2024年4月29日月曜日

8270 GSX1100S _37

 

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NT0058,0059 首都高の青い鳥~キリン

 思い出してみたら、どちらも若い頃の不完全燃焼から来る拗らせオジサンの話だった。しかも作中の彼らは今のオレより若いと来てる。参ったな・・・。けじめを然るべきときにつけられなかった、故の迷走であるが、その然るべきにつけられなかったら最後、作中の彼らは一応けじめがついてすっきりした顔をしているが、いや、違うだろ、拗らせたら最後、限りなく同じ形をしていてしかし別の呪縛になるようなきがするんだが、どうか? 老い、いよいよ走れなくなるまで走ることを強要してくる呪いだ。
 さもなければ、彼らみたいにどうやったって敵わない、笑っちゃうくらいレベルが違う若い奴に情け容赦なく追い抜かれていくか。そりゃね、そうなっちゃったら実際は悔しいに違いないが、自分自身の痕跡はここから無くなっちまうかもしれないけれど、オレがいた場所は確かにここだった、とか感じながら消えていくんだろう。呪縛から解放された魂はようやく成仏するってわけだ。

 魂のうちの幾漠かはそこで成仏しても、しかし、その後の時間というのが確かにあって。そこで終わっときゃ、ひょっとしたらいい話で済んだかもしれないが、若い時には経験しきれなかったみっともない思いもすること、多々あったり。それも、ま、然るべき時にやり切れず何をどうしても、若い時にやりたかったことやったのに、拗らせてしまう要因ではある、ような気がする。

 んでさ。拗らせてしまうほど、何をどうしたかったのか? と考えた時に、突き抜けたかったんだろうな、みんな、と考えた。オレもなんだが、これっぽっち書いただけでは、そういうことに頭を巡らせていないと、何のことだかちっとも分かんねぇ、って。多分オレだって若い時は、突き抜けたいと思っていたはずなのに、老いてしまうとそういう時の気持ちを忘れてしまってる。きれいさっぱりと。で、だしぬけに、何をどうしたかったのか? と問われたりなんかしても、なんかピントの外れたことしか言わないような気がする。

 以下、今流のジェンダー論とは多々相容れない理屈だが、思いつくまま、まずは書いてみる。女性は子宮を持って生まれた時点でどうやったって女性なのである。後は個々の選択だし、病気などの事情を抱えた人にはまぁ、申し訳ないとしか言えない。男性は、男性に、何かになろうとして、初めてそういうものになる。思わなければ、その辺の有象無象、今流に言えばモブ以上、いや、それにすらなれない。何かうごめいているが、せいぜい背景として自己主張もせずおとなしくしていてください、と、言われてしまうような。

 若い時なんて言うのは、それぞれの人生の中で一番脳細胞が動いて、勢い、要らんこともいっぱい考えてしまいがちになるものだが、まぁ、そういう奴らの中で一定割合、どれだけかは知らんがな、何のために生きているのか、うまれてきたか、自分の存在意義、そんなもんを考えてしまうわけだ。んで、もって若い時はそれへの回答のヒントにもまた乏しい。それはそれで苦しいもので。
 最初から考えない奴もいるし、ちょびっと苦しいと思ったらさっさと考えるのを止める奴もいる。そんな奴を、若い時なんて特に蔑みつつも、いや、ちらとも蔑むような感情を持ってしまったら最後、と言うべきか、思考の沼にはまり込んでいく。

 そういう奴らの精神と思考はとてもバランスが悪く不安定だ。オレの場合は、ということで書くならば、そういう時に限って、いや、ずっと、今も、か、人の言う事に聞く耳を持たない。
 でも、そこから突き抜けたいと、ずっと思っているのだ。そうじゃないかい?

