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2024年8月11日日曜日

8426 刀 _39, NT0079,0080 ノート「裏道を行け ディストピア世界をHACKする」番外編

8426 刀 _39

NT0079,0080 ノート「裏道を行け ディストピア世界をHACKする」番外編


において、オレは

「なぜ、〇〇工学をクールと思い、そこに引き寄せられようとするのか?
 恋愛に関していえば、どの時代にも姿を変えて、何やらどこか湿ったフォークロアが存在し、通俗文学やテレビドラマ、映画に姿を変えて世に姿を現す。それに救われる、指針をもらう者もそれなりの数いるだろうが、どうしたって救われず、その湿り具合を嫌悪を持つものには、〇〇工学という言葉の響き、たたずまい、魅力的に考えるのだろう。」

と書いた。恋愛あたりの事に関し、情緒などという湿った自分じゃ手に負えないものを嫌って、分かりやすい数値データ、機構を駆使して乗り越えようとしたが、結局はその情緒とかそのあたりのものに破れてしまうわけだ。

 ふと、な、こんなこと書くのも気恥しいが、若い頃諳んじた漫画の一節を思い出した。

 若さは性急に結論を欲し、問題を切断しようとする

 その前から、少しまとめて書くと、こうだ。

 限界超克の姿こそ男にはふさわしい
 それは一種永続的な闘争であるが、その苛烈な思惟に耐え続けるのは難しい。
 若さは性急に結論を欲し問題を切断しようとする

 年齢的凋落はやがて来るが、再び立ち上がり走り出さなければならない
 初めてアクセルを握った時から何も変わってはいないのだ

 細かいところは間違ってるかもしれないが、こんな感じだったと思う。

 頭が弱い、という言い方はあるが、頭が強い、という言い方がなぜかないのが少々不思議。思考力と一言で言うが、その頭ってやつにも、瞬発力と持久力があるんだと思っている。
 持久力と言ってしまうと、それは限りなく意志力というものに近くなってはしまうものの、瞬発力=瞬間的ひらめきこそないものの、取り乱さず変な飛躍もしない、一歩一歩思考を進められる、最低限そのように少しでもやって行こうとするというのもまた「頭がいい」とはいわないだろうか? いや、あまり言わないかもな。

 答えが出ない事、正解がひょっとしたらないことを考え続けること。それでも、遂に情緒なんて獲得できないかもしれない。
 そして、そのように思考することは現代的とは言えない。考えてダメなら切り捨てて次に行くのが当代の流儀だ。それは正しいことなのか?何より幸せなことなのか?楽しいのか? 直感はそうではないと告げているが、自信はない。

 何かに拘泥することは知らずと気が付けば自分をかなり不味い状況に追いやってることが、特に今では多い気がするので怖くてなかなかそんな感じにはいかない。

 また、他はどうでも、自分は悩み続け考え続け隊と若い時に思ったとしても、気が付いたらそういう自分の若い頃を裏切ってしまうのが人間の弱さ。

 ああ、だからか。

 年齢的凋落はやがて来るが、再び立ち上がり走り出さなければならない
 初めてアクセルを握った時から何も変わってはいないのだ


 

2024年6月16日日曜日

8272 GSX1100S _38

8272 GSX1100S _38

NT0061~0062 心に帯びたモーメントの何と面倒な

 同級生の女性の話だ。一度うちのブログにも登場している。かつての美少女、今や画喇叭地のおばさん。飲み会で2回ほど、そこにはいない別の同級生女性に対するコンプレックスを愚痴る事につきあった。いや、彼女だって、すらっとした美女で何人アンタに対しコンプレックスを感じていただろう、と、思ってはみたが、そんなのお構いなし、相当思春期には重いものだったらしい。

 彼女とそのコンプレックスを抱く対象の女性、決して仲が悪かったわけではない。いや、見た目、寧ろ良好なように見えた。実際、その場にいない女性を嫌いとか言う事ではないらしい。が、まぁ、なんというか、完璧超人な女の子ではあった。それはよく覚えてている。オレも。

 とはいえ、そんなことを聞かされたとて、気にすることはなかったんでない? なってつまらない事しか言えなく、そのつまらなさ加減にはオレ自身がうんざりしたりしたが、他に何言いようがある? とその時は思っていたのだが。


 同じ飲み会で、やはりその場にいない男性の話題になる。高校生当時、件の完璧超少女と付き合ってた奴の事だ。今は陽キャ陰キャとかスクールカーストとかなんて、結構まじめでつまらないおじさんおばさんが目くじら立てそうな言葉、中高生を中心に使われているそうで、オレたちの頃はそんな言葉はなかったけれど、そんな感じの今風の言葉で言えばスクールカーストのてっぺんにいる陽キャ、だったのだが、さて、そいつと完璧超少女、大学も此処とは離れた同じところに進み、しかし、分かれて何とかかんとか。そいつは別の同級生だった女のコと結婚し、完璧超少女の方は、大学の割と近所に実家がある男性と結婚して・・・、まぁ、時々そんな話を聞いていた。よくありすぎて今更な話なんだが。


 でさ、その男の方なんだけど、どうやら振られたのか、とにかく結構長い間それを引きずっていたんだと。んで、本調子でなかったせいなのかどうかは知らないが、結構トラブルにも巻き込まれたりして、かつての陽キャも大人の今となっちゃ、どうもパッとしないらしい。って、おい、もう、オレ達、孫もいるような年代だぜ? って。


