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2025年9月17日水曜日

「贈与」に至る / 糸口を探す 4 大杉栄の時代にはアンパンマンはいなかった 1


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 大杉栄と言えば、日本におけるアナキズム(無政府主義)の代表的人物だが、「思想体系の創造者」というより「運動家・実践者」的性格が強かった と言える。

 まず、思想的背景として、大杉はヨーロッパ無政府主義思想(クロポトキン、バクーニンなど)やマルクス主義、さらには自然主義文学や個人主義哲学などを幅広く摂取していた。しかしながら「これが大杉栄の一枚岩の体系」といえるものは存在しない。むしろ折衷的で、状況に応じて柔軟に引用・展開していくスタイルだった。

 著作と理論的側面をみるならば、『正義を求める心』『社会的個人主義』など、アナキズムを日本の現実に合わせて紹介・解説した著作は多く残している。特に「社会的個人主義」という概念は、大杉が工夫した一つのキーワードで、「個人の自由」と「社会的連帯」を両立させようとする試みだった。だとしたら、プルードンあたりの原初の無政府主義を志向していたのではないか? しかしこれも一貫した哲学体系というよりは、輸入思想の翻案・橋渡しの役割に近いものだった。

 運動家としての側面はどうだったか? 労働運動・農民運動・大衆運動の現場に深く関わり、雑誌『平民新聞』『労働運動』『近代思想』などを通じて活動を展開した。その生涯は、理論構築よりも「直接行動」や「大衆啓蒙」に重心が置かれており、そこにこそ彼の独自性があった。

 というところで、体系を築いた思想家 というよりは、運動家、活動家だったとみるべきだろう。ただし、無政府主義を「輸入思想の寄せ集め」で終わらせず、「社会的個人主義」として一定の整理を行った点で、部分的に「理論家」としての側面も認められないでもない。


 もし「体系を作った思想家」と比較するなら、例えばクロポトキンが『相互扶助論』で自然科学と社会思想を統合しようとしたのに対し、大杉は「翻訳者・紹介者・活動家」としての役割が強い、と整理できるのではないか?

 大杉栄は 「純粋な翻訳者」ではなく、翻訳しつつ自分の思想や状況解釈を差し込む人物だった。

 翻訳者としては、クロポトキンやバクーニン、マルクスなど、西欧の社会主義・無政府主義の文献を紹介し、日本語で読める形にした功績は大きいといえる。例えばクロポトキンの『パンの略取』など、当時の運動家が直接触れられなかった思想を日本に伝える役割を担っていた。

 そして大杉は、単なる翻訳にとどまらない。
 大杉は訳文に注釈や論評を加えたり、翻訳後に日本社会への適用可能性を論じたりした。彼の「社会的個人主義」という概念は、バクーニンやクロポトキンから影響を受けつつも、大杉自身が「日本の大衆」「農村社会」に即して再構築したものだった。つまり、翻訳を通じて「思想の輸入」+「現地化」を同時にやっていたわけだ。

 則ち、思想家というより媒介者だったのではないか?
 大杉はバクーニンのように「徹底した破壊の理論」を打ち立てたわけではない。またクロポトキンのように科学的な根拠を与える体系を築いたわけでもない。ただ、日本の社会状況を前に、輸入思想を「どう使えるか」という実践的な翻案を行った。その意味では 「翻訳者」以上、「純粋理論家」未満=媒介者・運動知識人 と言えるmpではあるまいか?

 要するに、大杉は「輸入思想の通訳」でもあり、「日本向けの実践的アレンジャー」でもあったわけだ。

 
 大杉栄は、無政府主義からマルクス主義までを幅広く摂取しつつ、どちらか一方に純粋に立脚するのではなく、折衷的・媒介的に使っていた 人物だった。

 若い頃はマルクス主義に親近だった。最初は『資本論』を熱心に読み、社会主義者としてマルクス経済学を重視していた。特に「階級闘争」「資本主義の搾取構造」への分析は、大杉の社会批判の基盤になっている。

 やがてアナキズムへ傾斜していくわけだが、しかし、ボリシェヴィキ革命後のソ連を見て、国家権力を握った社会主義の危険(専制化・中央集権化)を強く感じました。そこでクロポトキンらのアナキズムに魅力を見出し、国家や権力を否定する方向にシフトしていったのだ。

 「社会的個人主義」とはなにか?
 大杉は「個人の自由」を大切にしつつ、「社会的連帯」も不可欠と考えた。このため、アナキズム的な「権力否定」と、マルクス主義的な「社会経済分析」を併用しようとした。つまり、思想的には 「マルクス的な分析」+「アナキスト的な価値観」 のハイブリッドだったわけだ。

 右派などからは意外と思われるかもしれないが、徹底した「イズムの党派性」を嫌っていたようだ。大杉は「無政府主義者」や「マルクス主義者」としてラベル付けされることを嫌い、むしろ状況に応じて思想を取り入れ、現実運動に活かすスタンスだった。このため、後世から見ると「体系性に欠ける」と評されがちだが、同時に「日本の運動を前に進める柔軟性」があったとも言える。

 言い換えてみよう。大杉にとっては、マルクス主義とは資本主義分析の道具であり、アナキズムは理想の社会像・倫理の指針で、この両者を併用していたともいえる。

 実際、プルードンあたりの原初の無政府主義は「運動家」の立場からは扱いにくい思想家 だった事だろう。

 プルードンの思想の特徴として、まず、「所有とは盗奪である」というテーゼがある。これは資本主義批判として鮮烈。しかし「所有の全面否定」ではなく「小所有(自営業・手工業的所有)」を肯定していた。
 そして、国家・権力への批判。国家や大規模な中央集権に強く反対していた。この点で、そのため後のアナキストに大きな影響を与えた。それのみでは、大杉もさぞや不本意だったことだろう。

 相互主義(ミューチュアリズム)というものが、統治にの代わりとなる。労働者・小生産者が相互に信用を基盤に経済活動を営むという構想だ。これは協同組合運動や信用組合に影響した。
 では、なぜ、プルードンの思想は運動家から見たら、扱いにくかったか?

