ラベル NT0001~0100 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル NT0001~0100 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2024年8月24日土曜日

8463 DC2 _7 & NT0091,0092 「ライブラリーのバグ」で暴かれた? 古代象の夢なりき 2

 

8463 DC2


NT0091,0092 「ライブラリーのバグ」で暴かれた?
 古代象の夢なりき 2

前回はこちら

 かなりの数の背景やらモンスターやら描きまくった。3Dモデラ―班が追いつけない程だ。だから、オレも程々のところで3Dモデリングに回ることになった。爆発音、魔法の効果音など、音楽以外の効果音の編集もやった。まぁ、だから、オレが最初に扱えるようになったPCのソフトは、フォトショップどころかワードやエクセルでもない。ライトウェーヴという3Dグラフィックソフトだったのだ。

 冬が過ぎ春になり、初夏ごろになっても、しかし、試しにゲーム画面をテレビに映し出し動かしてみる、ということが出来なかった。プログラマーは、名目は’社長’だった「ちょんまげ」さん。役員の肩書として会長がボス、社長がちょんまげさん、専務が風雅システムの社長であるランエボ氏、というのは前回も書いたが、実際のところ、全体の仕切りはボスが行い、制作統括をランエボ氏が行うという体制だった。ちょんまげさんからは一切の指示指導は受けていなかった。ちょんまげさん、プログラミングに専念していたわけである。

 オレはゲームをしたことがない事は既に書いたが、まして当時ゲーム制作の事などちっともわからなかったけど、さすがに年内(1997年末)のリリースに間に合わすにはタイムリミットを超過してしまっていたらしい。急遽、ランエボ氏もプログラミングに回るものの、ソッコー白旗を揚げ、ランエボ氏の風雅の社長権限なのか何なのか、風雅のプログラマーを連れてきたが、程なくパンクした。

 9月頭にはゲームショーがあり、そこに出展するために、なんとか形にする必要があるのに、ここで最初の行き詰まりを見たわけだ。


 「グレムリン」を離脱して地質調査の会社に入って何年か経ったある日の会社帰りにコンビニで立ち読みした、確か週刊プレイボーイだったと思うが、

 プレイステーションの立ち上がり、サードパーティーの新規参入を促すべく、開発キットを配布したが、特に初期、ライブラリーに致命的なバグがあり、ナムコ、ハドソン、スクエア等々大手は、早々に自分たちでライブラリーを組みなおしたが、勇んで参入した中小のソフトハウスは多くが討ち死にした

 というような記述を見つけ、軽いショックを受け、その場に座り込みそうになった。つまり、グレムリンは討ち死にしたone of themだったわけだと。プレイボーイの記述が本当だったかどうか、今となってはいくらネットを検索しても、そのようなことが書かれたページは見当たらなかったので、本当かどうかはわからない。

 だとしても、当時、そういう訳で、悪いのはちょんまげさん、と決めつけていたが、今になって思う。作ったデータがゲーム画面に表示されない、ということ、ちょんまげさんは決して隠していたわけではない。多少その時々楽観的なことを言っていたとしても、タイムリミットを過ぎるころまでそれに対してほとんど手当してこなかったのは、ちょんまげさんだけの責任ではないのである。


 画像のDC2、「風雅の大田君」こと後の楓牙氏が当時乗っていた車がこの型、この色だったのだ、が、2ドアだったか4ドアだったか、実のところよく覚えていない。


2024年8月18日日曜日

NT0090 NTR幽霊と傷痍軍人

 「なろう」など、と書けば、場合により、カクヨムやアルファポリスなど、ラノベ投稿サイトも含む、コピー機がその昔メーカー問わず「ゼロックス」と言われていたり、車載型移動式クレーンが 同じく「ユニック」と呼ばれていたりするのと、他にもあると思うが、まぁ、同じと思っていいのではないかと思う。それぞれのサイトに愛着があり、それを認めないという方もいると思うが、この際それはご容赦いただきたい。要するに投稿ラノベの話。

 1ジャンルに「NTR」=寝取られ物、というのがある。パートナーを寝取られることで妙に興奮して、まぁ、それが快感になるという展開は少数だが、過激な断罪に走るようなパターンが多数派。読者それぞれに思い当たることがあるのか、オレなんぞありまくりなんだが、

 暇に任せて、こういうストーリーを考えてみた。まぁ、恋人を寝取られ、悲嘆にくれる以前に訳の分からないショックを受けて何も考えられずにいる青年がいたとしよう。社会に出て何年かたった20代後半ぐらいにしておくか。多分な、オレのもう薄っすらしてる割に輪郭だけは割とはっきり残ってる記憶を基にするならば、はしご外された感覚に近い?急に明日からのビジョンが喪失してしまう、というのが一つあったかと思う。そういうところで、人によっては自殺しようかとすると思うのだが、そこに幽霊が現れるわけである。男の幽霊。

 弱り目に祟り目とはこのことかと青年は思うのだが、どこかで見たことがある顔の幽霊は、話を聞くと、実の曽祖父にあたる人物であるらしい。戦争で出征し、ビルマ戦線で行方不明になり戦死とされていた。当時割と聞いた話であるのだが、曾祖母は曾祖父の弟と再婚。青年の祖父は実の曽祖父の実子であったが、曾祖父の妹、大叔母たちは曾祖父の弟の実子らしい。
 重傷を負った曽祖父は現地の老夫婦にかくまわれていたが、発見され復員。しかし、妻はすでに弟と家庭を持っており、実家にはすでに居場所がなかった曽祖父は、実家からやや離れたところにある寺に寺男として住むこむことになる。そこで、寺の下仕事をしたり近隣の子供たちに読み書きを教えていたりしていたが、復員から5年ほど経って病没してしまう。

 自分とは事情がかなり違うが、そういう曽祖父の幽霊に血筋というか親近感を感じてしまう。というところで、その後の展開、どうしようか? と、考えているところ。


 そこまで考えて、そういえば、オレが小学生のころまで、高岡駅前地下街の隅で、脚や片手を失った傷痍軍人が、ものも言わず、じっと土下座をして物乞いをしていた。子供心に何か恐ろしい、触れてはいけないもののように思っていた。彼の終戦からはどのようなものだったんだろう? そんな高度経済成長期の、街角の隅にあったような闇を時々思い出してしまう。今ではそんなことなどすっぱり忘れ、清潔そうだが何もない箱が無様に建ち並ぶ。

 あの傷痍軍人はいつまであそこにいてああやっていたのかは知らない。

2024年8月16日金曜日

8451 初代セルシオ & NT0088,0089 違和感 (古代象の夢なりき 1)

8451 初代セルシオ

NT0088,0089 違和感

古代象の夢なりき 1

前回

 富山市市街地のハズレのあたり。もうちょっと歩けば田園地帯が始まるようなそんな場所に、「グレムリン」はあった。面談に3名、お茶を出してくれた1名。その時そこには4人いた。

 一緒に仕事してたオレより10コ弱ほど若い大田君、その後は楓牙という名前で漫画描いているそうで、以降此処では当時乗っていた車に因みインテグラ君とする。楓牙名義のXのアカウントに以下のようなツイートがあった。

夏も終わりましたがアンシャントロマンの怖い話を一つ。先のツイートで「風雅システムとは別の制作会社が作った」と書きましたが、その制作会社はアンシャントロマンを作るために作られた会社です。そこの社員は全員ゲームを作ったことがありませんでした。全員です。お察しください。おわり。
午前0:56 · 2021年9月22日

