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2025年6月20日金曜日

グラビアさん

 

8807 月野モア

 有象無象、と言っちゃ失礼か。ピンからキリまで、いや、これも失礼だな。まぁ、なんだ、地下アイドルやらグラビアアイドルやら、そこそこ名が通ったコから”自称”まで、この世には何人いることやら。ここでは、あえて、彼女たちの事を「グラビアさん」と呼んでしまおう。  名前は知らなくてもどこかで見かけた顔。かつてはフェミニストの論争の的にもなったグラビアさんたちだけれど、近年はあまり目立って叩かれることもなくなったようにも思う。フェミの側も、彼女たちがその世界で生き残るために必死なのを知っているのかもしれないし、下手なことを言えば、手痛く逆襲に遭うからかもしれない。  そもそも、売り出し中の若手女優がまず水着グラビアから始めるなんてこともあるだろう。若手から中堅になりつつある、ある女優さんなど、事務所がとってきたグラビアの仕事を拒否したから干されたんじゃないか、と邪推している。  かと思えば、グラビアこそが自己表現と言わんばかりの、グラビア界の大ベテランもいたりして。  若い頃にはこちらも、いろいろとお世話になった。けれどこの歳になると、グラビアを見る視線が変わってくる。相変わらず体の曲線には楽しませていただいているが。しかし、今や体温や肌の質感や吐息を創造するよりも、彼女たちの背景や生活を想像してしまう。  別にグラビアさんたちの生活に入り込むことなんて考えていない。この撮影があった後、名の通った人なら送り迎えもあるだろうが、一般への認知度が低い駆け出しのコなどの、撮影現場から歩いて駅に行き、電車に乗り部屋に帰る途中でコンビニで何か買い、部屋で、もそもそ、それを食べるところとか。  どんなきっかけでこの道に入ったのか。クラスで一番か二番くらいに可愛くて、スカウトされて、自分のルックスに需要があると踏んだのか。あるいは五番目くらいだけれど、どうしても芸能界に入りたくて、自分を売り込んだのか。もしくは他にやりたいことがあって、その資金を得るために、まずはグラビアで、と決めたのか。たぶん、いろんな子がいるんだろう。  でも、グラビアさんの業界、トップランカーをはるのは、甲子園で優勝するより難しいかもしれないんじゃないか?知らんけど。夢を叶える人間の影で、名もなく消えていく子の方が圧倒的に多いような気がする。少なくとも、あ、このコいいな、と思っても、それっきり二度と拝見できなくなることも珍しくない。  いや、確かにクラスじゃ、どっちかと言えば可愛い方だったかもしれないだろうけど、グラビアでやっけるほどじゃないし、正直キツくね? というコや、確かにそれ位だったら場合のよっちゃクラスで一番かわいかったかもしれないが、残念ながら量産型。または、うわ、表情強張ってる、みたいな明らかに無理しているように見えるコもいて、痛々しい気持ちになる。でも、まぁ、な、世の中それでひるむぐらいなら、最初からやるべきじゃないし、覚悟の上の事だろうが。  大丈夫? 悪い大人に騙されてない? って。本人が「やる」と決めたなら、そのコの生き方だ。応援することにやぶさかではない。でも、う~ん、どうなんかねぇ?  自分の娘じゃなくてよかった、と正直思う。娘がこういう生き方を選んだら、親としては反対しちゃうような気がする。心配で、背中を押してあげるなんてできないんじゃないかな?  無責任な消費者としてなら「身体に気をつけてな。うまくいけばいいな」とか言ってあげられるが。



2025年6月18日水曜日

ポチは鳴かない、オレも特に正直というわけでもない、裏の畑の話

  裏の畑、ずっと父親が丹精してきたが、主治医の見立てでは、若い頃ちらっと触れたアスベストが祟り、肺患いで体力が激減し、同じく介護が必要な母と一緒に、有料老人ホームというカテゴリーの施設に入所することになってしまった。

 いろいろ家の事を一人ですることになってしまった子供部屋おじさん。掃除だのなんだの、月一で様子見に来てくれる、関西に住む妹も助けてくれて、文字通り家の中の事はボチボチやっている。