 いや、さすがに未だに引き摺ってるなってこともあるまいよ。それは彼に失礼かも。ただ、それに囚われて本来もっと他の事に目を向けエネルギーをかけなくてはいけないタイミングでそれができず今に尾を引いている、ということはあるかもしれぬ。

 んで、そういう言葉全部オレにブーメラン。



 若い時に、少年の頃に、何となく抱く将来のビジョンだったりなりたい自分の理想像だったり。その為にそれぞれなりに努力はするんだ。しかし、客観的に見当違いだったり努力が足りなかったり、或いは単に運が悪かったりして、そのとおりにはいかなかったりするのが大多数で。異性ー伴侶の話になると、それは顕著でさ。その事じゃなくても。

 さっさと切り替えて、なんて、他人だから言えることで、それまでが上手くいってた奴なら尚の事、又はそいつなりにとてつもなくエネルギーをかけてきたというのであっても同様。なかなか、それまでの自分の心のモーメントにストップをかけたり方向を変えたりというのができないものだ。それをしないというのが如何に馬鹿げているかは重々承知の上で、だ。


 仏門の偉いお坊さんとか「執着を捨てよ」とかいうけど、それができれば世話がねぇ、ってね。まぁ、多くの人間は、それができないから、宗教なんて言う商売がこの世にあるんだが。いずれにしろ、如何に不親切な言葉であることか。


 執着、いろんな意味を含み得るが、この際は、若い頃、幼い頃に思い描いた理想の将来の自分像への撞着と乖離することの苦味だ。


 本当はもっと遠くに行けたはず、というところで慚愧に堪えないけれど、とりあえず今と今からが大事なのは、いくつになっても変わらない、というのはみんな思ってることで、冒頭の、昔美少女今画喇叭地おばさんは、何とか「今」に意味を見出そうとエネルギッシュだ。昔陽キャの男も、近況、よく知らないけれど、ずっとそう思ってやってることだろう。



 子供の時に好きだった女の子の話は置いといて、時々、ブログで取り扱う、ポルシェをぶっちぎりたいオジサンとか日本の旧車の話とか、って。考えてみりゃ、両方ポルシェなんだな。言葉で書き出してしまうと、ポルシェをぶっちぎることに何の意味があるのか? ということになってはしまうが、そういう馬鹿な事でも、悟りを開いたように、割り切ったように、そんな気持ちが収まってしまうと、実際人生の大部分が本当に終わってしまうような気がしている。



2024年4月29日月曜日

8270 GSX1100S _37

 

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NT0058,0059 首都高の青い鳥~キリン

 思い出してみたら、どちらも若い頃の不完全燃焼から来る拗らせオジサンの話だった。しかも作中の彼らは今のオレより若いと来てる。参ったな・・・。けじめを然るべきときにつけられなかった、故の迷走であるが、その然るべきにつけられなかったら最後、作中の彼らは一応けじめがついてすっきりした顔をしているが、いや、違うだろ、拗らせたら最後、限りなく同じ形をしていてしかし別の呪縛になるようなきがするんだが、どうか? 老い、いよいよ走れなくなるまで走ることを強要してくる呪いだ。
 さもなければ、彼らみたいにどうやったって敵わない、笑っちゃうくらいレベルが違う若い奴に情け容赦なく追い抜かれていくか。そりゃね、そうなっちゃったら実際は悔しいに違いないが、自分自身の痕跡はここから無くなっちまうかもしれないけれど、オレがいた場所は確かにここだった、とか感じながら消えていくんだろう。呪縛から解放された魂はようやく成仏するってわけだ。

 魂のうちの幾漠かはそこで成仏しても、しかし、その後の時間というのが確かにあって。そこで終わっときゃ、ひょっとしたらいい話で済んだかもしれないが、若い時には経験しきれなかったみっともない思いもすること、多々あったり。それも、ま、然るべき時にやり切れず何をどうしても、若い時にやりたかったことやったのに、拗らせてしまう要因ではある、ような気がする。

 んでさ。拗らせてしまうほど、何をどうしたかったのか? と考えた時に、突き抜けたかったんだろうな、みんな、と考えた。オレもなんだが、これっぽっち書いただけでは、そういうことに頭を巡らせていないと、何のことだかちっとも分かんねぇ、って。多分オレだって若い時は、突き抜けたいと思っていたはずなのに、老いてしまうとそういう時の気持ちを忘れてしまってる。きれいさっぱりと。で、だしぬけに、何をどうしたかったのか? と問われたりなんかしても、なんかピントの外れたことしか言わないような気がする。

 以下、今流のジェンダー論とは多々相容れない理屈だが、思いつくまま、まずは書いてみる。女性は子宮を持って生まれた時点でどうやったって女性なのである。後は個々の選択だし、病気などの事情を抱えた人にはまぁ、申し訳ないとしか言えない。男性は、男性に、何かになろうとして、初めてそういうものになる。思わなければ、その辺の有象無象、今流に言えばモブ以上、いや、それにすらなれない。何かうごめいているが、せいぜい背景として自己主張もせずおとなしくしていてください、と、言われてしまうような。

