8852 AJS7R_5
大藪春彦氏の原作版「汚れた英雄」で、主人公北野晶夫がレースでコケて大けがして、その復帰前、主に恐怖心を克服する意味合いで、雪解け前、人がまだ来ない八ヶ岳のあたりの舗装路でMVアグスタの350とAJS7Rで走り込みをしたというくだりがあったと思う。
このあたりの単車、オレがそう言うのに興味を持った1980年代には、もうとっくの昔に大古車になっていて、なんか変にかっこつけて、少しキモカワイイおじさん達の供物になっていて、80~90年台のNSRやTZRから比べたら、随分と穏やかなもののように思えたものだが、しかし、まぁ、このAJS7Rなど、現役当時は、カリッカリの性能、主流だったツイン勢を追いまわし勝とうとしていたのだから、乗る人を相当選んだのではないか? シングルシリンダーのエンジンなど、排気量が大きくなればなるほどピストンがでかくなるわけだから、振動だってかなり。燃焼に対するロスも相当だから、多くの場合、ツインに比べ総排気量も小さかったろう。それでも、軽量、ピックアップの良さを最大限生かす設計に、たぶんそういうのに乗るスペシャリストもいたに違いない。
似たような発想で、まぁ、誕生のエピソードはまた独特のものがあるが、1977年78年の鈴鹿8耐で走った「ロードボンバー」というのもあった。シングルシリンダ-でもなければ4ストロークでもないが、ホンダのNS500もそのような発想ではなかったかと思う。軽量とピックアップの良さで、パワーが上のYZRやRGを追いかけ、あわよくば食っちゃう、と。シリーズを通しての戦略上、勝負を捨てるサーキットを設定してまで、だ。
複数の前提、条件の下、最適化した形に、今や単車に限らない、何でもかんでも同じような機構、デザインに統一されてしまっている。仕方ないと言えば仕方ない。そういうものだといえばそのとおり。しっかし、それじゃ何か詰まんないんだよねぇ。もう、文明がピークアウトしてしまって、後は坂を下っていくしかないのだということを可視化されたみたいでさ。
大藪春彦の原作版『汚れた英雄』で、主人公・北野晶夫がレースで大けがを負い、その復帰前に―― 恐怖心を克服するため、雪解け前の八ヶ岳の舗装路で、まだ人の来ない時間に、MVアグスタ350とAJS 7Rで走り込みをしていたくだりがあったと思う。
このあたりの単車は、オレがそういうものに興味を持った1980年代には、もうとっくに大古車になっていた。どこか変にカッコつけた少しキモカワイイおじさん達の供物みたいになっていて、80〜90年代のNSRやTZRと比べたら、ずいぶん穏やかなもののように思えた。
しかしこのAJS 7R、現役当時はカリカリのレーサーだった。主流のツイン勢を追い回し、勝とうとしていたのだから、乗る人を相当選んだはずだ。
シングルシリンダーのエンジンは排気量が上がるほどピストンが大きくなり、振動も燃焼ロスも増える。だから総排気量ではツインに及ばなかったが、その代わりに軽量で、ピックアップの良さを極限まで引き出した設計だった。きっと、そういうマシンに命を賭けて乗るスペシャリストがいたのだろう。
似た発想で――誕生の経緯はまた別だが――1977〜78年の鈴鹿8耐で走った「ロードボンバー」というマシンもあった。
シングルでも4ストロークでもなかったが、ホンダのNS500も、やはり同じような哲学だったと思う。軽量とレスポンスの鋭さで、パワーの上のYZRやRGを追いかけ、あわよくば食ってしまう。シリーズ全体の戦略上、勝負を捨てるサーキットまで設定しての挑戦だった。
いまや、複数の条件下で最適化された結果、どの単車も同じような機構とデザインになってしまった。そういうのはなにも単車に限ったことではない。仕方がないといえばそうなのだが――それじゃ何か、詰まらない。文明がピークアウトして、あとは坂を下っていくだけなのだということを、可視化されたようでさ
