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2025年6月21日土曜日

アンパンマンの贈与倫理──やなせたかしの戦争体験と「正義」の再定義2 やなせたかしの戦争体験と「正義」の原点

 


8809 瀧内公美

 瀧内公美氏が、昨年の大河ドラマで藤原道長の側室の源明子役をするちょっと前に、中学の同級生の女性から、瀧内氏は彼女の息子と同い年の近所の子で、病院で生まれた時から知っているのだと聞いた。昨年の大河、今年の朝ドラ、ご活躍、喜ばしいことだ。
 朝ドラでは、女子師範学校の教師役を演じておられる。その頃の教師と言えば、女子師範学校とは言え、軍国日本の価値観の体現者だったはずで、実際そういう役回りのようだが、さて、当時の、言ってみれば学校の教師などは知識層、終戦で一夜にしてそう言った価値観がひっくり返ることを経験する場面を、これからテレビで目にすることになるのだろう。
 このことをテーマにした表現物は探せば多分いっぱいあるはずだ。瀧内氏演じる先生はどうなのだろうな?

やなせたかしの戦争体験と「正義」の原点

 丁度これを書いている今週の朝ドラ「あんぱん」、嵩が戦地で地獄の飢えを体験する週になっている。氏の思想は、極限状態での個人的な体験に裏打ちされたものであり、アンパンマンの行動原理に直接的な影響を与えているとのことだ。

〇飢餓体験の衝撃と「食べること」の絶対的正義化

 やなせたかし氏は、1941年に徴兵され、日中戦争から太平洋戦争にかけての兵役を経験したとのこと。中国大陸での従軍中、彼は極度の飢餓に苦しんだと語っておられる。氏は「空腹というのは、我慢できない」「人間いちばんつらいのはおなかが減っていることなんだ」と述べ、水のようなおかゆやタンポポを食べて飢えをしのいだ経験から、って、今日、丁度のそのシーンやってたなぁ。で、その苦痛の深刻さを強調している。飢えが極限に達すると「人を裏切ってでも何とか食べようとする。考えもおかしくなってくる」という人間の本質を目の当たりにしたのだと。この飢餓体験、よほどに強烈だったんだろう。やなせ氏は「一番大事なのはまず食べられることだ」という確信に至ったようだ。そして、「飢えた子供に一切れのパンを与えること。少なくともそれは、ひっくり返ることのない正義であるはずだ」という、揺るぎない正義の概念を確立したと。この「一切れのパン」という具体的で素朴な行為が「絶対的正義」であるという思想は、やなせが戦争中に目にした抽象的なイデオロギーや国家的な「正義」とは対照的である。それは、権力や思想によって容易に「逆転」しうる正義ではなく、人間の最も根源的な生存欲求と、それに応える直接的な行為に根差した、普遍的で揺るぎない正義として位置づけられた。この考え方は、正義が抽象的な理想や壮大な物語ではなく、生理的欲求の充足という最も基本的なレベルで実現されるべきであるという、価値観の根本的な再構築を意味している。

〇弟の死と「正義」への懐疑、そして「逆転しない正義」の探求

 氏は、終戦直後に仲の良かった弟を戦争で失ったという個人的な悲劇を経験している 7。弟は海軍中尉としてフィリピンに向かう途中で乗船が沈没してしまい、そのまま。この早すぎる死は、「弟は何のために死んだのか?」「犬死にだったのか?」という、氏の心に深く残る根源的な問いを生み出したのだろう。
 さらに、戦時中には「正義」を振りかざしていた日本軍が、敗戦とともに中国から「悪魔の軍隊」と非難されるという現実を目の当たりにしたらしい 3。この点について、特に向かって右側におられる方々はいろいろ言いたいこともあるんだろう。事実に基づいた評価ではなかったとか。さぁ、どうなんかね? その時そう言う人たちは、どこにどういう立場でいて、そんなことが言えるんだろうねぇ?
 閑話休題。
 昨日までの「正義」が、一夜にして「悪」へと容易に「逆転」するこの経験は、やなせの心に「ヒーローとは何だ」「本当の正義とは一体何だ」という深い懐疑を抱かせた 3。そう言う人も結構多いと思うんだがね、実際は。

 この強烈な懐疑の中から、氏は「逆転しない正義」の探求へと向かった。彼が辿り着いた結論は、その正義が「愛と献身」(すなわち、自分を傷つけ、目の前の相手に差し出すこと)であるというものだった。この「逆転しない正義」という概念は、国家やイデオロギーによって恣意的に定義され、翻弄される「正義」への痛烈な批判である。氏にとって、真の正義とは、政治的・国家的な境界を超越し、人間の普遍的な脆弱性と共感に根差した、人間中心的な倫理に他ならなかった。この思想は、キリスト教の「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」という教えや、仏教の「捨身飼虎」の逸話にも通じる普遍的な概念として理解される。戦争のトラウマから生まれたこの倫理観は、アンパンマンの行動原理の核心をなしているに違いない。

〇初期アンパンマン(人間版)の構想と、その後の変遷

 アンパンマンが初めて世に登場したのは、1969年の月刊誌『PHP』に掲載されたメルヘン「アンパンマン」だったそうな。この初期設定では、アンパンマンは「スーパーマンみたいな格好した中年のおじさんでちょっとメタボ」な人間であり、顔はアンパンでできていなかったらしい。彼は「ほんとのアンパンを持っていて、お腹が減った人にあげるキャラクター」として描かれていたのだろう。
 しかし、この人間版アンパンマンは、子どもにアンパンを拒否され、「ソフト・クリームのほうがいい」と言われたり、「カッコワルイ!」と罵られたりする、報われないヒーローとして描かれた。オレもそんなこと言いそうだった。小さい頃、実は餡子が嫌いだったのよ。さらに物語の結末では、許可なく国境を越えたために高射砲に撃ち落とされ、生死不明となるという救いのない展開だったんだって。うわ・・、退くわ。なにそれ、マジ?
 氏は、この童話を絵本として出版する際に、人間という設定から「生命を持ったパン」という現在の設定へと変更し、救いのないストーリーを改めた。このキャラクターの変遷は、単なる表現上の工夫以上の意味を持っていたようだ。「正義を行おうとすれば、自分も深く傷つくものだ。でも、そういう捨て身、献身の心なくして、正義は決して行えない」という自身の思想を究極的に表現するため、「自らを食べさせる」という行為に到達したのかもしれない。

