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2022年4月9日土曜日

2021年11月28日日曜日

7241 Valentino Rossi 1997_3

 

7241 Valentino Rossi 1997_3

Valentino Rossi
Aprilia RS125
Suzuka 1997

 ロッシパイセン、旭日旗デザインのヘルメット被っちゃったりしてくれてます。”連中”が、ある時から思い出したように始めた鬱陶しいキャンペーンを張る前の事ではありますが。知ってる人は知ってる通り、ロッシはヘルメットやマシンの色、開催地やイベントに合わせて、時には気分でよく変えていた。
 ヨハン・ザルコも”連中”の抗議が入る前は旭日旗をヘルメットのデザインに取り入れていたのだが、旭日旗については前に書いたので、ここでは書かない。

 1997年の事ではない。1994年の宮沢内閣時の日米経済対話。バブル後、日本が弱りだした頃に条約という形を捨てて復活した、不平等条約。最恵国待遇ってやつ。アメリカにそれを認めるんなら、俺たちにもよこせというスタンスで来たのが、中国、韓国で、或いはロシアもだが、ロシアの場合は北方領土の問題がある以上、それを確保しているうちは、ネタに乏しくあっという間に引っ込めたようだが、で、中国、尖閣諸島あたりの問題はあるものの、別に今更日本から殊更搾り取らなくてもいいぐらいに大きくなってしまったが、韓国にとっては「戦争時、日本がしたこと」は相変わらず重要な資産になっている。困ったときは日本から搾りとれ、的な。多分、本当にこのことについてひどいことやらかした日本人が、特に社会上層にいるのだろう、または既に鬼籍に入っているのかもしれないが、とにかく明らかにできないような後ろ暗いことをやらかした奴が。それをいいことに、針ほどの事実を丸太ん棒ぐらいに膨らます膨らます。一説によれば、賠償を求める自称元従軍慰安婦であるという女性、偶に計算すると当時5歳にもいかない幼女だったってこともあるときく。なにそしたら、日本軍はペドフェリアだったといいたいわけか? と。
 関係者が存命中に事実を100%明らかにして、責任取るべき人間、ペナルティを受けるべき人間は、然るべきに処されるべきだったが、日韓お互いに、そうされると困る人間が権力を持っている人たちにいっぱいいたのだろう。
 大多数の関係者がすでに存命ではなく、動きようのない事実を事実として明らかにすることはほぼ不可能であるが、裁判の証拠的な精度で可能な限り明らかにする努力をするべき。それから、後ろ暗いから、賠償的な円借款や無償援助もかなりの額してきたはずだ、名目をあいまいにして。それら一遍全部清算すればよい。
 で、その後は、可能な限りかかわりにならないようにする、と。

 ロッシの1997年スズカでのヘルメットから、あらぬ方向に話が膨らんだ。


2021年11月25日木曜日

7238 Valentino Rossi 1997_2

 

7238 Valentino Rossi 1997_2

Valentino Rossi
Aprilia RS125 1997

 長身のヴァレンティーノ・ロッシが、小さな125ccの上、身体を折りたたんで押し込むように乗り込みながらも、しかし、腰を浮かせているという画像。実は「モーター”スポーツ”」という言い方にどこか違和感を感じているんだが、(格闘技も同様、”スポーツ”なんて呼んで、爽やかさみたいなイメージを振りかけようとしているが、それがそぐわないほど、生々しいものがある)、しかし、やはりこういう面、スポーツなんだな、と感じてしまう。シートに腰を落ち着かせない。ステップにふんばり、常に体重移動をして単車を制御する、そういう競技であると。マルク・マルケスなんて見てるとそれが顕著で、小さい体をマシンの上、驚くほど動かしている。
 そういえば、この手の単車、シートは申し訳程度に薄いウレタンをシートカウルに張り付けてあるだけだったりするが、どっしり腰を落ち着ける場所ではない以上、それでいいのかもしれない。