 大衆運動への即応性が乏しい世言うことがまず考えられる。プルードンは労働者階級の「小生産者」と「自営的職人」を理想化しており、巨大工場での労働運動には必ずしも親和的ではない。19世紀後半以降の労働運動(組合・ストライキ)にはバクーニンやマルクスの方が直接的に武器になった。
 これは革命より漸進改革寄りだったためだ。プルードンは「暴力革命」に懐疑的で、信用制度や協同組合を通じた社会変革を志向していた。直接行動を重視する大杉栄のような運動家には力不足に見えたことだろう。
 則ち、理論的には面白いが実践が難しいといえるかもしれない。プルードンの「相互主義」は、実際には大規模資本主義や国家権力に押し潰されやすい。従って、運動戦略としては「使える部分が限定的」だった。

 大杉はプルードンも読んでいたと思われるが、彼の著作や活動を見る限り「クロポトキンやバクーニン」の方を前面に押し出していた。つまり「プルードン=思想史的に重要だが、運動現場で使うにはやや不向き」という評価だったと思われる。
 プルードンは 思想史の基礎石(アナキズムの原点)として大事だった。しかし、社会運動の即効薬 にはならず、むしろ「古典的な参照点」に留まったのだろう。


 プルードンの相互主義とは、ご近所の町内自治会の穏やかな連合みたいなもんなのだろう。 「町内会・生協・信用組合の連合体」みたいな社会構想のように思えてならない。
 それは、小規模な生産者(職人、農民、自営業)が「相互契約」に基づいて協力するするもので、信用制度や相互扶助で資金や労働を融通し合う仕組みだ。
 ここで、国家や大企業のような大きな権力は必要なく、あくまで「横のつながり」で秩序ができる、という、「無政府主義」と言う言葉が出てくれわけだ。
 言ってしまえば、江戸の講や寄合、戦後日本の農協や自治会のネットワークに近い。革命的な「ドンパチ」ではなく、暮らしの中から秩序を積み上げていくモデルである。

 革命を掲げる運動家(大杉など)にとっては、プルードン的な「自治会の積み重ね」は力強さに欠けて見えたことだろう。資本主義や国家権力に正面から対抗するには、バクーニン的な「直接行動」やマルクス的な「階級闘争」のほうが実践的に思える。だから大杉は「思想史的には大事」と認めつつも、運動戦略としては前に出さなかったのだろうな。

 まとめるならば、 「プルードンは近所づきあいを理想化した哲学者」 「大杉は街頭でマイク握ってる活動家」
 ぐらいの差がある、と整理できそうだ。
 とか言いながら、実は大杉の人となりをあまりよく知らない。あの頃のインテリはどうしてそのような方向に向かったんだろうかとも思ったりする?
 大杉栄を含め、大正期の「インテリ」がなぜアナキズムやマルクス主義といった急進思想に向かったのか――これは当時の社会状況と「インテリ層の生まれた位置」を見ていくと腑に落ちる部分があるように思う。

 明治後期〜大正期の社会状況として、まず急速な近代化と格差がうまれたことがある。日本は富国強兵と産業化を推し進めたが、都市には過酷な労働条件の労働者が溢れ、農村は貧困に苦しんでいた。
 自由民権運動の残響もあったことだろう。明治の初期に「人民の自由」を訴えた運動が潰されて以降、民衆の政治参加は制限され続けていた。それに加え、国家の強権性、則ち大逆事件(1910)のように、思想弾圧は苛烈。知識人にとって「国家=暴力装置」という意識が強まっていった。

 これが、爆発のための熱が上がっていった原因と考えるならば、燃料はどうだったか?
 インテリ層の出自と「浮遊感」とでもいおうか。多くの急進的インテリは、地方の中下層出身(地主の次男三男、農村の秀才)だったらしい。学歴を手にして都市に出るけれども、上層のエリートにはなれず、また農村共同体にも戻れない。つまり 「自分の居場所がない」浮遊感 を抱えやすかったわけだ。この「浮遊するインテリ」が、自分の存在意義を社会運動や思想闘争に見いだしたのだろう。

 それならばなぜアナキズムやマルクス主義にむかっていったのか?
 アナキズムの魅力はなんだったか?
 国家権力に対する鋭い否定は魅惑的だったのだろうな。個人の自由を強調する倫理的な響きもあったことだろう。
 大杉が惹かれたのは、ここに「道徳的正義」と「行動主義」が重なったからのような気がする。

 マルクス主義の魅力は何だったか?
 社会構造を科学的に説明する理論的な力があった。それまでそういうものはなかった。階級闘争という「大きな物語」が、自分たちの不安定な立場に位置づけを与えてくれたようなきがしていたのだろう。

 アナキズム、マルキシズム、共通していたのは「現状を変えられる力」への渇望だ。ただ文筆にとどまるのではなく、「現実を動かす」ことができる思想が欲しかった。

 インテリの心理的背景も見ておこう。「学問や文学で食えるのか?」という不安、これは今でも、っていうか現在こそ強いかもしれない。「自分の知識を何のために使うのか?」という問いが、自らを苛む。権力に取り込まれて安定を得るか、民衆と共に立つか――その分岐で、多くは急進思想に惹かれていったのだろう。


 

2025年9月16日火曜日

「贈与」に至る / 糸口を探す 3 アンパンマンとアセファル

 

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 うっかりしていたが、アンパンマンはアセファルそのものなんじゃないか、と、ふと思い立った。等と書いたところで、バタイユ、誰それ?な方々には、ましてアセファルなどと言うものがなんであるかご存じないだろう。
 上手く伝わるかわからないが、ざっと説明すると、 バタイユが「アセファル」と名付けてつくった秘密結社は、実際に1936年から1939年ごろまで活動していた。結構史料も断片的で、想像力で補わなくてはいけない部分も多い気がするが、大事なのは、そう言う材料で今のオレが何を考えるか、と割り切ることにする。