 人間が「パンを配る」という行為は、あくまで外部からの慈善行為であり、与える側と与えられる側が明確に分離している。しかし、「パンそのものであるアンパンマンが、自らの顔を差し出す」という行為は、自己が贈り物そのものとなる、存在論的な贈与へと深化する。この変化は、慈善行為が持つ限界(受け手の好みに左右される、外部からの脅威に脆弱であるなど)を乗り越え、自己の存在そのものを捧げるという、より根源的で揺るぎない正義の形を追求した結果だ。アンパンマンが「顔をちぎって与える」という行為は、この痛みを伴う献身の精神を象徴しており、真の正義は常に「格好いい」ものではなく、脆弱性と自己犠牲を伴うものであるというやなせ氏の思想を体現しているように思えて仕方ない。

2025年6月20日金曜日

アンパンマンの贈与倫理──やなせたかしの戦争体験と「正義」の再定義1 なぜこんなものを書き始めたか?

 


8808 今田美桜

なぜこんなものを書き始めたか?

 朝ドラとか基本観ない人です、ワタシ。NHKとか、ここ近年、同局の他の番組で、結構、朝ドラとか大河ドラマとかの番宣するようになって、今田美桜氏の事をよく見るようになった。前からグラビアとかではよく見ていたが、正直ピンと来るところがなく、スルーしてたんだけど、動いている今田美桜ちゃん、いいじゃん。可愛いじゃんよ。というのもあるし、
 あと、自分の顔を分け与えるアンパンマン。贈与だ、と思った。今の資本主義社会の行き詰まりを何とかする鍵は、贈与、にあるのではないか、と、贈与論、バタイユ、ジジェク、ノームあたりから入って、そのあたりを最近考えている身として、一度、ちゃんと考察しておきたいと思ったわけだ。

 オレの子供の頃はまだアンパンマンは世に登場していなかった。と思っていたら、妹は覚えている、と言っていた。下で、ほんの少し詳しく書くが、そのプロトタイプの登場は、1969年なんだそうだ。
 プロトタイプから数えたらやがて60年。アンパンマンが自らの顔を飢えた人々に分け与える行為は、日本の文化において一つの普遍的なアイコンとして根付いている。この行為は、単なる物語のギミックに留まらず、自己犠牲と無償の愛の具現化として広く認識されて 1。多くの人々に感動を与え、特に子どもたちには食べ物の大切さや助け合いの精神を育む役割を果たしているんだそうだ。ごめん。オレ実感ない。アンパンマンの顔は、単なる食物以上の深い意味を持ち、汚れたり傷ついたりすると力を失うものの、新しい顔が作られることで「自己犠牲」と「助け合い」の象徴として描かれている。うん。これは分かる。ある時何話分か固めて観たことがある。大人になってから。

 だが、この自己犠牲的な行為は、物語の初期段階において「顔を食べさせるなんて残酷だ」「気持ち悪い」といった批判も存在したんだそうだ 。そりゃそうだろうな。正直、大人になって初めてアンパンマンを視聴した時、何気にいように思えたもんだ。このような批判は、アンパンマンの行為が持つ倫理的な深層、特にその「過剰性」を問う視点を示唆している。そう。「過剰」だ。「贈与」の理由になる「贈与前」にある「過剰」をよく考えていたが、ジジェク的に言えば、確かに贈与後の「過剰」だって有り得る。
 贈与後の過剰、飢えた人々を救うという純粋な善意に基づく行動が、なぜ不快感や残酷さという感情を呼び起こすのか。この問いは、アンパンマンの利他主義が、一般的な社会規範や自己保存の本能に照らして、ある種の極端さ、すなわち「過剰な贈与」として認識された可能性を示唆している。この初期の違和感は、アンパンマンの贈与が単なる慈善行為ではなく、自己の身体性を損なうほどの徹底した自己犠牲を伴うがゆえに、受け手や観察者に倫理的な問いを投げかけるものだったんじゃなかろうか?

 ここでは、この「アンパンマンは、過剰な贈与者なのか?」という問いの深掘りから展開してみる。最初のこの問いは、単にアンパンマンの行動の是非を問うだけでなく、贈与、自己犠牲、利他主義といった概念の倫理的限界、そしてそれらが社会システムや個人の幸福に与える影響について考えてみようかというものだ。ここでは、やなせたかし氏の戦争体験と、そこから彼が再定義した「正義」の概念を軸に、アンパンマンの贈与倫理を多角的に分析し、その普遍的意義と現代社会への示唆を書いていきたいと思っている。



グラビアさん

 

