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2024年6月16日日曜日

8271 Ayrton Senna da Silva_27

8271 Ayrton Senna da Silva_27

Ayrton Senna da Silva
MP4/6
Phoenix 1991

NT0060 1994年5月1日のこと(正確には日本時間で2日のこと)

 本来京都の北山というと結構広い範囲を指すのだという話を聞いたことがある。岩倉から鞍馬、花脊、雲ケ畑もそうだ、と、誰かが言ってたような気がするが、まぁ、バブルの頃はそんな山奥まで行かない、植物園の北っ側の、京都にしてみれば割と新しめの区画整理がされたあたりを指していた。景気がよかったころだから、京都中心地の若旦那が金に物を言わせて、なんか変な建物建てたりスカしたブティック何かが結構立っている地域だった。今はどうなんだろ? 最初の成り立ちから言うとそうじゃない気もするし、案外そのまま今まで来ているような気もする。

 建築中の鉄骨3階建ての1階、半地下みたいになってるスペースにコンクリートブロックを何百個かオレと50手前のおっちゃん2人の人力でトラックから運び込むというのがその日の仕事で。


 初夏であったから、そこそこ暑かったはずだ。で、汗かきのオレであるから真夏のように汗をかき、その日の相棒のおっちゃんや元請けの監督に揶揄われていたはずだ。今もそんな感じだから多分そうだったのだろうという程度の記憶。晴れてはいた、快晴だった。それは間違いない。


 それにしても前夜、オレはテレビを持っていなかったが、隣室の男の部屋から聴こえる、F1中継の音である。いつもにもまして大騒ぎだったけど、何を言っているかわからなかったけど、イマミヤさん、泣き叫ぶような声だったのは聴こえた。何かあったらしい、尋常ならざること。コンクリートブロックを手で運びながら、ずっとそれが気になっていた。


 とはいえ、夕方になるまでそれが何だったか知るすべもなく、夕方帰りのコンビニで売れ残りのスポーツ新聞を買ったか何かして、漸く前の晩のイモラ、タンブレロでの大事故を知る。この時点では情報はまだ錯綜しており、希望的観測もなくはなかったが、しかし、レスキューが駆けつけた時には黄色の「彼」のヘルメットからは脳漿があふれ出しており即死であったらしい。2,3日の内にそれは明らかになる。


 彼のFW16は、流行りの吊り下げ式ウィングのハイノーズではなかった。そうであったならもっと象徴的だったかもしれないが、雄々しいファルスがへし折られたのだ、と、何が時代の大きな潮目を感じてしまった。

 彼の死について、間違いなくショックではあったけれど不思議と悲しいという感情は大きくなかった。ただ、大きな挫折も停滞すらも良しとせず、何よりも前進を第一とした意志の結末に出会ったような気がした。これから人類の何かは坂道を、場合によっては転がり落ちるようにして降りていくのだ、そのように感じた。オレにとってのその時の日付は1994年5月2日。現地時間では5月1日のことだ。



 

2014年7月20日日曜日

3586 前田淳_2 & 「モータースポーツと死生観 4」


前田淳_2 (3586/7670)

Jun Maeda
onSC57
The TT 2005


モータースポーツと死生観 4

 繰り返すが、日本では二輪のレース専門誌であっても、マン島TTや、その他のヨーロッパでの公道イベントのことは、ほとんど伝えられない。マン島TTについては、時折わずかに扱われることもあるが、その分量は微々たるものであるし、その他のイベントについては皆無であるといっていい。
 それは、確かに、世界選手権のつかないローカルレースであるからということもあるかもしれない。いや、厳密にはローカルではないはずだが、遠く離れたく極東に於いてはそのように切り捨ててしまうことも充分可能だ。
 しかし、それは多分口実に過ぎないのではないか、とも思えるのだ。

