2014年1月25日土曜日

赤いカタナ


高岡の中心市街地、駅前に、例えば飲みに出る、となると、まぁ、自宅から歩いていける距離なのだが、徒歩で出かけるのが面倒くさい時も度々あるわけで、オマケに自宅の裏にはタクシー会社の車庫があったりするものだから、タクシーを利用してしまうことも多いのだが。 友人の経営する焼き鳥屋を利用することも多かったりで、よく行き先で指定するのが、その近所の「桐の木町の入り口の向かいのローソンの前」だ。だいたい、料金メーターが一段上がってすぐぐらいの距離。 時々思い出す。今日もふと思い出したのだが、高校生のとき、この場所によく、「赤いカタナ」が停まっていたのだ。 今ほど単車に詳しいわけではなかった。何しろ名目勉強漬けの進学校の生徒である。一方で 、都会じゃ'80年代から'90年代にかけてのバイクブームのハシリみたいな時代だったけれど、保守的な田舎に於いてはまだまだフリョーの乗り物だった頃の話だ。やさぐれる度胸すらなかったけれど、しかし、それでも、そういうものに惹かれることはあったに違いない。最初のきっかけは? と問われても、いくつか思いつきはするけれど、どれが、などとはっきりとは答えられないが。 とにかく「カタナ」は知っていた。それが駅前の一角にいつも停まっていたのだ、あの時期。 大きく、美しい乗り物だと思った。元となるものは何一つなかったけれど、それに乗って加速する時の感覚を想像して身震いした。きっと異世界なのだ、心のどこかで感じていた。 そして、今思えば、そういうものに救われていたのだ、オレは。


母校の男子生徒が、よりによって学校で首吊り自殺したのだという。そのニュースを目にして、オレはあの「赤いカタナ」を自然と思い出していたのだ。 高校一年のこの時期、気持ちが底辺にいたなら、何一つ上手く行っていない、上手く行きそうにないと感じていたとしたら、死んでしまうこともあったかもしれない。自分のことを思い出してみると、そんな風にも思えてしまった。思い出したくはなかったけれど。 母校の生徒、あの年齢でもそのあたりのクラスターであれば、寧ろ原因または対策がわりとはっきりしていれば、それよりも激烈な苦痛があったとしても死を選んだりはしないように思えるのだ。薄らぼんやりと、しかし確実に、段々と加速度をつけて壊死していく感覚というもの、しかも、それに対して有効な手立てが思い浮かばない、そういう感覚の中で、会ったこともないその少年は、半ば衝動的に死を選んだのかもしれない。そんな風にも思った。 しかし、だ。この世にはこんな楽しいことがあるんだぜ、と、言ってやれるオトナとか、確かに目の前には、学校の成績を中心に面白くないことだらけだけど、そうではない、別のところに楽しいことがあるのだという想像力を欠きたててくれるものが、彼の周りにはなかったのか? ムスコがいたとしたら、彼くらいの歳のコがいても不思議ではない年齢であるし、実際同年齢の子供の親である同級生も多いわけであるが、どうだろう。いろいろ与えることは必要なのかもしれない。が、何にもまして、子供に対して、オトナになるとこんなに面白いことがあるのだと示してやることは大事なことなんじゃないか、そんな風にも思うのだ。 

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