8807 月野モア

 有象無象、と言っちゃ失礼か。ピンからキリまで、いや、これも失礼だな。まぁ、なんだ、地下アイドルやらグラビアアイドルやら、そこそこ名が通ったコから”自称”まで、この世には何人いることやら。ここでは、あえて、彼女たちの事を「グラビアさん」と呼んでしまおう。  名前は知らなくてもどこかで見かけた顔。かつてはフェミニストの論争の的にもなったグラビアさんたちだけれど、近年はあまり目立って叩かれることもなくなったようにも思う。フェミの側も、彼女たちがその世界で生き残るために必死なのを知っているのかもしれないし、下手なことを言えば、手痛く逆襲に遭うからかもしれない。  そもそも、売り出し中の若手女優がまず水着グラビアから始めるなんてこともあるだろう。若手から中堅になりつつある、ある女優さんなど、事務所がとってきたグラビアの仕事を拒否したから干されたんじゃないか、と邪推している。  かと思えば、グラビアこそが自己表現と言わんばかりの、グラビア界の大ベテランもいたりして。  若い頃にはこちらも、いろいろとお世話になった。けれどこの歳になると、グラビアを見る視線が変わってくる。相変わらず体の曲線には楽しませていただいているが。しかし、今や体温や肌の質感や吐息を創造するよりも、彼女たちの背景や生活を想像してしまう。  別にグラビアさんたちの生活に入り込むことなんて考えていない。この撮影があった後、名の通った人なら送り迎えもあるだろうが、一般への認知度が低い駆け出しのコなどの、撮影現場から歩いて駅に行き、電車に乗り部屋に帰る途中でコンビニで何か買い、部屋で、もそもそ、それを食べるところとか。  どんなきっかけでこの道に入ったのか。クラスで一番か二番くらいに可愛くて、スカウトされて、自分のルックスに需要があると踏んだのか。あるいは五番目くらいだけれど、どうしても芸能界に入りたくて、自分を売り込んだのか。もしくは他にやりたいことがあって、その資金を得るために、まずはグラビアで、と決めたのか。たぶん、いろんな子がいるんだろう。  でも、グラビアさんの業界、トップランカーをはるのは、甲子園で優勝するより難しいかもしれないんじゃないか?知らんけど。夢を叶える人間の影で、名もなく消えていく子の方が圧倒的に多いような気がする。少なくとも、あ、このコいいな、と思っても、それっきり二度と拝見できなくなることも珍しくない。  いや、確かにクラスじゃ、どっちかと言えば可愛い方だったかもしれないだろうけど、グラビアでやっけるほどじゃないし、正直キツくね? というコや、確かにそれ位だったら場合のよっちゃクラスで一番かわいかったかもしれないが、残念ながら量産型。または、うわ、表情強張ってる、みたいな明らかに無理しているように見えるコもいて、痛々しい気持ちになる。でも、まぁ、な、世の中それでひるむぐらいなら、最初からやるべきじゃないし、覚悟の上の事だろうが。  大丈夫? 悪い大人に騙されてない? って。本人が「やる」と決めたなら、そのコの生き方だ。応援することにやぶさかではない。でも、う~ん、どうなんかねぇ?  自分の娘じゃなくてよかった、と正直思う。娘がこういう生き方を選んだら、親としては反対しちゃうような気がする。心配で、背中を押してあげるなんてできないんじゃないかな?  無責任な消費者としてなら「身体に気をつけてな。うまくいけばいいな」とか言ってあげられるが。



2025年6月19日木曜日

存在と鋼鉄6:ポルシェの身体性

 

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ポルシェの身体性

 ポルシェが戦後に生み出したスポーツカーは、単なる交通手段ではなかった。それは、「個人が自由に楽しむための、性能と美意識の塊」であり、「走る」ことの歓びそのものを凝縮した存在だった。ここには、20世紀の大量生産社会を超えて、再び「個」の欲望が全面に押し出されてくる構造がある。フェルディナンド・ポルシェがナチス体制下で設計した国民車(ビートル)とは対照的に、その後のポルシェ車は、「この私」のための機械、つまり自我の延長であり、自らの存在を賭けて駆動させる道具へと変貌した。
 この変化は、まさにニーチェ的な転回である。ポルシェが体現するのは、「アポロン的秩序」ではなく、「ディオニュソス的陶酔」の領域だ。理性ではなく感覚、抑制ではなく解放、計算された生ではなく速度のなかで生の深奥と直結する感覚。ニーチェが語った「生の力への意志」は、滑らかなボディに、爆発的なエンジン音に、そして鋭く曲がるコーナーで感じるG(重力)のなかに顕れる。
 だが同時に、速度と死は常に隣り合っている。ジャン・ボードリヤールが指摘するように、現代の人間は「死を可能性としてではなく、技術の故障としてしか考えられなくなった」。それでもなお、時速200kmで突き進むポルシェの運転席に座る者は、自らの死を「予感」として抱え込む。モータースポーツにおける事故、あるいは一瞬の判断ミスによる壊滅的な結果は、加速が存在の輪郭を限界まで押し広げることの代償である。そしてそこにあるのは、単なるスリルではなく、「生きている」という実感そのものだ。
 この構造を可能にするのが、20世紀的な「近代技術」の総体である。モータースポーツと近代性は、共犯関係にある。内燃機関、流線型、空力特性、サスペンション制御……それらすべては、「速度と人間」を融合させるために生まれた。だが同時に、機械によって増幅された身体は、「人間らしさ」を脱ぎ捨てる。かつては神にしか許されなかった速度が、今や人間の指一本で手に入るようになった。ここにあるのは、人間中心主義的近代の終着点であり、機械との共生を前提とした「ポスト人間的存在」の胎動でもある。
 この時、身体はどのように変容するのか。ここで参考になるのがメルロ=ポンティの身体論である。彼は身体を単なる「物体」ではなく、「世界と接続する知覚の根」であると見なした。ポルシェの運転席において、身体は車体と融合する。手はステアリングを超えて前輪の摩擦を知り、足はアクセルを踏むことでエンジンの脈動と一体化する。それはもはや「機械を操作している」感覚ではない。身体が車となり、車が身体となる――この現象は、「延長された身体性」という新たな人間観を提示する。
 スポーツカーを運転する、単車を操縦するという行為は、単なる移動でも、所有欲の発露でもない。それは一種の存在論的実験であり、「私は誰なのか」「私はいかにして生を駆け抜けるのか」という問いへの、一つの応答なのである。
 ポルシェが戦後に展開したスポーツカーは、大衆社会の中で個人の自由と嗜好が重視されるようになったことの象徴である。それは単なる移動手段ではなく、「走ること」自体を楽しむための、美意識と性能の塊だった。機能や効率を重視したフォルクスワーゲンの国民車とは対照的に、ポルシェの車は、「この私」が感じ、「この私」が欲するものに応える装置であった。そこにあるのはニーチェ的な意味での「力への意志」——他者や制度に従うのではなく、自らの欲望を駆動させる力としての機械、そして速度。
 だがその速度は、常に「死」と背中合わせである。F1やル・マンでの事故は、その象徴的な現れであり、モータースポーツの世界では、死は不慮の事故というよりも、存在の限界に触れる瞬間に立ち現れる感覚とすら言える。加速し、ブレーキを踏み、コーナーを曲がるその身体感覚には、生の緊張と死の予感が重層している。技術の進歩が人間を守る一方で、人間はその技術の極限において、あらためて「私は今、生きている」と実感する。
 こうした感覚は、モーリス・メルロ=ポンティが語った「身体が世界と接続する根である」という哲学とも深く共鳴する。彼にとって身体は、単なる物質的な器官の集合ではなく、世界と関係を持ち、意味を生み出す感覚の中心だった。私たちは世界を客観的に「見る」のではなく、身体を通して「感じている」。そして、その身体は常に動いており、対象に触れ、重さや速度を知覚し、空間の中で「自分がどこにいるか」を把握している。
 ポルシェのスポーツカーに乗るという行為は、この「身体の根源性」を露わにする。ハンドルを握る手の微細な震え、路面のざらつきを伝えるタイヤ、エンジンの鼓動のような振動。それらはドライバーの身体と機械の間に境界があることを忘れさせるほどに密接で、やがて一体化する。身体がマシンを「操作」するというより、身体とマシンが同じリズムで呼吸しているような感覚すら芽生える。この没入状態において、ポルシェは単なる交通手段ではなく、「感じる器官」としての身体の延長になる。このとき、運転者はもはや単なる主体ではなく、世界の中に浸され、運動と知覚の交差点に立つ存在となる。まさにメルロ=ポンティが言うように、「私は考える、ゆえに存在する」のではなく、「私は世界に触れている、ゆえに私はいる」のだ。スポーツカーの運転という行為は、近代的な合理性や計算可能性を超えて、「生きられる今」に回帰する哲学的経験でもある。ポルシェとは、そのような没入的・身体的知覚の媒介装置であり、思考と感覚、個と世界がひとつの運動の中で融け合う場を提供しているのだろう。