 が、裏の畑だよ。
 オレは、今まで畑はノータッチだった。そういう暇があったら絵を描かねば文章を打たねば、と思ってきた。
 それはそうなんだが、困ったぞ、と。春から夏にかけ、手入れをする者がいない畑では、雑草が伸びる。もう伸び放題。
 今年はムリでも、来年の春先からかなぁ。そんなことも考えたりする。facebookの、高校の同級生や大学の後輩も家庭菜園を始めたという投稿をしていた。中学の同級生の女の子(という年でもないがな)なんて、もうベテランの域だ。

 この前帰ってきていた妹と辛子大根の話をしていたら、栽培してみたらいいと言われた。そうか、やるか。

 それにしても、まぁ、来年からならいらぬ心配だが、ジャガイモ去年はどのへんで栽培してたっけ? ということを思い出す。連作障害という言葉ならオレも知っている。それを避けるにはどうしたらいいんだろう? と思った。

 ChatGPTさんに訊いてみよう。



Me:

 ほらジャガイモとか、連続して同じ畝で栽培したらダメってあるじゃないですか。地力を持っていかれてるからって。追肥とか石灰撒くと化してもダメ?

ChatGPT:

 はい、確かにジャガイモなどを同じ場所で連続して栽培することは、土壌の疲弊を招く可能性があります。ジャガイモは特に土壌の栄養を消耗しやすい作物で、連作すると病害虫の問題が増えたり、栄養が不足して収量が落ちることがあります。
 追肥や石灰を撒くことで、土壌のpHを調整したり、栄養を補充することはできるけれど、根本的な土壌の疲れや病害虫の蓄積を解消するのは難しいかもしれません。連作を避けるためには、作物のローテーションを取り入れたり、休閑地を設けて土壌を回復させることが推奨されます。
 例えば、ジャガイモの後に、根菜や豆類など、異なる種類の作物を栽培することで、土壌のバランスを保つことができます。もし同じ畝でジャガイモを続けて栽培する場合は、しっかりと土壌改良を行い、病害虫の対策をしたり、肥料を過剰に与えないように調整することが重要です。

Me:

 詳しいサイトとか紹介してもらえる? 無理だったら自分で探すけど

ChatGPT:

 ジャガイモの連作に関する情報をお探しですね。以下のサイトが参考になるかもしれません。



参考になるサイト

1.農業総合研究所(農研機構)
  〇農業に関する研究や技術情報を提供しています。
  〇連作障害や土壌管理に関する研究成果が掲載されていることがあります。
  〇公式サイト: https://www.naro.affrc.go.jp/

2.農業技術センター(各都道府県)
  〇各都道府県の農業技術センターでは、地域特有の土壌や気候に合わせた栽培技術や土壌改良方法が紹介されています。
  〇例えば、富山県の農業技術センターのサイト: https://www.pref.toyama.jp/sections/1010/

3.農業関連書籍や専門書
  〇農業書籍や専門書では、連作障害の原因や対策、土壌改良方法について詳しく解説されています。
  〇書店やオンライン書店で「ジャガイモ 連作 障害」や「土壌 改良」などのキーワードで検索すると関連書籍が見つかるかもしれません。


 これらの情報を参考に、ジャガイモの栽培に関する理解を深めていただければと思います。もし具体的な質問や他の情報が必要であれば、お気軽にお知らせください。

Me:

 腐植土で肥料過剰というのは起こりうるだろうか?

