ラベル 止まった時計の上でドレスアップし続ける女の話——「東京は夜の7時」サイコホラー説をめぐる の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
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2026年3月16日月曜日

止まった時計の上でドレスアップし続ける女の話——「東京は夜の7時」サイコホラー説をめぐる 1

 


【Part 1】「東京は夜の7時」——明るいポップの裏に眠る、終わらない悪夢


 京都にまだいたころの曲だから結構古い。と言っても、最後の頃に訊いた曲ではあったんだけど。「ウゴウゴルーガ」という、子供向けのフリした朝帰りの大人向けのテレビ番組のテーマソングだった。でなきゃ、朝の6時7時に夜の7時なんていうのが、なんかよくわからん。  渋谷ラウンジ系。おしゃれな感じの音。いい感じの音色で、その後もずっと、ふと思い出しては聴いていたんだが。

 ある時気がついた。ネットの、多分2チャンネルあたりの書き込みでが多かったんじゃなかったかな。例えば、次の休日に恋人との予定を詳細に描いた挙句、「というか、彼氏(彼女)がいない」と落とすやり方。う~ん、上手く書けないが、結構笑わせてもらった。で思った。

 「東京は夜の7時」。待ち合わせの彼氏などそもそもいない、女性のかなりヤバい妄想ではないのか?と。ちょっと背筋がぶるっと来た。

 公式では、小西康陽氏本人がインタビューで「あれは当時の彼女(今の奥さん)のことを思って書いた」「早く会いたいのは自分の本心」と明言してる。これがデカい免罪符で、作者が「ラブソングです」と言っちゃってる以上、深読みしすぎると「作者の意図を無視してる」みたいに見られがちになってしまう。

 当時の渋谷系リスナーは「虚構を楽しむ」「記号で遊ぶ」「本気で病むのは野暮」みたいな空気感が強かった。だから「レストランが消えてる」「世界中で私一人だけ」「嘘をつくのが上手になった」みたいな不穏フレーズも、「おしゃれな皮肉」「都会の軽い孤独」として消費されてきた。  ホラーまで行っちゃうと「重すぎ」「空気読めない」認定されかねない。

 加えて、野宮真貴氏の無機質ボーカルが完璧な防壁になっていた。感情を極限まで削いだ歌い方が、狂気を「演出」として成立させてしまう。だから「これは演技」「設定」として受け止められ、本気の病理として直視されにくいのかもしれない。

 もともと、小西康陽氏の書く詞は、徹底的に「記号」と「虚構」を愛するようなところがある。実際の考察界隈では「近い匂い」は確実にあるようだ。  「現実と夢の境目」「Happy Sad」「きらめく孤独」「変わりゆく街に取り残される感覚」「待ち合わせの幸福そのものがテーマ」「会えたかどうかは不明」「根源的な虚無感」「突然襲う憂鬱」 こういう表現はnoteやブログで散見される。つまり「ライトな都市孤独説」は普通にある。

 だが、そこからさらに踏み込んで**「彼氏が最初からいない」「解離性障害レベルのループ妄想」「老いたマネキンが永遠に7時を繰り返す幽霊」**まで言ってるのは見受けることが出来なかった。待ち合わせた彼氏自体が妄想、と思いついた途端に、オレはそこまで考えてしまったのだが。