 設立者は、書いてのとおり、ジョルジュ・バタイユ。活動時期は、936年頃〜第二次世界大戦直前ごろとされる。まぁ、かなり短い期間だったみたいだ。
 メンバーとしては、作家で思想家のピエール・クロソウスキー(作家・思想家)、社会学者のロジェ・カイヨワ(社会学者)、哲学者ジャン・ピエール・デュポワなどがいたそうな。すまん。この中では、不勉強故ジャン・ピエール・デュポワの名前しか聞いたことがない。ほかにもぼちぼちいたようだ。
 目的・理念みたいなものはなんだったか? ナチズムやスターリニズムといった全体主義が台頭する中、国家や理性中心主義に依存しない共同体を模索するというのが旨だったらしい。 「頭(理性・権威)を持たない人間=アセファル」を象徴とし、死・犠牲・聖性・生のエネルギーを直視できる共同体を目指した。バタイユは「人は神を殺した(ニーチェ)が、まだ国家や理性の偶像に囚われている」と考え、その外に出る実験をしていたようだ。
 実際の活動としては、定期的な集会を開くとかね。森などでの儀式的な集まりもあったとのこと。バタイユが描いた「アセファル像」(首を持たず、心臓に太陽を抱えた人間)のイメージをシンボルとして掲げた。文献的な研究というよりも、共同体的・儀式的な実践を重んじた。

 「人間は死と犠牲の中でしか本当に生を感じられない」という思想を共有。

 バタイユは本気で「人間の生贄の儀式」をやろうとしていた、と伝えられているから、物々しい。実際にメンバーから「自分が犠牲になってもよい」と申し出る者もいるような、変態さんたちの集まりだった。もっとも最終的には実行されなかったって、そりゃそうだよね。やってたら後世に猟奇カルトとして名をはせることになってただろう。現実的な限界と倫理的な抵抗があった。当然ながら。
 結社自体は短期間で消滅したが、その精神はバタイユの著作や思想的ネットワークに受け継がれたとされる。
 一言で言うなら、理性や国家を超えて、死と犠牲を真正面から受け止める共同体をつくろうとした、半ば実験的・儀式的な秘密結社だった。

 そもそもアセファルとは、ジョルジュ・バタイユが考えた「人間のあり方の象徴」だ。「頭がない人間」という字義どおりのイメージから出発している。繰り返すが、頭は、理性、秩序、権威、国家の象徴であり、従って「頭がない」とは、そういうものから自由になった存在であるとする。
 理性や秩序を超えた、人間の本能や生の力を表す。「考えるな、感じろ」って、ブルース・リーみたいなことをおっしゃる。計算ではなく、衝動や欲望や犠牲のエネルギーこそが大事なのだ。
 それは、死や犠牲と切り離せない存在だ。人は生きるために食べ、他者に与えるために自らを削る。その「生と死の混ざり合い」を直視する姿こそがこの活動の肝となる。

 つまりアセファルは、「理性や社会のルールの外側で、もっとむき出しの生と死を生きている人間像」とでも言えばいいか?怖さもあるけど、逆に人間の本当の力を示しているとも言える。


 んで、なんで、アンパンマンはアセファルなのか、だが、まぁ、何となくわかっていただけるか?

 アセファルは「頭をもたない人間」として、理性・秩序・国家的権威から切断された存在を意味した。アンパンマンもまた「顔(頭部)」が取り替え可能であり、頭は自己同一性の中心ではなく、むしろ欠落・交換・犠牲の場だ。
 アンパンマンは自分の顔(=パン)をちぎって飢えた人に与える。これはまさにバタイユ的な「贈与=浪費=犠牲」の論理そのもの。経済合理性に還元できない純粋な贈与であり、消費されることで彼自身は力を失っていく。
 子どもたちのヒーローとして秩序を守る一方、自分の頭が交換可能であることによって、人格やアイデンティティの一貫性を欠いている。つまり、秩序の守護者でありつつ、アセファル的な「首なし=逸脱性」も内包する。言い換えるならば共同体の中心でありながら、外部性を孕む。
 顔=食べ物=死と生の往還と捉えてみる。バタイユがアセファルを通じて「死と生の根源的な関係」を問題にしたのと同じく、アンパンマンは「自分の死=消耗」と「他者の生=栄養」を同時に体現する存在だ。
 要するに、アンパンマンは「秩序を守る子ども向けヒーロー」の皮をかぶった、かなりラディカルなアセファル的存在、とも言えるんじゃなかろうか?


 そう考えると、初期のアンパンマンが子供たちに受け入れられなかったこともなんとなく理解できる。やなせたかし氏の初期アンパンマンって、今みんなが知っている「正義の味方」像とはずいぶん違っていた。顔をちぎって人にあげることは、そのまま自己犠牲の象徴なんだがそれはどういうことか?ヒーローっぽい勧善懲悪ではなく、ただ「飢えた人を助ける」だけ。だから敵を倒すカタルシスよりも、むしろ「自分を削る痛々しさ」が前面に出ていた。
 これは、バタイユ的に言えば、消費や浪費の恐怖を直視させるものだ。子供が直感的にそこに「不気味さ」を感じてもおかしくない。アンパンマンは「与える=死ぬ」という無意識の構造を背負っているから、単純に「かっこいい!」「強い!」という安心感にはならないのだ、決して。まぁ、時代が進むにつれてアニメ化され、デザインが丸くなり、バイキンマンとの勧善懲悪の枠組みに乗せられた。すると、怖さやアセファル性が子どもに直接届かなくなり、むしろ「わかりやすい正義の味方」として受け入れられるようになったんだが。
 要するに、初期の拒否反応は、アンパンマンの「アセファル的な不気味さ」に対する自然な反応とも読める。