 オレなんざ、「ゲームを作ったことがない」、最たるものだった。作ったことがなかったどころか、コンシューマ機(家庭用ゲーム機)を買ったことがなければ、当然プレイしたこともない。この話がなければ、興味もなかったのだ。
 ランエボ専務が、何処かで聞いたこと見たことがある話を継ぎ接ぎしたような話を、今から作ろうとしているRPGのあらすじとして語る語る。ボス曰く、ランエボ専務の頭の中に、これから作るゲームのすべてが入っているのだと。それを聞いたのはこの時だったと思う。
 正直、ゲームのストーリーってそんな程度でよかったの? とこの時ちらっと思った。まぁまぁ、しかし、オレなんぞそれまでゲームのまるっきり門外漢だったわけだし、ランエボ専務、風雅システムというスマッシュヒットも出したゲーム会社の社長もやっているという事だったので、そんな人物に対してゲームド素人のオレが此処で口出しすることはないか、と、その時思ったのだ。オレは絵を描いてお金にできればそれでよかったのだ。

 参加したての時は、1枚いくら、という形で参加していた。翌日からオレは描きまくったのだが、ゲームをやったことがなくても、画面の絵、タッチが違ってしまってはダメなことぐらいは想像がついたので、とにかく、ランエボ専務に、これでもか、というくらいに作業を進めたのだが、どうもランエボ専務の反応が薄い。気に入らな過ぎて口に出せない、という雰囲気ではない。どうにもな、こっちとしても、違和感と不安を抱えて、しかし、1枚なんぼなので、描く手は止めないのである。

 オレと同時期に、同じくキャラデザイン等をするために参加したそれより数歳若い青年がいた。俳優をしておられた矢崎滋氏に似ていたので仮に「矢崎君」としておく。
 ネットでアンシェントロマン関係で一番出てくる画像「理不尽にも吹き飛んだおじさん」のキャラデザインは矢崎君によるものだったと思う。モブ、主人公系以外のキャラデザインをやっていた。
 他に誰もいないタイミングで矢崎君が、「何かこのゲーム、ダメだと思いません?」と言ってきた。確かに、ストーリーは陳腐な気はしていた。その時は返事をごまかしていたのだが。
 矢崎君、ランエボ専務に意見して嫌われたか何かして、途中で離脱していったのだが、作ったことはないにしろ、オレよりは遥かにゲームの事を知っていたはずだ。そして、このゲームの事を早い時期に端的に理解していたのだと思う。

 まぁ、とにかくこのころのオレは、描いた物が作ろうとしているゲームから乖離してしまう事を恐れていたのだが、「作品の中のことは全て頭に入っている」というランエボ専務の頭の中にあったものは、しかし、酷く浅薄で雑で稚拙なものだった、と、今になって思う。最大の問題は当時は他の事を思っていたが、ゲーム全体像のこの曖昧さこそが最大の問題だったのだ、と。


 画像のセルシオは’ボス’が当時乗っていた事に因み。画像のものとは細かいところで違っていたような気がする。


 

2024年8月14日水曜日

NT0084,0085 気が付けば動物天国?

 NT0084,0085 気が付けば動物天国?

これから文明は加速度的に衰えていく! んじゃないかなぁ、と、思っている 2


前回はこちら

https://selgeykattvinsky.blogspot.com/2024/08/nt0076.html


 8月に入ってからだったか、同じ日、姫路の大学の先輩と、オレと同じ高岡市内に住む中学の同級生が、それぞれ隣地にアライグマ、猪が現れ、(家庭?)菜園の野菜を食い荒らす被害が出ている、という投稿をFacebookに行った。野生動物さんたち、人間をナメて何かやりたい放題、って感じです。単純に言い切ることは禁物ではあるが、どんどん人間の生活圏というか勢力圏が狭くなっている事を端的に表しているように思った。

 これは、鳥獣保護法とか動物愛護法とかそのあたりの縛りで、人間がやすやす危害を加えることが出来なくなった。罠を仕掛けることさえ鳥獣保護法では規制されていて、禁止の罠があるなど罠も効き目があるのかどうか怪しいものしか使えなかったり、免許が必要だったりするらしい。


 猪やら鹿やら、平気で市街地、京都、東京の大都市圏であっても出没するらしいが、何より熊だ。こちら有害鳥獣指定になっていても、狩る方に危険があるにもかかわらず、法律の縛りが多く、持ち出しが多くて報酬がほとんどない、ということで、自治体によっては猟友会がもう熊の駆除は引き受けないなどと言いだしたところもあるくらいだ。

 その辺の事情、ラノベではあるが「北海道に魔物が出たので地元ハンターが出動してみた」https://ncode.syosetu.com/n1111fb/ を読めば大体そのような事情らしい。猟友会が猟協会に変更させられたそうだが、異世界の怪物と対峙することにはなっても、こちらの事情はほぼ現実の通りとのこと。


 鳥獣保護法、動物愛護法の是非は個々では論じない。しかし、これは高度経済成長期からその傾向はあったが、過疎から限界集落、遂に廃村となる山村も、かつては人がいて、山林の管理もちゃんと出来ていたころは、こうも野生動物が下に降りてくることはなかった。なんてことはない。人が放棄したからそこに熊鹿猪がやってきて、そのままもっと下に降りてきているのだと。


 こういうこともある。能登半島地震のあと、復興は遅々として進まない。元々が過疎高齢化が問題だったところで、これでいよいよこの場を放棄しようという動きも少なくない。復興が遅いのは、第一に政治家の無能は巷間言われている通りではあると思うが、人もいないところにお金をどうかけるべきなのか決めかねている、ということはあるのだろう。そこにお金をつぎ込めばまた人が戻ってくるなどと言う単純な話ではないように思う。


 要するに人口の問題であり、人口政策の失敗であるのだが、迂闊に政治家が「産めよ増やせよ」というと非難ごうごうな時代だ。んで、そこで声高に非難する向きと、被災地復興を最優先に、と声高に叫ぶ向きは、非常に重なっているように思う。先立つもののない不幸はしかし、国家プロジェクト的経済政策や国防を削って、などと言っているが、国家統治の形、国際社会の形が現在の延長線上にある以上、どこまでそんな可能と思っているのかはわからない。


 人口、数が減ったから、それに見合った形で勢力圏は、単純に削られる。動物さんたちが我々の所にやってくる、なんていうのは、まだ序の口のような気がする。もっと深刻な不都合がいろいろ現れているように思えてならない。


2024年8月11日日曜日

8427 Ayrton Senna da Silva _28, NT0081 あの時何かが終わったと直感したのだ

 

8427 Ayrton Senna da Silva _28

Ayrton Senna da Silva
Toleman TG184 Hart
Mónaco  1984

NT0081 あの時何かが終わったと直感したのだ


 タンブレロに激突しへし折られたファルスは何かの暗喩であると直感した。

 セナという人は、強い意志の人であったと聞いていた。象徴的にこういう例えをしたのを目にしたことがある。
 幅が1.2m程の水路があったとする。まぁ、普通の健康な成人であれば、飛び越えるまでもない、問題なくまたげるだろう。では、高さが100mある二つのビルが隣り合って建っている。隙間は1.2m。屋上から屋上へ飛び移れるか? 普通の人間では同じ幅なのに怖気づき躊躇するだろう。セナは何のためらいもなく渡ってしまう人間だ、と。

 必要なら人の何倍の努力をすることも厭わない。自分自身に停滞することや逆行することは決して許さない。立ちふさがる障害も力技で乗り越える。って、停まったら死ぬって、サメかなんかみたいだな。そういう、なんというか、近現代というものの体現者のような人だったんじゃなかったか?
 これは、彼の死後、いろいろ彼の事について読んだりして抱いた印象なのだが、まぁ、事故の翌日にすでにそんな感じの事を思ってはいた。

 何が終わったと感じたか? セナをスターに据えた日本のF1ブームは多分終わるだろうとは思ったが、そういうことじゃない。

 多少かぶれていた現代思想的な用語を使うならば、モダンが終わり、これからポストモダンが始まっていくのだ、みたいなこと、違う言葉ではあったが感じていたのかもしれない。それまでは個人にとって意志を貫きうる幸せな時代だった。が、以降、個人というのは負けていく、かなり抽象的だな。何に負けていくというのだ? 機械にか? 不可視な共同体の意思にか?

