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2025年8月14日木曜日

プレスコードと戦後言論空間の歪み、その継承

 


0.プレスコードという見えない鎖

 敗戦の年、1945年の秋。焦土と化した街に、アメリカ軍のジープが土埃をあげて走る光景があった。空襲で黒焦げになったビルの残骸を背景に、占領軍の兵士たちは軽い口笛を吹きながら通りを歩く。その背後で、日本人は焼け跡に腰をおろし、瓦礫の中から鍋や茶碗を掘り出していた。

「日本は自由になった」——そう新聞は書いた。だが、その紙面の裏側では、まだ知られていない規則が息をひそめていた。
 GHQが日本の新聞社や放送局に配布した「プレスコード(新聞発表用規程)」である。そこには31項目にわたり、報道してはならない事項が並んでいた。占領軍批判、連合国批判、原爆被害の詳細、戦前の戦争責任の追及に触れることも許されない。

 江藤淳は、この時期を「言語空間の占領」と呼んだ。彼は著書『閉ざされた言語空間』でこう述べている。
「占領期の日本人は、自らの母語で、自らの現実を語ることを禁じられた。」
 それは単なる検閲ではなく、思考の土台そのものを組み替える作業だった。


 この「組み替えられた土台」は、占領が終わった後も日本人の中に残った。一見すると自由な言論空間だが、そこには“見えない線引き”が存在する。そして人々は、気づかぬうちにその線を避けて言葉を選ぶようになった。それは現在にも継承されている。どういう訳かノイジ―マイノリティーに弱い報道。

 原爆の被爆者差別は、その典型的な副産物だろう。広島・長崎の惨状は、長く断片的にしか報じられなかった。瓦礫の街でケロイドを負った子供を抱く母の姿も、内部被曝に苦しむ人々の証言も、
 占領下では“国民に見せてはならない”ものとされた。そのため、国民全体の理解が遅れ、やがて「被爆者=不健康で危険な存在」という偏見が根付く。

 西部邁は、晩年の講演でこう語っている。
「言論統制とは、単に言葉を封じることではない。それは人々の沈黙を習慣に変えることだ。」

 プレスコードは、まさに沈黙を習慣化させた。それは、戦後の保守も革新も等しくその上に立ち、思考を育てることになった「見えない鎖」だった。


1.右翼も左翼も、大間違い

 保守であれ革新であれ、政治的立場を持つことは悪くない。むしろ、思想は立場を持ってこそ鍛えられる。
 だが、現代日本の右翼と左翼の多くは、その立場を論理的に組み立てる力を失っている。ネット上で飛び交う罵倒は、論理ではなく感情の応酬だ。

 ネトウヨと呼ばれる右派の一部は、「日本は素晴らしい国だ」と叫ぶが、その理由づけは歴史的検証よりも感情の昂ぶりに依存している。
 一方で、パヨクと呼ばれる左派の一部もまた、「権力は悪だ」という反射的な姿勢に固執し、現実的な解決策を提示できない。


 渡部昇一は、かつてこう指摘している。
「自分が正しいと確信する者ほど、相手の正しさを想像できなくなる。」

 この想像力の欠如こそ、議論を分断へと導く。論破を目的とすれば、相手は敵でしかなくなる。
 だが、説得や合意形成を目的とすれば、相手は「引きつけるべき他者」に変わる。

 百地章は、憲法学の立場からこう述べた。


「立憲主義とは、異なる立場の間に“争える共通基盤”を維持することだ。その基盤が失われれば、言論はもはや共存を目指さない。」

 しかし、現代の保守も革新も、この「共通基盤」を育てようとしない。相手を「無知」か「悪意」と断じるのは容易だ。だが、その瞬間に言葉は届かなくなる。


 プレスコードによって制限された言論空間で育った世代が、「自分の立場の正しさ」だけを磨き続け、「他者の立場とどう向き合うか」という思考をあまりにも鍛えられなかったのではないか?
 それは世代を超えて受け継がれ、今日のSNS上で、奇妙に過剰で、かつ浅い議論として現れている。


2.鎖が外れても、足は前に出なかった

 1952年、サンフランシスコ講和条約の発効とともに、占領軍による直接的な検閲は終わった。
 新聞は再び自由に記事を書けるはずだったし、ラジオも自由に放送できるはずだった。

 だが、江藤淳は『閉ざされた言語空間』で、こう述べている。
「言論統制は解除された。しかし、解除されたことを自覚できる人間は少なかった。自由を行使する習慣が、すでに失われていたからである。」

 この「習慣の喪失」が、戦後日本の革新陣営に深く染みついていた。戦前、共産党や社会主義者は激しい弾圧にさらされ、獄中で歳月を過ごした者も多かった。だからこそ、占領期のプレスコード下でも、彼らは「また抑圧されるかもしれない」という予感を捨てきれなかったのかもしれない。

 西部邁は、戦後左派の体質をこう評している。
「彼らは戦前の抑圧に対するルサンチマンを、未来への理念に昇華できなかった。その結果、戦争反対と反権力が自己目的化し、時代が変わっても身動きが取れなかった。」

 プレスコード解除は、思想を鍛え直す絶好の機会だったはずだ。戦前の記憶を踏まえつつ、新しい現実に合った論法や政策を模索できた。 だが、実際には旧来の「闘争の文法」にしがみつき、保守との間に新しい対話の形式を築くことはなかった。

 その背景には、もうひとつの心理的な要因があったように思う。長年「被害者」としての自己像を支えにしてきた人々にとって、相手と対等に議論するという行為は、その自己像を手放す危険をはらんでいるとかんじていたのではないか? だからこそ、ルサンチマンは次の世代へも受け継がれてしまった。
 結果として、革新は自らの支持基盤を拡大できず、むしろ社会の中で孤立を深めていった。それはこの何年か顕著だが、共産党や社民党の縮小として表面化し、「もう店をたたむべきでは」という声すら出る事態につながっていく。