存在と鋼鉄5:ポルシェの脱ナチス

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 ハリウッド映画ではあるが、1986年の「トップガン」で、ケリー・マクギリス演じるチャーリーが乗っていたのも、2019年の「Ford VS Ferrari」の冒頭辺り、マット・デイモン演じるキャロル・シェルビーが乗っていたのも、356だったし、事故死したジェームス・ディーンが乗っていたのは550だった。自国の大排気量V8ではなかった。確かにジェームス・ディーンの頃のアメ車は特にJames鈍重だったってことはあるかもしれないが、それを割り引いても、アメ車じゃなく、ポルシェだったというのは、それぞれに意識したわけでもなかったとしても、何かがあったのではないか? ポルシェの脱ナチス

 ポルシェは、どうして国民車ではなく浮世離れしたスポーツカーを作るようになったのか?

 フェルディナンド・ポルシェが手がけた「国民車(フォルクスワーゲン・ビートル)」と、その後彼の名を冠する「ポルシェ」という高級スポーツカー・ブランド」の間には、一見すると断絶があるが、実は思想と時代背景の転換が反映されているように見える。

 1930年代、ナチス政権下のドイツで、フェルディナンド・ポルシェはアドルフ・ヒトラーの構想に応じて、ドイツ国民すべてが手にできる「国民車(Volkswagen)」の設計を担当した。それが、のちに「ビートル」として知られるクルマである。安価で整備が簡単、農村でも使える頑丈な構造で、T型フォードに対応する、ドイツの大衆車だった。 しかし第二次世界大戦の終結とナチスの敗北により、ナチス政権の庇護を受けていたフェルディナンド・ポルシェは、しばらく連合国によって拘束される。その後、彼の息子フェリー・ポルシェが、家業を再建すべく新しい方向性を模索する。

 戦後の混乱期、ドイツでは「大衆車」はフォルクスワーゲン社(のちに完全民営化)が受け持つようになり、ポルシェ家が改めて大衆車を作る余地はほとんどなかった。そこでフェリー・ポルシェは発想を転換し、「自分たちの理想を追求した車を、自分たちの技術でつくる」という方向に進んだ。
 今はそうでもないのかも知れないが、クルマ屋である以上、走る、曲がる、止まるで、自分の作ったクルマがどこのよりも、スゲエと言われたいものじゃないだろうか?

 その結果生まれたのが、1948年に登場したポルシェ356。軽量、コンパクト、精緻な操作性とバランス感覚。高級であるというよりは、「技術的純粋さ」を追求したモデルだった。

 やがてそれは富裕層の心をつかみ、「ステータス・シンボル」となっていく。1950年代以降の経済復興(いわゆる“奇跡の復興”)とともに、ヨーロッパには「遊びとしての車」「趣味としてのスピード」が求められるようになる。つまり、経済と文化の成熟にともなって、ポルシェは“使われる”より“見られる”車になっていった
 20世紀初頭など、走りを志向し起こしたメーカーがステイタスを獲得した後、ふやけた高級車ブランドに堕してしまったところも結構あるのだが、ポルシェの凄い所は、「どこのクルマよりオレんとこのクルマはスゲエ」を常に証明しようとし続けているところにある。もっとも、クルマの能力がとっくに人間の操縦能力を超えたものになってしまっているので、その辺の路地を走る分には、ふやけていようがどうだろうが関係なくはなっているのだが。それでもだ。

 国民車の理想は、ある意味で「国家による福祉的自動車政策」だった。そこには「ひとつの民族・ひとつの国家・ひとつの車」という全体主義的な響きもあったと言えると思う。
 一方、ポルシェがつくったスポーツカーは、「個人が自由に楽しむための、性能と美意識の塊」。つまり、20世紀の大衆社会の中で、個人の自由、個人の嗜好にこだわる文化が花開いたことの象徴でもある。

 フェルディナンド・ポルシェの歩んだ道は、戦前の「大衆のための合理主義」から、戦後の「個人のための情熱主義」へと転換したドイツ社会の縮図とも言える。国民車からスポーツカーへ――そこには、戦争、敗戦、復興を経て変容した人間観と価値観の変化が刻まれている。


 ポルシェが戦後に手がけたスポーツカーは、単なる交通手段ではない。それは、「個人が自由に楽しむための、性能と美意識の塊」であった。そこにあるのは、「移動する」ことの機能性ではなく、「走る」ことそのものへの欲望――すなわち、人間の内なる衝動への応答である。フェルディナンド・ポルシェとその子フェリー・ポルシェが創出したそれらの車は、合理性を極めた産業製品でありながら、同時にニーチェ的なディオニュソス的陶酔に応える器でもあった。

