0002 ZII_1
強くしなやかで自分を支えてくれるような言葉を探していたのだと、今になって思う。何しろ、ガールフレンドに全霊かけて向かって、全力で彼女ファーストでいたのが、ちょっと息をついたその瞬間に逃げられるなんて言うのを繰り返していたから、ガールフレンドに支えられ、なんてこともなく、支えてくれるとすれば、どこか吊るしの言葉を探してきてそれをつっかえ棒にするしかなかったのだ。
早熟の詩人と、その時すでに半ば骨董品、肉厚鋳鉄で重い空冷4気筒、しかしチューニングすればとんでもない馬力を出せるそういうのを積んだバイク。両者への憧れみたいなものは、オレの脳みその中ではお互いシナプスが隣り合ってたんじゃないかと思う。
概ね突き抜けた早熟天才詩人という印象のランボゥだが、「地獄の季節」では、その"地獄"に炙られながらも目をそらさず、遂に克服したかどうかもわからないが、それでも対峙する執念を感じた。それがオレの中においては、突き抜けた強さに変換でもされたのか?
排気量は少なくとも、同じカワサキでオレの400の方が年式は新しかったのだが、土砂降りの国道8号線、福井のあたり西行きの車線、四苦八苦するオレの横を抜いていったのはZIIで、奥さんか彼女と思われる女性をタンデムに乗せて。
バイクの性能じゃない。専ら乗り手の練度の所為だったのだろう。そのZIIこそ、突き抜けていく意志そのものに見えた。
ちょっとややっこしいぞ。ついてきて。そんな雨の国道8号線の事を思い出しながら、麩屋町錦の旅館での泊りがけのバイト明けの朝、通りに出たところで待ってたのは、京都盆地の朝だというのに蒸し暑く淀んだ熱気と呼ぶ一歩手前まで来ている重く分厚い大気で、で、土砂降りにの国道の事を思い出しながら頭の中をリフレインしているのは、中島みゆきの「あした」で。
何もかも愛を追い越してく
土砂降りの一車線の人生
凍えながら二人ともが
二人分傷ついている
ってね。まぁ、何はともあれ二人でいられてよかったじゃないか。いよいよオレが突き抜けていかなければならない時、オレは多分一人だ、という予想はどうやら正しかったようだが、それにしても、その時は呑気にそんなことを思いながら、蛸薬師通を河原町に歩いて抜けていた。ま、今も結構呑気なんだがな。
今になって、あの時の心の動きを、ちょっとだけ詳しく思い出さなきゃいけない羽目になっている。それについては稿を改めて。
画像のZIIは、ちょうどその頃の、PCなんてない、全くの手描きで、こんなん描いてたオレ、すげぇ、と思ったりするが、結構息を止めてやってたので、今はできないし、やったら、リアルに死ねる。