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2022年10月2日日曜日

7571 AE86 Trueno_12

7571 AE86 Trueno_12


10月2日、豆腐の日に因み。

何度か所沢に通ったが、その道すがらの関越道、正に高崎あたりでパンダトレノが走っていたことがある。オレは、ホントにまだ走ってんにぃや、と、感心した。


October 2nd is associated with Tofu Day.

I've been to Tokorozawa several times, and there was a time when the Panda Trueno was running on the Kanetsu Expressway, right around Takasaki. I was really impressed that he was still running.


Le 2 octobre est associé à la journée du tofu.

Je suis allé plusieurs fois à Tokorozawa, et il fut un temps où le Panda Trueno circulait sur l'autoroute Kanetsu, juste autour de Takasaki.


Der 2. Oktober ist mit dem Tofu-Tag verbunden.

Ich war mehrere Male in Tokorozawa, und es gab eine Zeit, als der Panda Trueno auf dem Kanetsu Expressway fuhr, direkt um Takasaki herum.


El 2 de octubre está asociado con el Día del Tofu.

He estado en Tokorozawa varias veces, y hubo un momento en que el Panda Trueno circulaba por la autopista Kanetsu, justo alrededor de Takasaki.


10 月 2 日与豆腐日有关。

我去过几次所泽,有一次熊猫Trueno在高崎附近的关越高速公路上行驶。

 

2022年5月3日火曜日

7483 AE92 Levin_2 &  億劫

7483 AE92 Levin_2


 気が晴れない。嫌なことがあるわけではない。嫌な奴と関わってるわけでもない。顕正会の件にしたって、創価学会に比べたらはるかに純度が高い善意の人たちだ、基本は。姫は会社では顔を合わすことになるけれど、いれば娘ほどの歳の彼女の足を引っ張ってしかられることもあるけれど、可愛いしカッコいいこともあり嫌いではない。まぁ、かるい憂鬱の種というか、憂鬱まではいかない、億劫の種がいっぱいあって、GW明けの2週間の出張、やる事はやったし、ほんの少しの準備を除きGW明けを待つばかりだが、いろいろ脳内でシミュレーションていう奴をついついしてしまい、問題は恐らくないはずなのに、なんか気が重くなる。猪にぶつけられた車を買い替えるお金の算段とか、3回目のワクチンとか。どれも、そんな難しいことじゃないけれど、嫌じゃないんだけど、あぁ、もう、なんか億劫。

 体重過多で、身体を動かすのは嫌いではないが、ついつい身構えがちで、GWなどゆるゆる運動など、ちょっと多めにやってみようか、などと思ったり、部屋がもので氾濫してるので整理せねば、と。

 GW、なんもかもほっぽり出して死んだように寝ていたいよ。

 などと言って、オレにはそれほどもう時間が残されているようにも思えず、やんなきゃなぁ、と、ずっと思ってるんだけど、まぁ、硬い大岩を貧弱な鑿で少しずつ砕いてほぐすように、懸案s、なくしてくしかない。

 セナが死んだ1994年5月1日、せめてあの日から何かを毎日積み重ねてたら、オレは一廉の人物になれたんだろうか? などといつぞや思い立ち、さてと思い、こんな画像とか絵とか、かの日からの日数と同じ枚数になるようやっているのだが、それに加えて、駄文であっても思ったことを同じだけ、などと。かの日から今日まで10299日なんだそうだ。便利だな、今の時代。そういう計算、ウェブページで一瞬にやってくれるところがある。7483というのは、確か前に手計算でやった時は2010年代の前半ぐらいではなかったかと思う。丁度、心筋梗塞やった頃か。まぁ、一日一枚では追いつかないのだから、まとまった休みに量産しなきゃ追いつかない。

 が、とりあえずは足の踏み場もないに等しい、目の前のスペースの片づけか。でっけぇため息。

 

2021年11月14日日曜日

7222 AE86 Levin_6

7222 AE86 Levin_6

 オレの小学校の時は、なんかどこかそこか、鉄筋新築校舎に建て替え中だった。中学、高校の時は安定のおんぼろの木造校舎だったか、そっくり同じ学校に通った妹など、小中高とも建て替え工事中で、卒業してから新校舎が完成した、そういうめぐりあわせを時々ぼやく。大学は、オレは新築一年目の新校地だったが、妹がいった女子大はどうだったかは知らない。まぁ、爆発的に数が増える団塊ジュニアのほんの少し上の世代あるあるである。

