迷走録(-1378)
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2025年3月30日日曜日
8773 富沢祥也 _4
8773 富沢祥也 _4
Shoya Tomizawa
Suter MMX
Indianapolis 2010
2025年1月26日日曜日
8726 Freddie Spencer _56
8726 Freddie Spencer _56
Freddie Spencer
XR14 1980
Jarama?
2024年12月28日土曜日
8673 NS500 prototype
8673 NS500 prototype
2024年12月24日火曜日
8658 Freddie Spencer_33 retake (Freddie Spencer _54)
8658 Freddie Spencer_33 retake (Freddie Spencer _54)
Freddie Spencer
NS500 1983
8657 片山敬済 _59
8657 片山敬済 _59
Takazumi Katayama
NS500
Assen 1982
2024年12月23日月曜日
8656 Freddie Spencer_13 retake (Freddie Spencer _53)
8656 Freddie Spencer_13 retake (Freddie Spencer _53)
Freddie Spencer
NS500 1983
2024年12月8日日曜日
8589 片山敬済 _58
8589 片山敬済 _58
2024年12月7日土曜日
8587 片山敬済 _57
8587 片山敬済 _57
Takazumi Katayama
NS500 1984
2024年12月1日日曜日
8567 片山敬済_9 retake3 (片山敬済 _56)
8567 片山敬済_9 retake3 (片山敬済 _56)
Takazumi Katayama
XR14
Jarama 1980
8563 片山敬済_21 retake 3 (片山敬済 _55)
8563 片山敬済_21 retake 3 (片山敬済 _55)
Takazumi Katayama
XR14
Scarborough 1980
2024年9月24日火曜日
8539 芳賀紀行 _6
8539 芳賀紀行 _6
Noriyuki Haga
OWL6
Valencia 2001
2024年9月22日日曜日
8533 NS500 _2 retake2
8533 NS500 _2 retake2
NS500 1982
rider; Freddie Spencer
2024年8月15日木曜日
8446 Jeremy McWilliams & NT0086,0087 ジェレミー・マクウィリアムスとブラフシュペリアの組み合わせから、ト―マス・エドワード・ロレンスを連想し、現在の中東情勢まで思いをはせてみる
8446 Jeremy McWilliams
Jeremy McWilliams
Brough Superior Moto2
Silverstone 2014
NT0086,0087 ジェレミー・マクウィリアムスとブラフシュペリアの組み合わせから、ト―マス・エドワード・ロレンスを連想し、現在の中東情勢まで思いをはせてみる
2014年イギリスGPのワイルドカード、マクウィリアムスが乗ったブラフシュペリア。申し訳ないが、往年のSS100や現代にリブートされたものに比べて、なんともモッサリした形で、ちょっと残念な気がした。
ジェレミー・マクウィリアムスは、オレより2つほど年上か。ワイルドカードならそれでもありだが、この時で50歳。顔は寧ろ、ピーター・オトゥールより、現在に残るT.E.ロレンスの肖像に似ている。
ブラフシュペリアというと、まず思い浮かべるのが、そのT.E.ロレンスの愛車であったということ。現代のクルマで言えば、フェラーリどころではない、ブガッティやパガーニくらいのランクのブランドだったようだ。単車で言えばステータスという事では、RC213VとかNRとかになるのだろうか?ちょっと違う気もするな。ヘスケスとかだと性能がちょっと落ちるかな? ブラフシュペリアのSS100っていうと当時のスーパースポーツバイクだったらしいし。
で、単車乗りのうちの一定割合、
「スピードの中で精神は肉体を超越する」
というT.E.ロレンスが、「知恵の七柱」の中で述べているとされる言葉を連想する。ところが、オレの高校の同級生によれば、そのような記述は原文の中には見当たらない、とのこと。意訳に意訳を重ねたりしたんだろうか? 原文を探してよく読み込むしかないか。
日本に舞台を換えれば、トム・クルーズが「ラストサムライ」でやったような立場だったわけだ、「アラビアのロレンス」は。政治的に緩かったのか、ハリウッドが気骨を見せたのか、むしろ逆に政治的意図があったのか、ちょっと分からない。
「サイクス・ピコ協定」と「バルフォア宣言」。大英帝国の2枚舌、3枚舌外交の中で翻弄されたか、T.E.ロレンス。そしてそれは世界中、末代まで祟る。
うちのブログ、イスラエルからの閲覧数が、母国日本より多い。っていうか、日本人には見向きもされない? まぁ、それはこの際はいいとして、そういうイスラエルからの閲覧がそれなりにあるにもかかわらず、敢えて書くと
ナチスからされたことをパレスチナで行うイスラエルはナチスを批判する資格を失った。
Israel, which does in Palestine what the Nazis did to it, has lost its right to criticize the Nazis.
