2024年9月21日土曜日
2024年4月27日土曜日
8268 S30Z _54
小学校の時の学校の帰り道だ。
まさか、大人になって仕事の付き合いが出来るとは思わなかったアラタ鉄工、小学生の時はまだ田んぼだった、でも、今から書くことがあった、割とすぐあと、田んぼは埋め立てられ保育園になった。角を曲がれば同級生のスイモンの家の前に行く道を曲がらずにまっすぐ行けばまた田んぼ。で、その次がナカオ製作所。そこから嫁に出た娘さんがピアノの先生で、妹やオレはそのピアノ教室に通った。まぁ、おれは、5年生の秋口から中1の夏までの2年弱だったけど、妹は結構長く通ったかもしれない。そのナカオ製作所は今は無く、工場は無くなり造成されてこじんまりとした戸建てが並んでいる。このあたりでナカオと言えば、今じゃ中心市街地を挟んで西の方にある和菓子屋さんの支店であって、ナカオ製作所をググっても、三重の方とか他所のナカオ製作所は出てくるが、当地にあったナカオ製作所は、どこにも影も形もない。あの工場で何を作っていたのか? 当地の事だから金属関係かな、とは思うが、それも全くわからない。
ある学校帰りのことだ。あ、そうそう、アラタ鉄工やナカオ製作所に行く手前、この時はスーパーだったオタルヤは今でも惣菜屋さんの「おたるや」として営業されているのかどうなのか、看板はかかっている。その前に差し掛かった時だ。
ナカオ製作所の前は、南側から来ればゆるい右カーブ、学校から南に向かえば左カーブになっている。そこを、普段には見かけないクルマが曲がってきた。
折しもお子様たち、特に男の子たちの間ではスーパーカーブーム。自分達の父親の退屈なクルマではなく、なんか、もう現実離れしたクルマにあこがれたものだ。
まぁ、今から思えば、ウチの父の510SSSもなかなかシブいクルマではあったんだがね。
学区内では、もっとウチからは学校を挟んでずっといったあたり、何とかという喫茶店の前、やら、隣の学区、市場の方、やらに、ポルシェの924がとまってるとか何とか。田舎だからその方面のクルマの話はそれっきり。
で、だ、ナカオ製作所の前を曲がってきた、ちょっとこの変じゃ見かけないような、白いクルマだ。遠目に、ポルシェ911かな?とか思った。901ボディの所謂ナローポルシェって呼ばれてるなんて、大人になって知ったけど、この時は、ターボの太いバンパーではなくて、ライトの下に、下瞼のようにウインカーがついていて、細いメッキのバンパーがついてるやつ。それかと思った。
近づいてくる。違った。フェアレディ―Zだった。外車のスーパーカーよりは随分普通で、ちょっとがっかりしたが、反面、この存在感は何なのだろう? すれ違って、学校の前を通り過ぎ走り去っていく所を、振り返って呆けた態で見ながら、そんなことを思っていた。
日本車が、販売数では、ほぼほぼ勝つことできて、性能面でそういう車を凌駕する、ちょっと前の話だ。
2024年3月11日月曜日
8243 高岡 長慶寺 2018年7月
今から13年経てばオレも70になっている。ちょっとゾッとした。
名取川? どこ? 女優の名取裕子氏の顔が、別にファンではないけれど思い浮かんだきり。まぁ、日本国内には間違いないらしい。それにしても、畑の上を船が流されていく津波って、相当なもんだぞ?! しばらく聴いているとどうやらそこは仙台近郊らしい。そっちか!