ChatGPT:

 腐植土自体は土壌に豊富な有機物を含んでおり、通常は植物の栄養源として非常に有用ですが、「肥料過剰」という状態が発生することはあります。腐植土に含まれる有機物が分解されると、植物に必要な栄養(窒素、リン酸、カリウムなど)が徐々に供給されます。したがって、腐植土を適切に使用すれば、長期間にわたって土壌の肥沃度を保つことができます。
 ただし、以下のような条件では肥料過剰が起こる可能性があります。

1.腐植土の過剰な使用
  腐植土を過剰に使用すると、土壌の栄養濃度が高くなり、特に窒素やカリウムなどが過剰になることがあります。これにより、作物が肥料過剰による障害を受けることがあります。

2.過剰な追肥
  腐植土に加えて、追肥(化学肥料)を過剰に施すと、肥料過剰による問題が悪化します。特に窒素の過剰は、根の成長を妨げたり、病害虫を引き寄せる原因となることがあります。

3.土壌の養分バランスの崩れ
  腐植土は、比較的豊富な栄養を供給するため、他の肥料と合わせて使う場合に、土壌のバランスが崩れることもあります。特に、カルシウムやマグネシウムなどのミネラル成分が不足しやすくなることがあります。

4.排水性や通気性の問題
  腐植土を過剰に使用すると、土壌が重くなりすぎて排水性が悪化することがあります。この結果、根が酸素不足に陥り、過剰な栄養素が根に吸収される前に、土壌が過湿になり、栄養の過剰が植物に悪影響を与える可能性があります。

 腐植土自体が肥料過剰の原因になるわけではなく、過剰な使用や他の肥料とのバランスが問題になります。腐植土を使う際には、他の肥料と組み合わせて使う量を調整し、土壌の栄養バランスを維持することが重要です。また、土壌のpHや栄養素の状態を定期的にチェックし、必要に応じて改善策を講じることが大切です。
Me:

腐植土だけの栽培だと弱くなるかな?

ChatGPT:

 腐植土だけで栽培することは、一長一短があるので、作物によっては弱くなる可能性もあります。腐植土は有機物が豊富で土壌の改善には役立ちますが、栄養素の供給が完全にバランスの取れたものではないため、いくつかの問題が生じることもあります。

腐植土だけの栽培での主な課題:

  1.栄養素の不足
    腐植土は、植物に必要な栄養素を提供しますが、特に窒素(N)やカリウム(K)カルシウム(Ca)、**マグネシウム(Mg)**など、作物が大きく育つために必要な栄養が不足する場合があります。特に成長期の作物には、これらの栄養素を補うために追肥が必要になることがあります。

  2.栄養供給のスピード
    腐植土の有機物が分解される過程で栄養が供給されますが、その速度は遅いことが多いです。そのため、急速に栄養を必要とする作物には不十分な場合があります。腐植土の栄養は、長期間にわたって徐々に供給されることが前提なので、成長速度が遅くなることがあります。
  3.栄養の偏り
    腐植土は多くの微量栄養素や有機酸を含んでいますが、必ずしもすべての栄養素がバランスよく含まれているわけではありません。特に、**リン酸(P)やカリウム(K)**など、特定の栄養素が不足することがあり、それが作物の成長に影響を与えることがあります。

  4.pHの管理
    腐植土のpHは土壌によって異なりますが、一般的に腐植土は酸性に傾きやすいです。土壌が酸性すぎると、特にカルシウムやマグネシウムが不足し、作物が育ちにくくなることがあります。

腐植土のみで栽培をうまく進めるためのポイント:

  〇適切な作物選び: 腐植土だけで栽培する場合、栄養分の少ない作物や比較的栄養が少なくても育つ作物(例えば、根菜類や一部のハーブ)を選ぶと良いでしょう。
  〇作物ごとの肥料調整: 栽培する作物に必要な栄養素が不足している場合は、追肥を補うことを考えましょう。腐植土に加えて、必須の栄養素(特に窒素やカリウム)の補充が必要です。
  〇土壌診断の実施: 土壌のpHや栄養素の状態を定期的にチェックし、必要に応じて石灰やミネラルを補うと良いです。

結論
 腐植土だけで栽培することは、土壌改良や有機栽培には非常に有効ですが、栄養の供給が十分でない場合、作物が弱くなる可能性があります。そのため、腐植土を使用する際には、適切な作物の選定や、足りない栄養素を補うための工夫が重要です。

Me:

 狭いスペースで行う家庭菜園で、連作対策、前年の畝からどれくらい話すべきか? 畝間の通路を翌年の畝にすることは可能か?