 青い鳥は、何も考えていないような主人公にぶっちぎられたときに、自分の”果て”にたどり着いたのだと感じ、キリンは女に出会い、結果的に薩埵峠近くのガードレールから飛ぶことにはなったけど、そういう場面で、彼は、ひょっとしたら昔ならアクセルを戻したタイミングでも回しきれたという事実により、吹っ切ることができたようだ、一応は、だけど。

 さて、自分が何者か?という問いが、なぜか異様に重い問いになってしまっている奴。今はね、あの時から、更にアニメとかラノベの異世界に行っちまえば現世のその重さから解放される。苦しいのはそれだけじゃないけれど。エルフやけもみみの美少女が慰めてくれる。重いことを考えなくてもね。
 でも、多分いる。それを良しとせず、さりとて、「無敵の人」となって周り巻き込んで爆散してしまうわけにもいかないと思って、ひとり重さに耐えているのか耐え切れず潰されそうになってる奴。
 あぁ、そうか。エルフ、けもみみのかわりの単車だったり、チューニングカーなどと言うのもおこがましいボロボロの何か弄った車だったか。そうので、あと少しアクセルを開ける、その感覚を夢想し、それを実際にやってみたかったんだ。それが、いってみれば「突き抜ける」ってこと。

 まぁ、なにをやるのかなんて、答えは人それぞれなんだが、今いる境地なんて、そいつならではのもので、周りには誰もいない、寒風吹きすさぶ荒野のようなものだ。ぶっちぎってくれる若い奴も寄り添ってくれる若い女もいない。いないからやらないのか? そうじゃないだろ?って。

 ネットでいろいろガス抜きも出来る時代に、しかし、そこに言葉をあげて散らしたりせず、重さの純度をひたすら上げている奴も、きっといるだろう。そういう奴に、幸、多からんことを祈る、としか言えないが心からそう思う。


2024年4月27日土曜日

NT0057 ノート「裏道を行け ディストピア世界をHACKする」橘玲

  岡田斗司夫氏に教えられるまでもなく、橘玲氏の書くものには、一定の共感というか、目から鱗というか、うん、尤もだ、がありまくりで、こういう物書きを知るというのも、20年に1回ぐらいじゃないかしら、と思うが、あまり持ち上げてもしょうがないか。


 最初に意識の中に入ってきたのは、彼のリベラルに対する深い失望を書いた文章だったように思う。決して、ネトウヨ的保守主義者ではなく、寧ろの反対の立ち位置に居たいのに、どうにもダメ~な奴しか、その界隈には見当たらない、的な文章だったように思う。オレは誠にそうだと膝を叩いた。ぽ~ん!と。



 さて不摂生でこの身にまとわりついた脂肪はいろいろ不都合を引き起こし、可及的速やかに、しかし無理をせず、取り除かねばならないわけで、GW初日だ。しゃこしゃこと部屋でエアロバイクを漕いでるわけなんだが、そのお供として、講談社現代新書の橘氏の「裏道を行け ディストピア世界をHACKする」。


 うん。ディストピア。社会としてこの絶望的な状況を何とか出来る処方なんてないのだ、というのが橘氏の主張。だから何をしてもいい、というわけではなく、完全に諦めたわけではなく、現状認識としてそれはそれ、何か出来ることはないだろうか? 方向を探すために思考して、その中で生まれ出てくる、氏の著作群と捉えている。

 ならば、この状況で個は如何に動くか?、動くべきか? そういうことなのだろうか? タイトルだけを見て、そのように想像した。


 しゃこしゃこしゃこ。


 第1章は、非モテが如何に超絶ナンパ師になるか?という話。これはオレが何十年前から思っていたことだが、要するにだ。女性が男性をパートナーとして選ぶ基準というのは、自分という個体と子孫=遺伝子の保存のために最も有利そうな相手、ということなんじゃないか? ということだが、これは、この分中にも書いてある通り、生物は遺伝子の乗り物である、という何十年前に聞いた説のオレなりの解釈以上のものではない。

 偶にこの基準が壊れた女の人の話も聞く。ダメンズとか。でも、まぁ、それは、次善に次善を重ねるうちに、基準が歪んでいったということで、そういうことで、少なくとも自分の当座の精神の安定は得られる、そういう選択と考えられないこともない。

