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2025年9月27日土曜日

「贈与」に至る / 糸口を探す 6 大杉栄の時代にはアンパンマンはいなかった 3

 


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Ferrari 312 PB #0884
Clay Regazzoni
Sebring  1972

 話を少し変える。
 資本主義の行き詰まりを何とかするヒント、オレはバタイユにあるのではないかと思っている。
 一見すると、バタイユは経済や資本主義の「解決策」を提示する哲学者ではなく、むしろその矛盾や行き詰まりを徹底的に暴く人だが、だからこそ資本主義の硬直した論理に隠れた可能性を示唆してくれるともいると思っている。
 例えば、バタイユの中心概念の一つに「消費」がある。彼は富やエネルギーを単なる生産・蓄積の手段としてではなく、「過剰に使い切ること=浪費」にこそ人間の本質的な自由や創造性が現れる、と考えていた。資本主義的合理性では「効率」と「利潤最大化」が至上ですが、バタイユはそこから外れた浪費や無駄こそ、人間や社会を再生させる余地だと見ているわけだ。

 少し整理しよう。

 まず、浪費の哲学。資本主義では「蓄積」が美徳ですが、バタイユは「余剰を消費すること」に価値を見出します。オレはこの「余剰」を「過剰」と読み替える。経済活動の中で、「効率化されすぎた構造の外にある無駄や余白」を意識的に作ることは、新しい需要や創造性を生む可能性はありはしないか?


 禁忌と過剰について。社会が抑圧してきた「欲望」や「過剰」は、バタイユ的にはエネルギーの放出の場であり、既存の秩序を揺さぶる源になる。資本主義の行き詰まりも、抑圧されてきた文化的・精神的「過剰」を認めることで新しい展開が生まれるかもしれない。

 ここで出てくるのが、交換ではなく贈与、だ。バタイユは「贈与」の倫理を重視した。物やエネルギーを見返りなしに放出する行為は、効率や利潤の論理を超えた社会的結合を生む可能性がある。
 資本主義の行き詰まりは、利益の計算ばかりを優先した結果なので、「贈与的経済」の要素を部分的に取り入れるヒントになるように思えて仕方ないわけだ。

 つまり、バタイユは「合理的経済の論理」を直接変革する理論は持っていないが、「浪費・過剰・贈与」という視点を通して、資本主義の硬直した価値観をゆるやかに揺るがすヒントを与えてくれる。

 だから、アンパンマンとバタイユの組み合わせだ。前にやったように「子ども向けヒーロー像」と「過剰・逸脱・消費の哲学」をつなげるやつだ。

 整理するとポイントはこうだ。

 アンパンマンは、基本は「弱者を助ける、自己犠牲的ヒーロー」。消費される存在(パンを与える=自分の身体を分ける)でありながら、常に再生可能ということ。

 バタイユは、「過剰の哲学」=社会の効率・生産性だけでは説明できない、人間の浪費・無駄・エネルギーの放出をその思想の旨とした。そこで、欲望、エロティシズム、暴力、死など、合理性の外で生きる力に注目した。

 アンパンマンは、子供向けに善と正義の象徴として描かれるが、バタイユ的に言えば「快楽と死」や「破壊」の世界の中に置かれると違和感が面白い。例えば、アンパンマンが飢えや暴力の前でどう振る舞うか。単なるヒーロー行動ではなく、極限状況での倫理・身体感覚を伴う行為として描く。「顔を差し出す」行為は、自己の喪失と奉仕の快楽が交錯するバタイユ的瞬間になる。
 アンパンマンの「与える自己犠牲」も、バタイユ的に見ると「過剰消費・浪費の象徴」になり得る。「消費される存在」「無駄に命を使う」ことが、資本主義的生産効率の限界を超えるヒントになる。社会が「効率だけ」で回らなくなったとき、バタイユ的な浪費・無駄・過剰を許容するヒーロー像が示唆となりはしないかと考えているのだ。


 または、この最近のハワイのホームレスコミュニティも、思い浮かぶ。
 実情は高沸しすぎたアメリカの物価で、言えと言うものを持ち続けることが出来なくなった、それまで普通に生活を送れていた人々が家を手放したうえでバラックのようなところに住むコミュニティーを作っているらしいが、高度に秩序は維持されているという。高額な生活費と原始的なコミュニティ運営、秩序の保たれた共同生活がその特徴だ。労働ではなく、贈与・相互扶助が経済の基盤となっているそうである。近代社会の規範や効率とは別の価値観で、幸福や生存の形が成立している。「文明の外側にある自由」として描くと、バタイユの「逸脱」や「エネルギーの過剰」に通じる。

 海風が吹き抜ける小さな村には、決して法律や制度の圧迫を受けずに暮らす人々がいた。ハワイの太陽に照らされ、波の音が子守歌のように響く中で、彼らは「所有」という概念に縛られることなく、ただ必要なものだけを分け合い、働き、助け合っていた。そこでは誰もが生きる権利を平等に持ち、誰もが互いに貸し借りと返済の義務を負う、プルードンの言う「相互主義」が日々の生活に息づいているようだ。
 一方で、外の世界が抱える貨幣経済や国家権力の強制はここには届かない。無理に競争することも、成功や失敗で序列を決めることもない。人々は農園を耕し、食料を分かち合い、村のルールは全員で話し合って決める。争いはあれど、それは暴力や圧力ではなく、議論と調整によって解決される。まさにプルードンが描いた「自由な契約」に基づく社会の縮図が、ここにあるのではないか?
 しかし、完全な理想は存在しない。嵐が来れば収穫は飛ばされ、病気や怪我も避けられない。それでも、人々は互いの力を借り、知恵を持ち寄り、助け合うことで生き延びてきた。国家や権力に頼ることなく、自己管理と相互扶助の中で生きる。ハワイの太陽の下、彼らの小さな村は、プルードンが夢見た自由と平等の小宇宙のように、静かに存在しているように思われる。  かの、災厄ともいえるドナルド・トランプのアメリカで、図らずも原始共産制が現出しているのは痛快ともいえる。


 そう言ったところで、個々人はどう振舞っていくべきか?