 大学の美術部の後輩のムラカミ君の古巣、RIDERSCLUBはその辺のライディングについてのことに詳しく、事あるごとに解説をしてくれたりするが、’90年代、RC誌のライシング記事に盛んに出てきたのが「リアステア」という言葉で、でも、オレはよくわかってないんだけど、後輪に重心をかけて・・・・えっと、なんだっけ? しかし、その辺のライディングも随分変わってしまって、今のレーシングマシンは大体前輪重視っぽい。がつんと荷重をかけてグイッと曲がるイメージなんだろうか? やっぱりよくわからない。
 ホンダのRC211Vなんて、最初の試作は、モトクロッサーのシャシーに5気筒1000CCを積んだやつで、とにかく、前輪を押さえつけて操ることを主眼にしたらしいが。しかし、ホンダも新規にレーシングマシンを作るときは、着想をモトクロッサーに求めるのが好きな所だ。NS500の時は、ヤマハのTZ買ってきて、エンジンほっぽって、自分処のモトクロッサーのエンジンを積んだ奴から始まった、というのだから。

 いろいろ考え方も変わるものだと。それにつれて乗り方も変わる。

 それはいいのだが、それでもそれでも、これはロッシが始めたことだったと思うが、コーナー手前でイン側の脚をだらんとステップから外すの、あまり好きじゃない。昔に比べてバンク角が非常に深くなっているので、地面にすらないようにステップを踏みなおすのだそうだが、なんか、あんまりかっこよく思えないんだよねぇ。


2021年11月23日火曜日

7235 Valentino Rossi 1997_1

 

7235 Valentino Rossi 1997_1

Valentino Rossi
Aprilia RS125 1997

 オレがヴァレンティーノ・ロッシというライダーを認識するのはこの年からである。相変わらず、田舎にはGPの中継はなく、千年屋氏の名調子も聞くことはできなかったが、テレビが観られなかったは、19、20の時と同じで、それでも、熱心な少年ファンの時と同じように、いろんな方法でGPを追いかける心理的余裕があった年だった。

 この年、どのクラスでも日本人はシーズンチャンピオンこそとっていないが、2位以下の上位を占める、日本イヤーだったような気がする。
 で、ロッシだが、125㏄で、2位以下、上田、眞子、坂田、徳留の4人の日本人を抑えてチャンピオンになっている。この年、ポディウムの中央に上がったのは、ロッシと上田のみ。

 250㏄は、ビアッジ、ウォルドマン、原田の順だが、最後まで混戦だった。

 500㏄は、安定のドゥーハンに続いて、岡田が、シーズン2位、青木兄弟が3位と5位で、阿部が7位。


 であるからして、この年のロッシが、オレにとっての第一印象となる。ちっこい125にGPライダーとしては長身な身体を押し込むように折り曲げて走る様は、亡くなった若井を思い出させた。ああ、このコはすぐに上に上がっていく子なんだろうな、とそれだけで予感させた。

 で、当然のように、125でチャンピオンを獲って、さっさと上に上がっていってしまったのであった。


7232 Valentino Rossi 1996_3

 

7232 Valentino Rossi 1996_3

Valentino Rossi
Aprilia RS125R
Eastern Creek 1996

 ヴァレンティ―ノ・ロッシからは離れるが、1996年のことをもう少し。っていうか、金融システムの崩壊と呼ばれていることについて。

 もう詳しいことは覚えていない。当時の事を詳述したウェブページも探してみたが、読みたかったものが書かれていることについては、見つけられなかった。
 何について知りたかったかというと、金融機関の破綻に際し、公的資金が投入された、それはいい。それに際し、資金を投入する代わりに、経営責任を明確化、つまり、責任者の更迭などの処分を求めたが、金融機関側がこれを、つまり責任者が責任を取る事を拒否した、というのが当時のニュースの第一報で、結局それがまかり通ってしまったということであったと思うが、当時の内実と、その後の話はどうであったかのかと思ったわけだ。

