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2026年4月29日水曜日

小説や、映画、漫画に出てきた、あのバイクやクルマ 3

 The Fast and the Furious X3 Tokyo Drift


9146 Veilside Fortune FD3S _11

Veilside Fortine FD3S
Han (Sung Kang)
The Fast and the Furious X3 Tokyo Drift

 当地出身の柴田理恵氏はハリウッド女優と言えるのかどうか? と、chatGPTに尋ねてみたら、「いや、そりゃ、ムリっしょ」との事だった。あ、やぱし?

 サン・カン氏演じるハンの「Veilside Fortune FD3S」がカッコよかった、以外、かの映画、文字に起こすことがないんですよ。困った。だって、まず、あらすじで言えば、もう王道のハリウッド活劇を踏襲している。「トップ・ガン」の一作目とか「ベストキッズ」あたりとか、いやもっと適切な例がゴロゴロありそうじゃん。
 それとも、現実のものではない、異世界線の「トーキョー」について書くか? いろいろ突っ込みどころが多すぎて、早い内に、ああ、これはこれでこういう世界観ね、と、有無も言わせず観客を巻き込んでいく感じ。

 どっちもそれなりに文字数は行けそうだけど、そうじゃないんだよなぁ。最初の第一作からして、いい意味で雑なB級風味の娯楽に極振り映画で、一つには「サーキットの狼」と同じ、ミニカーぶちまけたような楽しさが魅力だった。
 でも、割と記憶の棚の目立つところに置かれている理由と言うのは、そこじゃないんだ。

 どこだろう。「Veilside Fortune FD3S」から辿っていくことにしようか。
 鮮烈なスカーレットだったドミニク・トレットのFD3Sとは対照的に、ハンのそれは夕焼けのようなオレンジと黒のツートン。Veilsideが本来リリースしたガンメタと黒に近いブルーから、さらに独自の色味に染め上げられたその姿は、シリーズ中に登場する数多の改造車の中でも、ひときわ「コンプリートカー」としての完成度と異物感を放っている。他のクルマが「速さ」や「派手さ」を競う中で、このFDだけは「自分であること」を主張しているように見えた。そして、常にアウェイであることが宿命づけられているようにも。

 ハン・ルーという男もまた、そうだった。 作品世界の時系列では『Tokyo Drift』より前のエピソードで既にドミニクの「family」に加わっていたはずなのに、彼はどこか一歩引いた位置にいた。嫌われてはいない。むしろ好かれている。だが、完全に溶け込んではいない。居心地の悪さを、薄い笑みで誤魔化しているような、そんな距離感。

 終盤で因縁をつけられ、後に味方になるデッカード・ショウ(ジェイソン・ステイサム)や、ドミニクの弟ジェイコブ(ジョン・シナ)も含め、俺がこのシリーズで特に好きなキャラクターたちは、皆どこか「屈託」を抱えている。完璧に「family」の一員になれない者たちだ。
 実はハン・ルーは、ジャスティン・リンとサン・カンが『Better Luck Tomorrow』で生み出したキャラクターだったという。優秀なアジア系アメリカ人の青年が、徐々に社会の枠組みからずれ落ちていく物語。そこで培われた「ずっとアウェイであること」の感覚が、そのまま『Fast & Furious』シリーズに横滑りしてきた。 ハンにとって東京は、二重の意味で異世界だった。
 アメリカ人にとっての異国であると同時に、彼自身にとっても「馴染めない場所」であり続けた。

 Veilside Fortune FD3Sが、東京の街を疾走しながらも、どこか浮いているように見えるのと同じように。 レベッカがハーレーに跨がった瞬間だけ「自分の時間」を生きていたように、ハンもまた、FD3Sのステアリングを握り、夜の東京をドリフトする短い時間の中でだけ、誰の「family」にも属さない、静かな居場所を見つけていたのかもしれない。 完璧に溶け込めない者、常に少しだけアウェイに立っている者——そういう人間の、ささやかな美学と居心地の悪さが、俺は妙に好きらしい。



2024年8月10日土曜日

8423 Presso, NT0077 古代の象の夢なりき 前書き

 