ישראל, שעושה בפלסטין את מה שהנאצים עשו לה, איבדה את זכותה לבקר את הנאצים.
Israël, qui fait en Palestine ce que les nazis lui ont fait, a perdu son droit de critiquer les nazis.
ハマスに対して、と言っているが、やっていることはナチスがやったこと、或いはコソボ紛争で行われた民族浄化と何ら変わらぬように見える。
とまぁ、ネットで書いてみても、何か変わるようにも思えぬ。とりあえず意見表明だけはしておくが、我々はその意見表明すら逆方向に利用されるような時代にいる。もっと深く考えてみないといけないと思っている。
2024年8月13日火曜日
8434 坂田和人 _6
8434 坂田和人 _6
Kazuto Sakata
RS125R
Eastern Creek 1992
2024年8月12日月曜日
8430 Remy Gardner
8430 Remy Gardner
Remy Christopher Gardner
YZR-M1
Silverstone 2024
2024年8月6日火曜日
8414 中上貴晶 _9
8414 中上貴晶 _9
Takaaki Nakagami
RC213V
Silverstone 2024
2024年7月22日月曜日
8369 Giacomo Agostini _16
8369 Giacomo Agostini _16
Giacomo Agostini
OW20 1974
2024年7月16日火曜日
8353 NR500 _13
8353 NR500 _13
NR500 1979
for Takazumi Katayama
NT0075
1979年の事を書こうと思ったのに
NR500がお披露目された1979年はオレは中学1年の部活少年で、その方面、小学生の時こそスーパーカー少年ではあったが、それも1977年FISCO第1コーナーで観客ひとりを巻き込んだヴィルヌーヴとピーターソンの事故以来情報が途絶えて興味を失っていた。まして2輪のレースなど、そりゃぁ訊かれればあるんだろうな、ぐらいには思っていたのだろうが興味の範囲外だった。家の近所にホークIIが停まっていたが、さしてカッコのいい乗り物とは思えなかった。
二輪と二輪のレースに興味を持ったのは、高校生の時の、例によって漫画、「バリ伝」による。最初の方、よくよく考えれば、コーナーでバンクしてる外脚でガードレール蹴とばすなんて、もっと後の漫画のルフィ? 読んでないけど「ワンピース」、びよ~んと脚が伸びないと無理だって。
「750ライダー」初期、ギスギスした不良マンガが途中からラブコメ漫画になったけど、CB750の魅力は小学生には伝わらなかった。だから「バリ伝」から。あとは「あいララ」とか「ペリカンロード」あたり?
ハングオフ、当時はハングオンと言っていたが、それでバンクしてコーナ回っていく姿は鮮烈だった。
「楕円ピストン」の存在を知ったのは、高校生になってから、バイク誌ではなく一般青年誌からだったと思う。週プレかGOROかスコラか。いやポパイかホットドッグプレスだったかもしれない。内燃機関のさわりのさわりについては、スーパーカーブームの時に知った。吸気排気それぞれ4つずつのポートとバルブ。混合気の燃焼にムラとかなかったのかしらとか、ピストンリング、ちゃんとピストンに密着するのかしらとか、その辺の記述、一般青年誌には書かれていなかったが、まぁ、ちょっとの情報だけで重そうなバイクのような気はした。でも、まぁ、そんなものを作ってしまうホンダに内心喝采していた。
あと、スズキの油冷エンジンとか。750CC4気筒ならシリンダー1本あたりヤクルトのプラスチックの小さいボトルほどの容量。そこにつくバルブが4本。それの燃焼室からすれば裏側、上から潤滑油を吹き付けるとか、エンジンなんて熱持つだろうに、それにへこたれないつまようじに画鋲が付いたようなパーツ、よく作れるな、とか。
80年代の後半の4輪に先駆けて、2輪はこの時すでにほぼほぼトップにいた。GPこそホンダは休止があった後の出戻りで苦労していたが、それ以前のMVアグスタをヤマハやスズキの2ストは凌駕していたし、GPでなく耐久レースではあったがホンダはこの時すでに無敵だった。
田舎で情報は遅かったが、それでも、次は何が来るのか? 高校生の坊やのそんなワクワクは、かろうじて明るくない青春に火をともしていたりしていなかったりした。
って、1979年の事を書こうと思ったのに、その後の話になってしまった。
2024年7月15日月曜日
8349 平忠彦 _38
8349 平忠彦 _38
Tadahiko Taira
OW86 1987
8345 XR14 _6
8345 XR14 _6
XR14 1976
for Giacomo Agostini
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