 ボロボロ、ライダーが死ぬ、特殊なレース、という言い方も出来るかもしれない。酷い言い草で、語弊もいっぱいなのだが。
 前田淳選手が死んだ時はどうだったか? 若いときには国内でそこそこ期待もされたようだが、何やら反骨精神が強かったのかどうなのか、どうやらレーサーとして一般的なコースに乗ることを良しとしない人物ではあったらしい。1997年にマン島に初出場、以来、日本人ではマン島TTの第一人者的なところがあったようだが、2006年に、レース中の謎のスローダウン、後続車に追突されて…、ということらしい。
 らしい、とは、当時はオレにしたところで、マン島TTにさほど興味があったわけではなかったから、当時のことを見たことのようには話すわけにも行かず、今、wikipediaとか、その他のウェブに書いてあることを読む程度ということなのだ。
 当時の認識である。国内のレースに走る価値を見失った、といえばカッコイイが、その輪の中に入りきれないというか、結局のところ、どうしたってトップを走る連中には追いつけず、外で、しかもGPとか違うところで、何か走ってたみたいだが、死んじゃったみたいだね、と。なんという無礼、なんという認識不足だったことか。

 公道イベントの魅力は別格である。それはファンであってもそうだ。ましてや、走り手当人にとっていかほどのものであるか。そして、彼が2003年にブロンズ、2004年にシルバーを獲ったことは、日本人として讃え、また誇るべきものであったと、今更に思うのだ。

 しかし、当時、前田淳の死に対して、それがレースファンであっても、思ったことといえば、大多数、オレと似たようなものではなかっただろうか?

 松下ヨシナリ選手にいたっては、事故死後、初めてその名前を知る始末だった。同じくウェブでは、関係者のブログなどによると、結構、走ることを反対されていたらしい。Facebookなどで、その死を知ったのだが、まぁ、なんというか、イカれた中年が、ノコノコ死ににいったような印象がひょっとしたらあったかもしれない。

 松下選手が走るに際しての反対とは、つまり家族がいるからとか、何かそんな感じのニュアンスではなかったかしら? 結構前に目にしたので、もう一度それについて書かれたブログを探したが見つからなかった。オレの勘違いかもしれない。

 2点。
この家族がいるからそのような「無用な」危険に身を晒すことは厳に控えるべきだ、というのが、今の日本の社会での一般的、主流にある、男性の考え方であると思われるが、それは、果たしてどうなのか? 間違っているとは決していえないけれど、そういうものの考え方に陥穽はないのだろうか?という点。
そして、延いては、このような人死があるゆえに、専門誌はおそらく、マン島TTほか公道イベントのことを伝えないのであろうが、この現代日本でのこういった種の死に対するものの考え方、である。
 この二つは、結局のところ同じところにつながると思うが、もうちょっと考えてみることにする。

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3585 加藤大治郎_9 & 「モータースポーツと死生観 3」


加藤大治郎_9 (3585/7670)

Daijiro Kato
on NSR250
@Welkom,SouthAfrica
GP250,WGP 2000


モータースポーツと死生観 3

 一方、GPはどうであるか?
 ファンとしては、80年代からの、ライダーを中心にしたサーキットでの安全確保の取り組みを知っている。これは、マン島を走るライダーたちも同じだが、走りたいだけで、決して死にたいわけではないのだ。
 お陰で、ずいぶんと人死の少ない競技にはなったらしい。が、どこかで、「死」というものが思いもつかない競技である、という錯覚があるのか、どうか。GPがドルナの仕切りになってから、GPを他のスポーツコンテンツと同様に売り込む、というような経営政策に転換されたようだが、しかし、それが正しいのかどうか。
 ライダーを殺さないような取り組みは絶対に必要だけれど、安全な競技であるというラベルをはり、他のスポーツと同じ棚に陳列する。顧客に、サッカーを求めてきた客と同じように手にとってもらう、というやり方というのは、GPの魅力の一面を削いではいないだろうか? そのように感じるのだ。

 若いイケメンなツルりとした顔の男の子達による競技。今や、かのヴァレンティーノ・ロッシが、トップを走りうるライダーの中では一番のベテランで、同僚だった、戦闘力の一段落ちるマシンに乗るコリン・エドワーズは今シーズンで引退なんだそうだ。
 マルク・マルケスあたりの肘摺りは確かにすごいけれど、しかし、若い身体能力が優れていて、直接的な競技能力が優れているかどうか、だけが問題の、凡百で薄っぺらい競技になりさがってはいないだろうか?