 しかも、モダンは、自らの意思で幕引きをするのではない、なし崩し的に、しかし、二度と立ち直れない形で、でも、最初は見えないように、そんな感じでこれから負けはじめていくのだ、と、あの時は言葉に出来なかったが、今こうして言葉にしてみると、確かにそういうことを感じていたのだと思う。

 妙な焦燥感だけが次第に肥大化していった。何かしなくちゃいけない。でも何をだ? そして何もできないまま今まで来てしまった。


NT0078 ノート「裏道を行け ディストピア世界をHACKする」橘玲 2

 ノート「裏道を行け ディストピア世界をHACKする」橘玲 2


 要するに、非モテのハッカー達が開発し、すがったPUA=Pick Up Art=恋愛工学に基づいたナンパ術、は破綻したというのが、第一章の後半の話。

 前回、オレが「女性が男性をパートナーとして選ぶ基準というのは、自分という個体と子孫=遺伝子の保存のために最も有利そうな相手、ということなんじゃないか?」と記述したことは、橘氏に


 女の脳も「生き延びること(Survive)」と「子孫を残すこと(Replicate)」という「SR価値」を最大化するよう進化したはずだ」


 と言い変えられているが、そこにつけこむのがPUAの肝だったんだそうだ。要は自分がSR価値を満たすことが出来る相手だと誤認させるのだと。


 さて、この「恋愛工学」的な言葉。「金融工学」もそう。一義的というか元来というか工学という言葉がさすものとはなじまないものに「工学」という言葉をつける料簡。可能な限り広く詳細に数値データ化し目に見える機構として物事をとらえそれに対しアクション、入力をしていく、という考え方なんだろう。それがクールと、特に若い奴は考えがちだ。

 ところが、これにどうしても入りきらないパラメーターが人間の精神ってやつで、結局のところPUAはそこをカバーできなかった。と。


 この度は、〇〇工学なんて名乗ってイキってはみたものの遭えなく破綻してしまった。一重に浅薄だったというしかないが、これは、長い歴史で、宗教や哲学が取り組んできたテーマだったんじゃないか? 則ち、一軒複雑怪奇なこの世と自分の精神の神羅万象をどう言う枠組みでとらえていくのか?答えはひとつではなく、極端な話、人数分だけ答えが在ったりする。


 なぜ、〇〇工学をクールと思い、そこに引き寄せられようとするのか?

 恋愛に関していえば、どの時代にも姿を変えて、何やらどこか湿ったフォークロアが存在し、通俗文学やテレビドラマ、映画に姿を変えて世に姿を現す。それに救われる、指針をもらう者もそれなりの数いるだろうが、どうしたって救われず、その湿り具合を嫌悪を持つものには、〇〇工学という言葉の響き、たたずまい、魅力的に考えるのだろう。


2024年8月10日土曜日

8423 Presso, NT0077 古代の象の夢なりき 前書き

 

8423 Presso


NT0077 古代の象の夢なりき 前書き

 実はオレは、日本クソゲー史に燦然とその名を轟かす「アンシェントロマン」の制作スタッフだった。制作にかかわったのは1997年の晩秋から初冬の時期から1998年のリリースまで。かれこれ20数年前の話なのだから、時の流れというものには恐れ入る。
 別に黒歴史として意識して封印していたわけではないが、それなりに結構な熱量を込めて仕事をしていたにもかかわらず、出来上がったのがあれですっかりしぼんでしまい、その後、全く別の仕事、地質調査業に足を踏み入れてここまで来たが、ふと、暇なときに、あのクソゲーのストーリー、今のラノベ仕立てにしたらどんなもんだろうとググってみたわけだ。今まで全くググったことがなかったかというと、決してそういうことはなかったのだが、案の定、ちょっと他には類を見ないクソゲー具合が書かれているのみで、そんなもの、制作スタッフの一人として、「うん。知ってる」なことだったので、検索先のページを閉じたのが、もう7,8年前。この前久しぶりに検索かけてみたというわけだ。

 いろいろ権利関係とか、あと、結果的に大失敗だったものを文章にして、ネットに置いておくなどと言うのも、いろいろ面倒を引き起こす可能性はあるが、書いてネットに置いておくと言っても、収益化する方法もわからず、さすがに個人名は書くつもりはないのだから、当時の関係者以外、それがだれであるかはわかるまい。大失敗だからと言って、人死があったわけではなく、重大な法令違反、犯罪行為があったわけでもない。ただ、あの時はチョロかったなぁ、という話。

 何か参照するものがあるわけではない、オレ視点でオレが憶えている事を頼りに書いていく。オレがそう見えていたからと言って、事実誤認もきっとある事だろう。当時の関係者がもし読むことがあって、看過できない誤謬があるならば、連絡いただければ積極的に訂正していきたいと思う。


 画像の、マツダ(ユーノス)・プレッソは、当時オレが乗っていたクルマと同型同色のものである。
同じボディに2LV6エンジンが乗っていたものもあったが、オレのは1.5L直4。パワーは比較すればなかったが、別に不都合はなかったし、軽くて運転して楽しかった。若い時のクルマだ。色んなところに行ったなぁ、と。20万キロ手前で、マフラーが抜け落ち、剰え大通り結構クルマの通りがある時間帯、横から飛び出てきた猫、前後左右に車がいたため避けることもままならず、轢いてしまい、シート越しに伝わった猫の骨を砕いた感触が生々しく、クルマを換えてしまったのだが、ゲームを作っていたころより後の話である。

NT0076 これから文明は加速度的に衰えていく! んじゃないかなぁ、と、思っている

  なんか、この1,2年か、オレ、「あとこの文明も2、3世代で破滅的に衰退する気がする」なんて言う事を、SNSのコメントなんかではばかりもなく書くようになってしまった。


 滅亡論なんて、別に珍しいものではないが、そんなことをいう奴、書く奴って、なんか残念な奴というか、可哀そうな奴というか、頭おかしい奴というか、そんな感じに捉えられたりする。まぁ、実際残念な奴なんだが。


 または、「大人としてそういう物言いは無責任だ」と10年ぐらい前誰かが書いてたのを見たことがある。まぁ、皆一所懸命やってるのに、えらそうに自分だけ高い所に立ってなんか言ってるのって、むかつくよね。



 でも、ならば訊くが、今のこの文明、未来永劫続くとお思いか? いまは多少停滞しているが、その先に輝かしい未来が来るとお思いか? まぁ、根拠もなく信じる振りはできるわな。