会社に戻ると社長以下社員一同テレビにかじりついて観ていた。阪神大震災や9.11WTCの事を思い出した。しばらくはテレに等はこれ一色になるのだろう。ひどいことになったものだ、と思っていた。
さて13年前オレがボーリング調査したコンビニだが、今の会社の通勤途中にある。朝、トイレを催すとそこで用を足し、缶コーヒーとタバコを買う、まぁ、普通に利用している。
今年の元旦は、オレんちの事情で、そんなに晴れがましくはない地味な正月ではあったんだが、まぁ、平穏な日常であるはずだった。それを突き破るように地震はきたんだ。13年前も、オレはフツーに仕事していたし、多くの人にとっては何もなければ13年も経てば何をしていたか記憶に無くなってしまうような日常だったはずだ。
2024年2月27日火曜日
8235 雨晴海岸 2023年11月
2024年2月18日日曜日
2024年2月10日土曜日
8212 あの坂の向こうには海が広がる
で橋を渡り、左に曲がる。
ただ不思議な道だと子供心に思っていた。坂を上って下ってを何度か繰り返す。谷筋の川に沿っての道というのはいかにも普通で意識しないが、この道はいくつかの谷筋と低いなりにも段丘地形の尾根筋を串をぶっ刺したように横断する。登って下ってが何となく楽しかった。
昔、空荷の当時としての大型トラックが、此処から港を目指す。荷を積んでいないのだから揺れたってかまわない。伏木港で原料を積んだトラックは今度は一本東側の平坦な道を走って市内の、日本曹達や前述中越パルプなどの工場にその原料を搬入する。出荷はこの逆回りで伏木駅前を通る平坦な道で港にもっていき、軽くなったトラックがこの道を使って高岡の町に戻る、そういうことを意図してこの道は作られたのだと小学校の先生に教わった記憶がある。
2024年2月4日日曜日
8204 高岡 伏木国分 廃墟 2023年11月
伏木から氷見に向かっていく道、伏木国分から雨晴に抜ける、今ではトンネルが通っていて皆そこを通るが、オレが子供の頃はトンネルなんてなく、海沿いの道を通っていた。ほんの少しだけ遠回りだ。今通ってみたら道幅も狭い。
入り口にちょっとだけ値の張る銭湯があるが、他に何があるわけでもない短い区間だが、子供のころから崖に持たれかかるような廃墟が一つだけある。別にこの前の地震で廃墟になったわけではない。子供のころからある廃墟は、記憶が確かではないが一度綺麗に直されたか建て替えられたかして、人が住んでるんだか宿泊施設を営業しているんだかそういう気配があった時期もあったが、脱力するように今ではやはり廃墟なのであった。
廃墟と言ってもおどろおどろしい感じは薄い。少し山の方にもう一つ元病院というシャレにならない廃墟もあったのだが、そこは今や建物は解体され草に覆われてしまい近づくことができない。こちらの廃墟はそんなことなく、只々無様なさまを晒している。
昔、企画もののアダルトビデオで全国を旅して土地の女のコにお願いして、っていうかナンパして、というのがあったのだが、その当地編、この廃墟で撮影してたんじゃないかと思う。海見える廃墟だったし。安く見られたものだなぁ、富山女子! と、なんかさみしい気持ちになった。
昨年の11月の状況。確認に行ったわけではないので分からないが、地震で倒壊の恐れがあるからと、建物前の海の道、ひょっとしたら通行止めになっているかもしれないが、それで困る人は多分いない。
☆
The road from Fushiki to Himi runs from Fushiki Kokubu to Amaharashi.Nowadays, there is a tunnel that everyone passes through, but when I was a child, there were no tunnels and we went along the road along the coast. It's just a little detour. When I passed by now, the road was narrow.
There is a slightly expensive public bath at the entrance, but it's a short section with nothing else going on, but there is one ruin that looks like it's leaning against a cliff from my childhood. It's not like it was ruined by the recent earthquake. I don't remember the ruins that have existed since I was a child, but there was a time when they had been cleaned up or rebuilt, and there were signs that people were living there or that they were operating lodging facilities. It was now in ruins, as if it were debilitating.
Even though it's called a ruin, it doesn't seem scary at all. A little further up the mountain, there was another terrifying ruin, a former hospital, but the building had now been demolished and it was covered in grass, making it impossible to approach. The ruins here are nothing like that, just exposing themselves in a state of disrepair.