 個人の自律と贈与はどうか?プルードンが強調する相互扶助や「所有の否定」を、個人レベルで具体化すると、「自分の行動を自分の価値基準で律する」という姿勢になる。自律の倫理とは他者や国家に依存せず、自分の判断で生活や選択をすることであり、贈与の実践とは、利害や見返りを求めず、日常生活の中で小さな「贈与」を積み重ねる。食べ物や時間の共有、知識の提供、困ったときの手助けなどのことを指す。
 ここで重要なのは、**社会的理想としての「互助」ではなく、個人の倫理行動としての「助け合い」**に焦点を置くことだ。

 「所有」と「自己」の関係について考える。プルードンは「所有は盗みだ」と言った一方で、自分の力で得たものを尊重すべきという側面もある。個人のあり方としては、最小限の所有意識は当然あるだろう。物や資源に執着せず、必要な分だけを手元に置くという感じで。そして、所有する以上、それをどう使うかの倫理的判断を個人が持つ

 これは、ハワイのホームレスコミュニティでの生活を想像すると分かりやすく、限られた資源の中で互いに助け合い、モノに対する執着を最低限にしている姿勢が該当する。

 個人の生活における「連帯」の実感についてはどうか?理論的には「連帯」や「互助」を語るのは簡単だが、個人の生活レベルで実感するには、次のような行動が伴う。日常の小さな「契約」や「約束」を守ることで信頼を築くことが必要だろう。自分の利益だけでなく、他者の利益も意識して行動しなくてはいけない。必要に応じて助けるが、助けたことを誇らず、評価を求めない、当たり前を感じるようにならなくては。

 何か、70年代にちらほら見かけられた、ヤバ気なカルト的コミュニティみたいだ。そう思うとちょっと退くか?

 何はともあれ、ここでのキーワードは「個人的信義」だ。社会全体の制度や法律ではなく、個人の信念と行動が中心になる。
 社会思想を個人レベルに落とすと、結局、社会の理想は「個々人の行動の総和」として現れる。つまり、個人の生活倫理が集まることで、社会的な「互助」や「平等」の小さな形が生まれる。形式的な制度に頼らず、個人の選択と倫理が社会を形作る、という感じ。


 何か難しくなってきたな。だからここでアンパンマンに戻ってみる。つまり、社会の仕組みや制度の理想を語るよりも、個々人のあり方や日常の振る舞い、優しさや思いやりが積み重なった結果として、理想的な社会が立ち現れる、という感じで。そしてアンパンマンはその象徴として最適、というわけだ。
 アンパンマンは「社会制度や法律で人を救う」のではなく、「自分の身体の一部(アンパン)を分け与えてでも、目の前の困っている人を救う」という個人レベルの行為を体現している。プルードンの「相互扶助」や「個人主義」とも呼応するが、彼の理論は抽象的で経済的・社会的関係に重きを置くのに対し、アンパンマンは日常的・情緒的な次元で同じ原理を表現しているわけだ。

 大杉栄の在り方にロマンは感じるけれど、それよりも「ソウイウモノニワタシハナリタイ」というスタンスでいたいし、そこまで言うならば宮沢賢治よりは中原中也の方が好みなのでめんどくさい。
 大杉栄の思想や生き方の“純度”には確かにロマンがある。無条件に理想を体現してる感じ。だけど、そこに自分を置くのはちょっと神格化されすぎているし、なんかちょっと違うという事も無くはない。
 「ソウイウモノニワタシハナリタイ」っていうスタンスだと、もっと個人的な、感情の起伏や不完全さを肯定したくなる。でも、私人ということで言うならば、オレは宮沢賢治より中原中也の方が好み。中也の詩は、理想とか大義ではなく、ただ自分の弱さや孤独をまっすぐ曝け出すところが魅力だから。
 要するに、ロマンの質の違いなのかもしれぬ。大杉栄=大きな理想、賢治=理想の追求、中也=自己の不完全さの肯定、みたいな。だから「めんどくさい」。

 一方で、詩の言葉がスルッと入ってく瞬間は間違いなくあるけれど、そういうある意味迂遠なことをやっていてはいけないのではないか、と思ったりもしてな

 其処は堪えて、中也の表現で「茶色い戦争」というのがあったと思う。決して平和主義者を標榜していたわけではないが、そういう嫌悪感は、個人の枠組みを持っているからこそ出る言葉なんだと思う。「茶色い戦争」という表現は、たとえ中也自身が平和主義者として名を馳せていたわけではなくても、個人の感覚や倫理観を通して世界を見たからこそ生まれたものだと思うのだ。
 中也の詩では、戦争や暴力に対して単純に善悪を問うのではなく、その色合いや匂い、肌触りまで感じ取るような微細な感覚が描かれているように思う。「茶色」という色を選ぶことで、戦争の泥臭さや現実感、そして感情的な嫌悪が、抽象的な「戦争」という概念ではなく、感覚として読者に伝わるのだ。
 つまり、表現に嫌悪感が宿るのは、中也が戦争そのものを哲学的に考察しているからではなく、個人の感覚の枠組みの中で「これは耐えられない」と直感的に感じたからこそ出てくる言葉だと思う。彼の詩は、そういう個人的な感受性が普遍性に変換される瞬間を捉えているのが魅力だからな。

 まぁ、中也自身、自覚していたのは、オレはあんなのにはついていけねえや、という感じだと思うが。その感覚は、プルードンの理想や共産主義的な「人類皆平等」の夢と現実のギャップに直面した瞬間とも言えはしないか?言い換えると、「オレには無理だ」と自覚するのは、単に能力や性格の問題ではなく、その理想を支える価値観や生活リズム、対人関係の仕組みに自分が適合できないことを理解した瞬間でもある。


「贈与」に至る / 糸口を探す 5 大杉栄の時代にはアンパンマンはいなかった 2

 


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Freddie Spencer
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Daytona 1982