 実際のところ、オレにしたって、2,3世代かどうかは感覚的に言っているのだが、思いのほか急激に文明は衰えていくのではないか、という予感は日に日に強くなる。


 確かに、この我が身自体の衰え、恐ろしい早さでポンコツになっていくことが、思考に影響を与えていることは否定しない。また、オレは自分の遺伝子を後世に残すことはどうやら遂にかなわぬまま仕舞っていくことになりそうだ。そう言うところで何処か他人事のように考えている節もある。



 まずは、何故そう感じるように至ったのか、振り返ってみようと思う。これを読んでくださる奇特な方で、もしあなたが親切な方ならば、どうか反駁をかましてほしい。一種思考実験ごっこを繰り広げていきたいと思う。



 何に対してどう思い、であるからの終末論。・・・う~ん終末論っていうとノストラダムスとかなんかそんな感じ? なんかちがうんだよなぁ、イメージするの。それこそ、今のオレ、順番に何処かがポンコツになって、やがてにっちもさっちもいかなくなって、というのをイメージしている。ただし、最初は緩やかだがあるところから加速しては行くような気はする。



 で、その「何に対して」の何だ。それこそそのネタはそこら中に転がっている。しかもそれらは個別に見えて何処かで絡まっている。言ってみれば、色んな事象が絡まってできた毛玉が坂道を転がり落ちようとしている感じ。


 何から行くかな? 象徴的に人間の生活圏が徐々に狭められている話から行くか。

2024年7月16日火曜日

8353 NR500 _13

 

8353 NR500 _13

NR500  1979
for Takazumi Katayama

NT0075 1979年の事を書こうと思ったのに

 NR500がお披露目された1979年はオレは中学1年の部活少年で、その方面、小学生の時こそスーパーカー少年ではあったが、それも1977年FISCO第1コーナーで観客ひとりを巻き込んだヴィルヌーヴとピーターソンの事故以来情報が途絶えて興味を失っていた。まして2輪のレースなど、そりゃぁ訊かれればあるんだろうな、ぐらいには思っていたのだろうが興味の範囲外だった。家の近所にホークIIが停まっていたが、さしてカッコのいい乗り物とは思えなかった。

 二輪と二輪のレースに興味を持ったのは、高校生の時の、例によって漫画、「バリ伝」による。最初の方、よくよく考えれば、コーナーでバンクしてる外脚でガードレール蹴とばすなんて、もっと後の漫画のルフィ? 読んでないけど「ワンピース」、びよ~んと脚が伸びないと無理だって。
 「750ライダー」初期、ギスギスした不良マンガが途中からラブコメ漫画になったけど、CB750の魅力は小学生には伝わらなかった。だから「バリ伝」から。あとは「あいララ」とか「ペリカンロード」あたり?
 ハングオフ、当時はハングオンと言っていたが、それでバンクしてコーナ回っていく姿は鮮烈だった。

 「楕円ピストン」の存在を知ったのは、高校生になってから、バイク誌ではなく一般青年誌からだったと思う。週プレかGOROかスコラか。いやポパイかホットドッグプレスだったかもしれない。内燃機関のさわりのさわりについては、スーパーカーブームの時に知った。吸気排気それぞれ4つずつのポートとバルブ。混合気の燃焼にムラとかなかったのかしらとか、ピストンリング、ちゃんとピストンに密着するのかしらとか、その辺の記述、一般青年誌には書かれていなかったが、まぁ、ちょっとの情報だけで重そうなバイクのような気はした。でも、まぁ、そんなものを作ってしまうホンダに内心喝采していた。
 あと、スズキの油冷エンジンとか。750CC4気筒ならシリンダー1本あたりヤクルトのプラスチックの小さいボトルほどの容量。そこにつくバルブが4本。それの燃焼室からすれば裏側、上から潤滑油を吹き付けるとか、エンジンなんて熱持つだろうに、それにへこたれないつまようじに画鋲が付いたようなパーツ、よく作れるな、とか。

 80年代の後半の4輪に先駆けて、2輪はこの時すでにほぼほぼトップにいた。GPこそホンダは休止があった後の出戻りで苦労していたが、それ以前のMVアグスタをヤマハやスズキの2ストは凌駕していたし、GPでなく耐久レースではあったがホンダはこの時すでに無敵だった。

 田舎で情報は遅かったが、それでも、次は何が来るのか? 高校生の坊やのそんなワクワクは、かろうじて明るくない青春に火をともしていたりしていなかったりした。

 って、1979年の事を書こうと思ったのに、その後の話になってしまった。


2024年7月13日土曜日

8331 東名高速道 薩埵 2023 07

 

8331 東名高速道 薩埵 2023 07

NT0074

 あの時アクセルをもう少し開けていたら、とか、緩めさえしなければ、という後悔。大人ならば、な、それを正当化する理屈はいくつでも持ち合わせられるものだが、若い時の精神にとってはそういう訳にはいかない。大人になって、それ位開けられるようになっても意味はない。あの時開けなくてはいけなかった。大人になってから開けることが出来ても、薩埵峠あたりの高名高速から跳ぶはめになる。


 しかしそれでも開けなきゃならんのですよ。あの時ならあの時の必然で、今なら今の必然で。


 なかなかな、思う通りにはいかないものです。もしあの時思った通りになっていれば、とか、違う選択をしていたら、とか、そういうのをルサンチマンというのだろう。凡そ今の世では有害なものとされている。しかし、みんな、そういうものが一ミリもない人生もコクがなくてつまらないと思っている。


 そして、目の前に「アクセル」はいつも横たわっている。

2024年7月10日水曜日

8322 Buenos Aires

 

8322 Buenos Aires

NT0073 ふとブエノスアイレスに行ってみたくなることが偶にある

 恥ずかしながらオレの海外渡航経験は、ソウル日帰り一回のみである。パスポート二回ぐらい取っているのだが、行きそびれだの何だのその一回きりのほぼほぼ無駄。それほど海外渡航意欲は旺盛ではなく、実際その土地の事はほとんど知らないけれど、っていうか、今この時点でそれほど熱心に調べようとしていないが、名前の語感だけで妙なエキゾティズムを感じ、一遍ぐらい行ってみたいな、という土地がいくつかある。

 このブエノスアイレス、同じく南米でブラジルのマナウス、プラハにブダペスト、トンブクトゥ、今は、もう教授になったのかな?高校の同級生がそこの建築について本を書いたというハノイ。この6か所。次点でアンカレッジとかラパスとかパースとか。


 藤沢周氏の「ブエノスアイレス午前零時」。ブエノスアイレスなんかにはいってないけれど、って。そうではない、ピアソラの曲の名前そのままの題名。日本の鄙びた温泉地、雪、タンゴ、そんなところだ。小説内容を連想するようなMV、ヨーヨーマ氏の演奏による「リベルタンゴ」のもので観たような気がする。


 そもそも地球の反対側にある国の事だからよくわからない。子供の時イギリスと紛争になったこと、通貨危機があったこと、ぐらいしか記憶にない。そうだ、「母をたずねて三千里」で、マルコ少年がイタリアからわざわざ母親に会いに行ったのはブエノスアイレスじゃなかったっけ?

 ネットで拾った写真を基に絵にしてみた。多分その辺を歩いていたカップルにバイト料払って、タンゴ踊ってます的ポーズをとってもらったか? まさか、ずっと街中にバンドネオンの音色が流れていて、そこらじゅうで所かまわずタンゴ踊ってるってことはないよな?