8423 Presso


NT0077 古代の象の夢なりき 前書き

 実はオレは、日本クソゲー史に燦然とその名を轟かす「アンシェントロマン」の制作スタッフだった。制作にかかわったのは1997年の晩秋から初冬の時期から1998年のリリースまで。かれこれ20数年前の話なのだから、時の流れというものには恐れ入る。
 別に黒歴史として意識して封印していたわけではないが、それなりに結構な熱量を込めて仕事をしていたにもかかわらず、出来上がったのがあれですっかりしぼんでしまい、その後、全く別の仕事、地質調査業に足を踏み入れてここまで来たが、ふと、暇なときに、あのクソゲーのストーリー、今のラノベ仕立てにしたらどんなもんだろうとググってみたわけだ。今まで全くググったことがなかったかというと、決してそういうことはなかったのだが、案の定、ちょっと他には類を見ないクソゲー具合が書かれているのみで、そんなもの、制作スタッフの一人として、「うん。知ってる」なことだったので、検索先のページを閉じたのが、もう7,8年前。この前久しぶりに検索かけてみたというわけだ。

 いろいろ権利関係とか、あと、結果的に大失敗だったものを文章にして、ネットに置いておくなどと言うのも、いろいろ面倒を引き起こす可能性はあるが、書いてネットに置いておくと言っても、収益化する方法もわからず、さすがに個人名は書くつもりはないのだから、当時の関係者以外、それがだれであるかはわかるまい。大失敗だからと言って、人死があったわけではなく、重大な法令違反、犯罪行為があったわけでもない。ただ、あの時はチョロかったなぁ、という話。

 何か参照するものがあるわけではない、オレ視点でオレが憶えている事を頼りに書いていく。オレがそう見えていたからと言って、事実誤認もきっとある事だろう。当時の関係者がもし読むことがあって、看過できない誤謬があるならば、連絡いただければ積極的に訂正していきたいと思う。


 画像の、マツダ(ユーノス)・プレッソは、当時オレが乗っていたクルマと同型同色のものである。
同じボディに2LV6エンジンが乗っていたものもあったが、オレのは1.5L直4。パワーは比較すればなかったが、別に不都合はなかったし、軽くて運転して楽しかった。若い時のクルマだ。色んなところに行ったなぁ、と。20万キロ手前で、マフラーが抜け落ち、剰え大通り結構クルマの通りがある時間帯、横から飛び出てきた猫、前後左右に車がいたため避けることもままならず、轢いてしまい、シート越しに伝わった猫の骨を砕いた感触が生々しく、クルマを換えてしまったのだが、ゲームを作っていたころより後の話である。

2022年2月11日金曜日

7337 ND5RC 990S

7337 ND5RC 990S

これで黄色けりゃ、ワルいピカチュウ

 

2021年9月12日日曜日

7083 SA22C_7

 

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 旧8号線沿いの、今は第二地銀の店舗になっているが、それはコンビニエンスストアの居ぬきで、その前は昭和40年代に建てられた鉄骨か鉄筋、多分鉄筋3階建ての建物で、解体される寸前、何が入っていたかはわからないが、昭和50年代、1970年代後半、そこにはマツダのディーラーが入っていた。

 昭和から1990年代初頭、日本車の走行性能と言えば、世界一、であったが、昭和50年代はまだまだ追いつく途上で、おりしも少年たちの間のスーパーカーブーム、日産のL型にしろ、トヨタの2TGにしろ、チューナーたちが頑張っていたけれど、やはりそこはメーカーが頑張ってもらわらないと、という状況で、で、マツダの12A。ま、がんばれがんばれ、といった感じだった。

 当時、小学生でエンジンの型式なんか知ってる奴なんていない。12気筒が偉い。8気筒もなかなか、ぐらいの知識。国産車はせいぜい6気筒が上限。そんなことより、パッカン・ライトである。リトラクタブル・ヘッドライトの事だが、日本車ではあまり見られない、点灯時せりあがってくるライト。これは、もう少年たちには憧れのアイコンで、目ざとい自転車メーカーが少年向け自転車にばねでびっくりする感じで飛び出してくるものではあったけれど、つけて発売してそれなりにうれたんじゃなかったか? 小学校のクラスで持ってたやつ、3,4人はいたと思う。

 新聞で、マツダがパッカンライトの車出すというから、旧8号線のディーラーに見に行った。メタリックグリーンの車。メカニックにしてみたら、ジャリ共がうるせえ、うるせえ。「父ちゃんか兄ちゃん連れてきな」とは言われたが、一度だけ、ライトをせり上げ点灯して見せてくれた。