 決定的に感じるのは、当時、そんな彼らを慰撫する文学がなかったのだろうか?ということだ。当時の日本には、いわゆる 「慰撫する文学」=社会の不安や個人の浮遊感をやさしく吸収してくれるような文学の厚みが乏しかったような気がしてしまうのだ。

 明治〜大正の文学状況を見てみる。
 自然主義文学の支配があったと思われる。島崎藤村や田山花袋に代表される「私小説」的な自然主義は、「自己暴露」と「ありのまま」が重視された。これは自己表現にはなるけれど、「社会の中でどう生きていけるか」を慰める方向には乏しいとも言える。

 浪漫主義の余韻もある。北村透谷や島崎藤村の初期のように「理想」や「恋愛」を歌った浪漫主義はあったが、日露戦争後は色あせていった。つまり「夢で癒す」文学の力が弱まった。

 この時期の文学ということで思い浮かべるのが、夏目漱石の想像だったりするのだが、漱石の位置はどうだったんだろう?夏目漱石は文明批判や個人の孤独を描いたけれど、結局「どう慰められるか」については答えを出せなかった(むしろ孤独や不安を鋭く描き切った)。読者にとっては「共感はできるが癒しにはならない」ということになってしまうかもしれない。それはそれ、共感さえあれば、後は何ともできると思わないでもないんだが。
 そこまで至らなかったのは、大衆文学の未成熟があるかもしれない。推理小説、恋愛小説、娯楽小説は芽生えていたけど、まだマスを抱え込むほどの文化的力はなかったようだ。

 インテリにしてみれば、自然主義文学では救われない、漱石を読んでも孤独が深まる、大衆文学はまだ軽く見られている、というところで、「自分を支えるのは思想しかない」 という方向に行きやすかったのだろう。
 そして、その思想というのがアナキズムやマルクス主義という「現状打破の力」を持った急進思想だった。ほらつながった。


 後の時代との比較も考えてみる。
 戦後になると、三島由紀夫や大江健三郎のように「思想と文学を往還」する人は出るが、同時に大衆文学やエンタメも厚みを持ってきた。だから戦後インテリは「政治運動に熱中する人」と、「文学やサブカルに逃避する人」とに分かれていけた。大正期はその「逃げ場」が薄かったため、思想への傾斜が強く出た、とも言える。


 一言でぶっちゃけてみよう。アンパンマンがいなかったんだ。

 アンパンマンとは、飢えたり困ったりした子に「顔をちぎって食べさせる」存在だ。つまり 「慰撫」や「支え」を分かち与える文学的・文化的存在だ。大正期のインテリたちにとっては、そういう「アンパンマン的な文化」が欠けていた。

 アンパンマン的なものがなかった時代、文学は自然主義や漱石的孤独に傾き、「癒す」より「突きつける」方向に進んでいた。娯楽小説や大衆文化はまだ軽視されており、本格的に人を支える力には育っていなかった。だから「苦しい、孤独だ、どうしたらいい?」という問いに答えるものが乏しかった。

 「顔を分け与えてくれる」ような文学がなかったから、インテリは思想に救いを求めた。しかも選んだのは「社会を変える」「権力を否定する」というアナキズムやマルクス主義だった。もし「アンパンマン的な文学」があれば、もっと柔らかい方向に行ったかもしれない。



 それ以前、明治期や江戸時代までの文学にも、そういうものは少なかったんだろうか?とか思う。 深く人間性を追求していくような、さ。

 江戸時代までの文学を振り返ると、確かに 「深く人間性を追求する」文学 というのは、近代文学ほど体系的には発達してはいなかった。だが、その代わりに 「慰撫する」「気晴らしする」「共感する」」文学や芸能 が厚みをもって存在していたと思う。

 江戸文学の性格として、人間心理の深掘りより「型」と「共感」があった。近代文学のような「自己の内面をえぐる」作品は少ないともいえる。しかし、「型」によって感情を共有し、慰撫や娯楽を担ったのではないか?

 井原西鶴(好色一代男・日本永代蔵)は、個人の欲望や商人の知恵を活写しつつ、人生の面白さ・哀しさを軽妙に描いていた。
 近松門左衛門(心中物・曽根崎心中)は恋愛や義理の板挟みで苦しむ人間を描き、涙と共感を誘った。
 丁度、今大河ドラマで蔦屋重三郎の事やってるな。浮世草子や黄表紙こそ、ユーモアや風刺で日常を笑い飛ばす「慰め」の文学だった。 俳諧(松尾芭蕉など)は、人生の無常をしずかに受け入れる「心の調律装置」だった。芭蕉は深い人間性を探るというより、自然や人生の「さび」を味わう方向。

 慰撫の厚みを思う。江戸の庶民文化は「歌舞伎」「浄瑠璃」「落語」「戯作」などがあり、人間を慰め、楽しませ、共感させる 機能を果たしていた。
 つまり「アンパンマン的な文化」はむしろ江戸のほうが豊かだった。


 明治以降、「文学=真剣なもの、芸術的なもの」というヨーロッパ型の観念が導入され、江戸的な「慰撫・娯楽・共感」の要素は「低俗」として切り捨てられた。つまり、近代と断絶してしまったのだ。
 結果として、自然主義や漱石的な「内面の苦悩を突きつける文学」が主流になり、慰める文化の厚みが痩せてしまった。

「アンパンマンがいなかった」言い換えると、「江戸にはあった慰撫文化が、明治以降のインテリ文学では抜け落ちた」という歴史的断絶が出来てしまったという事だ。


 とすれば、産業革命、近代化という時代に浮かれて、その辺に向けられる目が少なかった時代だったからといえるだろうか?