 しかし、後にどう変容しようと、初期のものがあるからアンパンマンだと思う。
 後期の「正義の味方・アンパンマン」って、もちろん大衆的な支持を得て国民的ヒーローになったけど、それだけだと単なる子ども向けキャラで終わっていたかもしれぬ。でも、初期のアンパンマンが持っていた「自己犠牲=食と死の循環」の不気味さがあるからこそ、作品全体に独特の深みが宿っている。
 言い換えるならば、初期のアンパンマンは「アセファル的な核」であり、後期のアンパンマンは「社会に受け入れられるための表層」だった。
 両者が重なっているからこそ、「ただのキャラ」じゃなくて「時代を超えて生き残る存在」になっているんじゃないか、と。
 つまり、いくら勧善懲悪に馴化されても、底には「自分を削って他者に与える」っていうラディカルな贈与の論理が流れている。だから、どの時代のアンパンマンを見ても、子どもたちは無意識にそこを感じ取ってるんだと思う。

 バタイユが「アセファル」に込めたのは、秩序や理性から切り離された、もっと原始的で、恐ろしくも人間らしい核だった。アンパンマンの初期像は、まさにその核が子供向けキャラクターの皮膚から透けてしまっていたもの、と読める。
 アンパンマンは実際に「自分をちぎって他者に与える」という“擬似的な生贄”を日常的にやっているわけで、バタイユが夢見た共同体的な儀式を、子ども向けアニメが無意識に実装している、という対比になる。
 もうね、やなせたかし氏、バタイユ読んでたんじゃないかと思うほど。もちろん史実的に「やなせたかしがバタイユを読んでいた」という証拠は見つかってないが、両者の発想には不気味なほどの共鳴点がある。
 共鳴するポイントとして、まず、言うまでもなく、自己犠牲=贈与がある。バタイユは、「生は浪費されることで聖性に触れる」とし、やなせ氏は「正義とは他人のために自分を犠牲にすること」とした。
 食べる/食べられるの循環は大事なポイントだ。バタイユの主張での犠牲祭儀における「食と死の共同体」は、アンパンマンの自分の顔(パン)を与えて他者が生き延びることにそのまま当てはまる。
 理性よりも“むき出しの生”というか、理性というものの二の次観、ぱねぇ。アセファルつまり、頭を欠いた人間なんて、理性のひとかけらも観られないが、アンパンマンは、顔(頭部)は常に交換され、同一性の中心ではない者としてそれを再現する。

 共同体はどうだろう?バタイユにおいては死と犠牲を共有する小さな結社だったが、アンパンマンではパンを与えることで共同体=仲間がつながる、という形になる。

 やなせ氏は戦中・戦後を通じて「飢え」を直に経験し、その経験がアンパンマンの原点になった、と自ら語っている。つまり彼は、理論としてではなく、生活の中で「食と死と贈与」の切実さを体感していた。だからこそ、バタイユが哲学・宗教・神話を通じて辿りついた「アセファル的直観」と、やなせの“生活から滲み出た直観”が、結果的に重なっているところが何とも面白い。
 ジョルジュ・バタイユは、1897年9月10日生まれ、1962年7月8日没。やなせたかし氏は、1919年2月6日生まれ、2013年10月13日没。まぁ、朝ドラを見ての事だけど、やなせ氏、多分バタイユは読んではいないだろう。しかし、ここまでの相似を見せるのは、経済社会の形、戦争の形というのものが、極限近くに来てしまった故の必然ではないかとふと思った。
 バタイユとやなせ氏、出自も立場も違うのに「自己犠牲」「死と生の循環」に同じように触れざるを得なかったのは、やはり 経済社会と戦争によって極限状況に押し出された必然とはいえはしないだろうか?
 バタイユの身に降りかかったのは、ヨーロッパの危機だった。第一次大戦後の荒廃、資本主義の限界、ナチズムの台頭、等々。経済合理性や国家権力では説明できない「人間の根源的な生と死」を直視せざるを得なかった。だから、アセファル結社で全体主義にも資本主義にも回収されない「死と犠牲の共同体」を模索のだろう。社会の極限が思想を押し出した形といえる。
 朝ドラを見ておられた方々には言うまでもない。やなせたかし氏の場合は、一も二もなく飢えと戦争体験がそれにあたる。一応書いておくが中国戦線に従軍、敗戦後は極度の食糧難を経験し、そのときの「一切れのパンが命を救う」という切実さがアンパンマンの発想に直結した。戦後の高度成長の中でも、「飢えや貧しさに苦しむ人がいる現実」を見続けた。だからこそ「正義=自己犠牲」という定義を揺るがさなかった。

 共通する点を考えてみよう。それは、極限状況に触れた人間は、与える/犠牲になるという次元でしか他者と繋がれないという直観だろう。「合理性・秩序・経済」が極限に来ると、必ずその外に「アセファル的なもの」「アンパンマン的なもの」が現れる。
 つまり両者の一致は、単なる偶然のシンクロではなく、20世紀という極限の時代が必然的に生み出した応答と見るのが自然じゃないか?


 まぁ、それでも、いざ実践しようとすると、アイデンティティというものが、途端に不安定に感じられるようになってしまいそうだ。人間が「与える=犠牲になる」「生と死を直接扱う」ことに踏み込むと、アイデンティティの安定感が一気に揺らいでしまう。
 いくつか、理由っぽいものを考えるならば、一つ目に、自己の境界が溶けることを挙げてみる。自分を削って他者に与えるという行為は、文字通り「自分の一部を失う」ことだ。その瞬間、自己同一性の中心が揺らぎ、頭で考える「自分らしさ」では補えなくなってしまう。
 理性、秩序に依存できないという事も有り得る。バタイユ的には、理性や社会の秩序は「頭=中心」を維持するための装置だが、アセファル的行為では、頭(理性)はあてにならない。従って、自分が誰であるか、何を基準に動くかが曖昧になる。
 だから共同体の規範との摩擦も起きる。周囲の期待や社会のルールは「安定したアイデンティティ」を前提にしている。無条件に与える行為や犠牲は、その枠組みを外れるため、孤独感や疎外感を伴いやすい。

