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2014年1月26日日曜日

The Heart Asks Pleasure First_2


マイケル・ナイマンによる映画「The Piano」の主題ともいえる「The Sacrifice」は、今は「The Heart Asks Pleasure First(楽しみを希う心)と呼ばれるのが一般的なようだが、オレの場合、この曲を初めて聴いたのは決して件の映画ではない。っていうか、映画自体見たことが無い。恥ずかしながら。
日産のシルビアのS14と呼ばれるタイプのテレビコマーシャルで聴いたのが印象的だったのだ。
初めて目にした時は、ついつい恍惚とテレビを視てしまった。それは画面が美しいとか、そういうことではなく、こんな道をこんな具合に気持ちを集中させてドライブさせたら気持ちがよいだろうな、という想像による。
さて、今時のこの手のクルマに乗るワカモノ自体、かなりの少数派になっているらしいが、彼らがドライブする時に聴いているのは、テクノだったりユーロビートだったりするらしい。それはそれでよい。オレもその方面、結構好きだし。夜とか流す時に聴くには丁度よかったりするのだが、しかし、上掲CMは西伊豆らしいが、この辺にもそれなりのペースで走らせると楽しい道はいくつか思いつく。そういう道は、例えば連休の最終日の午後、思いのほかクルマ通りが少なくドライブに集中するには丁度よかったりするのだが、そういうときにこういうのが流れていると気持ちがいいのではあるまいか、と、思ったりする。
まぁ、些か自己陶酔的ではある。が、自己陶酔の何が悪い?!と、この際は居直ってみる。悦楽とか幸福感というのはかなりのところ主観的なもので、一見自己欺瞞にも思えたりするときもあるが、しかし、これが楽しくない、といったん思ったら否定する材料もそうそう無いはずだ。

閑話休題
The Heart Asks Pleasure First」、楽しみを希う心というのも、まぁ、それはそのとおりなのだが、もっとダイレクトに「ココロはまず悦楽を求める」とするのが気分。で、子供達には、モノを与える、満たしてやる以上に、オトナになったら今以上に楽しいことが一杯あるのだと示してやるべきである、と、オレは考えているわけであるが、しかし、実際のところ、子供達から見てオトナたちが楽しそうに見えているかというと、そういうことは歴史の流れの中では極めて稀であろうというのが、実際のところ。
オトナそれぞれの事情があって、楽しくなくても歯を食いしばって生きていかなければならないような時間のほうが圧倒的に長いのが現実なのだが、オトナ的には楽しくてもコドモには理解し難いということもあるかもしれない。

そういうことを考えているうちに、楽しいとは、楽しみとはいかなることかという、考えつめたところであまり生産的であるとは思われないような問いに出会うこともあるかもしれない。しかしながら、これは、ある意味哲学的、宗教的な意味さえ持っているのかもしれない。生きるとは何か? 何のために生きるのか? という問題につながることもあるかもしれないからだ。

そして、現代社会というのは、極力そういう問題から目を背けさせるように仕向けてくる。その辺の思考が突き詰められる前に、楽しみのために、何か新手の消費財を提供したほうが何かと都合がよいのだ。


若いときには、そういうものに抗しようなんて考えてみる瞬間もあったりしたが、この、今のオレの体たらくである。それはそれで、仕方ない、のである。

 S14シルビアが発売された時というのは、所謂バブル期の終焉時と重なる。
 享楽的な時代であった。そして、オレは悶々と、青臭く、「楽しい」とはどういうことなんだ、という堂々巡りの中に逃げ込んでいた。