 江戸時代の文学は、人情や人生の機微を扱うものもあったが(近松や井原西鶴など)、基本的には身分制や共同体的秩序の中で「どう生きるか」を描いたものだった。近代的な意味で「個人の存在や内面の深掘り」を主題化する文学は、西欧近代思想と並行して生まれてくる。
 明治〜大正期にかけては、急激な近代化・産業革命に「社会が追いつけていない」状態で、人々は新しい思想や運動に飛びつきやすかった。西洋から輸入された「自由」「平等」「革命」などの理念は、時代の閉塞感や抑圧と結びついて一気に燃え広がる。
 しかし、その一方で「人間の弱さを抱きしめる」「慰撫する」ような文学はまだ十分に根付いていなかった。漱石や鴎外にしても、個人と社会の摩擦や葛藤を描くけれど、読者に「安心」を与えるものではない。

 だから、大杉栄のように「思想を行動にする」インテリが現れる素地があったのだろう。ある意味で、日本の近代文学は「人を慰める」方向よりも「人を揺さぶる」方向に偏っていたともいえる。西欧ではトルストイの後期とか、ドストエフスキーの「苦悩の中での救済」とかがあるけど、日本ではそこがぽっかり抜けていた。


 とすれば、今の時代もそんな傾向が優っているかもしれぬ。AIの伸長、どこまで行くのかが見通せない。自分の心への視線、悟性が少し後退している?そうでもない?

 技術の進化(特にAI)によって、人間自身の内面への洞察や自覚がどこまで維持されるか、あるいは後退するのではないか?

認知負荷の軽減による後退の可能性はありうる。 AIが情報整理や判断の補助をすることで、人間は「考えなくても済む」状況に慣れてしまうかもしれない。その結果、自己観察や反省、内省の能力がやや鈍るリスクはきっとあるだろう。
 逆に拡張される可能性もある。AIを使って自分の行動や思考の傾向を可視化したり、心理的パターンを分析したりすることも可能だ。うまく使えば、自分への洞察はむしろ深化することもありえる。

 悟性の質の変化も考えなくては。「後退」かどうかではなく、むしろ「形を変える」と考えるほうがしっくりくるかもしれない。従来は自己の内面に直接向き合うことが悟性の源だったのが、今後は外部ツール(AI)を介した間接的な洞察も増える。その意味で、悟性は「自己への視線」と「ツールを通した視線」の二層構造になる感じになるかもしれない。

 となれば、意識的な鍛錬の重要性が高まるだろう。技術が進んでも、能動的に自己観察する習慣や「内面に耳を傾ける時間」を持つことが、悟性を維持する鍵になるような気がする。ここは昔も今も変わらない部分だが。


 また、現在の状況を見ていると、慰撫するのはいいのだが、それぞれなりに前に進む力になり得ているのだろうか?と思わないでもない瞬間があったりもする。
 「慰撫」は確かに心を落ち着け、痛みを和らげる働きはあるが、それだけでは前に進む力には必ずしも直結しない。痛みを感じたままでも、ある種の「自己の力で前に進む感覚」を伴わないと、慰めは一時的な安堵に留まるだけになることがある。
 文学でいうならば、悲しみや挫折に対して共感的に描写される場面は多いが、読者や登場人物がそこから行動や自己変革へ進む「力」に変わるかどうかは、作者の描き方や構造によることが大きい。
 言い換えれば、慰撫は「受け止める力」を与える一方で、前に進む力(自己決定、勇気、主体性)は別のプロセスが必要になることが多い、とも言える。


 危惧するのは、そういうところでの悟性、言い換えたら哲学。その辺が弱くないか?ということだ。
 慰めや励ましは感情面での支えにはなるが、それが「前に進む力」や「行動や選択に結びつく知恵」になっているかというと、そこは別問題だからだ。
 哲学的な悟性、つまり状況や自己を深く理解し、そこから現実的な判断や行動に結びつける力が弱い場合、慰めは一時的な安らぎに留まってしまうことになってしまいがちではないか?言い換えれば、心が温まるだけで、知的・実践的な力にはならない。もし議論の対象が「慰めや共感と、自己変容や成長の力の関係」なら、ここで問うべきは 「慰めがどの程度、自己理解・現実理解を促し、選択や行動に変換されているか」 という点になるだろう。

 幼いころ、世界の苦さや不条理に触れた時、私たちはただ「どうしようもない」と感じるしかなかった。慰める文学も、救いの象徴も、身近には存在しなかった。アンパンマンも、どこかで手を差し伸べてくれるヒーローもいなかったのだ。だから、思考は無意識のうちに硬直し、苦しみをそのまま抱え込むしかなかった。

 この時の悟性とは、単なる知識や理屈ではなく、世界の不条理に対峙するための哲学だった。しかし、幼い心にはその哲学を育む土壌がなかった。周囲の言葉や物語は、慰めよりも規範や価値の押し付けばかりで、苦しみの存在自体を肯定する力はほとんどなかったのだ。

 だからこそ、後になって哲学や文学に触れた時、初めて「自分の感じていた世界の苦さは、孤独ではなかったのかもしれない」と気づく。それは、アンパンマンがいなくても、自らが小さな救済を作り出す力になり得る悟性の芽生えだった。


 子供の頃はあんぱんをもらえる立場だったが、大人になるということは、顔をちぎって分け与えることを考えなくてはならない。

 アンパンマンの顔は文字通り「食べ物」だが、この言葉を比喩として読むと「自分の時間や愛情、資源」をどう配分するか、という大人の課題にも置き換えられる。


2025年9月16日火曜日

「贈与」に至る / 糸口を探す 3 アンパンマンとアセファル

 

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 うっかりしていたが、アンパンマンはアセファルそのものなんじゃないか、と、ふと思い立った。等と書いたところで、バタイユ、誰それ?な方々には、ましてアセファルなどと言うものがなんであるかご存じないだろう。
 上手く伝わるかわからないが、ざっと説明すると、 バタイユが「アセファル」と名付けてつくった秘密結社は、実際に1936年から1939年ごろまで活動していた。結構史料も断片的で、想像力で補わなくてはいけない部分も多い気がするが、大事なのは、そう言う材料で今のオレが何を考えるか、と割り切ることにする。