3.受け継がれた怨念という遺産

 戦後の革新陣営が、戦前の弾圧の記憶に囚われたまま動けなくなったことはすでに触れた。だが、より奇妙なのは、その怨念が世代を超えて受け継がれたという事実である。
 戦争を直接知らない世代が、あたかも自らが被害者であるかのように語り、同じ怒りや不信感を、血の中に溶け込ませるかのように継承してしまう。それは教育現場や文化サークル、労働組合、学生運動などの場で、繰り返し語り直され、情念として保存された。

 渡部昇一は、この現象を「歴史的現場の記憶の擬似相続」と呼んでいる。
「自分が体験していない出来事に、体験者の感情をそのまま借りて加担する。それは本来、冷静な歴史理解を阻む危険な行為である。」

 これは保守側にも同じことが言える。
 明治や昭和初期の“栄光”を、体験してもいないのに自分のものとして誇り、その輝きにふさわしい日本を取り戻せと叫ぶ。いずれも現実から遊離した感情の継承であり、論理的な組み立てを欠く。

 百地章は、戦後思想史を論じる中でこう述べている。
「自由な言論空間を持ちながらも、感情的な歴史解釈を温存するのは、言論の自立を放棄するに等しい。」

 ここに、プレスコードの影はありはしないか?
 占領期の日本人は、「本当のことを言っても仕方ない」という沈黙を習慣化させられた。その習慣は、真実を検証する努力よりも、感情の物語を維持することに傾きやすくする。

 そして、それは保守にも革新にも等しく作用した。


 世代が変わっても、怨念の火種だけが形を変えて残る。もはや戦争体験者がほとんどいない時代になっても、右も左も、それぞれの物語に沿った「敵像」を守り続けている。それは、未来のために過去を使うのではなく、過去のために未来を犠牲にする姿だ。


4.歪みの増幅と、出口を探す試み

 今生きている社会は、戦後の言論空間が抱えた歪みを、より複雑に、より激しく増幅させた場所である。
 SNSのタイムラインは、一見すると自由闊達な討論の場のように見える。しかし実際には、同じ意見の者同士が集まり、相手を攻撃することで仲間意識を確認する空間になっていることが多い。

 江藤淳が指摘した「解除されたことを自覚できない言論空間の住人」は、今では検閲のないネットの世界でも、自ら検閲に似たバイアスをかけている。都合の悪い情報を見ない、見ても信じない、信じても発信しない。その代わり、感情を刺激するフレーズや画像が共有され、拡散される。

 西部邁は、生前こう警告した。
「自由とは、好き勝手に叫ぶことではなく、他者の自由を守るために自分を制御する技である。」
 この制御の欠如が、現代の言論の質を著しく下げている。右派は左派を、左派は右派を「論破」しようとし、説得ではなく撃破を目指す。その結果、議論は分断を深め、本来の目的である「共に社会を改善する」という視点を失う。

 百地章が言う「争える共通基盤」を再構築するには、自分と異なる立場の人を“倒すべき敵”ではなく、“引きつけるべき他者”と見なす習慣が必要だ。
 そのためには、プレスコード時代に培われた「沈黙と物語優先」の癖を、世代のどこかで断ち切らねばならない。

 渡部昇一の言葉を借りれば、
「相手の正しさを想像できる者だけが、自らの正しさを確かめられる。」
 この単純だが難しい姿勢を取り戻せれば、保守も革新も、今よりはるかに深い議論を交わせるはずだ。

 共産党や社民党が店をたたむべきかどうかは、単に党勢の問題ではない。「古い物語を引きずったままの言論空間」を続けるか、それとも新しい論法と関係性を築くか——その選択を迫られているのは、実は日本社会全体なのだ。
 もし出口があるとすれば、それは相手を引きつける論法を学び直すことだろう。そして、そのためには自分自身の“物語”を一度疑う勇気が必要だ。

 戦後80年近くを経た今、その勇気こそが、新しい時代の言論空間を開く鍵になるはずだと睨んでいる。
 しかし現実には制御がなく、論理よりも感情が優先され、分断が深まっている。
 百地章は「争える共通基盤」の再構築を、渡部昇一は「相手の正しさを想像できる者だけが、自らの正しさを確かめられる」と提唱した。この視点こそが、今の日本の言論空間に欠けているものだ。

 共産党や社民党の衰退は、単なる党勢の問題ではない。古い物語を引きずった言論空間の構造そのものが、現代の分断や浅薄な論争を生み出している。相手を引きつける論法を学び直し、自分自身の物語を一度疑う勇気にあるのやらどうなのやら。その辺が出口なんじゃないかと思うのだが。

 戦後80年近くを経た今、沈黙の習慣とルサンチマンの連鎖を断ち切り、自由と責任を両立させた言論空間を作るタイミングにあると考えている。


2025年8月13日水曜日

《創作》寝取られ幽霊 第2話 地獄巡り 上

8836 Burma 1944


  明晰夢とはこういうものの事を言うのだろう。蓮はそう思いながら、眼前に展開される、物語、なんだろうか、ある男、って、ぶっちゃけさっき目の前に現れた、自称守護霊、曾祖父だという坂本清彦の生涯を早回しで見せられていた。何倍速?


 九州帝国大学の医学部を出て、地元熊本の古田病院に勤務。のちに、それはそのまま知らされた曾祖母となる山岸春江を娶り、一男をもうける。

 そのふたりの間に生まれた男の子、蓮にとっては祖父にあたる清志郎が建て替えたのが現在の蓮の実家で、その建て替え前の家の縁側で、まだ2歳か3歳の清志郎が、清彦の膝で「とうちゃ」と甘えていたのが酷く印象に残った。


 招集、というより従軍と言うべきか、清彦は56師団の軍医としてビルマ、ミイトキイナに赴任していた。秩父出身ながら筑紫炭鉱で炭鉱夫見習いをしていた18師団の若い上等兵、大沢辰造を弟のように気にかけていたのだが、18師団の居残りになるほどの負傷をしたため、内地に返すこともできず、ずっとミイトキイナに留め置きになっていた。面倒を見ていた清彦もまた、1944年の7月末まで、辰造の面倒を見るために、ミイトキイナに居残っていたわけである。