About 20 years ago, there was an adult video project in which he traveled all over the country and asked local girls, or rather, picked them up, and I think the local version was filmed in this ruin. . It was a ruin with a view of the sea. That was cheap, Toyama girls! I felt an unbearable feeling.
The situation in November of last year. I didn't go to check, so I don't know, but the beach road in front of the building may have been closed due to the risk of it collapsing in an earthquake, but I don't think anyone would be bothered by that.
2024年1月30日火曜日
8198 高岡 伏木国分 2023年11月
2024年1月28日日曜日
8192 高岡 伏木中央町 2023年11月 _2
2024年1月20日土曜日
8186 高岡 伏木中央町 2023年11月
2023年8月11日金曜日
2023年7月30日日曜日
8005 高岡~宝達志水 2022年7月
2023年7月17日月曜日
T1119 1983年。雑誌で見た油冷エンジンの話
1983年。雑誌で見た油冷エンジンの話
高校の同級生のその彼は、山奥に自宅があるために、高校に通うために、学校の近所の神社の横に下宿していた。親元から離れた自分の城というのは、そのお年頃の青少年にとっては憧れで。
彼との思い出を書くべきなんだろうか? 寧ろ、彼の下宿をお邪魔した後、横の神社、熊野社だったが、あまり手入れされているとは言えない、鬱蒼とした感じが酷く印象に残っている。下宿の前の道はというと、車一台も通れるか通れないかほどの狭さだったが、例えば、それより前、小学校かったのだから、人通りがない道ではなかった。そう。子供の時ぐらいまでは、車が通れなくても立派な道、というのが結構あったんだ。
1983年、84年ころのことだ。彼の部屋で見た雑誌、GOROかなんかだったかな? スズキの油冷エンジンに関する記事が印象に残ってる。ラジエーターで冷やした冷却水をエンジンのウォータージャケットに回す代わりに、大きめのオイルクーラーで少し多めの潤滑油を冷やして、それをエンジンに巡らせる技術について。シリンダー上部のバルブ、中が中空だったか、上からだったか、とにかくそのバルブもオイルを噴射して冷やすんだと。
750㏄にしろ1000㏄にしろ、シリンダー一個当たり、缶ジュース一個分の大きさあるかないかでしょ? でその上の4本のバルブなんてピンセットで摘ままないと、というサイズに・・・って、なんて細かい事を高温下でやってんだ? アホじゃね? と、高校生のオレは思ったものだ。
あと、やはり彼の下宿にあった雑誌で見たのが、国内のF3だかF3000で速いイケメンの鈴木アグリが白赤の宅急便カラーでF1を走るとか走らないとかというスクープ記事。実際それが実現するのは結構後の話ではあるんだが。
実はその彼は、故人である。もっと彼自身のことを書けばいいのだけど、思い出すのは、彼を中心に据えたわけではない、あの時の熊野社の境内の木々のこととか、あの時思ったこととか、そんな事ばかりで、本当に申し訳ない。
あの熊野社のあたり、ちょっと散歩してみようかな。
☆
1983. The story of an oil-cooled engine seen in a magazine
He, a high school classmate, lived in a boarding house next to a shrine near the school to attend high school because his home was deep in the mountains. A castle of his own away from his parent's house is a dream for a young man of that age.
"Should I write about my memories with him?" On the contrary, after I visited his boarding house, I visited Kumano Shrine next to it, but it was not very well maintained. As for the road in front of the boarding house, it was so narrow that even one car could not pass, but for example, there was an elementary school before that, so it was not a road without traffic. yes. Until I was a child, there were quite a few roads that were fine even if cars couldn't pass.
It was around 1983 and 1984. Was it the magazine I saw in his room, GORO or something? The article about Suzuki's oil-cooled engine left an impression on me. Regarding the technology that cools a little more lubricating oil with a large oil cooler and circulates it around the engine instead of sending the cooling water cooled by the radiator to the water jacket of the engine. The valve at the top of the cylinder, whether it was hollow inside or from the top, anyway, that valve is also cooled by injecting oil.