 或いは、お眼鏡に叶う相手がいなければ、おひとりさまという選択もある。これは遺伝子の保存というよりは、個の安定が優越してしまった結果なんだろう。何はともあれ遺伝子の保存、という事ではないらしい。

 そういう基準、その為の行動原理を突いてやれば、ナンパもし放題、そういう男の話であるらしい、第一章。


 ちょっと思うことが増えたので、本はそこで閉じた。物思いに深けながら、汗かきつつペダルを動かすのであった。


 しゃこしゃこしゃこ。

8269 Sport 1000

 

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8268 S30Z _54

 

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NT0056 カゲロウのように現れた白いZはカゲロウのように走り去っていった話

 小学校の時の学校の帰り道だ。


 まさか、大人になって仕事の付き合いが出来るとは思わなかったアラタ鉄工、小学生の時はまだ田んぼだった、でも、今から書くことがあった、割とすぐあと、田んぼは埋め立てられ保育園になった。角を曲がれば同級生のスイモンの家の前に行く道を曲がらずにまっすぐ行けばまた田んぼ。で、その次がナカオ製作所。そこから嫁に出た娘さんがピアノの先生で、妹やオレはそのピアノ教室に通った。まぁ、おれは、5年生の秋口から中1の夏までの2年弱だったけど、妹は結構長く通ったかもしれない。そのナカオ製作所は今は無く、工場は無くなり造成されてこじんまりとした戸建てが並んでいる。このあたりでナカオと言えば、今じゃ中心市街地を挟んで西の方にある和菓子屋さんの支店であって、ナカオ製作所をググっても、三重の方とか他所のナカオ製作所は出てくるが、当地にあったナカオ製作所は、どこにも影も形もない。あの工場で何を作っていたのか? 当地の事だから金属関係かな、とは思うが、それも全くわからない。

 ある学校帰りのことだ。あ、そうそう、アラタ鉄工やナカオ製作所に行く手前、この時はスーパーだったオタルヤは今でも惣菜屋さんの「おたるや」として営業されているのかどうなのか、看板はかかっている。その前に差し掛かった時だ。
 ナカオ製作所の前は、南側から来ればゆるい右カーブ、学校から南に向かえば左カーブになっている。そこを、普段には見かけないクルマが曲がってきた。


 折しもお子様たち、特に男の子たちの間ではスーパーカーブーム。自分達の父親の退屈なクルマではなく、なんか、もう現実離れしたクルマにあこがれたものだ。
 まぁ、今から思えば、ウチの父の510SSSもなかなかシブいクルマではあったんだがね。


 学区内では、もっとウチからは学校を挟んでずっといったあたり、何とかという喫茶店の前、やら、隣の学区、市場の方、やらに、ポルシェの924がとまってるとか何とか。田舎だからその方面のクルマの話はそれっきり。


 で、だ、ナカオ製作所の前を曲がってきた、ちょっとこの変じゃ見かけないような、白いクルマだ。遠目に、ポルシェ911かな?とか思った。901ボディの所謂ナローポルシェって呼ばれてるなんて、大人になって知ったけど、この時は、ターボの太いバンパーではなくて、ライトの下に、下瞼のようにウインカーがついていて、細いメッキのバンパーがついてるやつ。それかと思った。


 近づいてくる。違った。フェアレディ―Zだった。外車のスーパーカーよりは随分普通で、ちょっとがっかりしたが、反面、この存在感は何なのだろう? すれ違って、学校の前を通り過ぎ走り去っていく所を、振り返って呆けた態で見ながら、そんなことを思っていた。


 日本車が、販売数では、ほぼほぼ勝つことできて、性能面でそういう車を凌駕する、ちょっと前の話だ。



2024年4月26日金曜日

NT0052~0055 次の大地震1 わが身に起こったことから始める

  何も元旦から来なくていいだろ、大地震、というようなこと、これで2度目?3度目? 文章にして打っている。そんな、何もこの日じゃなくたって、というやつが、よりによってわが身を掠って行った。

