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2024年8月24日土曜日

8463 DC2 _7 & NT0091,0092 「ライブラリーのバグ」で暴かれた? 古代象の夢なりき 2

 

8463 DC2


NT0091,0092 「ライブラリーのバグ」で暴かれた?
 古代象の夢なりき 2

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 かなりの数の背景やらモンスターやら描きまくった。3Dモデラ―班が追いつけない程だ。だから、オレも程々のところで3Dモデリングに回ることになった。爆発音、魔法の効果音など、音楽以外の効果音の編集もやった。まぁ、だから、オレが最初に扱えるようになったPCのソフトは、フォトショップどころかワードやエクセルでもない。ライトウェーヴという3Dグラフィックソフトだったのだ。

 冬が過ぎ春になり、初夏ごろになっても、しかし、試しにゲーム画面をテレビに映し出し動かしてみる、ということが出来なかった。プログラマーは、名目は’社長’だった「ちょんまげ」さん。役員の肩書として会長がボス、社長がちょんまげさん、専務が風雅システムの社長であるランエボ氏、というのは前回も書いたが、実際のところ、全体の仕切りはボスが行い、制作統括をランエボ氏が行うという体制だった。ちょんまげさんからは一切の指示指導は受けていなかった。ちょんまげさん、プログラミングに専念していたわけである。

 オレはゲームをしたことがない事は既に書いたが、まして当時ゲーム制作の事などちっともわからなかったけど、さすがに年内(1997年末)のリリースに間に合わすにはタイムリミットを超過してしまっていたらしい。急遽、ランエボ氏もプログラミングに回るものの、ソッコー白旗を揚げ、ランエボ氏の風雅の社長権限なのか何なのか、風雅のプログラマーを連れてきたが、程なくパンクした。

 9月頭にはゲームショーがあり、そこに出展するために、なんとか形にする必要があるのに、ここで最初の行き詰まりを見たわけだ。


 「グレムリン」を離脱して地質調査の会社に入って何年か経ったある日の会社帰りにコンビニで立ち読みした、確か週刊プレイボーイだったと思うが、

 プレイステーションの立ち上がり、サードパーティーの新規参入を促すべく、開発キットを配布したが、特に初期、ライブラリーに致命的なバグがあり、ナムコ、ハドソン、スクエア等々大手は、早々に自分たちでライブラリーを組みなおしたが、勇んで参入した中小のソフトハウスは多くが討ち死にした

 というような記述を見つけ、軽いショックを受け、その場に座り込みそうになった。つまり、グレムリンは討ち死にしたone of themだったわけだと。プレイボーイの記述が本当だったかどうか、今となってはいくらネットを検索しても、そのようなことが書かれたページは見当たらなかったので、本当かどうかはわからない。

 だとしても、当時、そういう訳で、悪いのはちょんまげさん、と決めつけていたが、今になって思う。作ったデータがゲーム画面に表示されない、ということ、ちょんまげさんは決して隠していたわけではない。多少その時々楽観的なことを言っていたとしても、タイムリミットを過ぎるころまでそれに対してほとんど手当してこなかったのは、ちょんまげさんだけの責任ではないのである。


 画像のDC2、「風雅の大田君」こと後の楓牙氏が当時乗っていた車がこの型、この色だったのだ、が、2ドアだったか4ドアだったか、実のところよく覚えていない。


2024年8月16日金曜日

8451 初代セルシオ & NT0088,0089 違和感 (古代象の夢なりき 1)

8451 初代セルシオ

NT0088,0089 違和感

古代象の夢なりき 1

前回

 富山市市街地のハズレのあたり。もうちょっと歩けば田園地帯が始まるようなそんな場所に、「グレムリン」はあった。面談に3名、お茶を出してくれた1名。その時そこには4人いた。

 一緒に仕事してたオレより10コ弱ほど若い大田君、その後は楓牙という名前で漫画描いているそうで、以降此処では当時乗っていた車に因みインテグラ君とする。楓牙名義のXのアカウントに以下のようなツイートがあった。

夏も終わりましたがアンシャントロマンの怖い話を一つ。先のツイートで「風雅システムとは別の制作会社が作った」と書きましたが、その制作会社はアンシャントロマンを作るために作られた会社です。そこの社員は全員ゲームを作ったことがありませんでした。全員です。お察しください。おわり。
午前0:56 · 2021年9月22日