 設立者は、書いてのとおり、ジョルジュ・バタイユ。活動時期は、936年頃〜第二次世界大戦直前ごろとされる。まぁ、かなり短い期間だったみたいだ。
 メンバーとしては、作家で思想家のピエール・クロソウスキー(作家・思想家)、社会学者のロジェ・カイヨワ(社会学者)、哲学者ジャン・ピエール・デュポワなどがいたそうな。すまん。この中では、不勉強故ジャン・ピエール・デュポワの名前しか聞いたことがない。ほかにもぼちぼちいたようだ。
 目的・理念みたいなものはなんだったか? ナチズムやスターリニズムといった全体主義が台頭する中、国家や理性中心主義に依存しない共同体を模索するというのが旨だったらしい。 「頭(理性・権威)を持たない人間=アセファル」を象徴とし、死・犠牲・聖性・生のエネルギーを直視できる共同体を目指した。バタイユは「人は神を殺した(ニーチェ)が、まだ国家や理性の偶像に囚われている」と考え、その外に出る実験をしていたようだ。
 実際の活動としては、定期的な集会を開くとかね。森などでの儀式的な集まりもあったとのこと。バタイユが描いた「アセファル像」(首を持たず、心臓に太陽を抱えた人間)のイメージをシンボルとして掲げた。文献的な研究というよりも、共同体的・儀式的な実践を重んじた。

 「人間は死と犠牲の中でしか本当に生を感じられない」という思想を共有。

 バタイユは本気で「人間の生贄の儀式」をやろうとしていた、と伝えられているから、物々しい。実際にメンバーから「自分が犠牲になってもよい」と申し出る者もいるような、変態さんたちの集まりだった。もっとも最終的には実行されなかったって、そりゃそうだよね。やってたら後世に猟奇カルトとして名をはせることになってただろう。現実的な限界と倫理的な抵抗があった。当然ながら。
 結社自体は短期間で消滅したが、その精神はバタイユの著作や思想的ネットワークに受け継がれたとされる。
 一言で言うなら、理性や国家を超えて、死と犠牲を真正面から受け止める共同体をつくろうとした、半ば実験的・儀式的な秘密結社だった。

 そもそもアセファルとは、ジョルジュ・バタイユが考えた「人間のあり方の象徴」だ。「頭がない人間」という字義どおりのイメージから出発している。繰り返すが、頭は、理性、秩序、権威、国家の象徴であり、従って「頭がない」とは、そういうものから自由になった存在であるとする。
 理性や秩序を超えた、人間の本能や生の力を表す。「考えるな、感じろ」って、ブルース・リーみたいなことをおっしゃる。計算ではなく、衝動や欲望や犠牲のエネルギーこそが大事なのだ。
 それは、死や犠牲と切り離せない存在だ。人は生きるために食べ、他者に与えるために自らを削る。その「生と死の混ざり合い」を直視する姿こそがこの活動の肝となる。

 つまりアセファルは、「理性や社会のルールの外側で、もっとむき出しの生と死を生きている人間像」とでも言えばいいか?怖さもあるけど、逆に人間の本当の力を示しているとも言える。


 んで、なんで、アンパンマンはアセファルなのか、だが、まぁ、何となくわかっていただけるか?

 アセファルは「頭をもたない人間」として、理性・秩序・国家的権威から切断された存在を意味した。アンパンマンもまた「顔(頭部)」が取り替え可能であり、頭は自己同一性の中心ではなく、むしろ欠落・交換・犠牲の場だ。
 アンパンマンは自分の顔(=パン)をちぎって飢えた人に与える。これはまさにバタイユ的な「贈与=浪費=犠牲」の論理そのもの。経済合理性に還元できない純粋な贈与であり、消費されることで彼自身は力を失っていく。
 子どもたちのヒーローとして秩序を守る一方、自分の頭が交換可能であることによって、人格やアイデンティティの一貫性を欠いている。つまり、秩序の守護者でありつつ、アセファル的な「首なし=逸脱性」も内包する。言い換えるならば共同体の中心でありながら、外部性を孕む。
 顔=食べ物=死と生の往還と捉えてみる。バタイユがアセファルを通じて「死と生の根源的な関係」を問題にしたのと同じく、アンパンマンは「自分の死=消耗」と「他者の生=栄養」を同時に体現する存在だ。
 要するに、アンパンマンは「秩序を守る子ども向けヒーロー」の皮をかぶった、かなりラディカルなアセファル的存在、とも言えるんじゃなかろうか?


 そう考えると、初期のアンパンマンが子供たちに受け入れられなかったこともなんとなく理解できる。やなせたかし氏の初期アンパンマンって、今みんなが知っている「正義の味方」像とはずいぶん違っていた。顔をちぎって人にあげることは、そのまま自己犠牲の象徴なんだがそれはどういうことか?ヒーローっぽい勧善懲悪ではなく、ただ「飢えた人を助ける」だけ。だから敵を倒すカタルシスよりも、むしろ「自分を削る痛々しさ」が前面に出ていた。
 これは、バタイユ的に言えば、消費や浪費の恐怖を直視させるものだ。子供が直感的にそこに「不気味さ」を感じてもおかしくない。アンパンマンは「与える=死ぬ」という無意識の構造を背負っているから、単純に「かっこいい!」「強い!」という安心感にはならないのだ、決して。まぁ、時代が進むにつれてアニメ化され、デザインが丸くなり、バイキンマンとの勧善懲悪の枠組みに乗せられた。すると、怖さやアセファル性が子どもに直接届かなくなり、むしろ「わかりやすい正義の味方」として受け入れられるようになったんだが。
 要するに、初期の拒否反応は、アンパンマンの「アセファル的な不気味さ」に対する自然な反応とも読める。