 穴は浅かった。濡れた土は重く、シャベルは半ば柄が折れていた。

  それでも清彦と佐久間は黙々と穴を掘り続けた。大沢辰造はまだまだ漸く傷が塞がったところで、この後のことを思えば、ここで体力を使わせるわけにもいかず、横に荷物を持って立たされていた。


 強い雨だった。葉を打つ音が重なり、音の境界が消える。

  穴のそばには、一枚の破れた毛布に包まれた遺体が横たえられていた。


 石塚軍曹。

  数日前からマラリアにうなされ、水も口にせず、今朝方、息を引き取った。


 遺書もなければ、家族のことも何も語らなかった。

  ただ、写真らしいものを一枚、濡れた包みの中に忍ばせていたのみだった。


 「……石塚軍曹、失礼します」


 坂本が目を閉じて一礼し、佐久間がそっと毛布の端をかぶせた。

  誰も泣きはしなかった。泣けるほどの体力も、涙も残っていない。



 土を戻す音だけが、雨音に混ざって、静かに続いた。


 土をかぶせ終えたあと、しばし誰も動かなかった。

  静寂のなか、清彦が両手を合わせて口を開く。


 「……南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏……」

  低く、短く、それだけ。

 佐久間がちらりと目を動かし、仕方なさそうに続けた。

  「……南無妙法蓮華経……なんまみょうほうれんげきょう……」

 少し間が空いて、大沢も慌てたように手を合わせる。

  「……南無大師遍照金剛……」

 妙な沈黙が落ちた。三人、それぞれ微妙に目を合わせかけ、そらした。

  誰も口にしなかったが、心のどこかで「ん?」という思いはあった。

 「……ま、気持ちだけでもな」

  と、誰かがぼそりと漏らし、他の二人はうなずきもしなかった。

 それ以上は何も言わず、再び雨の音に沈んだ。



 突然、甲高い声が響いた。


 「――整列ッ!」


 反射で数名の兵が体を起こした。何人かは顔をしかめた。

  声の主は、あの栗山曹長だった。一言で言えば、嫌われ物の上官。かつてはよく怒鳴り、下士官相手に威を張り、食料の配分をめぐって口論を繰り返した男。それでいて、上役には媚びへつらい、下士官たちにはうっすら軽蔑されていたのだが。


 その栗山曹長、その立ち姿にはいつもにはない、静けさと緊張感があった。


 「坂本伍長、佐久間軍曹、大沢一等兵、前へ!」


 三名が静かに前へ出る。栗山は一歩進み、鋭く叫んだ。


 「敬礼ッ!」


 全員の右手が、一瞬、揃って額へと上がる。

 背後から足音。栗山が振り返り、一歩下がって姿勢を正す。


 水上少将が現れた。軍帽の庇の奥から鋭く光る眼差し。泥と疲労にまみれた軍服の上に、なお将官の風格があった。


 「……石塚軍曹の埋葬は終わったか。…貴官らが殿となった。本陣地より移動を命ずる。」


 それだけを口にすると、少将は三名の顔を順に見た。

 「栗山曹長、準備は?」

 「はっ。包帯、モルヒネ、乾パン一日分、弾薬三装填分。すでに配備済みです」


 少将はうなずいた。


 「坂本伍長、貴官に命ず。佐久間軍曹、大沢一等兵とともに、南方突破を実行せよ。

  敵前線を避け、後方陣地との連絡を図れ。……我らの記録と意志を、生かして届けよ」


 沈黙が落ちる。

 やがて坂本が、少将に向かってゆっくりと敬礼を返す。それに倣って、佐久間と大沢も静かに腕を上げた。


 栗山が再び前に出る。


 「なおれ!」


 三人の手が下がる。


 「――右、向けェ、右ッ!」


 三名の身体が揃って、東方のジャングルへと向き直る。湿った風が、倒れかけた遮蔽物の布を揺らした。


 「行軍、始め!」


 張り上げた声で言った後、栗山は呟いた。声は、誰にも届かぬほど小さかった。


 「……命令は、俺が出した。もし帰れたら、そう伝えろ」


 坂本は振り返らなかった。

 ただその背だけが、過去を背負い、密林へと消えていく。



  誰も声をかけなかった。足音も、枝のきしむ音も、やがて風に紛れて消えた。全員が、しばらくその方角を見ていた。だが、やがて一人、また一人と視線を落とす。


 そして、その直後だった。


 ――乾いた銃声が、一発。

 それから少し間をおいて、もう一発。


 音は遠く、だが明瞭だった。風が一筋、遮蔽物の布を静かに揺らす。


 誰も何も言わなかった。ただ、そこにいた者たちの背筋が、いくらか正された。



 夜明けと共に、三つの影が音もなく木々の隙間を縫うように進んでいた。

  空は鉛色。雲は重く垂れ込め、密林の奥まで湿った光が差し込んでいる。土はすでにぬかるみ、足元には無数の棘を孕んだツルや、濡れ落ち葉の層が積もる。呼吸を抑えながら、一歩ごとに脚を運ぶ。それでも、湿った空気が喉を焼くようにまとわりついた。


 先頭を行くのは坂本清彦。伍長。軍医部所属、医師をしているときに徴兵されたが正式な軍医ではない。かろうじて衛生兵としての訓練を受けただけの、いわば“臨時”の命を背負う者だった。

  彼の後を追うのは佐久間秀幸。軍曹。坂本と同じくらいか幾分若くで、軍医補佐として中隊の後方に常駐していたが、ミートキーナの崩壊後は逃げ延びる仲間を選ぶ暇などなかった。かつての整然とした陣形は、もう存在しない。

  最後尾、大沢辰造。一等兵。19歳。初年兵として合流してからわずか4ヶ月、階級章もまだ洗い立てのように白く、負傷の予後ではあったが無言の背中に必死でついている。


 銃を構えることなく、だが常に二手先を警戒しながら、彼らは歩いた。坂本は手信号で前方の茂みを指し示し、佐久間が一歩踏み込み、枝をかき分けて進む。大沢は振り返ることもなく背を守る。言葉は交わさない。声は死を呼ぶ。