 でも、ちょっと前のネットで70、80の婆さんが、よぼよぼに見えて、実はタンゴガチ勢の踊りをストリートで披露した、っていうのがあったな。


 バンドネオンとアコーディオン、違いはボタンか鍵盤か、だけなのかな? あの音色、結構好きだ。ブエノスアイレスの夜の治安、どうなのかも知らないが、ほろ酔いで街をふらふら歩くことがあるとしたら、その時はオレの人生も満更じゃないと思えるに違いない。


2024年7月7日日曜日

8314 Kreidler Van Veen Racer 50 cc 1973

8314 Kreidler Van Veen Racer 50 cc  1973

 T0073 クライドラーと言えば

 オレがGPのファンになった頃の最軽量クラスは125㏄で、すでに、80㏄クラスは無くなっていたが、80㏄クラスはその更に前は50㏄だったらしい。そのクラス、ヨーロッパの有象無象の小排気量メーカーがしのぎを削っていたらしいが、その中の一つにクライドラーというドイツメーカーがあったとのこと。

 しかし、ある年齢層のニッポンの男の子(昔の)にとっては、それよりも、「浮谷東次郎が少年時代に駆ったモペットのメーカー」という認知なのではないかと思う。


 「がむしゃら1500キロ」を読んだのは、高校生の時ではなかったかと思う。考えてみれば、高校生が、それよりも昔、生まれる十年くらい前の中学生が書いた旅行記を読むというのは、今になるとちょっと複雑だ。

 東名高速道路ができる以前、国道1号線と言えど無舗装区間もあったであろう時代。高度経済成長期前期の話で、いくらドイツ製と言えど、その当時、途中での故障などのトラブルも心配だったろう。まだまだ、街角の暗がりがおどろおどろしかった時代、というか、カオスがそこら中にうずくまっていた時代というか、そんな時代の中学生の少年の冒険譚であるが、まぁ、それでも、案外と平和なもので、専ら少年の少年らしい内面が綴られていたように記憶している。


 なんでそんなもんで? というところでの距離を走る無茶、というのは主に自転車であれば、今の時代であれば割と安全にできる。大学の友人の御子息はつい先日留学先の台湾を海岸線沿いに一周したそうだが、ツイッターとかで、思い立って関西だったか九州だったかの青年が、ママチャリにサンダル履きで晴海だったか幕張だったかのコミケに参加したその道中記が話題になったこともあった。

 多くの場合、思ってもやらないものだが、それこそ高度経済成長期から比べたら遥かにハードルは低そうだ。


 浮谷少年は、本人が文中で書いている通り、恵まれた金持ちのボンボンであって、割と容易に条件は整えることができたのだが、しかし、’80年代当時に読んだ、’50年代の少年の旅行記、妙に惹かれるものはあった。

 その年代なりに、何か突き抜けるものを感じたからだろう、と思っている。


2024年7月6日土曜日

8306 T120 Bonneville 1970

 

8306 T120 Bonneville  1970

T0072「ゆるきゃん△」「ときには星の下で眠る(片岡義男)」トライアンフボンネビル
 
 Netflixでは「ゆるきゃん△」の第3期を視聴することができない。ネトフリやめて他のに乗り換えるかな、サブスクいくつも契約するの馬鹿げてるし、と思っているのだが、しかし、他で「攻殻」を一通り見ることができるのだろうか? と思わないでもなく。

 「ゆるきゃん△」なぁ。「けいおん」の時もそう思ったが、アニメの中の世界ではあるけれど、男の子、どうしたよ? と結構強く思う。引きこもるだけか? まぁ、オレもどっちかと言えばそういうタイプではあるので、強くは言えないが、今時の男の子、そういう行動力もないのだろうか? とつい感じてしまう。まぁ、制作するにあたりフツーの男子高校生よりはフツーの女子高校生の方が遥かにアニメとして映えるのだが。

 さて、冬のキャンプである。それも甲州から南信あたりの。BGMとかなんとか。雰囲気が妙に懐かしく、正体は何かと思ったら、高校の時読んだ片岡義男氏の「ときには星の下で眠る」の空気感に似ているのだと思い立った。あくまで想像の中だけの話だけど、凛とした冬の空気、しかも当地の雪塗れのものではない、と。
 高校生の時とか、うすぼんやり憧れを持っていた。西東京、国立小平、福生のあたりとか。それと冬枯れの信州の草っ原とか。どっちも、片岡義男氏の短編とか吉田秋生氏の漫画とかからなんだが。特に、冬枯れの信州な。雪があっちゃどうしようもない。
 信州ではなかったかもしれないが、当時のCMに何の宣伝かは分からぬが、納屋で故高倉健氏がBMWのR60あたりのフラットツインとたわむれていたり、インスタントコーヒーのCMで「野の人」というコピーだったと思うが、これはトライアンフじゃなくてマチレスだったけど、まぁ、「冬枯れの野原」を走ってきて、で、コーヒー飲むってやつですわ。バカな田舎の高校生の坊やはそういうのにあこがれを持ったわけですわ。

 「ゆるキャン△」の作中、志摩凛ちゃんのおじいちゃんが今時のトライアンフ・スクラストン、映画版では凛ちゃん自身が乗ってたけど、オレが高校生当時に読んでたバイク雑誌に遭った広告。
 やはり、晩秋から初冬にかけての野原だよ。信州じゃないかもしれないけど。ススキとかあって、で、そこに60年代後半から70年代前半のモデルのトライアンフボンネビル、と、それのアクセルレバーに軽く手をかけるおじさんおにいさん。黒のコーデュロイジーンズに団がリーシャツ、ヘリンボーンのツイードのジャケットはおって。カッコよかったんだわ。

 ああいうかっこいい大人になりたいと思ってましたが。

 ええ、結 局 な れ ま せ ん で し た よ


2024年6月23日日曜日

8288 Eclipse II _12

8288 Eclipse II _12

NT0071 「クール・ジャパン」とは則ち「お寒いニッポン」

 国主導の「クール・ジャパン」っていう奴が、どうやら「お寒いニッポン」にしかならなかったっぽい、なんていう話があるが、どういもね、役人頭で考える売りこみたい日本文化と乖離したところで、予測もつかない形で人気が出たりしちゃったりすものがあって、Yamanba-Styleなんて、その昔のロンドンのモッズやロッカーズの流れのようにとらえられている部分があったり、Bousou-Zoku-Styleを思いがけないところで見かけたり、な。アニメだって早々にそこから伝統文化に誘導したかったみたいだが、最近になって漸く、というところなんだが、それにしたって、戦国時代の妙に血なまぐさいものが人気があったりして。

 Mangaのおかげ、「頭文字D」のおかげ、もあってか、Hashiriya、Touge、なんていうのも一部に人気があったりするんだが、今の海外でのJDM人気、考えてみたらオレが若い頃、ちょっと上のおっさん、おにいさん達が、’60年代あたりの欧米のスポーツカーをもてはやしていたようなものかもしれない、と思っている。で、その時ですらすでに没落していたが、その前の往年の英国製ライトウェイトスポーツに対しての80年代当時イギリスという国の状態と、かつての黄金期のJDMに対しての今現在の日本の状態が相関していないか? と、それほど根拠がなさそうなことを思い立ったりもしている。
 それが本当なら、かつての黄金期を知るオレら位の世代は幸せだが、逆に言えば、もうリアルタイムの日本製のその方面のクルマが浮かび上がる可能性が低いということになるけれど、その可能性が結構あって辛い。

 それでも、80年代から90年代前半にかけての方向性を持った今のクルマ、日本メーカーは作っていないこともないらしいが、肝心の本国日本では売らないことにしているらしい。

 見向きもされない、ということはない、が、「クールジャパン」が「お寒いニッポン」になってしまった的な何かがあるのかもしれないし、とにもかくにも、日本メーカーが母国での商売を重視していないというのは、日本では物が売れないから、という、至極シンプルな理由があるのだろう。でも、それだけなんだろうか?