 逆に言うならば、この不安定さを耐え抜いた人間こそ、バタイユがいう「アセファル的人間」であり、やなせの描いたアンパンマン的存在でもある。そして、不安定さそのものが、深い生の実感=自己を超えた与える力の証明になる。

 ねぇ、今度は人類補完計画?って展開にもなるのだが、エヴァの人類補完計画は、個々の人間の隔たりや孤独をなくし、全人類をひとつの存在にまとめようとする壮大な試みだった。結果として、個人のアイデンティティは溶けてしまう。
 アセファル的、アンパンマン的行為というのは、個々が与える或いは犠牲になることで、他者との関係や生の深みを実感する。確かにアイデンティティは揺らぐが、完全に消えるわけではない。与えることと失うことを体験しながら、なお自分として生き続けるわけだ。
 つまり、似ているのは個の境界が揺れる点ですが、決定的に違うのは「消えるかどうか」。アイデンティティが揺れる瞬間はあるけれど、完全な消失ではなく、むしろ生のリアルを知る体験となる。

2025年9月7日日曜日

「贈与」に至る / 糸口を探す 1 ジョルジュ・バタイユ、TZ250

 

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 ジョルジュ・バタイユがもし1980年代あたりに元気に活動していたと仮定したら、彼はきっと「モータースポーツ」「単車」「スピード」みたいなものに惹かれたのではないかと思えて仕方ない。

 バタイユの思想には「極限体験」「逸脱」「共同体の陶酔」が根っこにある。したがって、1980年代に元気なら例えばこんな展開が考えられるかもしれぬ。


 F1ブームとの親和性はどうか? セナやプロストが全盛を迎える直前だ。寧ろマンセルとピケが同じチームで丁々発止やってたころ。スピードと死の接近、スポンサー資本の華美さと人間の肉体の限界が交差する場所として、バタイユ的には非常に「エロティック」な場であったことだろう。「消尽(dépense)」なんて、F1マシンの燃料やタイヤに重ねて語りそうだ。


 二輪文化については? 特にヨーロッパのカフェレーサー文化から日本の族車カルチャーまで、暴走や事故を「神聖な瞬間」として描きそうだ。単車の爆音を「共同体的祝祭」として読み替えるわけだ。


 バタイユはおそらく消費社会批判と結びつけることだろう。1980年代は消費資本主義の絶頂期。スポンサーだらけのマシンや、レーサーが広告塔になる姿を「神聖さの堕落」と批判しつつも、同時にそこに「崇高な笑い」を見出すにちがいない。


 絶頂にいた当時の日本との接点があったなら、ホンダNSRやカワサキGPZに夢中になりつつ、走り屋や峠文化を「神聖な浪費」として愛でたかもしれぬ。


 もっと妄想を膨らませると、1980年代のバタイユは「パリ・ダカール・ラリー」に強烈に惹かれた気もする。死のリスク、砂漠という空虚な空間、マシンと人の極限。これ、完全に彼のテーマと重なるように思える。


 バタイユがのめり込むのが単車なら、例えば、市販のTZ250で、サーキットでコケまくりながらも、アマチュアながらレースにのめり込んだりしてな、とか考える。

 市販レーサー、ヤマハTZ250、まさに80年代のプライベーターが血反吐を吐きながら走らせるマシン。いわゆるレーサーレプリカどころじゃない、特にパイプフレームの頃の、なんて、本当に「レースやりたい奴向け」のマシン。公道走行不可、ナンバーも付けられない。サーキット専用。2ストロークで、ピーキーで、パワーバンド外すと一気に失速して、逆に入ったら暴力みたいに吹け上がる。素人が乗れば確実にコケる。いや、上手くてもコケる。F1の華やかさよりずっと「肉体と機械がギリギリでぶつかる場所」って感じがする。


 バタイユがもしそこで生きてたら、こんな風景が浮かぶ。人類の文学史における変態とか、闇の哲学者とか、そういう評価はもう散々されているんだが、ただ机に向かって文字ばっかり打ってた御仁ではなかったようだ。

 転倒と破壊を肯定するだろう。「勝つ」よりも、転倒しながら肉体とマシンを削り取っていくことそのものを「至高の浪費」として捉えるのではないか? ガチ勢にはひょっとしたら迷惑な奴かもしれないが、「レースは死と交わる祝祭だ」とか言いそうだ。


 バタイユの運動神経がどうであったかはよく知らないし、ライダーとして大成したかどうかもわからないが、多分、アマチュアにこだわったに違いない。プロの華やかな舞台より、地方サーキットの埃っぽいパドック、ビール片手にオイル臭の中で仲間と語らう空気を「共同体」として愛したことだろう。その中で「コケる瞬間」を、破局に向かう笑いの爆発として解釈したような気がする。


 TZ250の特性としては、特にアルミフレームの公道用TZRとほぼほぼ同じになる前のものはイメージとして、ピーキーで、パワーバンド狭くて、乗り手を振り落とすような性格だったに違いない。バタイユなら「理性を裏切るマシン」として詩的に讃えそうだ。そして「TZは私を裏切る。だがその裏切りにこそ真実がある」とか書きそう


 そんなバタイユにとって、サーキットは則ち宗教的思想的聖域だったろう。彼にとってサーキットは教会や闘牛場の延長線だ。転倒や事故が供犠になり、消費されるガソリンやタイヤが「神聖な供物」として語られるわけだ。

 


 つまり80年代のバタイユは「プロにはなれないが、サーキットに自分を燃やすアマチュアレーサー」として、身体を削り、笑いながらコケて、その体験を思想の言葉で書き散らす…そんな姿が想像できてしまう。


 オレがこんなことを思ってしまうのも、生前結構ヤバめな秘密結社、「アセファル(首なし人)」なんてのをやってたのを読んだからだ。いや、それをやるなら絶対サーキットで目剥いて走ってただろって思ったわけだ。