 水を含んだ蔦が脚に絡む。蒸した泥が靴に食いつく。全員の装備は最小限に削られ、銃と弾薬、乾パン少量、そして包帯とモルヒネ。食料も医薬品もすでに配給は絶えて久しい。


 坂本はこの方向を選んだ。南東へ。ジャングルの尾根筋を伝ってバモーへ向かう。生きている部隊がいるかもしれない。彼らは誰からも命じられていないが、自分たちが戻らなければこの敗走の記録さえ残らない。

  それが、脱出前に水上少将から託された唯一の言葉でもあった。


 空が完全に明るくなった頃、三人は小さな沢を越えた。川幅はわずか一間。だが深さはある。佐久間が先に膝まで浸かって渡り、対岸で待つ。大沢が続き、最後に坂本。木の枝を杖にして体を支える。苔が滑る。慎重に、音を立てないように。

 そのとき、微かに何かの気配がした。

  佐久間の指が止まった。すぐに右手を下げて地面に伏せる動作。坂本と大沢も即座に従う。


 静寂。密林の息づかいだけが周囲を包む。

 その中に、革靴が濡れ枝を踏む乾いた音が一つ。さらに、小さく囁くような声。中国語だ。

  斥候部隊か。向こうも慎重に動いている。銃声はない。接敵距離が近い。目視すれば終わりだ。

  三人は泥に沈むように地面へ身体を預けた。全身の筋肉が緊張で硬直する。鼻腔に泥の匂いが満ちる。目の前を、三人編成の中国兵がゆっくりと通り過ぎていった。

  顔を見ずとも、肩にかけた装備と銃の形状で分かる。軽装の偵察隊。だが機関銃を背負っていた。発見されたら、逃げ場はない。


 やり過ごすまで、呼吸を止めるほどの時間が流れた。ようやく音が遠のくと、佐久間が小さく頷いて再び立ち上がった。

 坂本も無言で頷く。斥候がこのエリアを使っている。ということは、このルートは補給路か、監視線上にある。別の尾根筋へ移動しなければならない。

 東へ数百メートル迂回し、再び南下する道を選び直す。


 午後に入り、雨が降り出した。最初は、密林の葉が微かに擦れる音だけだった。葉の上に溜まった雫が一つ、また一つと滴り落ち、それが地面の泥を打つ。匂いは、急に濃くなる。湿った土に、腐りかけた落ち葉の甘酸っぱい匂い、どこか遠くで咲いている花のむせ返るような香りが混ざる。雨粒が頬や首筋に触れるたび、ひやりとした感覚と、すぐにぬるくなる温度変化が肌を這った。


 三人は樹幹を縫いながら進む。足元の泥は、踏み込むたびに吸い付くように靴底を離さない。ぐっ、という重たい音とともに靴が引き抜かれるたび、泥が糸を引く。そこに細かい砂が混じり、指でこするとざらついた感触が残る。ときおり、足首にまとわりつくように細い蔦が巻きつき、それを手でほどくと、生温い水滴が掌を伝った。


 山の背をひとつ越えたあたりで、前方の竹藪から銃声が裂けた。乾いた破裂音が木霊し、すぐ近くの土がぱちりと跳ねた。反射的に三人は伏せた。耳の奥に、銃声の余韻がいつまでもこびりつく。雨音の層が、その上に薄く積もる。


 狙われている。胸の奥で心臓が一拍ごとに熱を持つ。姿は見えない。だが射手の位置は、葉の揺れ方と音の方向で分かった。坂本は右の潅木に滑り込もうとした瞬間、左脚膝に衝撃を感じた。石をぶつけられたような鈍い衝撃の直後、焼けるような痛みが遅れて押し寄せる。視界の端が赤く滲む錯覚があった。


 佐久間が無言で駆け寄り、坂本の腰の包帯を引きちぎって膝の上を縛る。指先は迷いなく動き、結び目が一瞬で締まる。その手は血と雨で滑っていたが、力強かった。大沢は背後を警戒し、反対側の斜面への退避を合図する。


 膝の痛みは脈打つたびに鋭くなり、坂本は歯を食いしばって立ち上がる。佐久間の肩を借りて斜面を下りる。泥と落ち葉が滑り台のように身体を押し出し、腕で幹を掴むたびに、樹皮の湿った匂いと、そこにこびりついた苔の匂いが鼻を満たした。


 銃声は追ってこない。奇襲ではなかったのか、それとも威嚇か。だが油断はできない。雨脚は強まり、視界の輪郭が白くにじむ。


 やがて三人は樹の陰に身を寄せ、坂本の脚を改めて確認した。弾は膝のすぐ下をかすめ、骨は砕かれていない。それでも歩行は難しい。雨水が包帯に染み込み、血と混ざって暗い色を帯びていく。


 今夜は移動できない。三人は、根元の開いたバナナの木の下に潜り込んだ。葉が幾重にも重なり、上から落ちる雨粒が葉を叩く音が、太鼓のように低く響く。下は湿った土で、手をつくと、指の間からぬるりとした冷たさが這い上がってくる。


 匂いは濃い。土、葉、雨、そして自分たちの汗と血の匂い。湿気が肺にまとわりつき、息を吸うたび、ぬるい空気が喉を擦る。遠くで何かが鳴いた。甲高い悲鳴のような声。鳥か猿か、あるいは人か、判別がつかない。すぐにまた別の音――葉がかすかにこすれる音。風か、それとも何かが移動しているのか。


 三人は声を出さずに耳を澄ました。時間が伸びる。音の一つ一つが、雨粒と同じくらい輪郭を持ち始める。水滴が落ちる音、葉の先から落ちる雫が泥に吸い込まれる音、湿った蔦が風で揺れるときの軋み。背後で大沢が息を呑む気配があったが、すぐに静まった。