 若い時なんて言うのは、それぞれの人生の中で一番脳細胞が動いて、勢い、要らんこともいっぱい考えてしまいがちになるものだが、まぁ、そういう奴らの中で一定割合、どれだけかは知らんがな、何のために生きているのか、うまれてきたか、自分の存在意義、そんなもんを考えてしまうわけだ。んで、もって若い時はそれへの回答のヒントにもまた乏しい。それはそれで苦しいもので。
 最初から考えない奴もいるし、ちょびっと苦しいと思ったらさっさと考えるのを止める奴もいる。そんな奴を、若い時なんて特に蔑みつつも、いや、ちらとも蔑むような感情を持ってしまったら最後、と言うべきか、思考の沼にはまり込んでいく。

 そういう奴らの精神と思考はとてもバランスが悪く不安定だ。オレの場合は、ということで書くならば、そういう時に限って、いや、ずっと、今も、か、人の言う事に聞く耳を持たない。
 でも、そこから突き抜けたいと、ずっと思っているのだ。そうじゃないかい?

 青い鳥は、何も考えていないような主人公にぶっちぎられたときに、自分の”果て”にたどり着いたのだと感じ、キリンは女に出会い、結果的に薩埵峠近くのガードレールから飛ぶことにはなったけど、そういう場面で、彼は、ひょっとしたら昔ならアクセルを戻したタイミングでも回しきれたという事実により、吹っ切ることができたようだ、一応は、だけど。

 さて、自分が何者か?という問いが、なぜか異様に重い問いになってしまっている奴。今はね、あの時から、更にアニメとかラノベの異世界に行っちまえば現世のその重さから解放される。苦しいのはそれだけじゃないけれど。エルフやけもみみの美少女が慰めてくれる。重いことを考えなくてもね。
 でも、多分いる。それを良しとせず、さりとて、「無敵の人」となって周り巻き込んで爆散してしまうわけにもいかないと思って、ひとり重さに耐えているのか耐え切れず潰されそうになってる奴。
 あぁ、そうか。エルフ、けもみみのかわりの単車だったり、チューニングカーなどと言うのもおこがましいボロボロの何か弄った車だったか。そうので、あと少しアクセルを開ける、その感覚を夢想し、それを実際にやってみたかったんだ。それが、いってみれば「突き抜ける」ってこと。

 まぁ、なにをやるのかなんて、答えは人それぞれなんだが、今いる境地なんて、そいつならではのもので、周りには誰もいない、寒風吹きすさぶ荒野のようなものだ。ぶっちぎってくれる若い奴も寄り添ってくれる若い女もいない。いないからやらないのか? そうじゃないだろ?って。

 ネットでいろいろガス抜きも出来る時代に、しかし、そこに言葉をあげて散らしたりせず、重さの純度をひたすら上げている奴も、きっといるだろう。そういう奴に、幸、多からんことを祈る、としか言えないが心からそう思う。


2024年2月3日土曜日

NT0044 赤いカタナと自殺した少年の事

  前にも書いた覚えがあるな。でもいいや、どこにその文章があるかもうわかんないし。


 もう10年以上前になると思うが、オレが出た高校の、まぁ言ってみれば後輩にあたる、その当時の現役の高校生の男のコ。彼の小さいころからの夢が大工になることだったそうで、でも、なまじ学校の成績が良かったものだから、このあたりでは有数のオレが出た進学校に入らされた、らしい。しかし、自分の理想とその時の状況の乖離に耐えられなくなったのだろうか? 美術教室で首を吊ったんだそうだ。まぁ、あくまで噂でしか知らないんだが。


 歳にしたら自分の息子と言っていいくらい離れているコだったそうで、痛ましいことだった。まぁ、自分の思ったように生きられないのが辛い、なんてことはいつの時代であっても変わらない。生きてるだけで儲けもん、って明石家さんま氏が言ってたことで有名だけど、あのポジションの人にそう言われたって説得力ないよな。


 かの高校に通ってはみたものの、成績が思わしくなく、尚の事自己肯定感が落下するのを深刻に感じることも、ひょっとしたらあったのかもしれない。


 ふと、オレが高校生の時の一コマ、1枚のスナップ写真のように思い出した。駅前の、今は向かいに移っていったコンビニの居ぬきの店舗に代わりに入った海鮮居酒屋のあたり、しばらくの期間、歩道に赤のカタナが止まっていたんだ。物々しい馬力を湛えているというのに、そんなの関係ねぇ、とばかりに眠りをむさぼるようにそこに止まっている様が、何とも面白かった。道行く人の何人が、コイツのヤバさ知ってるんだろ? そう思うと尚の事痛快で面白かった。


 一応このあたりでは随一の進学校であったこともあり、当然その時は単車に乗ってもいなかったし、まだバイク雑誌を買うなんてこともしていなかった。


 オレはと言えば、オレの高校時代はと言えば、まぁ、暗い時代だったわね。やったことよりやられたことの方が強烈に覚えているという法則(?)に従えば、オレの体育の時間用に教室においてある運動靴の中に墨汁がぶちまけられていたり、同じく教室においてある体操服が焼却炉に入れられていたりした。辛いというより、まぁ、これからえらくなる人たちがこんなんで、こういう人たちが仕切るようになるこの社会の未来も、なんか、大したことねぇんだな、と見切った気持ちというか。まぁ、現行犯で抑えたわけじゃないから出来なかったが、次なんかやられたときにはぶん殴ってやろう、くらいには怒りに駆られてた。