2014年1月25日土曜日

赤いカタナ


高岡の中心市街地、駅前に、例えば飲みに出る、となると、まぁ、自宅から歩いていける距離なのだが、徒歩で出かけるのが面倒くさい時も度々あるわけで、オマケに自宅の裏にはタクシー会社の車庫があったりするものだから、タクシーを利用してしまうことも多いのだが。 友人の経営する焼き鳥屋を利用することも多かったりで、よく行き先で指定するのが、その近所の「桐の木町の入り口の向かいのローソンの前」だ。だいたい、料金メーターが一段上がってすぐぐらいの距離。 時々思い出す。今日もふと思い出したのだが、高校生のとき、この場所によく、「赤いカタナ」が停まっていたのだ。 今ほど単車に詳しいわけではなかった。何しろ名目勉強漬けの進学校の生徒である。一方で 、都会じゃ'80年代から'90年代にかけてのバイクブームのハシリみたいな時代だったけれど、保守的な田舎に於いてはまだまだフリョーの乗り物だった頃の話だ。やさぐれる度胸すらなかったけれど、しかし、それでも、そういうものに惹かれることはあったに違いない。最初のきっかけは? と問われても、いくつか思いつきはするけれど、どれが、などとはっきりとは答えられないが。 とにかく「カタナ」は知っていた。それが駅前の一角にいつも停まっていたのだ、あの時期。 大きく、美しい乗り物だと思った。元となるものは何一つなかったけれど、それに乗って加速する時の感覚を想像して身震いした。きっと異世界なのだ、心のどこかで感じていた。 そして、今思えば、そういうものに救われていたのだ、オレは。


母校の男子生徒が、よりによって学校で首吊り自殺したのだという。そのニュースを目にして、オレはあの「赤いカタナ」を自然と思い出していたのだ。 高校一年のこの時期、気持ちが底辺にいたなら、何一つ上手く行っていない、上手く行きそうにないと感じていたとしたら、死んでしまうこともあったかもしれない。自分のことを思い出してみると、そんな風にも思えてしまった。思い出したくはなかったけれど。 母校の生徒、あの年齢でもそのあたりのクラスターであれば、寧ろ原因または対策がわりとはっきりしていれば、それよりも激烈な苦痛があったとしても死を選んだりはしないように思えるのだ。薄らぼんやりと、しかし確実に、段々と加速度をつけて壊死していく感覚というもの、しかも、それに対して有効な手立てが思い浮かばない、そういう感覚の中で、会ったこともないその少年は、半ば衝動的に死を選んだのかもしれない。そんな風にも思った。 しかし、だ。この世にはこんな楽しいことがあるんだぜ、と、言ってやれるオトナとか、確かに目の前には、学校の成績を中心に面白くないことだらけだけど、そうではない、別のところに楽しいことがあるのだという想像力を欠きたててくれるものが、彼の周りにはなかったのか? ムスコがいたとしたら、彼くらいの歳のコがいても不思議ではない年齢であるし、実際同年齢の子供の親である同級生も多いわけであるが、どうだろう。いろいろ与えることは必要なのかもしれない。が、何にもまして、子供に対して、オトナになるとこんなに面白いことがあるのだと示してやることは大事なことなんじゃないか、そんな風にも思うのだ。 

2013年10月1日火曜日

絵日記的なもの1-B


 で、せせらぎ街道である。前来た時は、あまりに美味しい道なんで、高山から郡上まで一気に走り抜けてしまったのだが、さすがにコーヒーの一杯も飲む余裕も欲しいかな、と、後悔したものだった。で、それっぽい喫茶店に入ったわけであるが、玄関横のガレージに、デンと、この赤のドカが鎮座ましましていたのである。

 店主は関西の訛がある。それを指摘したら「関西弁は訛ちゃうで、たのむわ、ホンマ」と、見事な定番のつかみありがとうございます、な、60過ぎぐらいのおっちゃんだった。っていうか、若い頃はクールスの佐藤秀光氏に似た、とっぽいにいちゃんやったんやろな、という感じの人。
 
 まぁ、そんな感じで、店内には入らず、このドカを見ながらコーヒーをいただいた。そのときには、店主の友人で、おそらく休日を利用して遊びに来たのであろう、同じく関西弁の、もろこちらはオヤジという感じの人と、この900SSが如何に曲んねぇか、止まんねぇか、という話やら、このあたりに自生していた茗荷の食べ方とかの話をしてそれなりに盛り上がった。

 一応、関西でリタイヤして、この奥飛騨で喫茶店をしているのだろうか? 如何にもそれ風だけど、実際そういているのを見ると、うらやましかったりもした。ただ、冬、この辺、めっちゃ寒いがな。