 その夜は眠れなかった。まぶたを閉じても、音と匂いと湿気が、全ての感覚を塞いでくる。


 熟睡していたわけではない。三人とも、体は横たえていても意識は泥の底を漂うように重く、時折浮かび上がってはまた沈む。耳の奥で雨音が形を変える。遠雷のように響くかと思えば、次の瞬間には誰かの囁き声に聞こえた。その囁きの調子が、柳屋金語楼の軽口に似ていると一瞬思い、清彦は自分でも訳の分からない苦笑をこぼす。すぐにその笑みは引っ込み、今度は長谷川伸の浪曲の節回しが、湿った匂いと共に脳裏を過ぎった。夢と現実の境が曖昧になる。薄闇の中で、葉の影が人影に見え、幹の割れ目が眼のように光った気がした。胸の奥で不安が脈打ち、呼吸は浅く速くなる。ふとした気配にまぶたが開く。雨を背負って立ち並ぶ複数の影――囲まれていた。




2025年7月12日土曜日

《創作》寝取られ幽霊 第1話 守護霊登場

 


 「おい、坂本君。もう上がっていいぞ。時間だろ。」

 30代位だろうか、雇われ店長が、厨房の奥でひたすら丼ぶり、皿洗いをしていた蓮に声をかける。食洗器が壊れてしまったということで、修理が上がってくる2週間、臨時で雇われた終夜営業のうどん屋でのバイトのことだった。
 今日で蓮のバイトは終わる。

 「なぁ、バイト続けてくれること、考えてくれたか?」
 店長が問う。正直、いくら若いからと言って、ずっとほぼ徹夜のバイトをレギュラーで入れるのは、学生の身の蓮にはキツい。どうしても買いたいものがあったから、このバイトを入れたのだが、端から続ける気はなかった。
 「すみません。」


 分かってたよ、とでも言いたげに店長は右の掌をひらひら振った。他の店員が、店じまいや売り上げの計算を始めている。バイトの蓮にはそこまでは求められていない。午前5時まで。もう、5時10分だ。

 「給料は、明後日振り込まれるから。ご苦労さん」

 店長はそれでも気を悪くする風でもなく、蓮に言った。


 厨房着から私服に着替え、一言「お世話になりました~」と店内の誰に言うでもなく挨拶して店を出た。雨が降っていた

 厨房の熱気で毛穴がふさがったような感覚から雨がひんやりとした空気に触れる。決して厨房の中は快適ではなかったが、仕事が終わって外に出て外気に触れる、この解放されるような感覚が、結構気に入っていた。

 蓮がこのバイトに就いたのは、ガールフレンドの絢美に誕生日のプレゼントを買うためだった。とか言いながら、実はまだ何をプレゼントするか決めてはいなかったのだが。何を買うかは決めていなかったが、決めないまま渡しても絢美なら笑って受け取ってくれる。そう思っていた。
 バイト先の終夜営業のうどん屋から、下落合の蓮のアパートまで、自転車でもあればいいのだが、さしあたりそんなものは持っていない。JR等を使うのにも中途半端な位置関係だ。どうせ一駅。蓮は、何を買おうかな、と、小雨が降っているというのに傘もささず、少々浮かれ気味に、いつものようにラブホテル街を抜ける。

 角を曲がったところにあるラブホテルの出口から、一組カップルが出てきたところと鉢合わせしてしまった。いつもは気まずさがないようにせめて道路を挟んで反対側を歩く蓮だったが、その日に限ってそうしなかったために、カップルとはまさに、ばったり、だったわけで。

 カップルの女性の方が、蓮のガールフレンド、篠原絢美だった。蓮は、目の前で何が起きているのか理解できなかった。絢美は気まずそうに一瞥くれると、男と共に去っていく。
 何か言わないといけないのではないか? 何を言えばいいのだ? 言わない方がいいのか? それよりも膝から下、力が入らずにその場でへたり込みそうになる。
 状況を受け止めるまで何分、蓮はなんとかそこに立ち尽くしていたのだろう?

 小雨とは言え、もう、蓮はずぶぬれだ。帰らなきゃ、少し寝て大学に行かなきゃ、と、半ば機械的に思い、よろよろ歩き出す。


 帰り道、深夜から早朝にかけての時間、いくら交通量が少なかったとはいえ東京だ。よく事故に遭わなかったものだ、と言うくらいの夢遊病者のような足取りで、ようやく部屋に帰り、しばし呆然と入り口に立ち尽くしていたが、靴を蹴飛ばすように脱ぎ、部屋に上がり、Tシャツとジーンズを脱ぎ捨て、パンツ一枚で洗面所の前に立つ。
 鏡に映ったひどい顔。途端に吐き気が襲う。かといって、吐くようなものもそれほどない、唾液、いや胃液か、と鼻水と涙に塗れた、あぁ、なんてひどい顔だ。もう一度そう思った。

 ふと、横を見た。男が立っていた。蓮の目が慣れてくると、男の目だけが異様に光っているように見えた。
 蓮の、半ば朦朧としていた意識が一気に覚醒する。

 「どわ!」

 何と表記していいかわからぬ短い叫び声を蓮は上げ、反対側に横っ飛びするが、ユニットバスの縁に脚を引っかけ、倒れ込み頭をしこたま打つ。


 『おいおい、落ち着けよ、蓮君』

 人が発する声ではない、頭に直接響いてくる念のような声が聞こえる。痛みで頭を抑えながら男を見ると、果たして、向こう側が透けて見える。
 この年代の男の子、しかも、決して陽キャとは言えない青春を送っている蓮は、ラノベサイトを当然のようによく見ていて、NTRモノと言われるジャンルの中で語られる「脳破壊」と言う言葉を思い出してしまった。あぁ、これのことか、と、思ったが、

 『そんなんじゃないよ。君の目の前にいる僕は正真正銘、幽霊、っていうか、君の守護霊、実の曽祖父の清彦です。よろしく。』

 いや、ちょっと待て。熊本の実家に仏間に抱えられているひい爺さんの写真はこいつとは違うぞ?