 結構、周りから言わせたらオレはそういうキャラではないらしいが、10年に一回ぐらいずつ人殴ってるんですよ。寧ろ、だから、落ち込んでいくというより、変なアドレナリンが出ちゃっていたわけだ、高校の時は。ホント今だから言うけど。でも、ま、やはり辛いってったら辛かったかもな。


 赤のカタナは、オレを慰めるわけでもなく、夥しい熱を湛えながらもそいつはそこで眠りをむさぼっていた、大したことのないこの社会の未来とは別の未来を垣間見るような気分にもなった。


 彼の自殺した少年にはそういう物がなかったのだろうか? オレはカタナに救われた。



I remember writing about it before. But no, I don't know where that sentence is anymore.


I think it was more than 10 years ago, but there was a boy who was a current high school student at the high school I went to, who was actually my junior, to put it bluntly. It seems that his dream since childhood was to become a carpenter, but because he had good grades at his junior high school, he was admitted to one of the best preparatory schools in the area. However, did he become unable to bear the discrepancy between his ideals and the situation at the time? Apparently he hanged himself in an art class. Well, I only know from rumors.


At his age, he was so far away from me that I could almost call him my own son, and it was painful. Well, it doesn't matter what era he is in, it's painful not being able to live the way he wanted. Mr. Sanma Akashiya is famous for saying that you can make money just by being alive, but it's not very convincing when someone in that position says that.


Even though he attended that high school, his grades were not what he expected, and even more so, he may have felt a serious decline in his self-confidence.


Suddenly, I remembered a frame from when I was in high school, like a snapshot. For a while, a red katana was parked on the sidewalk in front of the station, near the seafood izakaya that replaced the convenience store that had moved across the street. Even though it had a tremendous amount of horsepower, it was very interesting to see it just sitting there, as if it didn't matter, as if sleeping. I wonder how many people on the street know how dangerous this guy is? When I thought about it, it was even more exciting and interesting.


It was the best preparatory school in the area, so of course I hadn't even ridden a motorcycle at that time, nor had I bought a motorcycle magazine yet.


Speaking of me, my high school days were, well, dark times. If we follow the rule (?) that we remember more vividly what we did than what we did, ink was sprinkled on my sports shoes in the classroom for my physical education class, Gym uniforms were put into the incinerator. Rather than it being painful, I feel like I've given up on the people who are going to be great from now on, and that the future of this society, which will be run by people like this, isn't that big of a deal. Well, I couldn't have stopped him red-handed, but I was so angry that I thought I'd punch him the next time he tried.

Well, people around me say I'm not that kind of person, but I hit someone about once every 10 years. In fact, rather than feeling depressed, I had a strange adrenaline rush when I was in high school. I'm really saying this now. But, well, if it was painful, it might have been painful.


The red katana didn't comfort me, and I felt like I was getting a glimpse of a future different from the future of this insignificant society where I was sleeping there, filled with tremendous heat. .


Didn't the boy who committed suicide have something like that? I was saved by Katana.

8200 GSX1100S _30

 

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2023年8月14日月曜日

NT0007 Colors/Dance - George Winston 5 突き抜けてぇなぁ (T1130)

 

 物見遊山でマハラジャ、イーストとウェスト、行ってはみたけれど惨敗して、なんてことはあったが、何か基本、19の時に東京に出たからと行って、どこに行ってみたいとか思うことが少なく、それは受験浪人だったからということもあるけれど、年取った今に至るまでその辺は変わらなかったりする。


 例外としては、例えば、往年の名レーサー、生沢徹氏のショップには行ってみたいと思っていた。白地にね、赤で「TEAM IKUZAWA」というロゴがカッコよくて、何か欲しいと思っていた、つい最近までは田舎の男子高校生であった。


 果たして、ゴールデンウィークの或る、少し汗ばむくらいの陽気の日である。寮最寄りの蓮根駅から巣鴨で山手線、渋谷まで行って。そう、渋谷なんて早々行くことはなかったし、まして田園都市線など、生涯あの時乗った切りだが、何はともあれ、確か桜新町まで乗ったんだと思う。駒澤大学駅や用賀駅ではなかったと思うのだが、まぁ、忘れたよ。で246号線まで歩き、西か東か分からなかったが、まぁ、とにかくその時は西を向いて歩いていた。道沿いのはずだから分かるだろうって。


 休日の昼前のこと。クルマの通りはそれほど多くはなかったように思う。それが普通なのかどうかはわからない。そこをさ、青のニンジャと銀のカタナがバヒュンと走っていったのさ。某マンガみたいに。多分、あの後用賀から高速に乗ったんだろうが、まぁ、繰り返すけど、バヒュンって一瞬でした。


 あっという間に2台は遠くに行ってしまったけれど、立ち止まって呆けてみてしまいましたね。


 独り言なんて滅多にしませんが、思わず口をついて出たのは

「突き抜けてぇ」

っていうか、走り去りてぇ、と、時々、今でも思ったりします。逃げたい、というよりは、常に、オレはもうそこにはいない、ってのに憧れをずっと持ってたりするのだから、困ったものです。


 実際には、年を追うごとに、それこそ際限なくオレは鈍くさく、とてもとても突き抜けたり走り去ったりすることができない、只々そこに残される、そういう自分を事あるごとに再確認して、出るのはため息ですわな。



I tried going to Maharajah, East and West, but was defeated badly, but basically, I went to Tokyo when I was 19 and I rarely think about where I want to go , It may be because I was an exam ronin, but that area hasn't changed even now that I'm old.