ChatGPT:

 狭いスペースで家庭菜園を行う際、連作対策は非常に重要です。特に、畝の面積が限られている場合、連作を避けるための工夫が必要です。以下に、連作対策や畝間の通路を翌年の畝に使う方法について説明します。

1. 連作対策と畝の距離

 連作障害を防ぐために、畝間のスペースを十分に取ることが推奨されます。具体的には、前年に使用した畝から少なくとも30cm~50cmは距離を取るのが理想的です。畝間を挟んで土壌を休ませることができるので、病害虫や栄養の偏りが解消され、次の作物が元気に育ちやすくなります。

 しかし、家庭菜園のような狭いスペースでは、完全に畝間を別のスペースとして分けるのは難しいこともあります。この場合、作物ごとのローテーションが重要です。例えば、根菜→葉菜→果菜など、異なる作物を交代で栽培することで、特定の作物が土壌を使い尽くすことを避けられます。

2. 畝間の通路を翌年の畝にすることは可能か?

 畝間の通路を翌年の畝に使うことは、慎重に行えば可能です。ただし、いくつかのポイントに気をつける必要があります。

  〇土壌の回復時間: 畝間として使われた土は、圧縮されていることが多いため、土壌が乾燥しにくく、栄養素が少ない場合があります。そのため、畝間を翌年の畝に使う前に、土壌をよく耕すことが必要です。  〇土壌改良: 畝間で使っていた土壌は、栄養が乏しくなっている可能性があるので、腐葉土や堆肥を加えることで土壌を改良すると良いです。また、必要に応じて石灰でpH調整を行うと、作物の育ちが良くなります。
  〇根菜系は避ける: 畝間を使う際、根菜類(ジャガイモやニンジンなど)は土壌を掘り返すことが多いため、できれば避けた方が良いです。これらの作物は土壌の圧縮や栄養の偏りに敏感です。

3. 工夫を加えて連作障害を軽減

 狭いスペースで連作障害を軽減する方法として、以下のような工夫があります。

 〇作物ローテーション: 畝の場所を年ごとに交代させることで、同じ種類の作物が同じ土に長期間栽培されないようにします。例えば、今年ジャガイモを育てた場所に来年はトマトやレタスを栽培するようにすると良いです。

 〇土壌改良と追肥: 連作障害が起こりやすい土壌には、肥料を適切に追肥して栄養の不足を補うことが重要です。また、堆肥や腐葉土を使って有機物を補充することで、土壌の健康を維持します。

 狭いスペースでの家庭菜園で連作対策をする場合、畝間の距離を30~50cmは取ることが理想ですが、スペースが限られている場合は、作物ローテーション土壌改良をしっかり行うことが重要です。また、畝間を翌年の畝に使うことも可能ですが、土壌の耕作や栄養補充をしっかり行うことをお勧めします。



 なんてな。鬼も笑い死ぬ来年の話だ。軽く現実逃避が入ってしまった。とりあえずどうする?目の前の草ぼうぼう。文字通りWWWWWWWWWWWW。

 ホームセンターで電動コード式の草刈り機を買ってきた。混合ガソリン仕様とか、バッテリー仕様だと高い。コード式は不便だが、裏の畑でやるなら延長コード、ドラムリールなら持っている。なんとかなるだろう。

 まぁ、こんな感じですわ。


これが、

こうなった、と。

2023年1月1日日曜日

7775 Toni Elias & T1057 この何時間かのこと。

7775 Toni Elias

Toni Elias
RC211V  2006

新年あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

Happy New Year. I look forward to having a good relationship with you this year too.

Bonne année. J'ai hâte d'avoir une bonne relation avec vous cette année aussi.

Frohes neues Jahr. Ich freue mich auch in diesem Jahr auf eine gute Zusammenarbeit mit Ihnen.

Feliz año nuevo. Espero tener una buena relación contigo este año también.

