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2024年8月15日木曜日

8446 Jeremy McWilliams & NT0086,0087 ジェレミー・マクウィリアムスとブラフシュペリアの組み合わせから、ト―マス・エドワード・ロレンスを連想し、現在の中東情勢まで思いをはせてみる

 

8446 Jeremy McWilliams

Jeremy McWilliams
Brough Superior Moto2
Silverstone  2014

NT0086,0087 ジェレミー・マクウィリアムスとブラフシュペリアの組み合わせから、ト―マス・エドワード・ロレンスを連想し、現在の中東情勢まで思いをはせてみる

 2014年イギリスGPのワイルドカード、マクウィリアムスが乗ったブラフシュペリア。申し訳ないが、往年のSS100や現代にリブートされたものに比べて、なんともモッサリした形で、ちょっと残念な気がした。
 ジェレミー・マクウィリアムスは、オレより2つほど年上か。ワイルドカードならそれでもありだが、この時で50歳。顔は寧ろ、ピーター・オトゥールより、現在に残るT.E.ロレンスの肖像に似ている。
 ブラフシュペリアというと、まず思い浮かべるのが、そのT.E.ロレンスの愛車であったということ。現代のクルマで言えば、フェラーリどころではない、ブガッティやパガーニくらいのランクのブランドだったようだ。単車で言えばステータスという事では、RC213VとかNRとかになるのだろうか?ちょっと違う気もするな。ヘスケスとかだと性能がちょっと落ちるかな? ブラフシュペリアのSS100っていうと当時のスーパースポーツバイクだったらしいし。

 で、単車乗りのうちの一定割合、

 「スピードの中で精神は肉体を超越する」

 というT.E.ロレンスが、「知恵の七柱」の中で述べているとされる言葉を連想する。ところが、オレの高校の同級生によれば、そのような記述は原文の中には見当たらない、とのこと。意訳に意訳を重ねたりしたんだろうか? 原文を探してよく読み込むしかないか。

 日本に舞台を換えれば、トム・クルーズが「ラストサムライ」でやったような立場だったわけだ、「アラビアのロレンス」は。政治的に緩かったのか、ハリウッドが気骨を見せたのか、むしろ逆に政治的意図があったのか、ちょっと分からない。

 「サイクス・ピコ協定」と「バルフォア宣言」。大英帝国の2枚舌、3枚舌外交の中で翻弄されたか、T.E.ロレンス。そしてそれは世界中、末代まで祟る。
 うちのブログ、イスラエルからの閲覧数が、母国日本より多い。っていうか、日本人には見向きもされない? まぁ、それはこの際はいいとして、そういうイスラエルからの閲覧がそれなりにあるにもかかわらず、敢えて書くと

ナチスからされたことをパレスチナで行うイスラエルはナチスを批判する資格を失った。

Israel, which does in Palestine what the Nazis did to it, has lost its right to criticize the Nazis.

ישראל, שעושה בפלסטין את מה שהנאצים עשו לה, איבדה את זכותה לבקר את הנאצים.

Israël, qui fait en Palestine ce que les nazis lui ont fait, a perdu son droit de critiquer les nazis.

 ハマスに対して、と言っているが、やっていることはナチスがやったこと、或いはコソボ紛争で行われた民族浄化と何ら変わらぬように見える。

 とまぁ、ネットで書いてみても、何か変わるようにも思えぬ。とりあえず意見表明だけはしておくが、我々はその意見表明すら逆方向に利用されるような時代にいる。もっと深く考えてみないといけないと思っている。


2024年7月16日火曜日

8353 NR500 _13

 

8353 NR500 _13

NR500  1979
for Takazumi Katayama

NT0075 1979年の事を書こうと思ったのに

 NR500がお披露目された1979年はオレは中学1年の部活少年で、その方面、小学生の時こそスーパーカー少年ではあったが、それも1977年FISCO第1コーナーで観客ひとりを巻き込んだヴィルヌーヴとピーターソンの事故以来情報が途絶えて興味を失っていた。まして2輪のレースなど、そりゃぁ訊かれればあるんだろうな、ぐらいには思っていたのだろうが興味の範囲外だった。家の近所にホークIIが停まっていたが、さしてカッコのいい乗り物とは思えなかった。