As an exception, for example, I would like to go to the shop of Mr. Tetsu Ikusawa, the famous racer of yesteryear. The red "TEAM IKUZAWA" logo on a white background looked cool, and I wanted something. Until just before that, I was a high school boy in the countryside.


As expected, it was a sunny day during Golden Week, when I got a little sweaty. From Hasune Station, which is closest to the dormitory, go from Sugamo to Shibuya on the Yamanote Line. Yes, I didn't get to Shibuya early on, let alone the Den-en-toshi line, which I've ridden at that time in my life, but I think I rode all the way to Sakurashinmachi. I don't think it was at Komazawa-daigaku Station or Yoga Station, but I forgot. So I walked to Route 246, I wasn't sure if it was west or east, but anyway, I was walking west at that time. It should be along the road, so you should know.


"It was before noon on a holiday." I don't think there were that many cars on the street. I don't know if that is normal. There, a blue ninja and a silver katana ran briskly. like some manga. Maybe after that they got on the highway from Yoga, but, well, I repeat, it was a moment.


"In no time, the two bikes were far away, but I stopped and looked at them in amazement."


"I rarely talk to myself, but what came out of my mouth was

"Go through"

Or rather, run away, sometimes I still think. It's not that I want to run away, but that I'm not there anymore, but I'm always longing for it, so it's a problem.


In fact, as the years go by, I become endlessly dull and unable to break through or run away. It's just a sigh to reconfirm myself that I'm just left there every time I get out.



J'ai essayé d'aller à Maharajah, Est et Ouest, mais j'ai été mal vaincu, mais en gros, je suis allé à Tokyo quand j'avais 19 ans et je pense rarement à où je veux aller, c'est peut-être parce que j'étais un ronin d'examen, mais ce domaine n'a pas changé même maintenant que je suis vieux.


A titre exceptionnel, par exemple, je voudrais aller à la boutique de M. Tetsu Ikusawa, le célèbre coureur d'antan. Le logo "TEAM IKUZAWA" rouge sur fond blanc avait l'air cool, et je voulais quelque chose. , j'étais un lycéen à la campagne.


Comme prévu, c'était une journée ensoleillée pendant la Golden Week, quand j'ai un peu transpiré. De la gare de Hasune, qui est la plus proche du dortoir, allez de Sugamo à Shibuya sur la ligne Yamanote. Oui, je ne suis pas arrivé à Shibuya tôt sur, sans parler de la ligne Den-en-toshi, que j'ai parcourue à cette époque de ma vie, mais je pense que j'ai roulé jusqu'à Sakurashinmachi. Je ne pense pas que ce soit à la station Komazawa-daigaku ou à la station Yoga Alors j'ai marché jusqu'à la route 246, je ne savais pas si c'était vers l'ouest ou vers l'est, mais bon, je marchais vers l'ouest à ce moment-là.


"C'était avant midi un jour férié. Je ne pense pas qu'il y avait tant de voitures dans la rue. Je ne sais pas si c'est normal. Là, un ninja bleu et un katana argenté couraient à vive allure. Comme certains mangas. Peut-être qu'après cela, ils ont pris l'autoroute depuis Yoga, mais bon, je le répète, c'était un moment.


"En un rien de temps, les deux vélos étaient loin, mais je me suis arrêté et je les ai regardés avec étonnement."


"Je me parle rarement, mais ce qui est sorti de ma bouche, c'est

"Traverser"

Ou plutôt fuir, parfois je pense encore, ce n'est pas que j'ai envie de fuir, mais que je ne suis plus là, mais j'en ai toujours envie, donc c'est un problème.


En fait, au fil des années, je deviens sans cesse ennuyeux et incapable de percer ou de m'enfuir.C'est juste un soupir pour me reconfirmer que je suis juste laissé là à chaque fois que je sors.



Ich habe versucht, nach Maharadscha, Ost und West zu gehen, wurde aber schwer geschlagen, aber im Grunde ging ich mit 19 nach Tokio und denke selten darüber nach, wohin ich gehen möchte. Vielleicht liegt es daran, dass ich ein Prüfungs-Ronin war, aber an dieser Gegend hat sich auch jetzt, wo ich alt bin, nicht verändert.


Ausnahmsweise würde ich zum Beispiel gerne in den Laden von Herrn Tetsu Ikusawa gehen, dem berühmten Rennfahrer von damals. Das rote „TEAM IKUZAWA“-Logo auf weißem Hintergrund sah cool aus, und ich wollte etwas. , Ich war ein Highschool-Junge auf dem Land.


