2024年7月16日火曜日

8353 NR500 _13

 

8353 NR500 _13

NR500  1979
for Takazumi Katayama

NT0075 1979年の事を書こうと思ったのに

 NR500がお披露目された1979年はオレは中学1年の部活少年で、その方面、小学生の時こそスーパーカー少年ではあったが、それも1977年FISCO第1コーナーで観客ひとりを巻き込んだヴィルヌーヴとピーターソンの事故以来情報が途絶えて興味を失っていた。まして2輪のレースなど、そりゃぁ訊かれればあるんだろうな、ぐらいには思っていたのだろうが興味の範囲外だった。家の近所にホークIIが停まっていたが、さしてカッコのいい乗り物とは思えなかった。

 二輪と二輪のレースに興味を持ったのは、高校生の時の、例によって漫画、「バリ伝」による。最初の方、よくよく考えれば、コーナーでバンクしてる外脚でガードレール蹴とばすなんて、もっと後の漫画のルフィ? 読んでないけど「ワンピース」、びよ~んと脚が伸びないと無理だって。
 「750ライダー」初期、ギスギスした不良マンガが途中からラブコメ漫画になったけど、CB750の魅力は小学生には伝わらなかった。だから「バリ伝」から。あとは「あいララ」とか「ペリカンロード」あたり?
 ハングオフ、当時はハングオンと言っていたが、それでバンクしてコーナ回っていく姿は鮮烈だった。

 「楕円ピストン」の存在を知ったのは、高校生になってから、バイク誌ではなく一般青年誌からだったと思う。週プレかGOROかスコラか。いやポパイかホットドッグプレスだったかもしれない。内燃機関のさわりのさわりについては、スーパーカーブームの時に知った。吸気排気それぞれ4つずつのポートとバルブ。混合気の燃焼にムラとかなかったのかしらとか、ピストンリング、ちゃんとピストンに密着するのかしらとか、その辺の記述、一般青年誌には書かれていなかったが、まぁ、ちょっとの情報だけで重そうなバイクのような気はした。でも、まぁ、そんなものを作ってしまうホンダに内心喝采していた。
 あと、スズキの油冷エンジンとか。750CC4気筒ならシリンダー1本あたりヤクルトのプラスチックの小さいボトルほどの容量。そこにつくバルブが4本。それの燃焼室からすれば裏側、上から潤滑油を吹き付けるとか、エンジンなんて熱持つだろうに、それにへこたれないつまようじに画鋲が付いたようなパーツ、よく作れるな、とか。

 80年代の後半の4輪に先駆けて、2輪はこの時すでにほぼほぼトップにいた。GPこそホンダは休止があった後の出戻りで苦労していたが、それ以前のMVアグスタをヤマハやスズキの2ストは凌駕していたし、GPでなく耐久レースではあったがホンダはこの時すでに無敵だった。

 田舎で情報は遅かったが、それでも、次は何が来るのか? 高校生の坊やのそんなワクワクは、かろうじて明るくない青春に火をともしていたりしていなかったりした。

 って、1979年の事を書こうと思ったのに、その後の話になってしまった。


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