 ニーチェは、「芸術とは生の肯定である」と語った。美と速度と音の融合体であるポルシェの車は、まさにそうした生の躍動の表現である。それは、国家や民族といった「共同体の機能」の中に人間を埋没させようとしたナチズム的構造への反転であり、「この私が、今、ここで、生きている」という個の感覚を極限まで浮上させる道具だった。

 一方でハイデガーの視点を借りれば、こうしたスポーツカーは「技術=ゲシュテル(囲い込み)」の最先端にある存在でもある。自然と人間を計量化し、制御可能なものとして対象化するこの時代において、ポルシェのマシンは、技術が「人間存在そのものを規定し始める」ことの一つの表現でもある。だが同時に、それは「ただの手段」に堕すのではなく、操る者に一種の存在論的な歓喜をもたらす装置ともなりうる。すなわち、「ハンドルを握ることで、私は世界の中に投げ出され、速度と重力のなかで、存在の限界を体感する」――それは機械と人間の新しい合一のかたちでもある。

 ポルシェは、かつて「国家のために設計された大衆車」の設計者であったが、戦後には「個人のための陶酔装置」を生み出す者となった。その変化は、20世紀のヨーロッパにおいて、「人間とは何か」という問いが、集団性の中から、再び個へと引き戻されていったことを象徴しているのかもしれない。


2025年6月18日水曜日

存在と鋼鉄4:成長と完成の神話――近代とその亡霊たち

 


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成長と完成の神話――近代とその亡霊たち

 いつからだろう。「なぜ生きるのか」という問いが、「どう生きれば最も効率的か」に変わってしまったのは。
あるいは、「これでよいのか」という問いが、「まだ足りないのではないか」という焦燥にすり替わってしまったのは。
 成長・向上・改善――。
この一見ポジティブに響く言葉たちが、21世紀の人類を“数字”に閉じ込める檻になるとは、誰が予想しただろうか。

 ここでは、「成長信仰」および「完成への執着」がどのように形成され、どのような思想的系譜に依拠し、どのような転倒を招いているのかを、思想史の視点から描いていく。

 近代の誕生と「神のいない世界」

 ルネサンスから啓蒙主義へ――人間は神の庇護から自立し、世界を自らの手で説明しようとした。逆に言うと、それ以前の人間の思考野が信仰というもので、ロックがかかっていたところがあった、という事だろうか? 神様からのお仕着せの言葉で、自ら思考し既定することなく世界の枠組みを受け入れてきた。自らそれを考えだそうとした試みの始まりである。

 フランシス・ベーコンは「知は力なり」と述べ、知識を手段とした世界支配を掲げた。
 デカルトは「われ思う、ゆえにわれあり」と、外部から切り離された自己の確実性を主張した。

 この流れのなかで、「世界は測定可能であり、理性によって制御できる」という信仰が生まれた。当時の空気感は、一種の万能感に支配されていたのかもしれない。人間が世界を規定していくのだという、自負やら傲慢やらが入り乱れたような。
 このとき、人類は「永遠の問い」よりも、「無限の成長」という新しい神話を手に入れた。思えば、この選択が例えば今の行き詰まりを産んでいるとオレは思っているが、それは言っても詮無き事だ。問題は「永遠の問い」があることを忘却してしまったこと。


 資本主義と効率の論理

 マックス・ヴェーバーが喝破したように、プロテスタンティズム(とくにカルヴァン派)は、労働と勤勉、節制と貯蓄を通じて神の選民であることを証明するという倫理を育んだ。包括的に存在論的思考全体の話にはならなかったのは、時代の不明だろうか?

 神の不在が明確になるにつれ、この倫理は資本主義の歯車として独り歩きしはじめる。利潤は善であり、効率は美徳であり、生産性は道徳であった。

 「(経済的に)成長しているか?」という問いが、「存在していていいか?」という問いと合一するようになるという、オレから見ればある種の不幸を人類は背負い込むことになった。


 ニーチェとハイデガー――進歩への懐疑

 ニーチェは『ツァラトゥストラ』において、「人間は乗り越えられるべき橋である」と語った。
 しかしそれは、近代的な成長とは別の文脈にある。

 ニーチェにとって、成長とは個としての意志=力への意志(Wille zur Macht)に根ざした創造的行為であり、「他者から優れている」ことではなく、「自己を更新すること」にこそあった。
 そしてハイデガー。
  彼は『存在と時間』において、「現存在(ダス・ザイン)」が死に向かう存在であることを明らかにした。それゆえ人間は、完成に至る存在ではなく、常に不完全のまま、開かれている存在である、とした。

 だが現代は、そのような“開かれ”よりも、“完成されたプロダクト”としての自己を目指す。
 彼が批判した「技術による世界把握(ゲシュテル)」は、現代の成長主義そのものである。


 ナチズムの夢と破滅

 ナチス・ドイツが求めたのは、「完成された国家」であり「純化された共同体」であり「強化された人間」であった。ニーチェの思想を恐らくは恣意的に誤読し、超人思想を民族優越主義に置き換えた。技術を信仰し、「フォルクスワーゲン(人民の車)」で未来社会を夢想した。フェルディナンド・ポルシェのエンジニアリングは、戦争と機械の神話を支えた。

 だが、「完成」は常に排除と破壊を伴う。完成しないもの、不完全なもの、非効率なもの――それが「敵」とされる。
 そして、「完成」されようとした国家は、もっとも野蛮なかたちで崩壊する


 成長の終点と、ポスト成長の倫理

 いま、われわれは「成長し続けることが前提である社会」の限界を目撃している。気候危機、格差拡大、精神の空洞化――どれも「過剰な最適化」の帰結だ。
 では、脱成長は可能か? 「問いの復権」は可能か?

 バタイユが述べたように、「無駄」「非生産」「蕩尽」こそ、人間的な営みである。
 イヴァン・イリイチが描いたように、道具が人間に奉仕する社会から、人間が道具に奉仕する社会への転落に抗う必要がある。
 ハイデガーが言ったように われわれはただ、なおも問う者としてのみ、存在の真理に近づける。


 いま必要なのは、「完成すること」でも「成長しきること」でもなく、未完のまま、関わり続ける勇気でなないか。生きるとは、「なにかになること」ではなく、「問い続けること」「揺らぎつづけること」ではないだろうか?