 二輪と二輪のレースに興味を持ったのは、高校生の時の、例によって漫画、「バリ伝」による。最初の方、よくよく考えれば、コーナーでバンクしてる外脚でガードレール蹴とばすなんて、もっと後の漫画のルフィ? 読んでないけど「ワンピース」、びよ~んと脚が伸びないと無理だって。
 「750ライダー」初期、ギスギスした不良マンガが途中からラブコメ漫画になったけど、CB750の魅力は小学生には伝わらなかった。だから「バリ伝」から。あとは「あいララ」とか「ペリカンロード」あたり?
 ハングオフ、当時はハングオンと言っていたが、それでバンクしてコーナ回っていく姿は鮮烈だった。

 「楕円ピストン」の存在を知ったのは、高校生になってから、バイク誌ではなく一般青年誌からだったと思う。週プレかGOROかスコラか。いやポパイかホットドッグプレスだったかもしれない。内燃機関のさわりのさわりについては、スーパーカーブームの時に知った。吸気排気それぞれ4つずつのポートとバルブ。混合気の燃焼にムラとかなかったのかしらとか、ピストンリング、ちゃんとピストンに密着するのかしらとか、その辺の記述、一般青年誌には書かれていなかったが、まぁ、ちょっとの情報だけで重そうなバイクのような気はした。でも、まぁ、そんなものを作ってしまうホンダに内心喝采していた。
 あと、スズキの油冷エンジンとか。750CC4気筒ならシリンダー1本あたりヤクルトのプラスチックの小さいボトルほどの容量。そこにつくバルブが4本。それの燃焼室からすれば裏側、上から潤滑油を吹き付けるとか、エンジンなんて熱持つだろうに、それにへこたれないつまようじに画鋲が付いたようなパーツ、よく作れるな、とか。

 80年代の後半の4輪に先駆けて、2輪はこの時すでにほぼほぼトップにいた。GPこそホンダは休止があった後の出戻りで苦労していたが、それ以前のMVアグスタをヤマハやスズキの2ストは凌駕していたし、GPでなく耐久レースではあったがホンダはこの時すでに無敵だった。

 田舎で情報は遅かったが、それでも、次は何が来るのか? 高校生の坊やのそんなワクワクは、かろうじて明るくない青春に火をともしていたりしていなかったりした。

 って、1979年の事を書こうと思ったのに、その後の話になってしまった。


2024年7月7日日曜日

8314 Kreidler Van Veen Racer 50 cc 1973

8314 Kreidler Van Veen Racer 50 cc  1973

 T0073 クライドラーと言えば

 オレがGPのファンになった頃の最軽量クラスは125㏄で、すでに、80㏄クラスは無くなっていたが、80㏄クラスはその更に前は50㏄だったらしい。そのクラス、ヨーロッパの有象無象の小排気量メーカーがしのぎを削っていたらしいが、その中の一つにクライドラーというドイツメーカーがあったとのこと。

 しかし、ある年齢層のニッポンの男の子(昔の)にとっては、それよりも、「浮谷東次郎が少年時代に駆ったモペットのメーカー」という認知なのではないかと思う。


 「がむしゃら1500キロ」を読んだのは、高校生の時ではなかったかと思う。考えてみれば、高校生が、それよりも昔、生まれる十年くらい前の中学生が書いた旅行記を読むというのは、今になるとちょっと複雑だ。

 東名高速道路ができる以前、国道1号線と言えど無舗装区間もあったであろう時代。高度経済成長期前期の話で、いくらドイツ製と言えど、その当時、途中での故障などのトラブルも心配だったろう。まだまだ、街角の暗がりがおどろおどろしかった時代、というか、カオスがそこら中にうずくまっていた時代というか、そんな時代の中学生の少年の冒険譚であるが、まぁ、それでも、案外と平和なもので、専ら少年の少年らしい内面が綴られていたように記憶している。


 なんでそんなもんで? というところでの距離を走る無茶、というのは主に自転車であれば、今の時代であれば割と安全にできる。大学の友人の御子息はつい先日留学先の台湾を海岸線沿いに一周したそうだが、ツイッターとかで、思い立って関西だったか九州だったかの青年が、ママチャリにサンダル履きで晴海だったか幕張だったかのコミケに参加したその道中記が話題になったこともあった。

 多くの場合、思ってもやらないものだが、それこそ高度経済成長期から比べたら遥かにハードルは低そうだ。


 浮谷少年は、本人が文中で書いている通り、恵まれた金持ちのボンボンであって、割と容易に条件は整えることができたのだが、しかし、’80年代当時に読んだ、’50年代の少年の旅行記、妙に惹かれるものはあった。

 その年代なりに、何か突き抜けるものを感じたからだろう、と思っている。