 「The Fast &Furious」シリーズの初期作品では特にJDMが主役級だったが、基本ハリウッド映画。「頭文字D」の実写版なんて、舞台は一応群馬県あたりのはずなのに、キャストが全て中国人、飛び交う言葉も中国語なんていうトンデモで、なんというかな、寂しい、とでも言っておこうか。愚痴やらなにやら、止めども無くなってしまいそうだ。

 まぁ、分からない人間には全て暴走族の一括り、それも仕方ない。誰の意図かはわからぬが、そういうものをこの国からそぎ落とそうという傾向は、大昔からあったけれど、21世紀になってから顕著になった。そういうものが好きだった者としてはそのこと自体、者を申したくもなるのだが、一歩引いたとしても、結構弊害が見えたりはしている。だからといって、この流れが元に戻る事も考えられない。弊害は大きくなっていくだろうが、手を打たれることはないだろう。

 どうも、まとまらないし、分かりにくい文章になってしまう。整理して次回以降。

 

2024年6月22日土曜日

8284 DBR1 _3

8284 DBR1 _3

NT0069 キャロル・シェルビーの時代

 キャロル・シェルビーは歴史上最も幸せなカーガイだった、とオレがここで書いてもおそらくは反論は起きまい。F1の戦績は残せなかったが、若い時はルマンウィナー、カーデザイナーとしてはコブラを世に出し、ルマン優勝チームを率い、そりゃビッグネームとなれば相応の苦労もあったのかもしれないし、プライベートの人間関係までは知らないけれど、老いて亡くなるまで好きな車に概ね最高な形で関われたのだから、羨望が強い。

 が、「Ford vs Ferrari」の冒頭では、心臓疾患でレーシングドライバーからの引退を余儀なくされた、「まだやり残したことがある」「もっと遠くに行きたかった」おっちゃんにいちゃんとして登場する。映画の尺の都合もあるだろう、必要以上に過去に拘泥する描写はなく、ケン・マイルズと二人三脚で、GT40をルマンで勝たせるために奔走するのがこの映画の流れだ。
 どちらにしろ、彼の「やり残した」と言う思いは、レーシングチームやショップのマネージメントに上手く転化されていくわけである。
 苦味も芳醇な旨味も、どのような生き方をしようが味うことになる。苦味を感じぬようにしていれば旨味にも行き当たらず、見るところのない、まして映画の題材になるはずもない、そう言う人生になっていたはずだ。

 さて、前に書いた通り、この頃のクルマというのは随分原始的で野蛮なもので、タイヤの着脱ひとつとっても、名前知らない、ホイールのハブのあたりを大ハンマーで力任せに殴っていた、そういう時代。

 映画のGT40やP330、カレラ910は丁度オレが生まれたくらいの時の最新型スーパーマシン、DBR1やコブラはそれより1世代前のものになるが充分現役バリバリ。で、さ、オレが20代の頃だけど、その時の30代半ば以上のオジサンたちに、やたら特にこの頃のクルマ上げ、現在(’80年代)のクルマ下げ、なことを言う人たちがいたのよ。なんや、このオッサン等? と思っていたが、まさかね、今その心境が分かるようになるとは思っていなかった。
 ぶっちゃけ、今(2024年現在)のクルマの、「これじゃない」感。

 ふわっと、ざっくりと、それが何なのか言えなくはない。まぁ、今のクルマの開発者も可哀そうだ、というか。1方向に突き抜けられない、どの方向に向かっていいのかよくわからない、その実目指したい方向とは違うものに支配されている、そんな感じ。


 

2024年6月18日火曜日

8282 Jiotto Caspita Mk.II

8282 Jiotto Caspita Mk.II

NT0067~0068 同級生S君と童夢

 高校の同級生のS君がまさか京都の北の方にあった童夢に勤めていたとは、オレ自身京都にいた当時は知らなかった。尤も童夢はその後米原に移ったのだが、移転前に、F1やると開発するも成就しなかったはずだ。そのプロジェクトの最後のあたり、服部尚貴氏のドライブで公開テストをやってるはずで、S君もそれに参加したとSNSに書いてなかったかな、どうだったかな。実のところ言うと、高校生の時、美術選択で同じ授業と取っていた以外接点はほとんどなく、寧ろ彼は中学の時オレの従兄弟のトシヒトと同じ柔道部で、トシヒトの方がS君とはよく話をしているだろう。で、童夢がF1をあきらめた時期にS君は日産に転職している、はずだ。子供も大きくなって孫もいるような歳になったので、割と気兼ねなく同窓会に参加できる年頃にはなったが、まだ、S君とは直接会っていない。顔を合わすことがあったら当時の話、聞いてみたいものではあるが

 しかしまぁ、S君、東大卒なんだが、同じ高校の他の東大卒の同級生では国交省の事務次官候補にまでなった奴がいて、そういうのが一般的な東大卒のイメージなんだけど、童夢、なんて、わが道を行っているようでかっこいい。前にKP61の絵をブログであげた時反応してくれたので、東大の自動車部か、そうじゃないところでKP61でダートラとかジムカーナとかやってたのかもしれない。


 それで、だ。童夢が造ったJIOTTO CASPITAだが、年代的にはS君が入る前。MkIがスバル・モトリモデルニ、画像のMKIIがジャッド製、ということになっている。ぶっちゃけ当時のF1のエンジンである。外側のデザインは現在でも十分通用する。というより、今のデザインはこれに精々スリット入れたりとかややこしいウィングつけたりとか意味意義不明の切り返しがあったりとか、その程度の違いしかない。今のデザイナーさんたちもアイディアが出きった所での仕事でご苦労様だ。
 しかしながら、無邪気だったあの時代でしかありえない代物であることは確かだ。今は日本資本はこういうものに絡めない。経済力も然ることながら、社会の流れの中で、という意味で。

 自動車というものへの考え方というか何かが、2010年前後に決定的に変わってしまった。いや、ひょっとしてら、S君が童夢にいたり、オレがクルマも嫌いじゃないけど圧倒的単車が好きだった頃から、何となくそういう未来は、無意識にも予測していたかもしれない。
 ほら、子供の時とかに見た、手塚治虫氏とかが1950年代60年代に描いてた、ちょうど今頃の未来には、クルマは昔のラブホテルの料金支払い時使ってたようなシュートチューブのような感じの透明なパイプの中を浮かぶように移動するようなそういうモビリティになるかもしれない、と思ってたから。そういう手塚治虫氏や石ノ森章太郎氏の流線型というより、もうほとんど卵型の少し浮かんだ、自動車に替わる何かは、一義的には明るく正しい都市の未来像としての描写だった。

 1997年にスカイネットとの核戦争は起きなかったし、2014年にサードインパクトも起きなかったし、今年の春先に「笑い男事件」も起きなかったが、現実の2024年の今は、そこはかとなくディストピアであると感じている。個人的にはこれからの2,3世代で人類というのは急速に衰亡していくのではないかと感じている。
 大人としてそれを軽々に言ってしまうのは無責任であると批難する向きもあるが、納税の義務を果たし選挙権を今のところ100%行使している身としては、それらを行ってもそう感じてしまうのであれば、それを表明する権利と義務があると感じているのでこの様に文章を打っている。
 「ディストピアっぽい」のは、何もクルマに関することだけじゃないけれど、クルマを起点に掘り下げて考えてみてもかなりの事が見えるのではないかと思う。