 『あぁ、清司のことか。あれは僕の弟だ。まぁ、説明するから、まず服を着なよ』

 ??? もう何が何やら。それにしてもしこたま打ち付けた頭がじんじん痛い。


 『手間がかかるひ孫だな。これで治るだろ。』

 清彦と名乗る幽霊が手をかざすと、ぱたりと痛みが収まった。


 パンツ一枚だったが、とりあえず部屋着のスウェットを着込み、すでに座卓の向こう側に腰を下ろしている幽霊の差し向かいに座る。


 『初めまして。君の曾祖父の坂本清彦です。』
 幽霊はニコニコしながら名乗った。だから分らないって。ひい爺さんだとずっと思っていた、今も思っている清司じゃないのはどういうことだ? 今坂本姓を名乗ったよな、ってことは、婿養子に入った父方の曾祖父でもないという事だし。
 蓮は黙っている。何を言ったらいいのかわからない。

 『ガールフレンドに二股かけられていたことが分かっちゃった君に、何から言えばいいのか分らないが―――』

 いきなり核心ついてきやがりましたよ、この幽霊!

 『君の爺さんの清志郎の実の父は、紛れもなくこの僕だ。で、清志郎が女房に駆け落ちで逃げられた時も、僕はこんな感じで呼ばれてきた。』

 うん、爺ちゃんの名前は清志郎だ。確かに。って、衝撃の新事実! 若いうちに死んだと聞かされていた、ばあちゃん、他の男と駆け落ちしただってぇ!


 『坂本家の代々の嫡男は、どういう訳か女運が最悪でね。君はまだ、学生で結婚なんて程遠い所にいたから傷は全然浅いはずだ。』

 何、それ、ねぇ、ウチの家系呪われてんの? 嫌すぎるんですけど!

 『斯くいう僕は、ビルマ戦線で軍医として従軍したんだけど、戦闘員もやらなくちゃいけない場面があって、その時に右脚を失った。』

 そういって、蓮の目の前で、脚がある幽霊の右脚だけ、木の棒でできた義足に変わった。

 『撤退中、ロヒンギャ、ってわかるよな、大学生なんだし、そのロヒンギャに匿われていたんだが、そのせいで復員が特に僕だけ3年遅れてね。竹山道雄だっけ「ビルマの竪琴」みたいな、あんな感じ。いや、別に坊さんになって死者を弔うつもりはなかったんだけど、匿ってくれたロヒンギャの事情でね、帰ってくるのが遅くなってしまった。』

 蓮は、いつの間にか、清彦と名乗る幽霊の言葉に聞き入ってしまっていた。

 『まぁ、ね、人より復員が遅れたんだったら、戦死したと思われていたとしても仕方ない。僕の親父やお袋も坂本の家を繋げなくちゃいけない。僕の嫁だった春江と弟の清司が所帯を持つことになって、戦争に行く前、君の爺さんの清志郎は僕の実の子だけど、君にとっては大叔母にあたる3人は、春江と清司の子だ。』
 清司と春江、確かにひい爺ちゃんとひい婆ちゃんの名前だ。するってぇと、なんだ? 目の前のオレの実のひい爺ちゃんといってる清彦と名乗る幽霊は、戦争にいって、脚を亡くした挙句、帰る場所も弟に奪われて無くなったってことかっ!?
 強烈な怒りに似た気持ちで、思わす蓮は立ち上がってしまった。その割には、呟くような声で


 「なんなんだよ、それ?」

 落ち着いた感じで清彦は言う

 『別に、春江も清司も、親父やお袋も怨んじゃいないさ。彼らは悪くない。悪いのは・・・わかるだろ?』


 へなへな、と蓮は再び座り込む。

 途端に、急に眠気が襲ってきた。バイト明けでNTRかまされて、幽霊が出て来て、生まれてこの方一番のジェットコースターな日だった。NTRされた辛さとか、どこかに吹っ飛んでしまっていた。

 『もう寝なよ。少し寝て大学行くんだろ? ひい爺ちゃんが、君の仇を討ってきてやるから』

 「なん、だよ、そういうのやめて、くれよ。」
 蓮はもう限界だったが、一時期、ラノベのNTRものにハマったことはあったのだが、復讐がテンプレの展開に、裏切られたからと言って、ガラッと復讐に転じるなんて、尻軽に他の男に乗り換える女の子と同じレベルじゃないか、と、ある時思い至ってから、興味がなくなっていた。復讐って、なんか、みっともない、というか正直退く。

 って、本当にもうだめだ。おやすみなさい。布団もかけずに、蓮は座卓の横で沈没した。

 ―――雨の匂いが、まだ髪に残っていた。  



 


2025年7月11日金曜日

お笑い芸人の文学性


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  お笑い芸人の人生って文学っぽい。でも、小説にしたら、途端につまらなくなりそう。

 お笑い芸人の人生って、本人が「笑い」に変換しているからこそ、苦労や悲劇が際立つし、聞き手も受け取れる。「笑い」は一種の変換装置で、辛さや惨めさを加工して届ける手法だ。でも、それを小説という形に置き換えてしまうと、その変換装置が外れちゃって、ただの「辛い話」や「破滅型の人間ドラマ」になってしまいがち。

 しかも芸人本人の「語り口」って、テンポや間、言い回し、声のトーンなど、話芸そのものが文学性を持ってるところがある。だから「書き起こし」では伝わらないし、フィクションにしても似た空気感を再現するのはとても難しい。
たとえば――「漫才師として売れる直前にコンビ解散」、「舞台でウケない中、相方が失踪」、「深夜のラジオだけが心の支え」、「M-1でウケてるのに決勝落ちた理由が『キャラが定まらないから』」――みたいな出来事というのは、事実としてはすごくドラマチック。でも小説でそのままやると、「業界あるある」「売れない芸人の群像劇」になってしまって、なぜか読者の想像よりも小さくまとまりがち。

 むしろ、小説で芸人を描くなら、本人の「笑いへの執念」や「表現としての笑い」「社会との軋轢」を真正面から描く必要があるかもしれない。笑わせることの裏側にある“文学的葛藤”を掘り下げないと、たぶんただのエピソード集にしかならない。