 これは、下位クラスの方針を見ていると、尚のことよくわかる。人死に関わることではないけれど、Moto3、かつてのGP125クラスを完全に若いライダーたちの登竜門と割り切ってしまい、ベテラン達を締め出してしまった時があった。例えば、経済的理由で、或いは固まってしまったライディングスタイルなどの理由で、より排気量の大きなクラスには行かず何年も125ccクラスを走り、何度か優勝経験もあるというベテランライダーというのは、かつてはいた。そこで、言わば世代間闘争見たいものがあったのだけれど、それがなくなった。やがては若いやつの中でベテランを凌駕していくレーサーは確実に出てくる。一方ベテランはやがては負けるのが必然であるわけではあるのだが、そこを何とか走っていく。それが競技の深みとなってかもし出されていたはずなんだが、それが完全になくなった。

 死のことであったり、年齢のことであったり。それはいわば、闇の部分ではあるのかもしれないけれど、陰影を持たないものが魅力的に映るはずがない。モーターサイクルのレースのファンが、他のサッカーなどの競技ではなくコレを選んだ理由というのがこのあたりにあるのではないか、そういう可能性について考慮すべきではないか?

 しかし、これは、単に日本での取り扱われ方がそうなだけである、という可能性もある。

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3584 Guy Martin_8


3584 Guy Martin_8

Guy Martin
on SC59
The TT 2010


モータースポーツと死生観 2

 実際のところ、You Tubeを観ていても、マン島TTレースなどの公道イベントの扱いはというと、イロモノ、といっちゃ失礼だけれど、飛んだり跳ねたりのX-ゲームと同じようなもの、らしい。まぁ、関係者にしたら冗談じゃない、という話にはなるだろう。1907年以来のものであるから一世紀以上の歴史があるのだ。その辺の、思いつきで始めたやんちゃ小僧の遊戯とは違うのだと。
 昔はそれでもよかったのだろう。自転車に原動機がついた程度の乗り物でスピードもそんなに出てはいなかった。しかし、時代も進み、ちょっと洒落にならないスピードが出るようになって、しかし、コースは昔ながら、石壁を掠めていくような、セーフティーマージンがまるでない公道コース。言ってみれば、この辺の農家の裏口の前を通る1.5車線ぐらいの、辛うじて舗装はしてあるような、そんな道を時速300キロで走り抜けるのである。

 文字にすればするほど、それが如何に馬鹿げたことであるか、という風に思えてくる。ひょっとしたら、文字、言語、論理というのは、それ自体、死を回避するような作用を持っているのかもしれない。感情として、それを肯定したくても、言葉にすればするほど、そこから離れていくような。

 それはともかく、クローズドのサーキットのようなグランドスタンドもあってないに等しく、裏ストレートあたりを映すような巨大モニターも、ないことはないのだろうが、あまり意味がない。それよりも、観客は思い思いのポイントで、間近に猛スピードで走り去るマシンとライダーたちを見る。いや、見る間もなく、それらは走り去っていくのであるが、少々驚いているようにも見えるが一様に笑顔の観客達は何を思っているのか?

 観客は何を求めているのか?

