常々思っていたのは、BEVについて、当初から共通規格のバッテリーカートリッジ式にすれば、給電時間の短縮につながり、BEVの普及にも繋がったと思うが、なぜそうしなかったのだろう? ということだ。
そこで、いろいろ見聞きしてみたが、要するに、技術・経済・産業構造・政治(標準化)の4点が同時に噛み合わなかったということらしい。
第一に、技術的な壁があった。電池は「燃料」ではなく「構造材」となっている。
ガソリンは、中身が同じで、且つ、容器(タンク)と分離可能。だが、BEVのバッテリーは早い段階から、車体剛性の一部(床下に敷き詰める)だったし、重量配分・衝突安全設計と一体だった。冷却・制御・高電圧安全系と密結合しており、つまり、「車の骨格」そのものだった。
ところが、カートリッジ式にすると、重量は増すわ(交換機構)、剛性は低下するわ、衝突安全性に難が出てくるわ、冷却の標準化が難しいわで、設計上の不利が一気に噴き出してくる。
二つ目は、電池進化の速さが「共通規格」を殺したのだろう。BEV初期(2010年前後)以降、容量、化学組成(NMC / LFP / NCA etc)、電圧、冷却方式などなどが数年単位で激変している。もし初期に共通規格を決めていたら、技術進化を止めてしまうし、旧規格をいつまでも背負うことにもなってしまう。メーカー側にとっては致命的だった。
長いことiphone使ってて、ライトニング端子のコード出先で用があるたびに買って無駄にたまったことをなんとなく思い出した。
経済合理性の問題もある。インフラ側が地獄を見るだろう。バッテリー交換方式は、交換ステーションが、数百〜数千個の電池在庫を抱えることになり劣化管理・所有権管理が必要になってしまう。初期投資が充電器より桁違いに高いということもある。
実際に、 Better Place(イスラエル)は交換式BEVを本気で展開したが、2013年に破綻している。というのも、電池在庫コストと普及速度が釣り合わなかったからだ。
そして、誰が主導するのか?産業構造の問題:誰が「規格の主」をやるのか? 共通規格をやるには、トヨタ、VW、テスラ、中国勢が最初から協調する必要がある。面子を見るだけで、あ、無理、と思うのだが、実際、バッテリーは競争力の核心であり、エネルギーマネジメントこそ差別化要素だ。「心臓を共通化しましょう」なんて、誰が従うか? 自動車産業のDNAと真逆だ。
それでも「一度は正解だった」可能性はある。航続距離が短く、電池が高価で、急速充電が遅かった、2010年前後なら、交換式は「理屈としては」かなり合理的だったはずだ。
実際、中国では今もタクシー・商用車で交換式が生き残っているし、NIOは現在進行形で交換ステーションを展開している。おそらく、用途限定なら成立しうる。
現実は、「急速充電」に収束した。結果として業界が選んだのは、車側は自由設計、インフラ側だけを強化、規格は「充電口と通信」に限定、という道だった。これなら、技術進化を阻害しないし、在庫を持たずにすむ。標準化の範囲も最小化できる。
とは言いながらも、オレは、BEVなど、電池を小さくして格段に軽くしなければ、お題目通りのCO2削減などまやかしだと思っている。ならば小さく軽いバッテリーならばそれに叶うのならば、そうすればいいのに、と、常々思っているのだ。そしてこれは、実際、工学的にも、LCA(ライフサイクルCO₂)でも、あなたの見方は「少数派だが正しい側」 に近いらしい。
結論を先に言うならば、「重く・でかいBEVでCO₂削減」という物語は、かなりの部分が政治的スローガンであり、本気でCO₂を減らすなら「電池を小さくする設計思想」以外に道はないということだ。
「重いBEVほど環境にいい」という倒錯は何とかならないか? BEVのSUVって、矛盾を具現化したものがそのへんのこのこ走っているようなものだ。現在のBEVは典型的に、車重が2.0〜2.5トンで、電池が60〜100kWhの重量400〜700kgときている。これは、冷静に見ると「内燃車より材料もエネルギーも多く使っている」。
LCAで見ると、製造時のCO₂はICEの1.5〜2倍かかり、お題目を達成するには走行距離は再エネ比率が低い国では 10万〜15万km、日本や欧州初期条件だと「そこまで走る前に廃車」 という例も普通に起きうる。
では、なぜ「小さく軽い電池」に行かないのか? それは、BEVは「電池が小さいほど、商品にならない」構造だから。小さい電池の現実として、航続距離は100〜200km、冬や高速ではさらに半減、急速充電依存度が爆増、ユーザーの不安(レンジアングザエティ)が爆発するなど、メーカーはここで必ずこう判断する。即ち、「理屈より、売れる形を作ろう」。
結果、より大きい電池を積む→重くなる→さらに電池を積む、という自己増殖ループに入るわけだ。
本当にCO₂を減らす「正しい解」は何か?
一つ目は、超軽量・小電池BEV、具体的には、電池容量10〜20kWh、車重:800〜1,000kg、航続:100〜150km、都市・近距離専用の、軽EV、シティコミューター、小型配送車では LCA最優解 になりやすい。
二つ目はPHEV(小電池)。電池で5〜15kWh、日常はEV走行、長距離はICE。CO₂削減効率だけ見れば、巨大BEVより優秀 なケースが多い。
三つ目としては、そもそも車を軽くする。車格を縮小し、出力過剰の抑制し、衝突安全「一点張り」設計の見直すことになるが、実はこれら、政治問題。
なぜ政策は真逆へ行ったのだろう? ここに一番「まやかし」な部分だ。
政策側の論理として、測りやすいのは「走行時CO₂ゼロ」ということ。製造時CO₂は見ないのだ。車格・重量にも触れない。国民の反発が怖いのか?産業転換を急ぎたいということもあるかもしれない。本質ではなく、数字がきれいに出る所だけを見るのだ。
実は「小さい電池路線」は何度も潰されてきたらしい。EV1(GM)や、初期i-MiEV、欧州L7e規格:規制がそれにあたる。正しくても、政治と市場が許さなかったらしい。
誰も『質量』と『エネルギー収支』を真面目に語らない」。工学的には
重い=不利、これは逃げられない真実のはずだ。
CO₂削減を本気でやるなら、電池は小さく、車は軽くすべきで、然るに、巨大BEVは、政治・産業都合の妥協解として存在する。
実際、軽のBEVなら乗ってみてもいいのではないかと思っている。遠乗りはできないが。