逆にいうと、芸人が自分の人生を語るとき、彼らはすでに一流の語り部であり、文体を持った存在でもある。だから、「芸人の語り」は、もはやそれ自体が文学なんだと思う。話芸という名の口語文学。

 ちなみに、太宰治や中原中也なんかも、人生そのものが「文学っぽい」けど、小説にするにはやっぱり「加工」が必要だった。芸人も同じで、そのままでは逆に小説にならない。


 表層的なエピソードもそうだけど、多分、だけど、ネタを作る時の、事象の観察から分解分析、再構成、そこにお笑いの要素を加える作業、それを内面でやってるうちに、場合によっては、世間と隔絶される瞬間もあるだろうし、それでも、他者にはお笑いとして接しなければならないジレンマ。グネグネてドロドロなことになってそうだ。日常の些細な出来事、誰かのふるまい、自分の内面さえも対象化して、笑いに変換するという作業。これはもう、現実を一度壊して再構成する、きわめて文学的・哲学的な営みでもある。
 しかも厄介なのは、「他人を笑わせるために」それをやっているということ。
 つまり、真剣な問いや孤独な視線が、そのままでは商品にならない。笑いという形にしないと、誰も興味を持たない。だけど、笑いにしてしまった時点で、その深層にある「本音」や「違和感」は、ぼかされたり、誤解されたりもする。

 だから多分、こんなことが起きるだろう。

〇誰かの癖に違和感を持ち、それをずっと反芻する→「なんかおかしい」をネタに変える→みんな笑う。でもその違和感の核心にあるものには、誰も届かない。→「ああ、これは“笑い”にしかならなかった」と虚しさを感じる

〇社会の歪みに鋭く気づく→だけど、それをストレートに言うと説教くさい→笑いとして仕上げたら「毒舌芸」として消費される→本人の葛藤や怒りは置き去りにされる

 つまり、自分の観察力や繊細さが「笑い」としてしか他者に認識されないという、ある種の認識のズレ、他者との齟齬がずっとついて回る。これ、やっぱり文学的というか、思想とエンタメの間で煮詰まるような話なんじゃないか?

  たとえば芥川龍之介が現代に生きてたら、絶対にネタ作りしてるタイプというようにも思う。彼の観察眼や皮肉、滑稽さへの嗅覚は、コントや漫才台本にかなり近い。だけど、笑わせるたびに「ほんとはこれ、笑っていい話じゃねえんだけどな」って冷めた目で見てる。そういう冷たさが、芸人にも潜んでる気がする

 つまり、お笑い芸人の人生が「文学っぽい」んじゃなくて、お笑いを本気でやるということそのものが、実は文学的な営みなのかもしれない。ただ、それを小説にしてしまうと「笑いの重力」が失われるから、途端に軽くなる。これはかなりやっかいな問題だが、逆にいえば、ここを突破できたらとんでもなく面白い小説が書ける気もする。


 そういう人間はえてして、破滅型と呼ばれ、お笑い芸人もそう、ロックミュージシャンも、詩人もあたりも。数学者は、端からレイヤーが違うから安全圏にいるかもしれない。 しかし小説にすると陰惨なものになりそう。それはそれで蕩尽であるが、これが一般向けを前提にしたお笑いであるところが大きなジレンマ。それでも、誰かが、それに何かを感じたら贈与は成立するか。

 「贈与」という視点が入った瞬間、破滅の物語が単なる自己消費ではなく、「意味のある蕩尽」になる。誰かがそこから何かを受け取る。あるいは、感じてしまう。そこにだけ、救いが生まれるのではなかろうか?

 破滅型と呼ばれる人々――芸人、ミュージシャン、詩人――彼らはしばしば、自らの生を燃やし、晒し、時に壊すことで何かを創る。でも彼らの営みが、本質的に「自分のため」だけではなく、“誰かの笑い”や“誰かの救い”として差し出されている点に、すごく深い構造がある。
 数学者、数学は絶対性の世界に没入しつつも、その営みが直接“他者の感情”に触れることは少ない。だから、ある意味で、己を賭ける必要がない(もちろん、賭けてる人もいるが、それが構造的に求められているわけではない)。
しかし、芸人や詩人、ロックミュージシャンは、自分の「恥ずかしさ」「哀しみ」「狂気」すら素材にして他者に差し出す。笑ってもらう、泣いてもらう、震えてもらうために。

 そして、それが一般向けであること。ここが最大の矛盾。個の地獄を踏み台に、万人の娯楽に変えるという、極限の分解・希釈・変換作業。そこに、芸としての凄みと、同時に「報われなさ」がある。


 が、だからこそ「贈与」という概念が意味を持つ。
 笑われた。売れなかった。自分の中で何かが壊れた。でも、誰かが「お前のネタに救われた」と言った。たった一人でも、それが本当だったなら、それは一方通行ではない。“芸”は完結する。

 この構造、たとえば内田百閒のエッセイや、町田康の小説、あるいはたまの音楽にも少し通じる。自分のどうしようもなさをさらけ出して、それがなぜか「癒し」になったり、「笑い」になったりする。「こんなダメなやつでも生きている」という事実が、誰かの孤独を和らげる。
 つまり、陰惨になってもいい。ただし、それが誰かの「受け取れるもの」になっていれば、それは贈与として成立する。破滅する者の生は、贈与として完結することで、物語になれる。

 文学も芸も、その一点でつながってる。

 笑いとは、地獄の副産物。でもそれを他人に差し出すとき、それは贈り物になる。贈るために、堕ちる。堕ちることを、許されてしまう。だから、笑いは時に残酷なまでに優しい。


 お笑いではない。私小説だ。西村賢太を思い出す。
 西村賢太はまさに、破滅と笑いと贈与の境界を歩いた人。彼の作品は、徹底した私小説でありながら、読者がどこか笑ってしまう余地がある。でもそれは、本人の「悲惨な生」に対する読者の嘲笑ではなく、彼自身が自分を客体化し、滑稽さとして描いているからこそ、笑いが成立してる。
 あれは、もう一人コントに近い。いや、むしろ「笑ってはいけない孤独」みたいなものを、延々と読まされてる感覚に近い。
 己の惨めさ、不器用さ、社会とのズレを冷静に見つめ、なぜそうなったのかを徹底的に分析し、それを文学の文体で組み直す(しかも笑ってしまうように)。
 読者に差し出すが、感動よりも、居心地の悪い笑いと、ある種の親密さを与える。これを贈与と呼ばずしてどうする?