 自覚的に180度方向転換する、なんていうこともないのだけれど、この地震が、ひとつ、変る節目になるんじゃないかという予感がある。自分自身も、この社会も、だ。

 いろいろもやもやッと浮かんでは、消えずに何か堆積していってて、わが思考ながらウザい。でも、なぜ消えないかと言うと、それなりに大事なことなんじゃないかと、何処かで考えているからだ。


 いきなり、な、突拍子もなく政治、社会、経済、天下国家の転換を説いても、我ながら、あ~、はいはい、だし、かと言って今後一切そんなことを表に出さないつもりもまたなく、っていうか今じゃないが近いうちになんか言うつもり満々なんだが、綺麗に論理だてて申し上げることはひょっとしたら、っていうか、多分出来ない。せめて、自分の中の或る思考から、関連ある形で連ねるように考えていきたい。


 まずは、これ1月4日にもこの内容の事を書いたんだが、起点はやはりというか、我が身、という事にしたい。


 2024年、令和6年の元旦の夕方、オレは何をしていたかと言えば、中途半端に増えて壁に陳列しきれなくなったミニカーのコレクションを並べる棚の増設の工作をやっていた。

 今更、正月が特別めでたく感じるようなことも、正直言って無く。これで、子供や孫がいればかなり違っていたのかもしれない。老いた両親にはついに孫を抱かせてあげられなかった。毎度忸怩たる思いが胸を衝くが、まぁ、今更何を言っても仕方ない。そろそろ相当弱った両親を気遣い、西宮の妹が月一で帰ってきている。正月は正月だが、正月の帰省という感じは少々薄い。

 テレビも、昔、子供の頃は正月は特別感を感じられるものだったが、そんな感じも今や全くない。そもそも、食事の時にニュースを見る以外、テレビ何か観ない。あ、そうそう昨晩の紅白歌合戦、あとでYOUTUBEでyoasobiの「アイドル」の分だけ視聴したが、まぁ、日本のアイドル、韓国のアイドルがそろって、にぎにぎしく踊るという演出で、うん、最後の結果発表だけ見たんだけど、紅組勝利、ここまで昔の紅白の終盤を思わせるような盛り上がりがあれば、紅組勝つよな、と、まぁ、アンチ韓流からの批判はあったものの、よかったんじゃね?という感じで。

 閑話休題

 4時過ぎだ。確かサッカーの日本代表がタイと親善試合をしているはずで、1階の居間で両親と妹がぼーっとそれを見ているはずだ。子供部屋おじさんたるオレはそんなわけ2階の自室でネット覗きながら工作なんぞ。


 揺れた。まぁ、珍しいことではないが、少々いつもよりは大きかった。ネットで地震速報を確認し、ネットからツイッターに書き込もうとした瞬間、


 超デカいの来ました。今までにないくらい。机の下なんかに潜れない。本棚が倒れてきたら詰む。本当はやっちゃいけない対処だが、立ち上がり近くの本棚を抑えた。そんなわけで抑えた本棚からはそうでもなかったが、その他の本棚から、雪崩のように本が落ちる。たちまち膝上まで本に埋まった。

 東日本大震災の時に撮影された映像で、物に埋まりドアが開けられなくなり逃げられなくなって途方に暮れた、という内容の物があった。それを思い出し恐怖もしたが、やがて揺れは収まる。

 そのころには、うわぁ、これの片づけめんどくせぇ~、なんて思うようになっていた。

 そうこうしていると、これだけ揺れて1階に降りてこないオレの様子を見に妹が上がってきた。「あ、今行くから」と、言って、オレは脚を本の山から引き抜き、下に降りて、テレビを見た。さすがに地震速報をやっていた。これだけの揺れだものな。珠洲なんだそうだ、街並みと海岸を交互に映していたが、女性のアナウンサーが「津波警報です!」と絶叫した。


 当地、富山県で事前に想定されていた津波というのは、砺波平野頭部~呉羽断層の北東側の延長線上、日方江沖5キロが波の起点の物で、波高が最大5m。海岸線より8キロ以上離れている我が家にまで津波は来ることはないと、ハザードマップには書いてある。