 

2024年6月17日月曜日

8276 GPz900R _30

8276 GPz900R _30


NT0065~0066 もっと遠くに行けたはずなのに

 さて、https://selgeykattvinsky.blogspot.com/2024/06/8272-gsx1100s-38.html
の冒頭においてご登場いただいた、昔美少女今画喇叭地おばさんの話である。人の内面をあれやこれや勘繰ることは失礼な話ではあるのだが、そこはまぁ。
 一つには書いた通り完璧超少女へのコンプレックスもあったのだろうが、一方で、そういうことを感じている自分自身へのいら立ちもあったのかもしれない。そして薄らぼんやりとだが、そういうことを感じずにいれたなら、そんなおもいに脚をとられてなかったならひょっとしたら今の自分とは違う自分がいたんじゃないかという思い。
 あわてて言い募るのは、決して現状、今のご主人とか家庭とかに不満があるわけではない、ということ。それも嘘ではないだろう。なかなか二枚目で聞く限りパートナーとして理想的な男性であるように思われる。しかし、他のあり様があったのではないかという思いが、極偶に去来するようだった。

 オレ等が出た高校というのは、結構な進学校で、で、大学を出て社会に出るころというのは、特に女性にとっては時代の境目で、ひょっとしたら結構な企業でそれなりのキャリアを積んだ人生があったかもしれない、と思っているのかもしれないし、そうなりゃパートナーだって、今の二枚目のご主人じゃなかったかもしれない。
 あるのは、コンプレックスに囚われて、ひょっとしたら何処かで選択を間違えたんじゃないかという恐れ。それが酔った勢いで顔を出す時がある、という事なのかもしれない。


 あの時、なぜ、アクセルをもうひと捻り、ひと踏み開けられなかった? あの時はそれで仕方なかったのさ、と言ってしまえばその通りなんだろうが、誰に知られているわけでもない、知られても構わないが知られたくない、あの時オレはほんの一瞬サボってしまったのかもしれない。それがなければ突き抜けられたんじゃないんだろうか? もっと遠くへ行けたんじゃないだろうか?

 オレなんてそういうことだらけで、若い内はどうしたらリカバーできるかなんて深刻に考えていたかもしれないが、さすがにそんなことも考えなくはなったけれど、オセロの一手で、ピースが全部ひっくり返るような、そういうことをつい考えて、ひとり恥じ入ることが偶にある。そう言う事が一切なくて若い時から意志したことを全て実現してきて人間は今頃一廉の人物になっているのだろうが、オレなんぞは遂にその辺いいる凡夫である。
 一廉であろうがなかろうが、凡夫であっても構わないが、突き詰めれば誰かに理解されなくてもいい、っていうか、誰かに理解される以前、或いは自分のコアを中心にすれば誰かよりもはるかに内側で、あのときなぜアクセルを開けられなかったんだろう? そういう思いが「若い時のやり残し」として、いつまでも自分の奥底にこびりついている。


 

2024年6月16日日曜日

8274 NR _2

8274 NR _2

NT0063~0064 NRとNSXをうっぱらったお金を貢いだ挙句クソ女をめった刺しにした彼へ

  多少器量が劣っていても心が綺麗ならば、などと昭和の伴侶の求め方、条件としてあったように思うが、器量が劣っているが人当たりがよければ「性格がいい」という誤解というか幻想というか、がいつしか生まれ、しかし、ここで言葉が反転し、器量が多少劣っているが性格が輪をかけて最悪だった、というのが木嶋佳苗死刑囚だった。これを打っている時点では刑は未執行で、再審請求とか出てるんだろうか? それが通るような新事実というものはなく、4件の殺人容疑の起訴、1件の未起訴、3件の結婚詐欺罪、3件の未遂、1件の窃盗罪。死刑に関るのは専ら殺人罪のほうであろうが、これらの容疑をすべて否定することは不可能と思われるがどうか?

 50過ぎの未婚のおっさんたち、若い綺麗なコとか狙わず身の丈に合った、しかし長く一緒に居れそうな女性を選んだはずが、保険金かけられて殺されたのだ、と理解した。正直、これで婚活などと言うものに腰が引けちゃった男性も少なくないんじゃないか、少なくとも過大な期待ができるものではなく、すぐに逃げられる態勢で臨む、特にそれなりに年齢を重ねた男性が増えてしまったのではないか?

 では、何を頼りに望ましいタイミングでパートナーを得られなかった男性は、相手を探せばいいのか? 諦観がひとつ深まったように思うのだ、この2007年から2009年にかけて起きた事案では。


 であるのに、もしいたならば自分の娘ぐらいの女性に懸想して、自分の命の次くらいに大事なクルマとバイクを売り払ったお金を見継いだ挙句、見継いだ途端に冷たくされて、その女性をめった刺しした、オレよりほんの少し若い男の話。

 この際、相手の女がクソで、めった刺しされても仕方なかった、という見解に異は唱えない。しかし、男の方、なんで、こんなクソ女につかまったかなぁ、とは思う。他の誰のためでもない、彼自身のためにめった刺しなどするべきではなかった。いや、別にしてもいいんだけどね。


 言い分として、詐欺同然に何千万取られたのに、警察等はまるで救済してくれないから、などという、まぁ、言ってみれば自力救済。NSX1台、NR1台の売却金額分、どうしたら気が済むか、というのが詰まるところなんだが、それがクソ女一人分の命とめった刺しする時のカタルシスというのであれば、それも、なんというか、安上がりというか、NSXとNRが哀れというか。


 一番の悲劇は、その方面、まるで練れることなしに50何年か来てしまったことか。「なろう」あたりの、ざまあがテーマのラノベ読んで喜んでる童貞クンたちと何ら変わらぬ人生と人への洞察の浅さを感じる。しかし、それでも目の前の、見た目はそこそこの女がクソかもしれないという可能性は思い浮かばないか? その辺、50何年かその方面砂をかむような思いを何度もして漸く自分だけのヒロインに巡り合えた、なんていう、童貞くんみたいな気持ちになっちゃったんだろうか?


 NSXとNR、十何年か保有していたらしいが、ちょろちょろっと動かして満足していて、突き抜けたように走り回るようなことはしていなかったのかもしれぬ。NRなんてひとコケいくらかかるかわからない。結局のところ、多少の、どころか立ち位置次第では死ぬほど努力しても今の時代、思った伴侶など得られない、というケースは珍しくなくその方面、早々に絶望的と判断すべき男子は多いのだ。その時に生まれるいろいろな心のぐちゃぐちゃを吹っ切る突き抜けるための物であってほしかった。そりゃね、愛とかパートナーとか家庭とか至上の価値を持つもので、という人もいるだろうが、そうじゃない、そもそもどうしたってそういうものが得られないという奴もざらにいる時代なんだから、そういう価値には早々見切りをつけたっていいのである。じゃあ、そういうものを除外するとして他に何を価値とするのか? 何のために生きるのか? それをのんびり、ある時はシャカリキに探す人生だってあっていい。クソ女のために自分の人生終わらすというのは、・・・いや、それも人生か。