Wie erwartet war es ein sonniger Tag während der Goldenen Woche, an dem ich etwas verschwitzt war. Vom Bahnhof Hasune, der dem Wohnheim am nächsten liegt, fahren Sie mit der Yamanote-Linie von Sugamo nach Shibuya. Ja, ich bin nicht früh in Shibuya angekommen weiter, geschweige denn die Den-en-toshi-Linie, die ich damals in meinem Leben gefahren bin, aber ich glaube, ich bin den ganzen Weg bis Sakurashinmachi gefahren. Ich glaube nicht, dass es an der Komazawa-daigaku-Station oder der Yoga-Station war Also ging ich zur Route 246. Ich war mir nicht sicher, ob sie westlich oder östlich war, aber egal, ich ging damals nach Westen. Sie sollte entlang der Straße verlaufen, also sollten Sie es wissen.


„Es war vor Mittag an einem Feiertag.“ Ich glaube nicht, dass so viele Autos auf der Straße waren. Ich weiß nicht, ob das normal ist. Da rannten ein blauer Ninja und ein silbernes Katana zügig. Wie in einem Manga. Vielleicht kamen sie danach vom Yoga auf die Autobahn, aber ich wiederhole, es war ein Moment.


„Binnen kürzester Zeit waren die beiden Motorräder weit weg, aber ich blieb stehen und schaute sie erstaunt an.“


„Ich rede selten mit mir selbst, aber was aus meinem Mund kam, war

"Durchgehen"

Oder besser gesagt, weglaufen, denke ich manchmal immer noch. Es ist nicht so, dass ich weglaufen möchte, sondern dass ich nicht mehr da bin, aber ich sehne mich immer danach, also ist es ein Problem.


Tatsächlich werde ich im Laufe der Jahre immer langweiliger und unfähig, durchzubrechen oder wegzulaufen. Es ist nur ein Seufzer, der mir jedes Mal, wenn ich rauskomme, erneut bestätigt, dass ich einfach dort zurückgelassen werde.



Intenté ir a Maharajah, East y West, pero fui derrotado gravemente, pero básicamente, fui a Tokio cuando tenía 19 años y rara vez pienso a dónde quiero ir. Puede ser porque era un ronin de examen, pero esa área no ha cambiado incluso ahora que soy viejo.


Como excepción, por ejemplo, me gustaría ir a la tienda del Sr. Tetsu Ikusawa, el famoso corredor de antaño. El logo rojo "TEAM IKUZAWA" sobre un fondo blanco se veía genial, y quería algo. , era un chico de secundaria en el campo.


Como era de esperar, era un día soleado durante la Semana Dorada, cuando me puse un poco sudoroso. Desde la estación Hasune, que es la más cercana al dormitorio, ve de Sugamo a Shibuya en la línea Yamanote. Sí, no llegué temprano a Shibuya. en, por no hablar de la línea Den-en-toshi, que he montado en ese momento de mi vida, pero creo que viajé hasta Sakurashinmachi. No creo que fuera en la estación Komazawa-daigaku o la estación de yoga. Así que caminé hacia la ruta 246, no estaba seguro si era al oeste o al este, pero de todos modos, estaba caminando hacia el oeste en ese momento. Debería ser a lo largo de la carretera, así que debes saberlo.


"Fue antes del mediodía en un día festivo". No creo que haya tantos autos en la calle. No sé si eso es normal. Allí, un ninja azul y una katana plateada corrían rápidamente. Como un manga. Tal vez después de eso entraron en la carretera de Yoga, pero bueno, repito, fue un momento.


"En poco tiempo, las dos bicicletas estaban muy lejos, pero me detuve y las miré con asombro".


"Rara vez hablo solo, pero lo que salió de mi boca fue

"Atravesar"

O más bien huir, a veces sigo pensando, no es que quiera huir, es que ya no estoy, pero siempre lo estoy deseando, entonces es un problema.


De hecho, a medida que pasan los años, me vuelvo infinitamente aburrido e incapaz de abrirme paso o huir. Es solo un suspiro para reconfirmarme a mí mismo que me dejan allí cada vez que salgo.



我嘗試過去大君、東方和西方,但都敗得很慘,但基本上,我19歲的時候去了東京,我很少考慮我想去哪裡,可能是因為我是考試浪人,但那個地區即使現在我老了,也沒有改變。


作為例外,例如,我想去昔日著名賽車手生澤哲先生的商店。白色背景上的紅色“TEAM IKUZAWA”標誌看起來很酷,我想要一些東西。,我是一個農村的高中男孩。


果然是黃金周的大晴天,出了點汗,從離宿舍最近的蓮根站,從巢鴨坐山手線到澀谷。是的,沒早到澀谷。更不用說我當時乘坐過的田園都市線了,但我想我一路騎到了櫻新町。我不認為是在駒澤大學站或瑜伽站於是我就走到了246號公路上,我不確定是向西還是向東,但不管怎樣,我當時是向西走的,應該是沿著路走的,所以你應該知道。


“那是在假期的中午之前。”街上的車好像沒有那麼多,不知道這是否正常。那裡,一個藍色的忍者和一個銀色的武士刀在輕快地跑著,就像漫畫裡的一樣。也許在那之後他們從瑜伽出發上了高速公路,但是,好吧,我再說一遍,那是一個時刻。


“很快,兩輛自行車就離得很遠了,但我停下來,驚訝地看著它們。”


“我很少自言自語,但從我嘴裡說出來的是

“經過”

或者說,逃跑,有時候我還是會想。不是我想逃跑,而是我已經不在了,但我總是渴望它,所以這是一個問題。


其實,隨著歲月的流逝,我變得無盡的遲鈍,無法突破,也無法逃避,每次出去只是一聲嘆息,重新確認自己只是被留在那裡。



Jag försökte åka till Maharajah, öst och väst, men blev illa besegrad, men i grund och botten åkte jag till Tokyo när jag var 19 och jag tänker sällan på vart jag vill åka, det kan bero på att jag var en examen ronin, men det området har inte förändrats ens nu när jag är gammal.