 成長とは、人間を測る単位ではなく、人間が測りきれない何かに出会うための、偶発的な現象であると思う。


2025年6月17日火曜日

存在と鋼鉄3:完成という名の盲目

 

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完成という名の盲目

  「技術とは『問いを持たない完成物』である」という洞察は、現代社会を読み解く中核的な視座であり、マルティン・ハイデガーが『技術への問い』で提示した問題意識にも深く根ざしている。これは単に哲学の話にとどまらず、今日のAI、戦争、日常生活、芸術、政治といった多様な領域にまで貫通する主題である。

 たとえば現代のAI社会では、顔認識システムや信用スコア、自律兵器などが「なぜこの技術が必要なのか」「どのような価値判断に基づいているのか」という倫理的な問いを持たないまま稼働している。技術の内部では、効率化と最適化というロジックが全面化し、問いを発する主体としての人間が次第に無力化されていく。これはまさに「自己目的化された技術」の姿であり、手段が目的へとすり替わる構造である。

 戦争の文脈では、この構造はさらに顕著だ。ナチス・ドイツが開発したV2ロケットから、現代の無人ドローン兵器に至るまで、兵器とは究極の「問いを持たない完成物」である。技術者はその殺傷力や精度にのみ関心を持ち、それがどこで、誰に対して、どのように使用されるかを問うことはない。その結果、倫理的責任はシステムの中に分散し、誰も加害の全体像に直面しないまま、暴力が実行される。

 この「技術の無問い性」は日常生活にも浸透している。スマート冷蔵庫や音声アシスタントといった便利な道具は、私たちの生活を効率化する一方で、「便利とは何か」「便利さによって何が失われるのか」という問いを放棄させる。利便性が日常を覆うほどに、私たちは自分の欲望や行為の根拠を自問しなくなる。

 この構造に対し、芸術はある種の対抗を示す。「完成された作品」ではなく、「問いを残す作品」こそが、鑑賞者との対話を生む。未完成の詩や終わらない旋律、決定を拒む絵画は、技術的完成とは異なる価値――揺らぎ、余白、未決定性――を持っている。それは「完成を拒むことで、問いを開き続ける」営みであり、他者に対して開かれた空間を創出する。

 さらに政治や制度も、完成を目指すとき、同じ危険性を孕む。たとえば「テロ対策法」や「社会的信用制度」などは、正義や安全という名のもとに人間の揺らぎや逸脱を排除し、「問われない管理体制」を形成する。法や制度が完成されるとは、往々にしてそこに人間の多様性を受け入れない硬直性を伴う。

 「問いを忘れた答えは、暴力になる」。この警句は、技術が単なる道具であることを忘れたとき、手段が目的化し、人間の生を管理し定義しようとする危険性を鋭く突いている。問いとは運動であり、完成は停止である。だからこそ、私たちは常に問い続けなければならない。完成された技術の中に潜む「思考の空白」に、倫理と哲学の光を差し込むために。

 技術とは、私たちの暮らしを便利にし、効率を高め、誤差なき判断を代行してくれる「完成されたもの」の象徴として語られがちである。しかし、そこには決定的に欠けているものがある。すなわち「なぜそれを行うのか?」という根源的な問いだ。ハイデガーが喝破したように、技術は単なる中立的手段ではない。それは世界を「資源」として把握し、人間でさえ制御と管理の対象へと還元してしまう装置であり、そこに倫理の余地は乏しい。

 ナチス・ドイツによるホロコーストはその極限的帰結であった。ユダヤ人をガス室に送る列車を運行した駅員は「私はただ時刻表に従っただけだ」と語り、効率的な設計に従事した技術者もまた、問いを持たぬまま機能を最適化した。
この構図は、イスラエルがガザに投下するドローン兵器にも連なっている。精密で効率的な殺戮装置を前に、「誰が敵なのか?」という問いは意図的に排除され、ただ命令と手続きが作動する。かつて被害者だった者が、技術を「完成」させることで新たな加害を行うという倒錯は、現代技術倫理の断絶を示している。

 私たちは「技術は中立である」という幻想を捨てねばならない。顔認識AIは権力構造を映し、検索アルゴリズムは思考を方向づけ、医療AIは命の優先順位を決める。民主主義ですら、技術によって「制度」として自動化されるとき、本質的な問いよりも効率が支配する。だが、問いを持つこと、完成を拒むことこそが倫理の出発点だ。あらかじめ与えられた「完成形」に沈黙するのではなく、「なぜ?」と問う声こそが、私たちがなお人間であることの証なのである。




2025年6月16日月曜日

存在と鋼鉄2:被害者性の変容とナチズム批判の行方

 


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被害者性の変容とナチズム批判の行方

 ナチズムは、20世紀における絶対悪の象徴として語られてきた。人種差別を国家理念に据え、全体主義体制のもとで言論・思想の自由を封じ、さらにはホロコーストという前代未聞の「産業的殺戮」を実行したこの体制は、人間の尊厳そのものを踏みにじる試みとして、倫理的に断罪されてきた。ゆえに「ナチズム批判」は、現代社会において普遍的な道徳的基準の一つと見なされ、疑いようのない正義として受け止められてきたのである。

 しかし、21世紀に入り、ナチズム批判の在り方そのものが静かに揺らぎつつある。それは、単に歴史認識が変化したというよりも、「被害者」という存在に内在する複雑さが可視化され始めたからだ。かつてナチスの犠牲となったユダヤ人たちの一部が築いた国家・イスラエルが、今日のパレスチナ、特にガザ地区において行使している武力や封鎖政策に対して、国際社会から非難の声が上がっている。「被害者であったはずの者が、なぜ加害に手を染めるのか?」という問いは、あらゆる単純化された善悪の図式を崩壊させる。