 アセファルというのは、ただの読書会じゃなくて、実際に「人身供犠」をガチで検討してたという話まで残ってる、とんでもなものだった。

 で、それを1980年代に当てはめるならば、秘密結社で供犠をやるくらいなら、絶対サーキットで目剥いて走ってただろ」ってね。


 バタイユが言うところの「首なし」と「フルフェイス」なんて、ちょっと通じるものがありすぎだ。アセファルの象徴が「首なしの人間」だった。80年代のフルフェイスヘルメットって、外から顔が見えないし、レーサーのアイデンティティを消してしまう。つまり、ヘルメットとはアセファルの仮面というわけだ。


 今でこそ、がちがちに安全対策がとられているけれど、当時のサーキット(鈴鹿・筑波・SUGOとか)は、事故死が珍しくなかったように記憶している。まぁ、今より多かったとは思う。そして、「死とスピード」が常に背中合わせの空間、共同体的な祝祭場だった。秘密結社での供犠が「サーキットの転倒・死亡事故」に置き換わるわけだ。


 そしてその場で、タイヤを削り、ガソリンを燃やし、エンジンを焼き尽くし、挙げ句の果てにライダーが骨折しても走り続ける。これはまさに「バタイユ的な贈与の極致」だったに違いない。


 バタイユが仲間を集めてたならどうなったか?

 アセファルの仲間たちがもし80年代にいたら、全員でTZ250やNSR250を買って、秘密結社の集会は「筑波サーキットの走行会」になる。「転倒こそ神聖。骨折は通過儀礼」って感じでね。わ~、迷惑。


 想像すると、秘密結社「TZ首なし団」 みたいなのを作って、夜は酒と議論、昼はサーキットで目を剥きながら走る、っていう光景が浮かんだりするわけだ。彼らの議論は夜の酒場で続く。「供犠とは何か」「共同体の陶酔とは何か」――その答えを求めてね。でも昼間は、ツナギ着て、フルフェイスかぶって、TZでコーナー突っ込んでコケる。 転倒は供犠だ。骨折は通過儀礼だ。そうやって彼らは、「哲学」を現実に置き換えてしまう。

 バタイユが本当に求めていたのは、文字の世界に閉じこもることじゃなかったと思う。いつも「越境」とか「逸脱」とか「破局」とか言ってるけど、それって結局は、肉体が壊れる瞬間とか、共同体が笑いながら死に突っ込む瞬間とか、そういう体験のことだった。机上の理屈じゃなくて、実際に骨を折ること、血を見ること。

 だからこそ、もし80年代に生き延びていたら、あの時代の「サーキット文化」に夢中になってたに違いない。

 F1? いや、あれはちょっと違う気がしてくる。

 確かに80年代のF1はセナやプロストが台頭して、死と隣り合わせのスピードを見せてはいたけれど、バタイユにとっては少し「遠い」。華やかすぎるし、スポンサーにがんじがらめだし、そこに「地下」の匂いはない。

 寧ろ地方サーキットのほこりっぽいパドック、雨で濡れたアスファルトに倒れたマシン、それを仲間とガムテで直してまた走る。そういう場こそが「供犠の舞台」としたのではないか?


 夜は酒を飲みながら、転倒の話で笑う。

 「お前のハイサイドは美しかった」

 「ガソリンぶちまけて火が出た瞬間、俺は神を見た」

そうやって笑い合う共同体。それが「首なし人間たち」の1980年代版。


 バタイユはきっと、フルフェイスを「仮面」と呼んだろう。顔を隠すことによって、ライダーは「誰でもない者」になる。アセファルの首なし像がそのまま形を変えて、ここにある。ヘルメットの中で歯を食いしばり、目を剥いてスロットルを開ける。そこに「理性を越えた陶酔」がある。


 もちろん、死ぬ奴も出る。繰り返すが、80年代の二輪レースなんて、今みたいに安全設備が整ってなかった。それを悲劇として悼むんじゃなくて、「供犠が成就した」として讃える。まぁ、狂ってるわな。しかし、これこそ、完全にバタイユ的な共同体のあり方だったように思う。


 現代の目で見たら狂気以外の何物でもない。でも、あの時代のバイク乗りたち、特にレーサーや峠小僧たちは、世間知らずの甘ちゃんなりにも、どこかで「死ぬかも」というのを嗅ぎながら走っていたのではなかったか?その空気に、バタイユがフィットしないわけがない。


 筑波のパドックとかに、青い目のフランス人が混じっていて、ボロボロのツナギに身を包みながら、コーヒー片手に「今日はどこまで越境できるか」なんて呟いているんだ。笑うよな。走り出したら案の定コケて、仲間に引き起こされながら、「ああ、これだ。これこそ供犠だ」なんて呻いてるわけさ


 結局のところ、「秘密結社アセファル」なんて、20世紀前半の暗黒の時代にしか成立し得なかったものというようにも思う。

 でも80年代にその衝動が残っていたら、きっとそれは「サーキットで死ぬまで走る共同体」になっていたはずだ。血とオイルとガソリンと笑い。その中に「神聖さ」を見出して。

 そんなわけで、バタイユさん、もし生きてたら、きっとTZでハイサイドくらって、骨折して、でもニヤニヤしながら松葉杖でパドック歩いてたでしょ? で、その体験をまた「エロティシズム」とか「至高体験」とかに仕立てて、分厚い原稿を書き散らしてたはずだ。



 想像して、ニマニマしてしまうわけです。



 



2025年7月3日木曜日

「贈与」に至る/あらかじめ組み込まれた自壊のプログラム? 3 「成長」という言葉に感じる違和感

  国政選挙が近くなると、何かとってつけたように「成長戦略」なんて言葉を口にする政治家のお歴々がいます。まぁ、今回の選挙は、それすらなく、ひたすら給付金か減税かとかなんとか、即物的なお話に終始しそうで、それどころではないのですが。それはそれで良いのですが、ひところ、特に今回のような目玉争点がない時など、何とかの一つ覚えみたいに「成長戦略」なんだかな、と。