 思えば、オウムでも阪神淡路大震災でもない、このことが日本を壊してしまったのではないかと思っている。地位の高い人間が瑕疵や不公正、不正の責任を取らないということがまかり通るようになったのはこの時からだし、それ以前、銀行マンは融通は利かないけれど誠実なイメージがあったのが、どこか信用できない奴らになってしまった。

 己の技を極める人に名誉が与えられていて、大多数、それを目指していたのが、要するに金をどこかから引っ張ってきたやつが偉い、という世の中になってしまった。特に社会のアッパーとボトムス。さほど動かず、声さえ上げれば金が回ってくる、みたいな理解が出来上がり、そんな様をみて無力感を感じながらも何とか労働への報酬で身を立てている中間の大多数は、徐々に疲弊していった、そんな状態の始まりが1996年であったというのが、オレの印象だ。何らかのデータで裏付けられればいいが、それは追い追い。

 なかなか明るい話題がないな、1996年。これは、当時のオレ自身にも明るい将来の見通しがなかった所為もあるのだろう。


2021年11月20日土曜日

7226 Valentino Rossi 1996

 

7226 Valentino Rossi 1996

Valentino Rossi
Aprilia RS125R 1996

 ヴァレンティーノ・ロッシが引退ということで、GP125での世界選手権デビューが1996年だから、えっと? 25年、四半世紀、彼はあの場にいたことになる。彼の四半世紀自体凄いことなんだが、四半世紀かぁ。空恐ろしくなる、時間の流れの速さには。
 125㏄の最初の一年目のロッシのことは、全く覚えていない、というより、知らなかった。

 まぁ、国元に帰って、ぶっちゃけ都落ちの気分で、しかし、まぁ、いろいろとっ散らかっていたオレには、GPをおちついてみるということができなかった、っていうか、田舎だし、この年の中継、テレビで見ることができたのかどうかわからない。


 今はネットなんてものがあって、Wikipediaなんて便利なものもあって、1996年のランキングぐらいならすぐに検索できる。


 500ccのチャンピオンは、ミック・ドゥーハン。今では息子が4輪のF3に乗る。500㏄の日本人最高位は5位のヤマハに乗る阿部典史。あとは、クリビーレとかカダローラとか。ドゥーハンが強すぎてあとは小粒に見えてしまうメンツ。


 250㏄はマックス・ビアッジ。真木蔵人に似てる。ナオミ・キャンベルとも浮名を流した人。ロッシとは非常に仲が悪かったらしい。でも、ビアッジと仲が良かった人はいない、とも聞く。日本人は5位宇川徹、7位青木宣篤、8位原田哲也。


 125㏄は日本人祭り。1位から青木治親、徳留真紀、眞子智実。ルーキーロッシは9位。


 なんだそうです。全然覚えてない。青木治親が125㏄のチャンプ獲ったこと以外。あ、あと、500cc、阿部典史がヤマハのエースだったけれど、この年のヤマハ、全然走らなくて・・・。うん。全然見てなかった。結果を後で知っただけ。


 うん。余裕なかった。この年の後半からゲーム制作の仕事に携わるようになるが、まぁ、楽しかったけれど、ちょっと人間の生活サイクルではなかったな。その前は、主に個人的心理的理由で、やはり余裕がなかったが、その辺詳述しても、面白いように書くことは、ちょっとできないかな? いや、いろいろこの時思ったことをベースに書くことはできるんだが、エピソード的には全く面白いことがなかった。

 今のこの季節にはもうゲームを作っていて、休憩時間にコンビニで缶コーヒー買って、ガードレールに座ってタバコ何本か灰にしながら夜空見上げてたかもしれない。夜食に牛丼食いに出たりとか。

 まぁ、そんなわけで、この年のGPについて、ロッシについて、何か語れるわけではないのだが、それでも、まぁ、思うところもないわけでもないのである。(続く)


2021年5月31日月曜日

6701 Jason Dupasquier

6701 Jason Dupasquier

Jason Dupasquier
2001-2021

RC250GP 2021


・・・Ride In Paradise