Som ett undantag skulle jag till exempel vilja gå till Mr. Tetsu Ikusawas butik, den berömda racerföraren från förr. Den röda "TEAM IKUZAWA"-logotypen på en vit bakgrund såg cool ut, och jag ville ha något. , Jag var en gymnasiepojke på landsbygden.


Som väntat var det en solig dag under Golden Week, då jag blev lite svettig. Från Hasune Station, som ligger närmast elevhemmet, åk från Sugamo till Shibuya på Yamanote-linjen. Ja, jag kom inte till Shibuya tidigt på, än mindre Den-en-toshi-linjen, som jag har åkt vid den tiden i mitt liv, men jag tror att jag åkte hela vägen till Sakurahinmachi. Jag tror inte att det var på Komazawa-daigaku Station eller Yoga Station Så jag gick till väg 246, jag var inte säker på om det var västerut eller österut, men jag gick i alla fall västerut vid den tiden. Det borde ligga längs vägen, så du borde veta.


"Det var före lunchtid på en semester." Jag tror inte att det fanns så många bilar på gatan. Jag vet inte om det är normalt. Där sprang en blå ninja och en silver katana snabbt. som någon manga. Kanske efter det kom de på motorvägen från Yoga, men, ja, jag upprepar, det var ett ögonblick.


"På nolltid var de två cyklarna långt borta, men jag stannade och tittade förundrat på dem."


"Jag pratar sällan med mig själv, men det som kom ut ur min mun var

"Gå igenom"

Eller snarare, spring iväg, ibland tänker jag fortfarande. Det är inte det att jag vill fly, utan att jag inte är där längre, men jag längtar alltid efter det, så det är ett problem.


Jag blir faktiskt oändligt matt och oförmögen att bryta igenom eller springa iväg.Det är bara en suck att bekräfta mig själv att jag bara lämnas där varje gång jag kommer ut.


2022年5月3日火曜日

7482 GSX1100S_28 & ランボゥに戻る前にキリンに立ち寄る

 

7482 GSX1100S_28


 考えてみたら、法華宗の事ばかり書いていて、ランボゥの事書いてないし、それなら、別にカワサキ空冷4発を合わせることもないのだ。んでもって、ランボゥに話題を引き戻す前に、東本昌平氏の「キリン」の事について少し、と思い、今回は刀。

 非常に稚拙な、という修飾語はつくが、プチ宗教論争、プチ思想哲学論争なんて、20代の時、げっぷが出るほどやったのだ。それもこれもすべてはマウントとるためなんだが、夜の酒を飲みながらのそれに備えて、昼間のうちに書籍でにわか知識の詰め込みなんかもやったりしたものさ。今更、同僚で顕正の彼女を、以降、ここでは姫と呼称するが、姫とは多分直接的な論争になることはないだろう。姫の同級生の方か、顕正会のもう少し上位の人が、こんなオレを、それでも、折伏弘通しようというなら、多少はあるのかもしれない。まぁ、オレが彼らの立場なら、こんな奴はごめんだがね。

 ざっくり整理するならば、妙法蓮華経と勤行の良さは充分理解できた。それだけで価値があることは分かった。しかし、顕正会の主張方針とは相いれることができず、会員として活動することもできない、ということだ。

 心が決まって、改めて思うのは妙法蓮華経の経文としての端正さである。そう感じるというのは一体どういうことなのか、生まれて初めて、じゃないわ、前に鈴木大拙氏の「歎異抄」を読んだことがあるんだった。臨済宗門徒の氏が、親鸞の教えが浄土宗門徒の間で変質することを嘆いた、なんていう、言ってみれば愚痴本だ。名著とは言われているが。仏教関係の書籍を買うのは、その「歎異抄」に次いで、ということになる。それが今回、3冊ほど仏教研究書籍、他に何冊か、まとめてお買い上げだ。
 
 
 法華経関連書籍が4冊と、佐藤優氏が母校の、氏は神学部であったから、多分その神学部で講義したその内容らしい、という本と、ガダリやデリダと並んで、オレが若い時スターだったドゥルーズの、これ、入門書みたいな内容らしい。

 ホントは土木の技術書買って読めばいいのだが、ついつい手が出るのは、単車とかクルマの本じゃなければこのあたりだったりする。GWとその後の2週間の出張の夜、コロナだし遊びに行けないので夜の御供として。

 若いころというと、美術部の後輩に、一時期幸福の科学に偉く傾倒した奴と、バイト仲間の他の大学の学生(っていうか百万遍のかの国立大学の奴)でオウム真理教に入信しちゃった奴がいた。それぞれから、結構熱心に勧誘されたりした。
 って思いだしたよ。なんか、オレ、勧誘しやすいのか、原理研の勧誘こそなかったけど、前に書いた通り、英会話の教材やら、高校の時新宿駅で自衛隊の勧誘を受けたし、渋谷から青山通り、表参道と歩いただけで2回、厚化粧のオバちゃんお姉さんに、シルクスクリーンやらリトグラフやら売りつけられそうになった。以来、クリズチャン・ラッセンが特に嫌いになったんだがな。
 そう思うと、オレって、そんな隙だらけに見える? って、少し落ち込んでしまう。

