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2024年2月26日月曜日

8234 Audi R8R

 

8234 Audi R8R

Audi Team Joest - Audi R8R
Michele Alboreto
Sebring  1999

2022年5月4日水曜日

7486 ブランズハッチのロッシさん & このブログのアクセス状況について

 

7486 ブランズハッチのロッシさん

R8 GT3
Valentino Rossi
Brands Hatch  2022

 自宅から始めてインターネットにつないだのが1998年。ほぼ同時に当時のドメインのサーバーに自分のウェブページを持って、ドメイン替えたらウェブページも移動して、ブログが全盛になれば、ブログに移行し、最初はココログだったが、2011年ごろよりブロガーでやっている。
 画像についてはそれとは別にPixivで晒していたんだが、そちらで公開していたものは公開停止。1994年5月1日をスタートにして、一日一枚で割り振っている。なんでそんな変なことをしているかは、ここ何本かのエントリを見て察してください。
 まぁ、大部分ネットで拾ったものをベースにしたものであるわけだから、コピーライト的にはグレー、それの濃い奴。しかし、一切の収益化をしていないし大々的な広告を打って呼び込みをしているわけでもないので大目に見られているのかもしれない。

 現在6338本のエントリ、Pixivにあったものの再掲載を除き一番古いエントリが2013年1月6日、本日まで3405日、総閲覧数134300、一日あたりは40ほどの閲覧。途中、随分と交信していない期間もあったりしているが、現在は、一週間で均せば大体その辺の数字となる。
 アクセス解析について、なにしろただでやらせてもらってるので、アクセス元の詳しい情報とか検索キーワードとか、見るべきものはないのだが、国別アクセスランキングというのが見ていて楽しい。

 どうにも自分の国からのアクセスがアメリカからのそれに負ける。URL取得のロボットが回っているのかも知れないし、案外日本にいても.comドメインの人のアクセスが多いだけなのかもしれない。その辺よくわからん。

 全期間を通じてということでは、ロシアからのアクセスが案外と多い。時々まとめてアクセスがあったりするのだが、最近ウクライナ問題について書いていたころ、ややアクセスが増えた? ひょっとして監視されてる? とも思ったが、こんな影響力のないブログとか監視してもねぇ、と考えている。

 そして、ウクライナ。3か月ほど前まではコンスタントに視に来てくださる方がいた。どのような方かはわからないが、ご無事でありますように。

 ドイツ、フランス、ポルトガル。こちらからもコンスタントに視に来てくださる人がいるようだ。ありがとうございます。

 上のランキングには出てこないが、時々、キプロスとかトリニダート・ドバコとか、他にも珍しい所からのアクセスがあった時はうれしくなる。





2022年3月31日木曜日

7428 Valentino Rossi_34

 

7428 Valentino Rossi_34

Valentino Rossi
Audi R8 GT3
Imola 2022


 ロッシが4輪で走るというのは既定路線で、そういう意味では新鮮味はない。が、彼のアイデンティティともいえるこの黄色のカラーリングは、不思議と気持ちが沸き立ってしまう。

 しかし、まぁ、なんと申そうか、イタリアからウクライナまでは距離があり、日本からウクライナとなると更にある。戦火に追われる人、銃を持つ人、銃を突きつけられる人、銃を突きつけることを強要される人、ふんぞり返る独裁者、過剰な躁状態で祖国防衛を謳う元コメディアン。そんな人々の事を思うと、それでも定例行事としてこういうことに楽しみを見出そうとする自分の心に苦笑いが出てきてしまう。勿論、こんな時だからこそ、という言い方もできる。

 それにしても、やはりネットで受け取る情報というのは信用ができないというか、伝え聞くに、ウクライナは陥落寸前、という話を聞く一方で、ロシア軍状態がひどく、ロシア政府内部もかなり不安定になっているなんて話も出てくる。どちらが本当か? どちらも本当か? どちらも嘘か?結局のところ、ネットで動向をつかもうにもなにひとつわからない。

 想像するに、大勢の人数の命を奪い多くのものを破壊しながら、紛争以前の元のさやに戻ろうとしているが、今は交渉で有利な材料を得るための小競り合いに移行しつつあるのではないか、と思ったりもする。有志連合の多国籍軍の介入は、いよいよ戦術核なんぞ使用されたらシャレにならなくなるから、最後までない、という結末?

 いや、本当に、日本人的感覚で背景も一切無視して何があっても戦争は止めるべきだ、というのは、自分の不明を告白するようなものだから、それこそやめた方がいいよ。一瞬の死も悲しいが、何十年何百年、何代にも及ぶ、理不尽なロシアへの塗炭の苦しみ、屈辱も、ウクライナ人にとっては許容できないことであると思った方がよい。それを理解せず、ただ戦争をやめるべきなどという言葉が、何にも貢献しないことを理解するべきだと思っている。

 戦争反対の伝統的な市民運動が戦争抑止にほとんど役に立たない、か、むしろ、逆説的にそれすら戦争遂行をしようとする者の、権力基盤を強化してしまっているかもしれないことにも、そろそろ気づいてはどうか? 政治にかかわるあらゆる背景を鑑みず、自分の感覚のみで手軽に戦争反対なを唱えることが、ひょっとしたらただの害悪でしかない、その可能性について考えてみるべきだ。