 と、


 「大津波警報です!!」アナウンサーの声がひっくり返るくらいに更に切迫した声が更に切り替わる。津波警報で3m、大津波で5m。ハザードマップを信じるなら慌てることはない。のだが、のほほんとしてちゃダメなんじゃないかと考えたりもする。それくらいアナウンサー氏の声は切迫したものだった。


 車を止めてある場所の隣りがボロ屋で、倒壊したらオレの車も廃車である。外に出てそんなことはなかったことを確かめて、テレビではアナウンサー氏のほかに解説委員の人もしゃべっていて、「津波タワーに避難して・・・」なんて言ってるが、この辺、そういうものはないんだよ、と思いながら、二階に戻る。


 さ、オレはどうしよ? 途方に暮れる。PCもケータイも本に埋まっているのだが、会社からBCPの所在確認メールが来るはずで、それに答えなきゃいけない。まずはケータイの発掘かぁ・・・、気が遠くなるような気がした。まぁ、ね、家が倒壊した、その下敷きになった、津波で家が流された、という方々から比べたら、屁みたいなものだが。



 この地震で建物が壊れてしまった、全壊、半壊、様々なんだろうが、印象として、直接的に揺れによって破壊した家屋と、液状化によって地盤が変位したために壊れてしまった家屋に大きく分けられるような気がする。あと、津波によって、というものもあるか。

 とくに強い揺れに見舞われた地域、輪島市、珠洲市、能登町、志賀町、穴水町。完全に倒壊、倒壊しなくても全壊認定の家屋と、水道などのインフラが破壊されて不便はあるもののこのまま住み続けられるであろう家屋の違い。

 誤謬があれば正していくとして、これはこの期間、主にネットではあるが得た知識から言わせていただく。


 建物の耐震基準というものがあり、制定された年度により、3種に分けられるようだ。


 〇1981年度以前

 〇1982年から1999年まで

 〇2000年以降


 この3種で今回の地震、明らかに倒壊率に差が出たようでである。これから新築する分には自動的問答無用に2000年以降の基準が適用されるから良いとして、それ以前の家屋、我が家など竣工が1971年であるから、震度6の地震があったら一発だ。

 何が違うか。どうするか。この辺ちゃんと構造計算のできる建築士に確かめた方がいいが、ネットで得た知識として


 〇柱と梁の接続が切れないようにする。

 〇水平方向の力がかかってもゆがんだりたわんだりしないようにする


 こういったことが、2000年基準に盛り込まれているらしい。梁と柱、ほぞのみでつないでいるならば接続金具で補強するとか、可能な場、柱と柱の間に筋交いを入れるとか、そういう補強だ。

 あと、壁量。窓、開口部が多いとそこが弱くなる、という事らしい。


 阪神淡路大震災、東日本大震災、まだある、中越地震、熊本地震、胆振地震。度あるごとに耐震補強の重要性は説かれてきたが、特にこの地方、耐震化はなかなか進まなかった。



 土砂災害について。直接的に家屋が巻き込まれたというものもあった。発災直後、輪島市一ノ瀬で撮影された土石流のごとき地すべりの動画が広まった。幸いこの画像で土砂に巻き込まれた家屋の住人は避難していたようであるが、穴水では奥さんの実家に帰省していたまだ若い警察官の方、奥さんと3人の子供が裏の土砂が崩れたものに家屋が倒され家族を一瞬で亡くしてしまった悲劇とか他にもいろいろあったようだ。


 地震じゃなくても豪雨災害の土石流で同様のことが何やらこの何年か毎年起きている。


 家屋倒壊も人命に直接的に危険に晒すけれど、今回道路損壊も深刻であるという印象を持った。もともと奥能登の道路事情に対し道路の本数、舗装強度ともに貧弱なのではないかと感じていた。のと里山海道という高規格道路に区分されているようだが、地震や台風豪雨のたびにどこか崩れているような印象があるのだ。

8267 288GTO _5

 

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