。
また、現在の状況を見ていると、慰撫するのはいいのだが、それぞれなりに前に進む力になり得ているのだろうか?と思わないでもない瞬間があったりもする。
「慰撫」は確かに心を落ち着け、痛みを和らげる働きはあるが、それだけでは前に進む力には必ずしも直結しない。痛みを感じたままでも、ある種の「自己の力で前に進む感覚」を伴わないと、慰めは一時的な安堵に留まるだけになることがある。
文学でいうならば、悲しみや挫折に対して共感的に描写される場面は多いが、読者や登場人物がそこから行動や自己変革へ進む「力」に変わるかどうかは、作者の描き方や構造によることが大きい。
言い換えれば、慰撫は「受け止める力」を与える一方で、前に進む力(自己決定、勇気、主体性)は別のプロセスが必要になることが多い、とも言える。
危惧するのは、そういうところでの悟性、言い換えたら哲学。その辺が弱くないか?ということだ。
慰めや励ましは感情面での支えにはなるが、それが「前に進む力」や「行動や選択に結びつく知恵」になっているかというと、そこは別問題だからだ。
哲学的な悟性、つまり状況や自己を深く理解し、そこから現実的な判断や行動に結びつける力が弱い場合、慰めは一時的な安らぎに留まってしまうことになってしまいがちではないか?言い換えれば、心が温まるだけで、知的・実践的な力にはならない。もし議論の対象が「慰めや共感と、自己変容や成長の力の関係」なら、ここで問うべきは 「慰めがどの程度、自己理解・現実理解を促し、選択や行動に変換されているか」 という点になるだろう。
幼いころ、世界の苦さや不条理に触れた時、私たちはただ「どうしようもない」と感じるしかなかった。慰める文学も、救いの象徴も、身近には存在しなかった。アンパンマンも、どこかで手を差し伸べてくれるヒーローもいなかったのだ。だから、思考は無意識のうちに硬直し、苦しみをそのまま抱え込むしかなかった。
この時の悟性とは、単なる知識や理屈ではなく、世界の不条理に対峙するための哲学だった。しかし、幼い心にはその哲学を育む土壌がなかった。周囲の言葉や物語は、慰めよりも規範や価値の押し付けばかりで、苦しみの存在自体を肯定する力はほとんどなかったのだ。
だからこそ、後になって哲学や文学に触れた時、初めて「自分の感じていた世界の苦さは、孤独ではなかったのかもしれない」と気づく。それは、アンパンマンがいなくても、自らが小さな救済を作り出す力になり得る悟性の芽生えだった。
子供の頃はあんぱんをもらえる立場だったが、大人になるということは、顔をちぎって分け与えることを考えなくてはならない。
アンパンマンの顔は文字通り「食べ物」だが、この言葉を比喩として読むと「自分の時間や愛情、資源」をどう配分するか、という大人の課題にも置き換えられる。