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2014年6月1日日曜日

3252 能年玲奈 & 「ホットロードについて 1」


能年玲奈 (3252/7670)


ホットロードについて 1

「あまちゃん」の主演やってた能年玲奈さんが主演で「ホットロード」の映画を作ったそうで。時期的には撮影は終わって、もう編集に入ってるのかな?
 テーマ音楽が尾崎豊であることといい、コレは決して今の若者に向けての映画ではないような気がする。今の若者から乖離しすぎているでしょ、と。それこそ「あまちゃん」がそうだったように、’80年代ワカモノだったおばさんマーケティングなんだろうな、という結論。

 「ゆとり」や「さとり」などと書く、というか、そのテの言葉を使う、あることを認めるということにそこはかとなく抵抗感はあるが、その昔「新人類」と書けばかっこいいけど、要するに訳わかんない、正体不明的な意味の言葉を押し付けられた世代であっても、こういう言葉、使いやすくて困る。まぁ、フツーに十代後半、二十代、三十代みたいないいかたでいいのかもしれないが。
 で、そのあたりのワカモノたちに、こういう恋愛、どうなんだろうな、と。フィクションとしては、昔こういうの、流行ったかもしれない。歌とかマンガとか。当時の少女向けに、割と世間知らず風味の女の子とイケメンワルがどうしたこうした、というのは。
 いつの時代だって、少女達的にはイケメンは正義なのかもしれない。自分の知らない世界に誘ってくれるイケメン。で、その実、「自分を新しい世界に連れて行ってくれる」ということよりも「イケメン」であることが大事。
 「能年玲奈」「登坂広臣」「鵠沼海岸」ならばかろうじて絵になるだろうが、基本「え゛~、ゾッキー?」というのが、今のコの大多数の反応ではあるまいか、と思う。
しかし、そういえば、日本の映画、なぜか、不良モノ、アウトサイダーモノが一定割合で制作されているような気がするが、ということは、劇場封切だけではない、DVD化までしてレンタルに回れば、関係者の糊口をしのぐぐらいのアガリは計算できるということなんだろうか? 爆発的な興行売り上げがあるとは思えないのだが。かつての高倉健や鶴田浩二の時代のヤクザ映画ならばともかく、陳腐化著しくエポックな映画にはなりえないだろう、さすがに今の時代は。それでも作り続けられる謎。それとも、その筋のスポンサーとかいるのかね?

 改めて、誰が観るんだ、こんな映画? だ。誰に向けて作ってるんだ?
 既に述べたとおり、まず、’80年代後半、’90年代前半の少女のノスタルジーに向けて。それはまさしく「あまちゃん」の母親に小泉今日子氏をすえて展開されたような’80年代マーケティングにしたがって、ということで。
 そして、まだ世間を知らない10代のイケメンが正義、という少女と、同じく世間を知らない10代の少年達のうち、ハルヤマみたいになれば、能年玲奈ちゃんみたいな女の子といい仲になれるかもしれないと考えるような非イケメン。そんな感じか?


(0008/7305)