Whether it's 750cc or 1000cc, each cylinder is about the size of a can of juice, isn't it? And the four valves above it are so big that you have to pick them up with tweezers... What are you doing in a high temperature environment? "You're an idiot, aren't you?" That's what I, a high school student, thought.
Also, I saw a scoop article in a magazine in his lodgings about whether or not Aguri Suzuki, a fast and handsome domestic F3 or F3000 driver, would run F1 in red and white courier colors. Actually, it will come later, though.
"Actually, he is deceased." I wish I could write more about him, but what I remember is not about him, but about the trees in the precincts of Kumano Shrine at that time, what I thought at that time, and so on. i am so sorry.
"Let's take a walk around Kumano Shrine."
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1983. L'histoire d'un moteur refroidi par huile vue dans un magazine
Lui, un camarade de classe du lycée, vivait dans une pension à côté d'un sanctuaire près de l'école pour aller au lycée car sa maison était au fond des montagnes.Un château à lui, loin de la maison de ses parents, est le rêve d'un jeune homme de cet âge.
"Dois-je écrire sur mes souvenirs avec lui?" Au contraire, après avoir visité sa pension, j'ai visité le sanctuaire de Kumano à côté, mais il n'était pas très bien entretenu. Quant à la route devant la pension, elle était si étroite que même une voiture ne pouvait pas passer, mais par exemple, il y avait une école primaire avant cela, donc ce n'était pas une route sans circulation. oui. Jusqu'à mon enfance, il y avait pas mal de routes qui étaient bien même si les voitures ne pouvaient pas passer.
C'était vers 1983 et 1984. Était-ce le magazine que j'ai vu dans sa chambre, GORO ou quelque chose comme ça ? L'article sur le moteur refroidi par huile de Suzuki m'a laissé une impression. Concernant la technologie qui refroidit un peu plus l'huile de lubrification avec un gros refroidisseur d'huile et le fait circuler autour du moteur au lieu d'envoyer l'eau de refroidissement refroidie par le radiateur vers la chemise d'eau du moteur en injectant de l'huile.
Qu'il s'agisse de 750cc ou de 1000cc, chaque cylindre a à peu près la taille d'une canette de jus, n'est-ce pas ? Et les quatre soupapes au-dessus sont si grosses qu'il faut les ramasser avec des pincettes... Qu'est-ce que tu fais dans un « Tu es un idiot, n'est-ce pas ? » C'est ce que je pensais, un lycéen.
De plus, j'ai vu un article exclusif dans un magazine dans son logement pour savoir si oui ou non Aguri Suzuki, un pilote domestique rapide et beau de F3 ou de F3000, courrait la F1 dans des couleurs de courrier rouge et blanc.
"En fait, il est décédé." J'aimerais pouvoir écrire plus sur lui, mais ce dont je me souviens n'est pas de lui, mais des arbres dans l'enceinte du sanctuaire de Kumano à ce moment-là, de ce que je pensais à ce moment-là, etc. je suis désolé.
"Promenons-nous dans le sanctuaire de Kumano."
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1983. Die Geschichte eines ölgekühlten Motors aus einer Zeitschrift
Er, ein Klassenkamerad der High School, lebte in einer Pension neben einem Schrein in der Nähe der Schule, um die High School zu besuchen, da sein Zuhause tief in den Bergen lag. Ein eigenes Schloss abseits des Hauses seiner Eltern ist ein Traum für einen jungen Mann dieses Alter.
„Soll ich über meine Erinnerungen mit ihm schreiben?“ Im Gegenteil, nachdem ich seine Pension besucht hatte, besuchte ich den Kumano-Schrein daneben, der jedoch nicht sehr gut gepflegt war. Was die Straße vor der Pension betrifft, sie war so eng, dass nicht einmal ein Auto vorbeikam, aber davor gab es zum Beispiel eine Grundschule, also war es keine Straße ohne Verkehr. Ja. Bis ich ein Kind war, gab es einige Straßen, die sogar in Ordnung waren wenn Autos nicht passieren könnten.