 一旦起きたら洒落にならない惨事になってしまう、そして、そんな起きてしまった悲劇を、ちょっと離れた場所から一定の嗜虐性を持って眺めているわけでは、多分、ない。しかし、起こりうる悲劇は確実に前提になっている。勿論、起きる必要はないし、起きてほしいと望んでいるわけは決してないが、自分達は、今、そのような可能性をも持った者を観戦しているのだ、ということは、きっとある。

 走るレーサー達は、なぜ走るのか? レーサーではないオレがコレについていくばくとも語ることは無益なような気はするが、ただ、時として、友人や同僚、場合によっては肉親の死を目の当たりにしても、だからこそ走ろうとする。よりアクセルを開けて前に進もうとするのは、もって生まれた、といっていいレベルの意志であり、そのような悲しみや、死そのものへの恐怖を乗り越えてまで、それを手放さない。

観客は、そういうものに何かを感じ、何かを得たいのだと思っているのだと思う。

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2014年7月12日土曜日

3521 Kenny Roberts_8 & 「モータースポーツと死生観 1」


Kenny Roberts_8 (3521/7670)

Kenny Roberts
on OW54
in WGP 1981


モータースポーツと死生観 1

 そういえば、二輪のモータースポーツを伝える雑誌は月刊としてはもはや二誌になってしまったし、二輪の雑誌だというのに、GPのことをページを割いて毎月伝えるバイク雑誌も案外少ない。バブル期でも、それほど多いとはいえなかったが、それでも、もう少し多かったような気がする。
 その2輪のモータースポーツなのだが、専らMotoGPの結果のみである。モトクロスには専門誌があるようだが、昔であれば、AMAの結果ももう少しわかったし、季節になればマン島TTについての記事もあったりしたのだが、この何年か、雑誌ではとんと見かけない気がする。

 で、石原慎太郎氏が三宅島で開催しようとした公道レース、MotoGPの系統ではなく、マン島TTなど、所謂Irish Road Raceといわれる一連の公道イベントの系統であると思われる。時代が時代で、そのあたり、雑誌を読むだけではほとんど知ることはなかったが、facebook伝いにこの2,3年で結構知ることが出来た。と、ともに、そこでyou tubeに上げられている映像を教えられ、それがどういうものなのかを段々と知ることになるのだが、

 さて、何とも懐かしい感覚なのだ。それは、高校生の時、初めて二輪のレースのことを知ったころの興奮に近い衝撃というか。’80年代前半から半ばにかけての、ケニーとフレディ、ウンティーニ、ルッキネリ、そして片山敬済の時代のことだ。ハング・オフ(ハング・オン)といわれる乗車姿勢というのも、確かに衝撃的だった。それだけではないのだが、あの時の感覚を説明しろといわれても、何とも名状しがたいものであった。ただ、酷く美しいと思ったのは間違いない。
 エディ・ローソン、ワイン・ガードナー、ウェイン・レイニー、ケヴィン・シュワンツ、ミック・ドゥーハン、ヴァレンティノ・ロッシ、それぞれの時代でファンの末席にいたのだが、この何年か、どうにも、かつてのような興奮を覚えない。マルク・マルケスの肘摺りなんてすごいじゃないか、とは思いはするけれど、なんというか・・・。
 それがどういうことなのかは分からなかったが、ネットでマン島TTレースや、マンクスGP、アルスターGPなどの映像を見ていて分かったようなことがあるので、それを書く。

 ひとつには、自分の子供の世代のレーサーとして走っているような時代ということもあるのかな、とも考えた。かつては、走っているレーサー達はおじさんたちでありおにいさんたちであったが、いつの間にやらタメ、年下、そして、いまや子供の世代、である。これは、どのスポーツ興行でも共通するのであろうが、最初は年齢的なこともあって、プレイヤー達に素直にあこがれられたが、年を追うごとに・・・というのはあるのかもしれない。目が肥えて多少のプレイでは驚かなくなるということもあるのかもしれない。
 MotoGPの若いツルりとした顔のイケメンたちに、しかし、老いの負け惜しみでもなんでもなく、魅力を感じることはなく、一方で、今となくても超ベテランといわれるライダーでオレと同じか一つ二つ若いぐらいの公道イベントのライダーたち、こちらにしても、そういうわけでほとんどオレよりは若いはずなんだが、しかし、人によってはジャガイモみたいな顔をしているけれど、なんとも雰囲気のあるライダーたちなのだ。それは、オレが高校生だった頃のGPを走っていたライダーたちも持っていたような気がするのである。それは何なのか、ということなのだが。

(0015/7670)