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2021年12月31日金曜日

7279 Wayne Rainey_7

 

7279 Wayne Rainey_7

Wayne Rainey
OWA8
Bugatti Circuit 1989

「男はつらいよ」に関し 3

 満男の愛車として劇中登場したのは、スパーダとGPz400Rの2台では、このウェイン・レイニーのYZRは何かというと、第46作目、「寅次郎の縁談」中、就職活動中、なかなか内定が取れなくてヤサグレてた満男の部屋に貼ってあったのが、ラッキーストライクカラーのYZRに乗って、この画像はコーナーの立ち上がりだが、右コーナーのコーナーアペックス付近、今のコみたいに肘擦りこそしていないものの、フルバンクの姿勢のウェイン・レイニーのポスターだった、というわけだ。
 単に、無造作な舞台背景ではなく、満男のある面へのキャラ付けの意味合いがあることが決定的なんだと思った。
 白時に黒のヘルメットでラッキーストライクというと1989年のことだが、この映画の撮影は早くても1991年、公開が1992年なのだから、こういう映画の性格上公開に割と近い時期まで撮影していた可能性もある。
 無造作に選ぶとすれば、GPでもドゥーハンとか、同じレイニーでもマルボロカラーであるとか、シュワンツでもいい。いや、GPにこだわらなくても、セナ様のポスターの方が調達しやすかったのではないか? わざわざ、でなければ、貼ってあったのが89年のレイニーであることはないようにも思う。あと「HRC」とか「TERRA」っていうステッカーも貼ってあったりする。

 あ、でも、89年頃撮影した時のセットがそのまま残ってるという可能性もあるな、確認はしていないけれど。どうでもいいか。


 2019年の「おかえり寅さん」、あ、ネタバレ注意、なんて、今の今までよりによってこのオレが書くとは思っていなかった言葉を書いてみる。まぁ、大したことは書かないんだけど。満男クンはオレよりはほんの少しだけ若いんだけど、シリーズを通じて、善人たちが幸せ等なのが辛い、というのとは別に、オレと同じ種類のバカで観ているのが辛かったりする。だから、誰もいない、娘も視ていないところで伯父さん思い出してめそめそするの、オレもおなじことやっちゃったりするんだろうか? と思ったりもするが、同じ音のミツオがいっているとおり、「いいじゃない、人間だもの」なのかもしれず。

 山田洋次氏ではなく、庵野秀明氏を連れてきて「シン・男はつらいよ」でも作らない限り、いよいよ、シリーズこれが最後なんだろう。山田洋次氏の作風でこれから映画を作るのも難しいし、敢えて作風を変えてまでそれをすることを、ファンが許さないかもしれない。
 底に流れる精神はそのままに、それでも、「男はつらいよ」のリメイクなり続編なりを作っていくとしたらどうなるだろうと、妄想してみた。

 まず、満男クン、単車乗りに復帰しろ、と。娘の高校受験もあるだろうが、次作がおそらく露天商、即ちテキ屋に関することらしいので、つまりは伯父寅次郎氏がモデルなのは明白で、となれば寅さんがした通り、日本中を放浪するように旅しながらノマド小説家となるしかない。まぁ、次作の時には娘の高校受験もひと段落してそうだが、しかしむすめをひとりにするわけにもいかず、というところで、池脇千鶴氏が演ずるところの担当編集者が名乗りを上げて、住み込みで娘の世話をするようになる。「おかえり寅さん」劇中、ほのかに、満男クンとの仲が進展するかもしれない、という描写があるのだが、
「君の事は信頼しているし、君もボクの事をよく理解してくれてると思ってる。ある意味きみがいるから、小説家としてやっていけるんだけど、でも、だからと言って、結婚とは結び付かないんだ。結婚って何だろう?」
的な若い子が言いそうなセリフを、50を過ぎても満男クンは平気で言いそうではある。まぁ、かの編集氏、さくらおばあちゃん、博おじいちゃんをはじめ周りの人には、そのように認知されていく中で、
 満男クンの日本準で体験したエピソードが映画として綴られていくわけである。寅さんがそうであったように、ちょくちょく葛飾柴又には帰ってきたりするんだけど。あと、寅さんのような艶話とはちょっと違うエピソードな。
 さあ、富山県、そうなったら積極的にロケ、誘致し給え。