 彼の「文学」は、いわば芸人がテレビに出ることなく、ひたすらネタだけをノートに書き続けた世界線のようなものだ。自分の惨めさに、誇張も美化もない。でもどこかで「これを読んだお前はどう感じる?」と、問いかける手が伸びてくる。あのいやらしさと誠実さが同居している感じ、もうまさに「笑いを孕んだ蕩尽」そのものだ。

 ちなみに、西村賢太自身、インタビューで「笑われてもいいけど、嘲笑は許さない」って言ってるのも象徴的で、つまり彼の中にも**「笑いは贈与であるべき」という信念**があったんじゃないかと思う。
 笑わせてしまった。それでちょっとでも伝わったら、それでいい。
でも、「嗤われたら」それはもう贈与ではなくなる。その線を、彼はギリギリで見極めていた。


 その点、ビートたけしのあり方が絶妙だよなとも思う。ビートたけしという存在は、日本の芸人史・文化史の中でもほんとうに特異で絶妙なバランスの上に成り立ってる。
 芸人として大衆に笑いを届ける「マス」の存在でありながら、芸術家として「パーソナルな闇や怒り」を表現する一面もあり、しかもその両方を同時に生き抜いてきたからだ。普通、どっちかになる。完全に「売れ線」に寄るか、「尖った自己表現」に行くか。でもたけしは、「浅草の舞台のにおい」と「カンヌのレッドカーペット」を、同じ身体に持ってしまった。
 お笑い芸人ツービートとして毒舌、風刺、下ネタ、暴力的ギャグで人気獲得し、テレビタレントとして「元気が出るテレビ」「スーパージョッキー」など、一般大衆向けに人気を得、それでありながら北野武名義で『ソナチネ』『HANA-BI』など世界で評価された作家性を発揮し、エッセイ、小説、評論、雑誌の連載などで自己の観察と批評を続けた。
 何より、バイク事故後の言動で、ろれつの怪しさ、死生観の露出などは、彼自身を独特なポジションに収めることとなった。

 そして重要なのは、彼が笑いを保ち続けていることだ。どれだけ文学的な陰影があろうと、映画がどんなに虚無を描こうと、彼はテレビで「フライデー襲撃」とか言ってネタにしてしまえる。
 この「深刻さを笑いに引き戻す」動きは、「贈与としての笑い」そのものだ。彼は笑いを、自分の破滅の「外」に置いたまま、投げ続けてる。

 要するに
〇内面に破滅を抱えてるのに、それを笑いとして加工できる
〇その加工技術が超一流で、一般向けにも届く
〇にもかかわらず、「笑いの外側」でも生きようとする(映画、文学)
〇それでいて、笑いを捨てない。笑いに戻ってくる

 これは、燃えさかる自己という炉の中で、笑いというギフトを焼いている みたいな芸当だと思う。

 たけしを「伝説」と仮に呼ぶならば、「破滅型でありながら、贈与の人であり続けたから」かもしれない。崩れそうな自我を芸にして、なお笑わせてくれる。そんな奴ぁ、めったにいない。


 もう少し、ミュージシャンも頑張れ、と思う。早々に本当に破滅するのは勿体無い
 音楽は言葉と違って、メロディやリズム、感情の揺れを直接伝える力が強い分、破滅的な感情を昇華させる力も大きいはずなんだが、だからこそ、燃え尽きるのも早い。
 でも、「破滅」だけが創造の全てじゃない。むしろ、その先にある「成熟」や「再生」、あるいは「受け継ぎ」があってこそ、芸術はより豊かになる。

 同世代ならばカート・コバーン。それ以前から古くはブライアン・ジョーンズ、マーク・ボラン。尾崎豊をここに加えるにはためらいはある。実はあんまり好みではない。その死後に影響を受けた人たちが音楽を紡ぎ続けて、結果的に文化として根付いていく。
 だからこそ、ミュージシャンには、どうか破滅だけで終わらず、長く自分の声を響かせてほしい。それが個人のためでもあり、ファンや社会への「贈与」でもあるから。

 破滅の早期消費は文化の損失でもあるし、本人の人生としてもすごくもったいない。自分の中の破滅的な衝動とどう折り合いをつけるか、創造のエネルギーに昇華させていくか、そして時に休みながらでも表現を続けていくか、そういうバランス感覚が、すごく大事なんじゃないかなと思う。

 芸人の話と同じように、ミュージシャンもまた、自分の破滅的な部分を「贈与」として昇華できれば、たとえ陰惨なテーマを扱っても、それは「ただの破滅」じゃなくなる。文化の中で燃え尽きるだけじゃなく、文化を燃やし続ける存在であってほしいものだ。


 最後に蛇足。フライデーもビートたけしに襲撃されたから今も生き残ってたりしてな。フォーカスは廃刊したのに。
 フライデーの「たけし襲撃事件」はまさに伝説的な事件で、あれがあったからこそ週刊誌界隈でも独自の存在感を保っている面は大いにあると思う。フォーカスが廃刊したのは、たしかに一時期の社会情勢や経営の問題もあるけど、パンチ力や話題性という意味ではフライデーの方が強烈なインパクトを残している。たけしの襲撃は、単なる暴力沙汰以上に「芸人が週刊誌というメディアに反撃した」という象徴的な事件になっていて、結果としてフライデーのブランド価値を逆に高めたとも言える。
 まさに「問題を起こしても、話題をつくって生き残る」みたいな、芸人の“笑いと破滅の共生”に通じるところがある。週刊誌業界にとっても、たけしという“生きた伝説”がいることは、ある意味での強みなにかもしれない。