新年快樂。我也期待今年與您建立良好的關係。


 大晦日は、年越しそば食ってから、アドリアン・モリラスの絵を上げたあたりで、非常に眠くなり、寝て目が覚めたら、23時20分。漸うテレビを視出せば、福山雅治氏が歌っていて、ナイスタイミング。
 別に福山雅治氏の歌が好きというわけでもなく、紅白歌合戦は本当にどうでもよく、ただ、最後のホタルノヒカリの合唱の後、「行く年くる年」の梵鐘がゴ~ンってなる音、あの雰囲気のギャップが毎年楽しくて見逃せないと思っている。
 当地の、改修工事終了間もない勝興寺が映ったりして、それを視終わってから、ト二・エリアスの絵を仕上げて、こうして上げているわけだ。
 意図したわけじゃないが、赤が賑賑しくって、何となく正月っぽいでしょ? 違う? そりゃ、残念。

 2006年の10月、ウチの両親、まだまだ足腰元気で、夫婦してスペイン、ポルトガルにいた。で、ポルトガルにいた時、丁度地元のGPでジモティー、ト二・エリアスが絶対王者ヴァレンティノ・ロッシを抑えて優勝しちゃったものだから、そりゃぁもう大騒ぎさ、だったそうだ。
 当時、多分60代半ばの母、オレがテレビでGP見てたので、宇川徹氏とヴァレンティノ・ロッシ氏の名前だけは知っていて、ト二・エリアス氏の名前もその場で覚えたんだそうな。もう、多分忘れてるけど。

 今はあからさまにそれをやると危険行為として厳しいペナルティがあるみたいだが、ト二・エリアス氏、特に下位のクラスにいた時はインのインを強引に割り込んでくるスタイルのレースをやっていて、なんだ、こいつ? と見ていて思っていたものだ。
 あの時の男の子も、もう40過ぎなんだそうだ。月日の流れ、怖え、怖え。

 感覚的には先週の事を描いているような感覚だけど、もう10数年たってしまっているのだから。実のところ、オレの嗜好がGPについていけたのは時代的にはこの辺までの事だった。

 続きは、また今度。


On New Year's Eve, after I ate soba, I got very sleepy around the time I posted a picture of Adrian Morillas, and woke up at 23:20. When I finally started watching TV, Mr. Masaharu Fukuyama was singing, nice timing.
I don't particularly like Masaharu Fukuyama's songs, I really don't care about the Kouhaku Uta Gassen, but after the last chorus of "Hotaru no Hikari", the temple bell of "Yuku Toshi Kuru Toshi" goes off. I think that the gap between the sound and the atmosphere is fun every year and cannot be overlooked.
The local Shokoji Temple, which had just finished its renovation work, was reflected in it, and after I finished looking at it, I finished the Toni Elias painting and put it up like this.
"I didn't mean to, but the lively red color somehow feels like New Year's, doesn't it?"  different? "That's too bad."

In October 2006, my parents were still in good health and were in Spain and Portugal as a couple. So, when he was in Portugal, Toni Elias, who was born in his home country, beat the absolute champion Valentino Rossi to win the local GP, so it was a big fuss.
At that time, my mother, who was probably in her mid-60s, was watching the GP on TV, so I only knew the names of Mr. Toru Ukawa and Mr. Valentino Rossi. She also learned the name of Mr. Toni Elias on the spot. Maybe she's forgotten her mother now.

Now, if you do it outright, it seems that there is a severe penalty as a dangerous act, but Mr. Toni Elias, especially when he was in the lower class, was doing a style race where he forcibly interrupted the inside. Who is this? "That's what I thought when I saw it."
"The boy at that time is said to be over 40." Time passes, fear, fear.

"Intuitively, it feels like I'm depicting what happened last week, but it's been over ten years." To tell the truth, it was around this time that my tastes were able to keep up with GP.

"Let's continue next time."