Es war etwa 1983 und 1984. War es die Zeitschrift, die ich in seinem Zimmer gesehen habe, GORO oder so? Der Artikel über den ölgekühlten Motor von Suzuki hat mich beeindruckt. In Bezug auf die Technologie, die mit einem großen Ölkühler etwas mehr Schmieröl kühlt und zirkuliert es um den Motor, anstatt das vom Kühler gekühlte Kühlwasser zum Wassermantel des Motors zu leiten. Durch Einspritzen von Öl.
Egal ob 750er oder 1000er, jeder Zylinder ist etwa so groß wie eine Dose Saft, oder? Und die vier Ventile darüber sind so groß, dass man sie mit einer Pinzette hochheben muss... Was machst du denn in einem „Du bist ein Idiot, nicht wahr?“ Das dachte ich, ein Gymnasiast.
Außerdem habe ich in einer Zeitschrift in seiner Unterkunft einen Schlagzeilenartikel darüber gesehen, ob Aguri Suzuki, ein schneller und gutaussehender inländischer F3- oder F3000-Fahrer, die Formel 1 in den roten und weißen Kurierfarben fahren würde. Eigentlich kommt das aber erst später.
„Eigentlich ist er verstorben.“ Ich wünschte, ich könnte mehr über ihn schreiben, aber woran ich mich erinnere, betrifft nicht ihn, sondern die Bäume im damaligen Gelände des Kumano-Schreins, was ich damals dachte und so weiter es tut mir so leid.
„Lass uns einen Spaziergang um den Kumano-Schrein machen.“
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1983. La historia de un motor refrigerado por aceite visto en una revista
Él, un compañero de secundaria, vivía en una pensión al lado de un santuario cerca de la escuela para asistir a la escuela secundaria porque su casa estaba en lo profundo de las montañas. Un castillo propio lejos de la casa de sus padres es el sueño de un joven de de esa edad.
"¿Debería escribir sobre mis recuerdos con él?" Por el contrario, después de visitar su casa de huéspedes, visité el Santuario Kumano al lado, pero no estaba muy bien mantenido. En cuanto al camino frente a la casa de huéspedes, era tan angosto que ni siquiera un auto podía pasar, pero por ejemplo, había una escuela primaria antes de eso, así que no era un camino sin tráfico. Sí. Hasta que yo era niño, había bastantes caminos que estaban bien incluso si los coches no pudieran pasar.
Fue alrededor de 1983 y 1984. ¿Fue la revista que vi en su cuarto, GORO o algo así?, me impresionó el artículo sobre el motor Suzuki enfriado por aceite, respecto a la tecnología que enfría un poco más el aceite lubricante con un gran enfriador de aceite. y lo hace circular alrededor del motor en lugar de enviar el agua de refrigeración enfriada por el radiador a la camisa de agua del motor inyectando aceite.
Ya sea de 750 cc o de 1000 cc, cada cilindro tiene el tamaño de una lata de jugo, ¿no?, y las cuatro válvulas de arriba son tan grandes que hay que levantarlas con pinzas... ¿Qué haces en un "Eres un idiota, ¿no?" Eso es lo que yo, un estudiante de secundaria, pensé.
Además, vi un artículo de primicia en una revista en su alojamiento sobre si Aguri Suzuki, un piloto nacional rápido y atractivo de F3 o F3000, correría la F1 con los colores de correo rojo y blanco.
"En realidad, ha fallecido." Desearía poder escribir más sobre él, pero lo que recuerdo no es sobre él, sino sobre los árboles en los recintos del Santuario de Kumano en ese momento, lo que pensé en ese momento, etc. Lo siento mucho.
"Vamos a dar un paseo por el Santuario de Kumano".