 それが今では高度もの数も減って、我が街の中心市街地では、一つ、来年から合併で消える学校がある。少子化にしっかり貢献しちゃったオレとしては、すみません、としか言いようがない。


 そんなわけで、オレが言っていた高校も、それが卒業してしばらくしてから、線路を挟んだところにあった、富山大学の工学部跡に移転した。で、オレが言ってた高校の場所には高岡市美術館ができたんだけど、そうなってしまうちょっと前、オレが高校生のときの御話。っていうほどの事でもないが。


 高校の正門を出たところに、似たようなおんぼろの店が二件並んでいた。「間島商店」と「床鍋商店」、この二つの店の関係ってどんなんだったんだろ? と、当時もちらっと考えたことがあるが、良くは知らない。どちらも、20段ソフトと、何も他に具が入っていない素うどんが売りで、ウチの高校や、すぐ隣の、昔、ウチの高校から別れた、高岡工芸高校、富大工学部の学生、他にも、電車通学のコは、高岡龍谷高校や向陵高校のコも越中中川駅で乗り降りしていた子もいるそうだから、そういう子たちも、要するに小腹すかした若い子がポケットに残っていた小銭で食べられるようなものを出すような店だった。こちらも、間島の方は廃業、床鍋の方はたこ焼き屋になってしまって、true tearsというアニメで、劇中出てきた今川焼屋のモデルになったりしている。

 角が床鍋、その向かって左横が間島。床鍋の横がクルマでは通れないぐらいの道幅の小路で、越中中川駅に続いている。その道を挟んだ、間島の反対隣り、床鍋から見れば左隣の民家の玄関先に、赤黒ツートンのAE86レビンが停まっていたこと、同級生諸兄は覚えているものなのだろうか?


 今では浪人のリスクを避け、出来る子でも東大を目指さず何処かの医大を志望する子が増えちゃって、東大に入る子が減っちゃったらしい母校であるが、まぁ、進学校であることは確かで、それは昔からで、そういうところで、車やバイクの話をするなんていうのははばかられたものだから、学校の前に、当時は新車のレビンが停まっているなんてことも話題になることはなかった。イニシャルDの20年弱ぐらい前の話だから、「ハチロク」なんて言い方も知らない。カローラ・レビン、である。

 小学生の時にはスーパーカーブームの洗礼も受けているし、そういうのに興味が出て売る年代だし、全く素地がなかったわけではないと思うがどうか?


 このレビンと、学校帰り線路わきに止めてある、カワサキZ250FTを見て、2,3秒うっとりするのが高校生の時の日課だった。何しろ田舎だったから、そうバリバリのスポーツカーやらバイクやらお目にかかることはないのだ。


 レビン、っていうかAE86といえば、そういうわけで赤黒ツートン奈のだ。大学のいっこ上の先輩の最初の車がやはり赤黒のこちらは86トレノ。イニDの白黒なんかじゃない。まぁ、個人的な見解だけど。


 そういうものに熱狂して、周りに多少迷惑もかけ、顰蹙も買い、自分自身も痛い目に遭い、優しさというものを知り、どこかで折り合いを付けるという術を身につけ、いいおとっつあんになっていく、社会化っていうのはそうしてしていくものではなかったか?

 今の若い男の子の大多数は、こういうモノには見向きもしないそうな。それ自体はそうなんだろうけど、

 例えばアンリ・ド・トゥールーズ=ロートレックという画家がいた。子供の時の病気で下肢に障がいを負い、鬱屈したものを多大に抱えてしまっていた人であったようだが、どこかで、最古の自動車レース、パリ・ルーアン間レースの目にし、熱狂し、随分救われたのだというくだりを読んだことがある。それこそ上に書いた高岡市美術館のロートレック展の展示物の中で見たのかもしれない。

 いささかリスクはあるが、若い時の鬱屈はそれと同等以上のリスクとなり得ることがある。それの調整弁的な役割を果たしたことは、歴史の上では確かにあったはずだ。


 例えば秋葉原事件の加藤智大被告が、もっと満足行くぐらいFD3Sで走り回れる環境にあったなら、かのような事件は起こさなかったかもしれないように思う。「無敵の人」を量産する社会になってしまったのは、クルマも取り上げられて、鬱屈を晴らすところがなかったから。極端な言い方をすれば、それで、かつては夜の峠道で当事者が死んでいたのが、今や、列車の中や普通の歩道で無関係の人間が死ぬようになった、と。あまり理路生存とはしていないが、そんな風にも感じられる。