8272 GSX1100S _38

8272 GSX1100S _38

NT0061~0062 心に帯びたモーメントの何と面倒な

 同級生の女性の話だ。一度うちのブログにも登場している。かつての美少女、今や画喇叭地のおばさん。飲み会で2回ほど、そこにはいない別の同級生女性に対するコンプレックスを愚痴る事につきあった。いや、彼女だって、すらっとした美女で何人アンタに対しコンプレックスを感じていただろう、と、思ってはみたが、そんなのお構いなし、相当思春期には重いものだったらしい。

 彼女とそのコンプレックスを抱く対象の女性、決して仲が悪かったわけではない。いや、見た目、寧ろ良好なように見えた。実際、その場にいない女性を嫌いとか言う事ではないらしい。が、まぁ、なんというか、完璧超人な女の子ではあった。それはよく覚えてている。オレも。

 とはいえ、そんなことを聞かされたとて、気にすることはなかったんでない? なってつまらない事しか言えなく、そのつまらなさ加減にはオレ自身がうんざりしたりしたが、他に何言いようがある? とその時は思っていたのだが。


 同じ飲み会で、やはりその場にいない男性の話題になる。高校生当時、件の完璧超少女と付き合ってた奴の事だ。今は陽キャ陰キャとかスクールカーストとかなんて、結構まじめでつまらないおじさんおばさんが目くじら立てそうな言葉、中高生を中心に使われているそうで、オレたちの頃はそんな言葉はなかったけれど、そんな感じの今風の言葉で言えばスクールカーストのてっぺんにいる陽キャ、だったのだが、さて、そいつと完璧超少女、大学も此処とは離れた同じところに進み、しかし、分かれて何とかかんとか。そいつは別の同級生だった女のコと結婚し、完璧超少女の方は、大学の割と近所に実家がある男性と結婚して・・・、まぁ、時々そんな話を聞いていた。よくありすぎて今更な話なんだが。


 でさ、その男の方なんだけど、どうやら振られたのか、とにかく結構長い間それを引きずっていたんだと。んで、本調子でなかったせいなのかどうかは知らないが、結構トラブルにも巻き込まれたりして、かつての陽キャも大人の今となっちゃ、どうもパッとしないらしい。って、おい、もう、オレ達、孫もいるような年代だぜ? って。


 いや、さすがに未だに引き摺ってるなってこともあるまいよ。それは彼に失礼かも。ただ、それに囚われて本来もっと他の事に目を向けエネルギーをかけなくてはいけないタイミングでそれができず今に尾を引いている、ということはあるかもしれぬ。

 んで、そういう言葉全部オレにブーメラン。



 若い時に、少年の頃に、何となく抱く将来のビジョンだったりなりたい自分の理想像だったり。その為にそれぞれなりに努力はするんだ。しかし、客観的に見当違いだったり努力が足りなかったり、或いは単に運が悪かったりして、そのとおりにはいかなかったりするのが大多数で。異性ー伴侶の話になると、それは顕著でさ。その事じゃなくても。

 さっさと切り替えて、なんて、他人だから言えることで、それまでが上手くいってた奴なら尚の事、又はそいつなりにとてつもなくエネルギーをかけてきたというのであっても同様。なかなか、それまでの自分の心のモーメントにストップをかけたり方向を変えたりというのができないものだ。それをしないというのが如何に馬鹿げているかは重々承知の上で、だ。


 仏門の偉いお坊さんとか「執着を捨てよ」とかいうけど、それができれば世話がねぇ、ってね。まぁ、多くの人間は、それができないから、宗教なんて言う商売がこの世にあるんだが。いずれにしろ、如何に不親切な言葉であることか。


 執着、いろんな意味を含み得るが、この際は、若い頃、幼い頃に思い描いた理想の将来の自分像への撞着と乖離することの苦味だ。


 本当はもっと遠くに行けたはず、というところで慚愧に堪えないけれど、とりあえず今と今からが大事なのは、いくつになっても変わらない、というのはみんな思ってることで、冒頭の、昔美少女今画喇叭地おばさんは、何とか「今」に意味を見出そうとエネルギッシュだ。昔陽キャの男も、近況、よく知らないけれど、ずっとそう思ってやってることだろう。



 子供の時に好きだった女の子の話は置いといて、時々、ブログで取り扱う、ポルシェをぶっちぎりたいオジサンとか日本の旧車の話とか、って。考えてみりゃ、両方ポルシェなんだな。言葉で書き出してしまうと、ポルシェをぶっちぎることに何の意味があるのか? ということになってはしまうが、そういう馬鹿な事でも、悟りを開いたように、割り切ったように、そんな気持ちが収まってしまうと、実際人生の大部分が本当に終わってしまうような気がしている。



2024年4月27日土曜日

NT0057 ノート「裏道を行け ディストピア世界をHACKする」橘玲

  岡田斗司夫氏に教えられるまでもなく、橘玲氏の書くものには、一定の共感というか、目から鱗というか、うん、尤もだ、がありまくりで、こういう物書きを知るというのも、20年に1回ぐらいじゃないかしら、と思うが、あまり持ち上げてもしょうがないか。


 最初に意識の中に入ってきたのは、彼のリベラルに対する深い失望を書いた文章だったように思う。決して、ネトウヨ的保守主義者ではなく、寧ろの反対の立ち位置に居たいのに、どうにもダメ~な奴しか、その界隈には見当たらない、的な文章だったように思う。オレは誠にそうだと膝を叩いた。ぽ~ん!と。



 さて不摂生でこの身にまとわりついた脂肪はいろいろ不都合を引き起こし、可及的速やかに、しかし無理をせず、取り除かねばならないわけで、GW初日だ。しゃこしゃこと部屋でエアロバイクを漕いでるわけなんだが、そのお供として、講談社現代新書の橘氏の「裏道を行け ディストピア世界をHACKする」。


 うん。ディストピア。社会としてこの絶望的な状況を何とか出来る処方なんてないのだ、というのが橘氏の主張。だから何をしてもいい、というわけではなく、完全に諦めたわけではなく、現状認識としてそれはそれ、何か出来ることはないだろうか? 方向を探すために思考して、その中で生まれ出てくる、氏の著作群と捉えている。

 ならば、この状況で個は如何に動くか?、動くべきか? そういうことなのだろうか? タイトルだけを見て、そのように想像した。


 しゃこしゃこしゃこ。


 第1章は、非モテが如何に超絶ナンパ師になるか?という話。これはオレが何十年前から思っていたことだが、要するにだ。女性が男性をパートナーとして選ぶ基準というのは、自分という個体と子孫=遺伝子の保存のために最も有利そうな相手、ということなんじゃないか? ということだが、これは、この分中にも書いてある通り、生物は遺伝子の乗り物である、という何十年前に聞いた説のオレなりの解釈以上のものではない。

 偶にこの基準が壊れた女の人の話も聞く。ダメンズとか。でも、まぁ、それは、次善に次善を重ねるうちに、基準が歪んでいったということで、そういうことで、少なくとも自分の当座の精神の安定は得られる、そういう選択と考えられないこともない。

 或いは、お眼鏡に叶う相手がいなければ、おひとりさまという選択もある。これは遺伝子の保存というよりは、個の安定が優越してしまった結果なんだろう。何はともあれ遺伝子の保存、という事ではないらしい。

 そういう基準、その為の行動原理を突いてやれば、ナンパもし放題、そういう男の話であるらしい、第一章。


 ちょっと思うことが増えたので、本はそこで閉じた。物思いに深けながら、汗かきつつペダルを動かすのであった。


 しゃこしゃこしゃこ。