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1983年,雜誌上看到的油冷發動機的故事
他是一名高中同學,因為家在大山深處,所以住在學校附近神社旁邊的寄宿處上高中。在遠離父母家的地方擁有一座屬於自己的城堡,是一個年輕人的夢想。那個年紀。
“我應該寫寫我和他的回憶嗎?”相反,我參觀了他的寄宿處後,還參觀了旁邊的熊野神社,但維護得不太好。至於寄宿處前面的路,狹窄的連一輛車都無法通過,但是比如說之前有一所小學,所以它並不是一條沒有交通的路。是的。在我小時候,有不少路甚至還可以。如果汽車無法通過。
大概是1983年、1984年左右,是我在他房間裡看到的雜誌《GORO》還是什麼的?關於鈴木油冷發動機的文章給我留下了印象,關於用大型油冷卻器多冷卻一點潤滑油的技術並使其在發動機周圍循環,而不是通過噴射機油將散熱器冷卻的冷卻水送到發動機的水套。
不管是750cc還是1000cc,每個氣缸的大小都和一罐果汁差不多吧?而且上面的四個閥門又大得得用鑷子才能夾起來……你在幹什麼? “你真是個白痴,不是嗎?”這就是我這個高中生的想法。
另外,我在他住處的一本雜誌上看到一篇獨家報導,說鈴木亞久里這位又快又帥的國產F3或F3000車手是否會以紅白快遞色來駕駛F1,不過其實以後會出現。
“其實他已經死了。”我希望能多寫一些關於他的事,但我記得的不是他,而是當時熊野神社境內的樹木,我當時的想法等等。我很抱歉。
“我們去熊野神社散步吧。”
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1983. Historien om en oljekyld motor sett i en tidning
Han, en gymnasieklasskamrat, bodde i ett pensionat bredvid en helgedom nära skolan för att gå gymnasiet eftersom hans hem låg djupt uppe i bergen. Ett eget slott borta från sina föräldrars hus är en dröm för en ung man av den åldern.
”Ska jag skriva om mina minnen med honom?” Tvärtom, efter att jag besökt hans pensionat besökte jag Kumano Shrine bredvid, men det var inte särskilt välskött. Vad gäller vägen framför pensionatet var så smal att inte ens en bil kunde passera men det fanns t.ex en grundskola innan det så det var ingen väg utan trafik ja.. Fram tills jag var barn fanns det ganska många vägar som var bra t.o.m. om bilar inte kunde passera.
Det var runt 1983 och 1984. Var det tidningen jag såg i hans rum, GORO eller något?Artiklen om Suzukis oljekylda motor gjorde intryck på mig.Angående tekniken som kyler lite mer smörjolja med en stor oljekylare och cirkulerar det runt motorn istället för att skicka kylvattnet som kyls av kylaren till motorns vattenmantel genom att spruta in olja.
Oavsett om det är 750cc eller 1000cc, så är varje cylinder ungefär lika stor som en burk juice, eller hur? Och de fyra ventilerna ovanför är så stora att du måste plocka upp dem med en pincett... Vad gör du i en ”Du är en idiot, eller hur?” Det var vad jag, gymnasieelev, tänkte.
Jag såg också en artikel i en tidning i hans logi om huruvida Aguri Suzuki, en snabb och stilig inhemsk F3- eller F3000-förare, skulle köra F1 i röda och vita kurirfärger, men det kommer faktiskt senare.
"Egentligen är han död." Jag önskar att jag kunde skriva mer om honom, men det jag minns handlar inte om honom, utan om träden i området kring Kumano Shrine på den tiden, vad jag tänkte på den tiden osv. jag är så ledsen.
"Låt oss ta en promenad runt Kumano Shrine."
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2023年4月30日日曜日
7910 高岡 千保川 20130429
2023年2月5日日曜日
2022年10月9日日曜日
2022年9月4日日曜日
2022年8月29日月曜日
7541 東へ2(高岡市蓮華寺地内02)& T1011 道の記憶001
2022年8月28日日曜日
7540 東へ1(高岡市蓮華寺地内01)& T1010 見ていたわけではないからわからない。