 しかし、後にどう変容しようと、初期のものがあるからアンパンマンだと思う。
 後期の「正義の味方・アンパンマン」って、もちろん大衆的な支持を得て国民的ヒーローになったけど、それだけだと単なる子ども向けキャラで終わっていたかもしれぬ。でも、初期のアンパンマンが持っていた「自己犠牲=食と死の循環」の不気味さがあるからこそ、作品全体に独特の深みが宿っている。
 言い換えるならば、初期のアンパンマンは「アセファル的な核」であり、後期のアンパンマンは「社会に受け入れられるための表層」だった。
 両者が重なっているからこそ、「ただのキャラ」じゃなくて「時代を超えて生き残る存在」になっているんじゃないか、と。
 つまり、いくら勧善懲悪に馴化されても、底には「自分を削って他者に与える」っていうラディカルな贈与の論理が流れている。だから、どの時代のアンパンマンを見ても、子どもたちは無意識にそこを感じ取ってるんだと思う。

 バタイユが「アセファル」に込めたのは、秩序や理性から切り離された、もっと原始的で、恐ろしくも人間らしい核だった。アンパンマンの初期像は、まさにその核が子供向けキャラクターの皮膚から透けてしまっていたもの、と読める。
 アンパンマンは実際に「自分をちぎって他者に与える」という“擬似的な生贄”を日常的にやっているわけで、バタイユが夢見た共同体的な儀式を、子ども向けアニメが無意識に実装している、という対比になる。
 もうね、やなせたかし氏、バタイユ読んでたんじゃないかと思うほど。もちろん史実的に「やなせたかしがバタイユを読んでいた」という証拠は見つかってないが、両者の発想には不気味なほどの共鳴点がある。
 共鳴するポイントとして、まず、言うまでもなく、自己犠牲=贈与がある。バタイユは、「生は浪費されることで聖性に触れる」とし、やなせ氏は「正義とは他人のために自分を犠牲にすること」とした。
 食べる/食べられるの循環は大事なポイントだ。バタイユの主張での犠牲祭儀における「食と死の共同体」は、アンパンマンの自分の顔(パン)を与えて他者が生き延びることにそのまま当てはまる。
 理性よりも“むき出しの生”というか、理性というものの二の次観、ぱねぇ。アセファルつまり、頭を欠いた人間なんて、理性のひとかけらも観られないが、アンパンマンは、顔(頭部)は常に交換され、同一性の中心ではない者としてそれを再現する。

 共同体はどうだろう?バタイユにおいては死と犠牲を共有する小さな結社だったが、アンパンマンではパンを与えることで共同体=仲間がつながる、という形になる。

 やなせ氏は戦中・戦後を通じて「飢え」を直に経験し、その経験がアンパンマンの原点になった、と自ら語っている。つまり彼は、理論としてではなく、生活の中で「食と死と贈与」の切実さを体感していた。だからこそ、バタイユが哲学・宗教・神話を通じて辿りついた「アセファル的直観」と、やなせの“生活から滲み出た直観”が、結果的に重なっているところが何とも面白い。
 ジョルジュ・バタイユは、1897年9月10日生まれ、1962年7月8日没。やなせたかし氏は、1919年2月6日生まれ、2013年10月13日没。まぁ、朝ドラを見ての事だけど、やなせ氏、多分バタイユは読んではいないだろう。しかし、ここまでの相似を見せるのは、経済社会の形、戦争の形というのものが、極限近くに来てしまった故の必然ではないかとふと思った。
 バタイユとやなせ氏、出自も立場も違うのに「自己犠牲」「死と生の循環」に同じように触れざるを得なかったのは、やはり 経済社会と戦争によって極限状況に押し出された必然とはいえはしないだろうか?
 バタイユの身に降りかかったのは、ヨーロッパの危機だった。第一次大戦後の荒廃、資本主義の限界、ナチズムの台頭、等々。経済合理性や国家権力では説明できない「人間の根源的な生と死」を直視せざるを得なかった。だから、アセファル結社で全体主義にも資本主義にも回収されない「死と犠牲の共同体」を模索のだろう。社会の極限が思想を押し出した形といえる。
 朝ドラを見ておられた方々には言うまでもない。やなせたかし氏の場合は、一も二もなく飢えと戦争体験がそれにあたる。一応書いておくが中国戦線に従軍、敗戦後は極度の食糧難を経験し、そのときの「一切れのパンが命を救う」という切実さがアンパンマンの発想に直結した。戦後の高度成長の中でも、「飢えや貧しさに苦しむ人がいる現実」を見続けた。だからこそ「正義=自己犠牲」という定義を揺るがさなかった。

 共通する点を考えてみよう。それは、極限状況に触れた人間は、与える/犠牲になるという次元でしか他者と繋がれないという直観だろう。「合理性・秩序・経済」が極限に来ると、必ずその外に「アセファル的なもの」「アンパンマン的なもの」が現れる。
 つまり両者の一致は、単なる偶然のシンクロではなく、20世紀という極限の時代が必然的に生み出した応答と見るのが自然じゃないか?


 まぁ、それでも、いざ実践しようとすると、アイデンティティというものが、途端に不安定に感じられるようになってしまいそうだ。人間が「与える=犠牲になる」「生と死を直接扱う」ことに踏み込むと、アイデンティティの安定感が一気に揺らいでしまう。
 いくつか、理由っぽいものを考えるならば、一つ目に、自己の境界が溶けることを挙げてみる。自分を削って他者に与えるという行為は、文字通り「自分の一部を失う」ことだ。その瞬間、自己同一性の中心が揺らぎ、頭で考える「自分らしさ」では補えなくなってしまう。
 理性、秩序に依存できないという事も有り得る。バタイユ的には、理性や社会の秩序は「頭=中心」を維持するための装置だが、アセファル的行為では、頭(理性)はあてにならない。従って、自分が誰であるか、何を基準に動くかが曖昧になる。
 だから共同体の規範との摩擦も起きる。周囲の期待や社会のルールは「安定したアイデンティティ」を前提にしている。無条件に与える行為や犠牲は、その枠組みを外れるため、孤独感や疎外感を伴いやすい。

 逆に言うならば、この不安定さを耐え抜いた人間こそ、バタイユがいう「アセファル的人間」であり、やなせの描いたアンパンマン的存在でもある。そして、不安定さそのものが、深い生の実感=自己を超えた与える力の証明になる。