 ここで重要なのは、「イスラエル=ナチス」という短絡的な等式を結ぶことではなく、むしろこの構造が私たちの倫理感覚に突きつけてくる、より深い命題である。すなわち、「被害者は、常に純粋で無垢な存在なのか?」「加害性は、一度も被害を受けたことのない者のみに宿るのか?」という人間性の根源にかかわる問題である。被害者が被害者であるがゆえに無条件に道徳的優位に立つという想定は、現実の歴史や政治の中でたやすく崩れる。むしろ、その想定こそが、新たな加害性を不可視化してしまう温床にもなりうる。

 こうした視点に立つとき、ナチズム批判とは「過去の悪」を糾弾することにとどまらず、常に現在の権力構造を問い直し、倫理的に自分たちの姿を照らし返す営みでなければならない。そのようにして初めて、歴史の教訓は生きたものとなる。

被害者性と道徳的特権

 近代以降の倫理的言説において、「被害者」はしばしば絶対的な道徳的優位に立つ存在とされてきた。特にホロコーストの記憶は、単なる歴史的事件を超え、文明批判の鋭利な刃として、あらゆる形の全体主義や人種主義を糾弾する道徳的な錨として機能してきた。それは「人間が他者を手段としてのみ扱ったとき、いかなる悲劇が起こるのか」という問いを我々に突きつけ続けた。しかし、その「被害者性」が時間とともに「道徳的特権」へと変容し、絶えず免責される主体となったとき、我々はそこにある構造的な盲点を見落としてはならない。

 国家としてのイスラエルが、封鎖、入植、空爆といった手段を用い、パレスチナ人に対して暴力的な支配構造を継続している現実の前で、「被害者だからこそ正しい」という図式は、倫理的にも政治的にも持続可能ではない。かつてナチズムが非難されたのは、それが「民族の名において、他者の生存の権利を体系的に否定した」からであり、それはユダヤ人が被害者であったから特別だったのではなく、誰であっても犯してはならない罪だったからである。

 にもかかわらず、イスラエルがその建国の正統性を「被害者としての記憶」に強く依拠し続けることで、加害の現実が見えにくくなっている。そのことが、ナチズム批判という営みの意味そのものを変質させてしまいかねない。被害者であったことは歴史的事実であり、癒されるべき苦しみであるが、それは永遠に倫理的免責の盾として使えるものではない。

 むしろ我々が学ぶべきは、「被害者であっても加害者になりうる」という人間存在の両義性である。そしてこの両義性こそが、近代以降の人権思想や民主主義が向き合ってきた根源的な課題である。道徳的優位にあるからこそ、自らが行使する暴力に対して敏感でなければならない。それを怠ったとき、「かつての被害者」が「新たな加害者」となり、記憶が倫理から逸脱する危険がある。ゆえにナチズム批判は、他者を裁くための道具ではなく、自らの倫理的盲点を問い続けるための鏡であり続けるべきなのだ。


ハイデガー的視点からの補助線

 マルティン・ハイデガーは、ナチズムとの関わりゆえに多くの批判を受けながらも、20世紀最大の存在論的思想家の一人とされる。彼の哲学の中心には、「存在の問い」がある。すなわち、我々が日常的に使う「存在」という言葉をあらためて問い直し、あらゆる事象や人間の在り方を「存在するとはどういうことか?」という原点に立ち返って見つめ直す試みである。彼にとって、近代の危機とは、まさにこの「存在の忘却」=存在の意味が忘れ去られ、すべてのものが「計算可能な資源」「管理対象」としてのみ捉えられてしまうことにあった。

 この視点から見ると、ハイデガーの思想は、ナチズム批判を超えて、現代の政治的・軍事的暴力に対する深い警鐘ともなりうる。たとえば、現在ガザで行われているような大規模な空爆や包囲政策において、市民の命が「統計的リスク」や「敵性要素」としてのみ処理されているとしたら、それはまさにハイデガーの批判した「技術的暴力」の最たるものである。爆撃対象は、もはや「顔を持った他者」ではなく、「戦略的コスト」「軍事的達成度」の数値に変換されている。

 ハイデガーが警告したのは、技術の進展そのものではなく、それが人間の思考や倫理の基準までも技術的合理性に従わせてしまう構造である。つまり、「この方法が効率的だ」「この行動が国家目標に資する」という理由が、そのまま「正しさ」と見なされてしまうような思考停止のことである。ガザの現状は、まさにこの技術的合理性が「他者の生」に関する判断をも支配してしまっている例であり、ハイデガー的に言えば、それは人間存在の深い危機である。

 さらに彼は、「現代の人間は、もはや自らの存在の意味を問わなくなった」と語った。これは、我々が他者の苦しみや死に対して、数値や映像で把握しながらも、それを「経験」することなく通り過ぎてしまう現代人の姿に重なる。スクリーン越しの暴力は匿名化され、我々の倫理的感受性は鈍麻していく。その中で、暴力は見えなくなり、問いもまた失われていく。

 こうした状況において、ハイデガーの哲学は、過去の政治的過ちを検証するためだけでなく、いまこの瞬間に加担しつつある構造的暴力を問うための、鋭い存在論的補助線となりうるのである。


ヘーゲルとナチス

 ついでと言っては何だが、ヘーゲルの思想とナチスについても触れておく。ナチス・ドイツが目指した国家像に、「ヘーゲル的なもの」が反映されていたのか――これは20世紀思想史における根深い問いである。結論から言えば、ナチスが目指した国家は、厳密な意味でのヘーゲル国家ではない。だが、ヘーゲルの哲学から恣意的に抽出された「国家至上主義」や「歴史の目的論的構造」は、ナチズムを正当化する装置として用いられた節がある。

 ヘーゲルは『法の哲学』で、国家を「倫理の完成された形態」として位置づけた。この国家は、個人の自由を保障しつつ、自由の実現を制度として体現する「理性的な共同体」である。しかしナチスが構想した国家は、自由の保障とは真逆の、民族と国家を絶対視し、個人をその手段に貶める全体主義体制だった。

 それでも、ナチズムの中には、「歴史の目的に向かって国家が前進する」というような、ヘーゲルの歴史哲学の変奏があった。とくに、国家の意志を歴史の必然として描くレトリックや、「個人より全体が上位にある」という構造は、ヘーゲルの一部を粗雑に引用することで構築された。