 そのあたりから、思ってたのさ。新宗教、新興宗教なんていうのは、組織として不安定な分、教祖が「烏の色は白」といってもそれに従わなければならないようなところがある。そうしないと組織を維持できない。壺とか怪しげなもの売られる以前に、そういうのが我慢できない。

 こうやって、オレは、良いと思ったりとか興味を持ったりしたら、その話の裏も取り、そのうえで受け入れるかどうか決める、なんて言うやり方をいつの間にかとるようになった。法華経との出会いはきっと悪くないものであるという予感がある。それをもたらしてくれた姫には感謝だ。心から。

 まぁ、しかし、特に顕正会のような立ち位置の新宗教、そこの支部長あたりが仮に折伏にくるのだとしたら、そのような本では何も日蓮大聖人様の教えなどわからない、とか、間違いだ、とか言うのだろう。まぁ、それならお互い何が分かってるのか? って話なんだが、お互い何もわからないんだよ。なんて、少々乱暴か。主観も客観も必ず正しいことなんてない。一般に客観が正しいみたいな思われ方をしているが、そういうのはただ、外から見る分には、以上の意味はないから、中の事は分からないし、内側にこもっては外からの評価がわからない。信心が、他所の評価も気にならない。自分の信心で目いっぱいで、他人様の信心などどうでもいい、という立場を取らない、あくまで折伏にこだわるなら正しいものはまるで見えていないということになる。ただ、自分が絶対正しい、という料簡こそ、実は真っ先に間違いであると断ぜられるべきものであると思っている。その辺からして多分決して分かり合えない。

 まぁ、オレが思ってることだって正しいとはほぼ思っていない。特に万人にとっては。間違っているから常に正しいものを探すのだけど、正しいものを手に入れた瞬間に間違ったものになってしまうのだから、きりがない。しかし、そういうことの面白みが、何となくわかってきていたりしてな。


 限界超克の姿こそ男にはふさわしい
 それは一種永続的な闘争であるが
 その苛烈な思惟に耐え続けるのは難しい
 若さは性急に結論を欲し 問題を切断しようとする

 自身の有限を自覚しながらも
 再び立ち上がり走り出さなければならない
 初めてアクセルを握った時から
 何も変わってはいないのだ

 そらで覚えているのを書き出してみた。それぐらい若い時のオレには重要な一節だった。「キリン」が最初にMr.Bikeに連載されていた時に、東本氏によって、作中と、漫画とは別のページに書いてあったのを合わせて、こんな感じだったと思う。
 こめかみとその奥の脳髄の芯が随分と疲れたような感覚は取れなかったけれど、これはこれからこういうものだし、男ってこんなもんだ、なんて妙に腑に落ち、何か世界が変わったような気がした、これを読んだときは。
 因みに、「男には」なんて、「男」を振り回すなんて、随分昭和だが、しかしこの場合の男はつまり、例えば戦場で、恋人の写真を持参して「戦争が終わったらこのコと結婚するんです」なんて妙なフラグを立てることもなければ、そもそも、持って歩く写真に写す恋人などいないのに、いざ始まってしまえば、真っ先にヘルメットごと頭を撃ち抜かれてしまうような男、意を決して女性に愛の告白をして「君のためならなんだってできる」といったら、即座に「じゃぁ、私のために、私の前から今すぐ消えて」と言われてしまうような男である。いくら男女平等とはいえ、そういうのはごめんだろう、多分、女性の方々も。

 モチベーションが低いわけではないが、妙に疲れ果てた感覚があるし、それでいて変に覚醒していて、寄り添ってくれる人もなく脚に力は入りきらないのだが、寄り添ってくれる人がいなければ、前に行かないのか? 違うだろ? と、ゴーストが囁いてくれちゃったりなんかして、一度、丹田に力を込め、歯をほんの少しだけ食いしばり、食いしばりすぎると俺みたいに奥歯ボロボロになりますので。まぁ、そういう自己イメージだ。そうやってよろよろ前に進みだす。

 どこかの教えにおすがりすれば、それは間違いであると断じられ、なにか即席のお救いをあてがわれるのだろうが、そういうことは選ばない。

 で、自己陶酔と揶揄されるから人には言わないけれど、案外とこれが、居直ってしまえば楽しいと思えなくもない。そんな感じ。


 キリンが、何十年越しにポルシェに挑みかかるきっかけは若い女性だった。こちらも若い女性であることは変わりないが、あちらはイケオジで女性と懇ろになったりしていたが、こちらは、そういうことはほぼあり得ない。でも、な~んか (´・ω・`)人(´・ω・`)ナカーマ、とか、思ってしまった。

 
 ランボゥの詩というのは、そういうのが、そんな珍しくはないことで、ちょっとばかりしんどいかもしれないが、特別絶望的な孤独感を感じるほどの事もない、と、いい具合に教えてくれる。
 ような気がする。知らんけど。


 というようなところを、顕正会の件は、ブログでは、一応のまとめとしておく。新しい展開があって、それが面白いと思えば書くことにする。