 オレなんざ、「ゲームを作ったことがない」、最たるものだった。作ったことがなかったどころか、コンシューマ機(家庭用ゲーム機)を買ったことがなければ、当然プレイしたこともない。この話がなければ、興味もなかったのだ。
 ランエボ専務が、何処かで聞いたこと見たことがある話を継ぎ接ぎしたような話を、今から作ろうとしているRPGのあらすじとして語る語る。ボス曰く、ランエボ専務の頭の中に、これから作るゲームのすべてが入っているのだと。それを聞いたのはこの時だったと思う。
 正直、ゲームのストーリーってそんな程度でよかったの? とこの時ちらっと思った。まぁまぁ、しかし、オレなんぞそれまでゲームのまるっきり門外漢だったわけだし、ランエボ専務、風雅システムというスマッシュヒットも出したゲーム会社の社長もやっているという事だったので、そんな人物に対してゲームド素人のオレが此処で口出しすることはないか、と、その時思ったのだ。オレは絵を描いてお金にできればそれでよかったのだ。

 参加したての時は、1枚いくら、という形で参加していた。翌日からオレは描きまくったのだが、ゲームをやったことがなくても、画面の絵、タッチが違ってしまってはダメなことぐらいは想像がついたので、とにかく、ランエボ専務に、これでもか、というくらいに作業を進めたのだが、どうもランエボ専務の反応が薄い。気に入らな過ぎて口に出せない、という雰囲気ではない。どうにもな、こっちとしても、違和感と不安を抱えて、しかし、1枚なんぼなので、描く手は止めないのである。

 オレと同時期に、同じくキャラデザイン等をするために参加したそれより数歳若い青年がいた。俳優をしておられた矢崎滋氏に似ていたので仮に「矢崎君」としておく。
 ネットでアンシェントロマン関係で一番出てくる画像「理不尽にも吹き飛んだおじさん」のキャラデザインは矢崎君によるものだったと思う。モブ、主人公系以外のキャラデザインをやっていた。
 他に誰もいないタイミングで矢崎君が、「何かこのゲーム、ダメだと思いません?」と言ってきた。確かに、ストーリーは陳腐な気はしていた。その時は返事をごまかしていたのだが。
 矢崎君、ランエボ専務に意見して嫌われたか何かして、途中で離脱していったのだが、作ったことはないにしろ、オレよりは遥かにゲームの事を知っていたはずだ。そして、このゲームの事を早い時期に端的に理解していたのだと思う。

 まぁ、とにかくこのころのオレは、描いた物が作ろうとしているゲームから乖離してしまう事を恐れていたのだが、「作品の中のことは全て頭に入っている」というランエボ専務の頭の中にあったものは、しかし、酷く浅薄で雑で稚拙なものだった、と、今になって思う。最大の問題は当時は他の事を思っていたが、ゲーム全体像のこの曖昧さこそが最大の問題だったのだ、と。


 画像のセルシオは’ボス’が当時乗っていた事に因み。画像のものとは細かいところで違っていたような気がする。


 

2024年8月13日火曜日

8435 Cherokee & T0082,0083 古代の象の夢なりき episode 0 バランスの悪い男

 

8435 Cherokee

T0082,0083 古代の象の夢なりき episode 0 バランスの悪い男

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 うちの母は、真矢みき氏が嫌いなのだ、と言ったのはかれこれ10年以上は昔のことだ。その前には黒木瞳氏の顔立ちが嫌いと言っていた。宝塚が嫌いなんだろうか? そんなことも思ったりもしたが、そもそも、普段より、母どころか一家して、タカラヅカは興味の外の外。真矢氏黒木氏がタカラヅカ出身であることも知らぬ可能性の方が高い。個別に嫌いなのか、共通して纏った空気が嫌いなのか。ま、どっちでもいい。
 で、真矢みき氏である。朝のテレビ番組で、ある時、ある若い男が作った文章、その男、何かやらかしたんじゃなかったかな? を評して精神のバランスが悪いのが透けて見える、とか何とか、そんな感じのことを言っている場面を偶然目にした。

 まあ、それはその通り、ぐうの音も出ない、元も子もない、そのようなことを思った記憶がある。一般通念的には間違いなくそうだろう。特に、女性の勝ち組から見たならば、そんな箸にも棒にも引っかからない、故に鬱屈を抱えた若い男の思考など何の価値も感じないどころか、この世にとって有害なものにしか感じないだろう。実際にそう言う鬱屈が悲惨だったり救いようがなかったりする事案を引き起こすことも多かったりするのだから、反論はできない。