Le soir du Nouvel An, après avoir mangé du soba, j'ai eu très sommeil au moment où j'ai posté une photo d'Adrian Morillas et je me suis réveillé à 23 h 20. Quand j'ai finalement commencé à regarder la télévision, M. Masaharu Fukuyama chantait, bon timing.
Je n'aime pas particulièrement les chansons de Masaharu Fukuyama, je me fiche vraiment du Kouhaku Uta Gassen, mais après le dernier refrain de "Hotaru no Hikari", la cloche du temple de "Yuku Toshi Kuru Toshi" se déclenche. le son et l'ambiance sont amusants chaque année et ne peuvent être négligés.
Le temple Shokoji local, qui venait de terminer ses travaux de rénovation, s'y reflétait, et après avoir fini de le regarder, j'ai terminé la peinture de Toni Elias et je l'ai mise en place comme ceci.
"Je ne voulais pas, mais la couleur rouge vif ressemble en quelque sorte au Nouvel An, n'est-ce pas ?" Différent ? "C'est dommage."

En octobre 2006, mes parents étaient encore en bonne santé et étaient en couple en Espagne et au Portugal. Ainsi, lorsqu'il était au Portugal, Toni Elias, qui est né dans son pays d'origine, a battu le champion absolu Valentino Rossi pour remporter l'épreuve locale. GP, donc c'était un gros remue-ménage.
À cette époque, ma mère, qui avait probablement la soixantaine, regardait le médecin généraliste à la télévision, je ne connaissais donc que les noms de M. Toru Ukawa et de M. Valentino Rossi. Elle a également appris le nom de M. Toni Elias. peut-être qu'elle a oublié sa mère maintenant.

Maintenant, si vous le faites carrément, il semble qu'il y ait une sanction sévère en tant qu'acte dangereux, mais M. Toni Elias, surtout quand il était dans la classe inférieure, faisait une course de style où il a interrompu de force l'intérieur. ce que j'ai pensé quand je l'ai vu."
"Le garçon à ce moment-là aurait plus de 40 ans." Le temps passe, la peur, la peur.

"Intuitivement, j'ai l'impression de décrire ce qui s'est passé la semaine dernière, mais cela fait plus de dix ans." Pour dire la vérité, c'est à cette époque que mes goûts ont pu suivre GP.

« Continuons la prochaine fois.


An Silvester, nachdem ich Soba gegessen hatte, wurde ich sehr müde, als ich ein Bild von Adrian Morillas postete, und wachte um 23:20 Uhr auf.Als ich endlich anfing, fernzusehen, sang Herr Masaharu Fukuyama, schönes Timing.
Ich mag die Lieder von Masaharu Fukuyama nicht besonders, die Kouhaku Uta Gassen sind mir wirklich egal, aber nach dem letzten Refrain von „Hotaru no Hikari“ ertönt die Tempelglocke von „Yuku Toshi Kuru Toshi“. der sound und die atmosphäre macht jedes jahr spass und ist nicht zu übersehen.
Der örtliche Shokoji-Tempel, der gerade seine Renovierungsarbeiten abgeschlossen hatte, spiegelte sich darin wider, und nachdem ich ihn fertig angeschaut hatte, stellte ich das Toni-Elias-Gemälde fertig und hängte es so auf.
„Das wollte ich nicht, aber das knallige Rot fühlt sich irgendwie wie Silvester an, oder?" Anders? „Das ist schade."

Als meine Eltern im Oktober 2006 noch gesund waren und als Paar in Spanien und Portugal waren, schlug der in seiner Heimat geborene Toni Elias in Portugal den absoluten Champion Valentino Rossi, um das Lokal zu gewinnen GP, also war es eine große Aufregung.
Damals sah meine Mutter, die wahrscheinlich Mitte 60 war, den GP im Fernsehen, daher kannte ich nur die Namen von Herrn Toru Ukawa und Herrn Valentino Rossi, sie erfuhr auch den Namen von Herrn Toni Elias auf der Stelle Vielleicht hat sie ihre Mutter jetzt vergessen.

Nun, wenn Sie es direkt tun, scheint es, dass es eine schwere Strafe als gefährliche Handlung gibt, aber Herr Toni Elias, besonders als er in der unteren Klasse war, fuhr ein Stilrennen, bei dem er das Innere gewaltsam unterbrach was ich dachte, als ich es sah."
„Der Junge soll damals über 40 gewesen sein.“ Die Zeit vergeht, Angst, Angst.