 「う~ん、なんて言うかな、ほら、”ああ、生まれてきてよかったな”って思うことが、何遍かあるじゃない、ね? そのために人間生きてんじゃないのか?」

 どのエピソードで寅さんが満男クンに言ったセリフか、ちょっとわからないが、回想として「おかえり寅さん」に出てくる場面である。オレなんかね、生きる意味に結構拘泥しすぎてしくじったと思ったりしているクチだが、若い奴にそんなこと質問されたら、オレならどう答えるだろう? 

2021年10月9日土曜日

7130 Freddie Spencer_47  フレディ・スペンサーとアイルトン・セナ

 

7130 Freddie Spencer_47

Freddie Spencer
0WA8 1989

 フレディ・スペンサーとアイルトン・セナは時折並べて書かれることがあった。信仰の事で、モハメド・アリやカール・ルイスなんかも一緒に言及されていたこともあったし、二輪と四輪の違いはあれど、キャリアのピークにいるときホンダに乗っていて、しかもめちゃくちゃ速く走りが鮮烈だったから。

 しかし、フレディ・スペンサーは、まだ若くその後も彼の時代は続くと目されていながら、500㏄と250㏄の2クラスのチャンピオンとなった’85年の翌年、急激にしぼんでしまった。なんでも、オフシーズン、次の課題を克服するべく、筋トレを励みすぎて、筋肉が神経を圧迫する障害に襲われてしまう。
 clubhouseで知り合いになった、元柔道少女がまさにそれに罹ってしまったそうで、とにかく競技ができないくらいに強烈に痛いらしい。または、競技が続けられなくなるくらいに。そしてそれは何年も続くものらしい。
 何度もここに期するものを持って、再スタートを切ろうとしたみたいだ。ホンダのエースの座はワイン・ガードナーが持って行った。画像の’89年は、フレディと入れ替わりにホンダで走ったエディ・ローソンがチャンピオンを獲っている。しかし、フレディはそれでもバイクにしがみつくも、かつての走りは取り戻せず、そして柔道少女の言によるならば、ずっと痛みを抱えて走り、GPを離れ、米国内のシリーズを走り、やがて消えていった。

 モータースポーツと言わず、スポーツ全般と信仰だ。最近では、大坂ナオミもそれっぽい発言をしていたと思うが、多分、だ、競技の道を突き進むのが神の意志であり、いろいろな迷いがさいなむことがあっても、神の名のもと、時には強烈な使命感をもってわが身を競技に捧げることもある。
 アイルトン・セナは前日のローランド・ラッツェンバーガーの事故で、自身にその時が来ているのだと予感していたのではないか、という記事を見たことがある。しかし、走るのが神に与えられた彼の使命であるとし、悲壮な面持ちでウィリアムズに乗り込んだのだという。(とはいえ、まさか本当にタンブレロに突っ込むとは思ってはいなかったとは思うが)
 筋肉は裏切らないというが、フレディ・スペンサーは、筋肉に裏切られたのだ。しかし、それでも走ろうとしたのは、それが神の意志と信じていたから、なのかもしれない。

 それは、実はまったく別種の自分との戦いだったのかもしれない。レーサーとしてフェイドアウトしてからの彼の事は知らない。2010年代も半ばを過ぎてから、しかし、彼はファンイベントなんかに顔を見せるようになった。多分は一時はバイクなんて見たくもない心境だったと想像できるが、全盛の時のNSR500を駆り、GPの時は走る事のなかった、マン島のジャンプスポットを飛んだりもして見せた。そして、白髪が混じりかつては細面の甘いハンサム君だった老境に足を突っ込んだ男はファンに囲まれ、柔和な笑顔を浮かべながら写真に納まっていた。

 片や、神を信じピーク近くのところで突然天に召された男と、片やひょっとしたら神は裏切ったのではないかという疑念を抱いてしまうような試練を与えられ、今笑顔を浮かべる男。