 もっとも重要なのは、ヘーゲル自身が、国家を絶対化する危険を認識していたことである。彼にとって国家とは、理性と自由の具体化であり、決して権力そのものを正当化するものではなかった。だがナチスはこの点を意図的に捨象し、国家や民族の名のもとにすべてを統合しようとした。

 要するに、ナチスが構想した国家は、ヘーゲル哲学の正統な継承ではなく、むしろその悪しき模倣であり、国家と歴史に関する哲学的伝統の「暴力的盗用」であったと言えるだろう。

 ナチズムによる国家至上主義の暴走のあと、ヨーロッパ思想界は「ヘーゲル的なもの」の解釈と再定位に迫られることとなった。なぜなら、ナチズムを正当化する文脈の中に、国家や歴史の必然性といった、ヘーゲル哲学の要素が都合よく摘出されていたからである。この流れの中で、複数の思想家たちが、ヘーゲルとその「近代的主体性」の問題をめぐって、まったく異なる態度を取るようになった。

 まずマルティン・ハイデガーは、ヘーゲル的弁証法=「自己意識の完成」や「歴史の総体性」を、存在論的な忘却の最たるものと見なした。彼にとって、近代哲学(とりわけヘーゲル)は「存在の問い」を「主体の思考」に還元してしまった誤謬の典型であり、ナチズムのように「技術と国家が一体化する世界」を根底で支える思想の系譜と位置付けた。その上で、ハイデガーは国家ではなく、詩や言葉を通じた「思索的生」の回復を志向した。

 一方、アレクサンドル・コジェーヴは、ヘーゲルをソビエト共産主義やフランス革命の完成形として読む、非常に挑発的な解釈を展開した。彼の『ヘーゲル読解講義』は、精神の自己完成=「歴史の終わり」というテーゼを打ち出し、個人の自由と国家的秩序が最終的に調和する地点を想定した。その思想は後にフランシス・フクヤマにも影響を与え、「リベラル・デモクラシーこそが歴史の最終形態」とする構図の理論的支柱となった。

 だが、戦後のカール・シュミットのような思想家は、このような「国家=理性の完成形」とするヘーゲル的図式に反発しつつ、それを逆手にとって「例外状態(非常事態)」の思想を構築した。シュミットにとって重要なのは、誰が主権を握るかではなく、「誰が例外を決定するのか」であり、形式的な憲法秩序よりも、敵と味方を区別する「決断」の政治を重視した。この決断主義的リアリズムは、ナチズムへの一部協力という黒歴史を持ちながらも、20世紀末のポスト政治理論に影響を及ぼしていく。

 やがて戦後思想は、ヘーゲルの「全体性の哲学」に対して反抗的な立場をとるようになる。構造主義やポスト構造主義の思想家たちは、ヘーゲル哲学に代表される「歴史の必然性」や「全体性の思想」に対し、強い疑念を抱いた。レヴィ=ストロースは、人間社会や文化を「普遍的な構造」によって読み解こうとしたが、その構造は決して歴史の直線的進歩や精神の完成を意味するものではない。むしろ神話や親族制度の背後にある「無意識的な構造」に注目し、歴史よりも構造の反復に重きを置いた。

 ミシェル・フーコーは、近代の「理性」や「主体」といった概念が、実は権力の装置として機能してきたことを暴いた。彼にとって、歴史は進歩や真理の実現の場ではなく、「知」と「権力」の関係によって編まれたディスコースの変遷である。狂気、監獄、セクシュアリティといった主題を通して、フーコーは「全体的真理」への懐疑を突きつけた。

 ジャック・デリダは、「意味」の安定性そのものを問い直し、「脱構築(ディコンストラクション)」の手法で哲学的伝統の内部にひそむ矛盾を暴き出した。彼の思想では、テキストには常に「差延(ディフェランス)」が働き、決して最終的な意味や統一には到達しない。この姿勢は、ヘーゲル的な「絶対精神」や「弁証法的完成」といった構想とは真逆の立場にある。

 このように、構造主義・ポスト構造主義は、20世紀後半の思想において「歴史の目的化」への根本的な異議申し立てとなったのである。
「ヘーゲル的なもの」は20世紀を通じて、正統な継承・批判的誤読・意図的な捨象・そして構造的な反発といった形で、思想的に大きく揺れ動いていく。その過程は、ナチズムの暴走と、それを可能にした知の構造をめぐる、ヨーロッパ思想界全体の自己省察の軌跡でもある。

 閑話休題。

ナチズム批判の変容とは何か?

 ナチズム批判は、かつては明確に特定の政体――1933年から1945年のドイツ第三帝国――を糾弾する営みだった。それはヒトラー率いる国家社会主義ドイツ労働者党による全体主義、ユダヤ人を中心とした少数派に対する迫害、思想と言論の弾圧、人間を技術的合理性のもとに大量に殺害する政治機構への反省であり、その過ちを二度と繰り返さぬよう記憶するという倫理的責任に基づいていた。

 だが21世紀に入り、ナチズム批判は次第に、単なる歴史的非難にとどまらず、「あらゆる形の脱人間化」に抗う倫理的態度へと変容すべきものとして再定義されつつある。ナチスが行ったことの本質は、特定の民族や人種を「人間として見ない」という点にあった。つまり、暴力の核心にあるのは、他者の顔を見ない態度、「人間性の無視」である。それが人種差別、植民地主義、占領政策、または現代の空爆戦略にまで引き継がれているとするならば、ナチズム批判とは、そのような構造的暴力のすべてに対して向けられるべきなのである。

 この視点から見ると、たとえばガザにおける軍事行動を「それはナチズムとは違う」として免責する言説は、むしろナチズム批判を空洞化させることになる。加害主体が誰であれ、「顔の見えない他者を、管理対象や敵性分子として扱う」構造が再現されているならば、そこには共通の問題構造があるのだ。その構造を見抜き、批判し、倫理的に拒否することこそが、記憶されたナチズム批判を現在へと活かすということではないか。

 ナチズムを過去の“特殊な事件”に閉じ込めてしまうのではなく、その背後にあった「思考停止」「脱人間化の論理」「技術と暴力の結託」を抽出し、今なお繰り返される人間性の否定と闘うためのレンズとすること。ナチズム批判の真価はそこにある。