8426 刀 _39
NT0079,0080 ノート「裏道を行け ディストピア世界をHACKする」番外編
において、オレは
「なぜ、〇〇工学をクールと思い、そこに引き寄せられようとするのか?
恋愛に関していえば、どの時代にも姿を変えて、何やらどこか湿ったフォークロアが存在し、通俗文学やテレビドラマ、映画に姿を変えて世に姿を現す。それに救われる、指針をもらう者もそれなりの数いるだろうが、どうしたって救われず、その湿り具合を嫌悪を持つものには、〇〇工学という言葉の響き、たたずまい、魅力的に考えるのだろう。」
と書いた。恋愛あたりの事に関し、情緒などという湿った自分じゃ手に負えないものを嫌って、分かりやすい数値データ、機構を駆使して乗り越えようとしたが、結局はその情緒とかそのあたりのものに破れてしまうわけだ。
ふと、な、こんなこと書くのも気恥しいが、若い頃諳んじた漫画の一節を思い出した。
若さは性急に結論を欲し、問題を切断しようとする
その前から、少しまとめて書くと、こうだ。
限界超克の姿こそ男にはふさわしい
それは一種永続的な闘争であるが、その苛烈な思惟に耐え続けるのは難しい。
若さは性急に結論を欲し問題を切断しようとする
年齢的凋落はやがて来るが、再び立ち上がり走り出さなければならない
初めてアクセルを握った時から何も変わってはいないのだ
細かいところは間違ってるかもしれないが、こんな感じだったと思う。
頭が弱い、という言い方はあるが、頭が強い、という言い方がなぜかないのが少々不思議。思考力と一言で言うが、その頭ってやつにも、瞬発力と持久力があるんだと思っている。
持久力と言ってしまうと、それは限りなく意志力というものに近くなってはしまうものの、瞬発力=瞬間的ひらめきこそないものの、取り乱さず変な飛躍もしない、一歩一歩思考を進められる、最低限そのように少しでもやって行こうとするというのもまた「頭がいい」とはいわないだろうか? いや、あまり言わないかもな。
答えが出ない事、正解がひょっとしたらないことを考え続けること。それでも、遂に情緒なんて獲得できないかもしれない。
そして、そのように思考することは現代的とは言えない。考えてダメなら切り捨てて次に行くのが当代の流儀だ。それは正しいことなのか?何より幸せなことなのか?楽しいのか? 直感はそうではないと告げているが、自信はない。
何かに拘泥することは知らずと気が付けば自分をかなり不味い状況に追いやってることが、特に今では多い気がするので怖くてなかなかそんな感じにはいかない。
また、他はどうでも、自分は悩み続け考え続け隊と若い時に思ったとしても、気が付いたらそういう自分の若い頃を裏切ってしまうのが人間の弱さ。
ああ、だからか。
年齢的凋落はやがて来るが、再び立ち上がり走り出さなければならない
初めてアクセルを握った時から何も変わってはいないのだ