 ねぇ、今度は人類補完計画?って展開にもなるのだが、エヴァの人類補完計画は、個々の人間の隔たりや孤独をなくし、全人類をひとつの存在にまとめようとする壮大な試みだった。結果として、個人のアイデンティティは溶けてしまう。
 アセファル的、アンパンマン的行為というのは、個々が与える或いは犠牲になることで、他者との関係や生の深みを実感する。確かにアイデンティティは揺らぐが、完全に消えるわけではない。与えることと失うことを体験しながら、なお自分として生き続けるわけだ。
 つまり、似ているのは個の境界が揺れる点ですが、決定的に違うのは「消えるかどうか」。アイデンティティが揺れる瞬間はあるけれど、完全な消失ではなく、むしろ生のリアルを知る体験となる。

2025年6月21日土曜日

アンパンマンの贈与倫理──やなせたかしの戦争体験と「正義」の再定義2 やなせたかしの戦争体験と「正義」の原点

 


8809 瀧内公美

 瀧内公美氏が、昨年の大河ドラマで藤原道長の側室の源明子役をするちょっと前に、中学の同級生の女性から、瀧内氏は彼女の息子と同い年の近所の子で、病院で生まれた時から知っているのだと聞いた。昨年の大河、今年の朝ドラ、ご活躍、喜ばしいことだ。
 朝ドラでは、女子師範学校の教師役を演じておられる。その頃の教師と言えば、女子師範学校とは言え、軍国日本の価値観の体現者だったはずで、実際そういう役回りのようだが、さて、当時の、言ってみれば学校の教師などは知識層、終戦で一夜にしてそう言った価値観がひっくり返ることを経験する場面を、これからテレビで目にすることになるのだろう。

 このことをテーマにした表現物は探せば多分いっぱいあるはずだ。瀧内氏演じる先生はどうなのだろうな?

 追記(2025/09/27)
 瀧内氏演じる女学校教師がそういった懊悩を抱える場面は描写されなかったが、ヒロインのぶのそういう場面が描かれ、物語の流れを作っていったようだ。


やなせたかしの戦争体験と「正義」の原点

 丁度これを書いている今週の朝ドラ「あんぱん」、嵩が戦地で地獄の飢えを体験する週になっている。氏の思想は、極限状態での個人的な体験に裏打ちされたものであり、アンパンマンの行動原理に直接的な影響を与えているとのことだ。

〇飢餓体験の衝撃と「食べること」の絶対的正義化

 やなせたかし氏は、1941年に徴兵され、日中戦争から太平洋戦争にかけての兵役を経験したとのこと。中国大陸での従軍中、彼は極度の飢餓に苦しんだと語っておられる。氏は「空腹というのは、我慢できない」「人間いちばんつらいのはおなかが減っていることなんだ」と述べ、水のようなおかゆやタンポポを食べて飢えをしのいだ経験から、って、今日、丁度のそのシーンやってたなぁ。で、その苦痛の深刻さを強調している。飢えが極限に達すると「人を裏切ってでも何とか食べようとする。考えもおかしくなってくる」という人間の本質を目の当たりにしたのだと。この飢餓体験、よほどに強烈だったんだろう。やなせ氏は「一番大事なのはまず食べられることだ」という確信に至ったようだ。そして、「飢えた子供に一切れのパンを与えること。少なくともそれは、ひっくり返ることのない正義であるはずだ」という、揺るぎない正義の概念を確立したと。この「一切れのパン」という具体的で素朴な行為が「絶対的正義」であるという思想は、やなせが戦争中に目にした抽象的なイデオロギーや国家的な「正義」とは対照的である。それは、権力や思想によって容易に「逆転」しうる正義ではなく、人間の最も根源的な生存欲求と、それに応える直接的な行為に根差した、普遍的で揺るぎない正義として位置づけられた。この考え方は、正義が抽象的な理想や壮大な物語ではなく、生理的欲求の充足という最も基本的なレベルで実現されるべきであるという、価値観の根本的な再構築を意味している。

〇弟の死と「正義」への懐疑、そして「逆転しない正義」の探求

 氏は、終戦直後に仲の良かった弟を戦争で失ったという個人的な悲劇を経験している。弟は海軍中尉としてフィリピンに向かう途中で乗船が沈没してしまい、そのまま。この早すぎる死は、「弟は何のために死んだのか?」「犬死にだったのか?」という、氏の心に深く残る根源的な問いを生み出したのだろう。
 さらに、戦時中には「正義」を振りかざしていた日本軍が、敗戦とともに中国から「悪魔の軍隊」と非難されるという現実を目の当たりにしたらしい。この点について、特に向かって右側におられる方々はいろいろ言いたいこともあるんだろう。事実に基づいた評価ではなかったとか。さぁ、どうなんかね? その時そう言う人たちは、どこにどういう立場でいて、そんなことが言えるんだろうねぇ?
 閑話休題。
 昨日までの「正義」が、一夜にして「悪」へと容易に「逆転」するこの経験は、やなせの心に「ヒーローとは何だ」「本当の正義とは一体何だ」という深い懐疑を抱かせた 3。そう言う人も結構多いと思うんだがね、実際は。

 この強烈な懐疑の中から、氏は「逆転しない正義」の探求へと向かった。彼が辿り着いた結論は、その正義が「愛と献身」(すなわち、自分を傷つけ、目の前の相手に差し出すこと)であるというものだった。この「逆転しない正義」という概念は、国家やイデオロギーによって恣意的に定義され、翻弄される「正義」への痛烈な批判である。氏にとって、真の正義とは、政治的・国家的な境界を超越し、人間の普遍的な脆弱性と共感に根差した、人間中心的な倫理に他ならなかった。この思想は、キリスト教の「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」という教えや、仏教の「捨身飼虎」の逸話にも通じる普遍的な概念として理解される。戦争のトラウマから生まれたこの倫理観は、アンパンマンの行動原理の核心をなしているに違いない。