 しかしまぁ、この言葉を聞くたびに、なんというか、成長してるのか? ちゃんとさせてきたのか? させてねぇでしょ? っていうか、もう成長なんて無理でしょ? なんてテレビのこちら側では思ってる。「成長」なんて言葉つかっときゃ、カッコ着くとか思ってない?って。 


 企業活動などで、何と言うかな、ビジネス本、自己啓発本に毒された、というか、最近言われるリスキリングとか、その方面の事も含めて「成長」、個人も会社もその言葉を好んで使う向きが多くて困る。まぁ、オレも年を取ったし、おまけに所帯も持っていなければしたがって養育するべき子供もいない。しかし会社には、まだまだこれからの20代30代40代もいて、子供もいる。頑張らなきゃという熱量は持って然るべき何だろうとは思う。でも、それは、成長を目指すことが最適解なのか? 「成長」志向ドライブに、なんかすごく違和感があったりする。

 「成長」が万能の呪文になってしまった。今、ビジネス書や自己啓発、リスキリング、キャリア設計など、 どこを切っても出てくるキーワードが「成長」。変化に対応するには、成長しろ、だの、現状維持は後退と同じ、だの、企業も人も、常に上を目指せ、だの。
 成長とか努力とか自体は否定はしないけれど、この宗教的圧力って何?


 そもそも、なんで「成長」しなきゃいけないんだ?何のための成長?誰がその尺度を決める?成長して“何か”にならなきゃ、価値はないわけ?
 “何者か”にならなくても、
ただ“在る”だけでいいんじゃないのか?

 確かにさ、子どもを守るためとか、食っていくためとか、キャリアを積むためとかのために成長は必要ですよ、うん。でも、それは“上に向かう成長”でなければならないのか?

たとえば、こんな方向性もある。深まるのも成長、収斂していくのも成長、誰かを育てられるようになるというのも成長だろう。

というのはただの愚痴で、
でも、

 マクロ経済的な、経済「成長」のミニチュア版として個人の「成長」という言葉が使われてるように思う。なんか滑稽とか思っちゃダメ?

 経済「成長」のメタファーとしての「個人の成長」っていうか、現代社会では、 経済成長(GDPの拡大)=善 という価値観が根底にあり、それが「個人の成長」という言葉に転写されて使われている。
 つまり、「経済が右肩上がりであるべきなら、あなた自身も右肩上がりであるべき」というような経済の論理を、人格の論理にまで敷衍する癖がある。

 この流れのなかで、「成長」はどんどん道徳化されていく。

  • 成長=よいこと

  • 成長を止める=怠惰、諦め、停滞

  • 成長したいと思わない=どこか欠けた人

こういう前提のもとで自己啓発書やリスキリングの言説が流布すると、
個人の在り方まで、経済的合理性で判断されるようになる。

 「人間は常に成長すべき」という言葉は、一見前向きだが、それに当てはまらない人を見えないところで排除してしまう側面もある。病気の人、子育てや介護に追われる人、年齢的に体力や集中力が落ちた人、あるいはもう、そんなに頑張りたくないと思っている人、って、ゲッ、全部オレ当てはまるわ。それはそうと、こういう人たちにとって「成長」は、評価の呪縛にもなり得るだろう。


 もっとも、「成長」という言葉そのものが悪いわけじゃない。それが、どんな成長なのか?ということだ。寛容になることも成長だろう。痛みを知ることも成長、美意識や判断力が育つことも成長だ。こういう多様な“成長のかたち”を認めないと、 個人の人生すらも「GDPのミニチュアモデル」にならないか? 

 まぁそっちはいい。

 経済学上の話として、資本主義社会での会社企業、特に今のやたら、株価が~、とか、企業価値が~、とか言う時代には、GDPなどの成長、または株式の配当のために常に利益を出し、しかもその額を段々と増やさなきゃいけなくなってるが、ムリくね?
 そんなの不可能だ、と言ってる、マルクス系以外の経済学者もいるし、それでも、無限の経済成長は有り得ると言ってる人もいる。整理する。

 マルクス経済学系に限らず、「無限の経済成長は現実的でないのでは?」と考えるポスト成長(Post-Growth)派や脱成長(Degrowth)派の経済学者・思想家たちも台頭してきている。

 成長を疑うマル経以外の経済学者、思想家としては以下の通り。

1. ティム・ジャクソン(Tim Jackson)

 著書に『Prosperity Without Growth(成長なき繁栄)』があり、 「GDP成長をやめても、持続可能で豊かな社会は作れる」と提唱している。

 成長を止めたら社会が崩壊する、というのは一種の信仰であり、 それを支えているのは“資本収益率 > 経済成長率”という構造そのものだと指摘している。

2. ケイト・ラワース(Kate Raworth)

 著書『ドーナツ経済学』で、環境と社会の「許容量」の中で経済活動を再設計しようとする。「経済成長」を目的にするのではなく、「人間の基本的欲求と地球の限界のバランス」を重視すべきとする。


3. ニコラ・ジョルジュカラエン(Nicolas Georgescu-Roegen)

 環境経済学・生態経済学の父と呼ばれる存在らしい。経済も物理法則(エントロピー増大の法則)の中にある限り、無限成長など物理的に不可能であると論じた。

4. セルジュ・ラトゥーシュ(Serge Latouche)

 フランスの「脱成長」思想家で、 「富の最大化よりも、幸福やつながりの最大化を」と主張している。


 一方で「無限成長は可能」とする立場の方々。

これもいるにはいる。ただし、こちらにしても、条件つきであることが多いようだ。

1. 内生的成長理論(ポール・ローマーなど)では、成長は「物的資本」だけでなく、「知識・技術革新・人的資本」に依存しており、 イノベーションが続く限り成長は持続可能であるとする理論、とのことだ。尤も、これは「環境負荷」や「資源の有限性」への配慮が甘いという批判も強い。

2. グリーン成長派(OECDや一部の国際機関)は、技術革新と脱炭素に目途が立てば、成長と持続可能性は両立できるという立場だ。
 うん、で、それはいつごろになります?