„Intuitiv fühlt es sich an, als würde ich darstellen, was letzte Woche passiert ist, aber es ist über zehn Jahre her.“ Um die Wahrheit zu sagen, war es ungefähr zu dieser Zeit, als mein Geschmack mit GP mithalten konnte.

"Lass uns beim nächsten Mal weitermachen."


En la víspera de Año Nuevo, después de comer soba, me dio mucho sueño cuando publiqué una foto de Adrián Morillas y me desperté a las 23:20. Cuando finalmente comencé a ver la televisión, el Sr. Masaharu Fukuyama estaba cantando, en un buen momento.
No me gustan particularmente las canciones de Masaharu Fukuyama, realmente no me importa el Kouhaku Uta Gassen, pero después del último estribillo de "Hotaru no Hikari", suena la campana del templo de "Yuku Toshi Kuru Toshi". el sonido y el ambiente son divertidos todos los años y no se pueden pasar por alto.
El templo Shokoji local, que acababa de terminar su trabajo de renovación, se reflejó en él, y después de que terminé de mirarlo, terminé la pintura de Toni Elias y la puse así.
"No fue mi intención, pero el color rojo vivo de alguna manera se siente como el Año Nuevo, ¿no?" ¿Diferente? "Eso es una lástima".

En octubre de 2006, mis padres aún gozaban de buena salud y estaban en España y Portugal como pareja, así que cuando estaba en Portugal, Toni Elias, nacido en su país de origen, venció al campeón absoluto Valentino Rossi para ganar el local. GP, por lo que fue un gran alboroto.
En ese momento, mi madre, que probablemente tenía unos 60 años, estaba viendo el GP en la televisión, por lo que solo sabía los nombres del Sr. Toru Ukawa y el Sr. Valentino Rossi. También se enteró del nombre del Sr. Toni Elias. en el acto Tal vez ella se ha olvidado de su madre ahora.

Ahora bien, si lo haces de plano, parece que hay una sanción severa como acto peligroso, pero el señor Toni Elias, sobre todo cuando estaba en la clase baja, estaba haciendo una carrera de estilo donde interrumpía a la fuerza el interior. lo que pensé cuando lo vi".
“Se dice que el chico en ese momento tiene más de 40. El tiempo pasa, el miedo, el miedo.

"Intuitivamente, se siente como si estuviera representando lo que sucedió la semana pasada, pero han pasado más de diez años".

"Continuemos la próxima vez".


大年夜,吃了蕎麥麵,發阿德里安·莫里利亞斯的照片時,我很困,23:20 醒來,終於開始看電視時,福山正治先生在唱歌,時間真好。
我不是特別喜歡福山雅治的歌,紅白歌合唱我真的不在乎,但是在《螢之光》的最後一個副歌之後,《Yuku Toshi Kuru Toshi》的寺鐘響了。每年的聲音和氣氛都很有趣,不容忽視。
當地剛修完修光寺的正光寺倒映在裡面,我看完之後就完成了托尼埃利亞斯的畫,就這樣放了起來。
“我不是故意的,不過這鮮紅的顏色,怎麼感覺有點過年的感覺,不是嗎?” 不一樣?

2006年10月,我的父母身體還不錯,夫妻倆在西班牙和葡萄牙,所以在葡萄牙的時候,出生在自己祖國的托尼·埃利亞斯打敗了絕對冠軍瓦倫蒂諾·羅西,贏得了當地的冠軍。 GP,所以大驚小怪。
那時,我大概60多歲的母親正在電視上看GP,所以我只知道Toru Ukawa先生和Valentino Rossi先生的名字。她還知道了Toni Elias先生的名字當場。也許她現在已經忘記了她的母親。

現在,如果你直接這樣做,似乎是一種危險的行為會受到嚴厲的處罰,但托尼埃利亞斯先生,尤其是在低級別的時候,正在做一種強行中斷內部的風格比賽。“那是我看到它時的想法。”
“當時的男孩,據說已經四十多歲了。”時間流逝,恐懼,恐懼。

“直覺上,感覺像是在描繪上週發生的事情,但已經過去了十幾年了。”說實話,也是這個時候,我的口味才跟上了GP。

“下次繼續吧。”