〇初期アンパンマン(人間版)の構想と、その後の変遷

 アンパンマンが初めて世に登場したのは、1969年の月刊誌『PHP』に掲載されたメルヘン「アンパンマン」だったそうな。この初期設定では、アンパンマンは「スーパーマンみたいな格好した中年のおじさんでちょっとメタボ」な人間であり、顔はアンパンでできていなかったらしい。彼は「ほんとのアンパンを持っていて、お腹が減った人にあげるキャラクター」として描かれていたのだろう。
 しかし、この人間版アンパンマンは、子どもにアンパンを拒否され、「ソフト・クリームのほうがいい」と言われたり、「カッコワルイ!」と罵られたりする、報われないヒーローとして描かれた。オレもそんなこと言いそうだった。小さい頃、実は餡子が嫌いだったのよ。さらに物語の結末では、許可なく国境を越えたために高射砲に撃ち落とされ、生死不明となるという救いのない展開だったんだって。うわ・・、退くわ。なにそれ、マジ?
 氏は、この童話を絵本として出版する際に、人間という設定から「生命を持ったパン」という現在の設定へと変更し、救いのないストーリーを改めた。このキャラクターの変遷は、単なる表現上の工夫以上の意味を持っていたようだ。「正義を行おうとすれば、自分も深く傷つくものだ。でも、そういう捨て身、献身の心なくして、正義は決して行えない」という自身の思想を究極的に表現するため、「自らを食べさせる」という行為に到達したのかもしれない。

 人間が「パンを配る」という行為は、あくまで外部からの慈善行為であり、与える側と与えられる側が明確に分離している。しかし、「パンそのものであるアンパンマンが、自らの顔を差し出す」という行為は、自己が贈り物そのものとなる、存在論的な贈与へと深化する。この変化は、慈善行為が持つ限界(受け手の好みに左右される、外部からの脅威に脆弱であるなど)を乗り越え、自己の存在そのものを捧げるという、より根源的で揺るぎない正義の形を追求した結果だ。アンパンマンが「顔をちぎって与える」という行為は、この痛みを伴う献身の精神を象徴しており、真の正義は常に「格好いい」ものではなく、脆弱性と自己犠牲を伴うものであるというやなせ氏の思想を体現しているように思えて仕方ない。

2025年6月20日金曜日

アンパンマンの贈与倫理──やなせたかしの戦争体験と「正義」の再定義1 なぜこんなものを書き始めたか?

 


8808 今田美桜

なぜこんなものを書き始めたか?

 朝ドラとか基本観ない人です、ワタシ。NHKとか、ここ近年、同局の他の番組で、結構、朝ドラとか大河ドラマとかの番宣するようになって、今田美桜氏の事をよく見るようになった。前からグラビアとかではよみかけたが、正直ピンと来るところがなく、スルーしてたんだけど、動いている今田美桜ちゃん、いいじゃん。可愛いじゃんよ。というのもあるし、
 あと、自分の顔を分け与えるアンパンマン。贈与だ、と思った。今の資本主義社会の行き詰まりを何とかする鍵は、贈与、にあるのではないか、と、贈与論、バタイユ、ジジェク、ノームあたりから入って、そのあたりを最近考えている身として、一度、ちゃんと考察しておきたいと思ったわけだ。

 オレの子供の頃はまだアンパンマンは世に登場していなかった。と思っていたら、妹は覚えている、と言っていた。下で、ほんの少し詳しく書くが、そのプロトタイプの登場は、1969年なんだそうだ。
 プロトタイプから数えたらやがて60年。アンパンマンが自らの顔を飢えた人々に分け与える行為は、日本の文化において一つの普遍的なアイコンとして根付いている。この行為は、単なる物語のギミックに留まらず、自己犠牲と無償の愛の具現化として広く認識されて。多くの人々に感動を与え、特に子どもたちには食べ物の大切さや助け合いの精神を育む役割を果たしているんだそうだ。ごめん。オレ実感ない。アンパンマンの顔は、単なる食物以上の深い意味を持ち、汚れたり傷ついたりすると力を失うものの、新しい顔が作られることで「自己犠牲」と「助け合い」の象徴として描かれている。うん。これは分かる。ある時何話分か固めて観たことがある。大人になってから。

 だが、この自己犠牲的な行為は、物語の初期段階において「顔を食べさせるなんて残酷だ」「気持ち悪い」といった批判も存在したんだそうだ 。そりゃそうだろうな。正直、大人になって初めてアンパンマンを視聴した時、何気にいように思えたもんだ。このような批判は、アンパンマンの行為が持つ倫理的な深層、特にその「過剰性」を問う視点を示唆している。そう。「過剰」だ。「贈与」の理由になる「贈与前」にある「過剰」をよく考えていたが、ジジェク的に言えば、確かに贈与後の「過剰」だって有り得る。
 贈与後の過剰、飢えた人々を救うという純粋な善意に基づく行動が、なぜ不快感や残酷さという感情を呼び起こすのか。この問いは、アンパンマンの利他主義が、一般的な社会規範や自己保存の本能に照らして、ある種の極端さ、すなわち「過剰な贈与」として認識された可能性を示唆している。この初期の違和感は、アンパンマンの贈与が単なる慈善行為ではなく、自己の身体性を損なうほどの徹底した自己犠牲を伴うがゆえに、受け手や観察者に倫理的な問いを投げかけるものだったんじゃなかろうか?

 ここでは、この「アンパンマンは、過剰な贈与者なのか?」という問いの深掘りから展開してみる。最初のこの問いは、単にアンパンマンの行動の是非を問うだけでなく、贈与、自己犠牲、利他主義といった概念の倫理的限界、そしてそれらが社会システムや個人の幸福に与える影響について考えてみようかというものだ。ここでは、やなせたかし氏の戦争体験と、そこから彼が再定義した「正義」の概念を軸に、アンパンマンの贈与倫理を多角的に分析し、その普遍的意義と現代社会への示唆を書いていきたいと思っている。