 現実的には企業が「永続的に利益を伸ばす」のは理論的にも、無理ゲーにも程がある。企業の寿命は歴史的に見ても短い(平均して数十年程度)し、「売上は右肩上がり」「配当も毎年増配」などというのは、市場競争や技術の陳腐化を考えると構造的に不可能なんだが、
 そんなことは、みんなわかってるけど、そうやんなきゃいけない社会風潮が悲劇的。八甲田山やインパールの、死の行軍を思わせる。なのに、株主資本主義の世界ではこれが「当然の期待」とされる。これはもう、経済理論や経営者の見識というより金融市場の自己増殖的な性格に問題があるんじゃないだろうか。

 ざっと浅学なりに知っている各経済思想を整理してみる。

◆思想家・立場別:経済成長へのスタンス比較表

思想家 / 立場

成長は「目的」or「手段」

主張の要点

特徴的な概念

賛同者 / 適用例

アダム・スミス(古典派)

手段(ただし自動的に福祉向上とみなす)

自由市場に任せれば富は自然に分配される

見えざる手、利己心の調和

自由主義経済、英米資本主義の源流

フリードマン(新自由主義)

明確に「目的」

成長こそ自由と繁栄の源泉。国家の介入は最小限に

小さな政府、自由市場

サッチャー、レーガン政権、橋本政権以降の日本

ケインズ

手段

国家が景気調整することで安定的な成長を確保すべき

有効需要、乗数効果

戦後日本の高度成長、ポストコロナの財政出動論

アマルティア・セン

手段

成長ではなく「人間の自由(ケイパビリティ)」が目的

福祉経済学、開発倫理

国連、UNDP、ノーベル賞受賞者

ケイト・ラワース

手段(かつ成長そのものに限界がある)

社会的ニーズと環境限界の間の「ドーナツ」内に収まる経済が理想

ドーナツ経済

アムステルダム市(政策採用)、欧州一部地域

ティム・ジャクソン(脱成長派)

手段(成長は必須でない)

成長なき繁栄は可能。むしろ「ポスト成長」が人間的

Prosperity Without Growth

脱成長運動、欧州グリーン政党

斎藤幸平

手段(むしろ加速する成長は有害)

成長より「コモン(共有資源)」の再構築を

脱成長コミュニズム

若年層リベラル層の支持増、日本共産党の一部発言にも影響

ブータン王国

手段

GDPよりGNH(国民総幸福)が重要

国民総幸福

小国だが先進的なモデルとして国際評価あり




 さて、その辺、日本の現状はどうか? 日本の経済に対する考え方はどうなのか?

 制度面では依然として「成長=正義」の思想が根強いといえる。国家予算、地方交付税、年金制度、企業の評価制度など、あらゆる制度が「経済成長ありき」で設計されている。政策目標も「GDPを○○兆円に」「設備投資増加率」など成長ベースが多数であるようだ。
 しかし、社会の実態としては、成長が鈍化し、人口減・高齢化で「脱成長社会」に近づいている。成長率は1%未満の年がほとんど(実質ゼロ成長国家に近い)であるにもかかわらず、制度や意識は「成長前提」から離れられず、社会のひずみが顕在化しているように思われる。


◎ズレの例:成長前提の幻想と現実のギャップ

項目

現実

成長前提制度とのズレ

少子化

加速度的に進行(出生数75万人割れ)

子育て支援より経済成長への予算配分が優先されがち

地方の衰退

人口減・空洞化

地方創生策も「経済成長」ベースの誘致型が中心で定着せず

環境問題

気候変動・災害増加

成長のためのインフラ整備(道路・リニア等)が矛盾を加速

労働環境

長時間労働・低賃金

成長優先の企業評価が「人件費圧縮」に繋がる

教育・文化

削減傾向、自己責任論強化

成長に直接寄与しない分野とされ後回しに




 いい加減、成長にこだわらず、「地域の幸福」「人的資本」「自然との調和」など、他の評価軸を制度に埋め込む必要がある。これも正直オレ自身がしっくり来ていないが、地域通貨、ベーシックインカム的思想、生活保障付きの社会参加型経済(ケア労働重視)などが、思いつく選択肢としては出てくる。
 成長を前提としない社会、国家運営をするには、政治家諸兄は勿論、オレ自身まだまだ料簡が昭和で、この言葉にしがみついてしまうのだが、なんだが、それではどうにも立ちいかなかった、というのが「失われた30年(やがて40年)」ということではないだろうか?

 なぜ経済成長信仰がこんなに強いのだろう? 思いついたことを列挙する。

①歴史的な成功体験がある。戦後復興と高度成長期、日本(そして西側諸国)は、成長=豊かさ、生活向上、社会安定という「黄金時代」を経験してしまった。ゆえに、政治家も官僚も「成長すればすべて解決できた」時代の記憶から抜け出せない。

②年金・保険・税制など社会制度が「未来は今より大きい経済になる」ことを前提に構築されている。成長が止まるなどと言ってしまうと、制度設計そのものが破綻してしまうため、信仰せざるを得ないのだろう。寧ろ痛々しいか?

③政策の成果や政権の業績を、GDPや雇用者数などで可視化しやすい。つまり 成長は「数字」で表現されやすい。一方で他の指標(幸福度、環境指標、教育の質)は定量化しづらいため、議論や評価に使いにくい。

④企業活動と金融市場、株価、投資、雇用、配当など、すべて「企業が成長し続ける」ことを前提として成立している。逆にいうと、成長をやめた時点で、失業や株価下落などの痛みが先に来る。

⑤ 大衆心理には「成長を止める」と言うと=「貧しくなる」「国が衰退する」と直結するイメージ、いや恐怖が根強い。そして実際はそうではないが、まだ「脱成長=後退・共産主義・没落」と結びつける印象が強く残っている。

 経済を「目的」から「道具」に再定義することで、社会全体の健康度や幸福度が上がる可能性を考えてみるべきだ。まず、「成長を諦める」わけではなく、「そういう言葉を盲信しない」というところから始めないと。