 或いは、90年代の前半だ。香山リカ氏が、そう言うのを「適応障害と言う名の病気」と、何かに書き切った。病気にされちまった。

 いちいちその通りで、反論出来ずに名状し難い何かどす黒い物だけが腹の底にどんどん溜まって行く。ただ思った。文学は負けたのだ、と。

 そんなバランスの悪い男は、いつも気を失いそうな心持ちで、ゾンビのように街を徘徊するか、それすら憂いてしまい、引きこもるようになる。物理的にか、精神的にか。

 そんな感じのアラサー男がいたと思いねぇ。


    1996年の10月の後半か11月だったか、高岡駅前の広告制作会社のアートディレクターに連れられていった富山市の外れにある平屋の多分なんかの作業所だったところのゲーム制作会社。その会社の名前は、仮に「グレムリン」としておく。
 出迎えてくれたのが3人。
 この時、オレは丁度30才だったが、オレよ10才ほど年上の背が高いヒゲのイケオジ、「ボス」。この会社の会長なんだそうだ。
 同じく10才ぐらいオレより年上、背は高くなく後ろで髪の毛を括った男性、「ちょんまげ」さん。社長だと。
 そして、もう一人、オレよりは三つ四つ程度の年上だろう、脂っぽい中途半端なロン毛、ガリヒョロの、如何にもオールドスタイルなオタク、乗っていたクルマに因み「ランエボ」氏、専務。

 あともう一人。お茶を出してくれたが、あとの時間はPCに向かってなんか作業していた、当時、ある食堂のお嬢さんと、お付き合いしていて、結婚したんじゃなかったかな?違うかな? 穏やかな感じのオレよりほんの少しだけ若そうな「マスオ」君。

 緊張感があるのかないのかわからない雰囲気で面談が始まった。


 画像のジープチェロキーは、オレを「グレムリン」に引き合わせていただけたとき、高岡駅前の広告屋さんのアートディレクターが乗っておられたものと同系同色のものだ。

 カーステレオで、ギターの曲が流れ出した。「コレなんだかわかる?」アートディレクター氏が訊ねてきた。聴いたことはなかったが、細やかに音を糸のようにつないでいく曲想があの曲っぽいな、と思ったら案の定。
 チェロキーの車内でかかったのは、「Hell Freezes Over」の中の「Hotel California」。このバージョンを聴いたのはその時が初めてだった。




2024年8月10日土曜日

8423 Presso, NT0077 古代の象の夢なりき 前書き

 

8423 Presso


NT0077 古代の象の夢なりき 前書き

 実はオレは、日本クソゲー史に燦然とその名を轟かす「アンシェントロマン」の制作スタッフだった。制作にかかわったのは1997年の晩秋から初冬の時期から1998年のリリースまで。かれこれ20数年前の話なのだから、時の流れというものには恐れ入る。
 別に黒歴史として意識して封印していたわけではないが、それなりに結構な熱量を込めて仕事をしていたにもかかわらず、出来上がったのがあれですっかりしぼんでしまい、その後、全く別の仕事、地質調査業に足を踏み入れてここまで来たが、ふと、暇なときに、あのクソゲーのストーリー、今のラノベ仕立てにしたらどんなもんだろうとググってみたわけだ。今まで全くググったことがなかったかというと、決してそういうことはなかったのだが、案の定、ちょっと他には類を見ないクソゲー具合が書かれているのみで、そんなもの、制作スタッフの一人として、「うん。知ってる」なことだったので、検索先のページを閉じたのが、もう7,8年前。この前久しぶりに検索かけてみたというわけだ。

 いろいろ権利関係とか、あと、結果的に大失敗だったものを文章にして、ネットに置いておくなどと言うのも、いろいろ面倒を引き起こす可能性はあるが、書いてネットに置いておくと言っても、収益化する方法もわからず、さすがに個人名は書くつもりはないのだから、当時の関係者以外、それがだれであるかはわかるまい。大失敗だからと言って、人死があったわけではなく、重大な法令違反、犯罪行為があったわけでもない。ただ、あの時はチョロかったなぁ、という話。

 何か参照するものがあるわけではない、オレ視点でオレが憶えている事を頼りに書いていく。オレがそう見えていたからと言って、事実誤認もきっとある事だろう。当時の関係者がもし読むことがあって、看過できない誤謬があるならば、連絡いただければ積極的に訂正していきたいと思う。


 画像の、マツダ(ユーノス)・プレッソは、当時オレが乗っていたクルマと同型同色のものである。
同じボディに2LV6エンジンが乗っていたものもあったが、オレのは1.5L直4。パワーは比較すればなかったが、別に不都合はなかったし、軽くて運転して楽しかった。若い時のクルマだ。色んなところに行ったなぁ、と。20万キロ手前で、マフラーが抜け落ち、剰え大通り結構クルマの通りがある時間帯、横から飛び出てきた猫、前後左右に車がいたため避けることもままならず、轢いてしまい、シート越しに伝わった猫の骨を砕いた感触が生々しく、クルマを換えてしまったのだが、ゲームを作っていたころより後の話である。