ラベル sight(town) の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル sight(town) の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2024年9月21日土曜日

8523 高岡 金屋 20190914

 

8523 高岡 金屋 20190914

アニメの背景的にするにはどうしたらいいか、ちょっと考え中

2024年7月10日水曜日

8322 Buenos Aires

 

8322 Buenos Aires

NT0073 ふとブエノスアイレスに行ってみたくなることが偶にある

 恥ずかしながらオレの海外渡航経験は、ソウル日帰り一回のみである。パスポート二回ぐらい取っているのだが、行きそびれだの何だのその一回きりのほぼほぼ無駄。それほど海外渡航意欲は旺盛ではなく、実際その土地の事はほとんど知らないけれど、っていうか、今この時点でそれほど熱心に調べようとしていないが、名前の語感だけで妙なエキゾティズムを感じ、一遍ぐらい行ってみたいな、という土地がいくつかある。

 このブエノスアイレス、同じく南米でブラジルのマナウス、プラハにブダペスト、トンブクトゥ、今は、もう教授になったのかな?高校の同級生がそこの建築について本を書いたというハノイ。この6か所。次点でアンカレッジとかラパスとかパースとか。


 藤沢周氏の「ブエノスアイレス午前零時」。ブエノスアイレスなんかにはいってないけれど、って。そうではない、ピアソラの曲の名前そのままの題名。日本の鄙びた温泉地、雪、タンゴ、そんなところだ。小説内容を連想するようなMV、ヨーヨーマ氏の演奏による「リベルタンゴ」のもので観たような気がする。


 そもそも地球の反対側にある国の事だからよくわからない。子供の時イギリスと紛争になったこと、通貨危機があったこと、ぐらいしか記憶にない。そうだ、「母をたずねて三千里」で、マルコ少年がイタリアからわざわざ母親に会いに行ったのはブエノスアイレスじゃなかったっけ?

 ネットで拾った写真を基に絵にしてみた。多分その辺を歩いていたカップルにバイト料払って、タンゴ踊ってます的ポーズをとってもらったか? まさか、ずっと街中にバンドネオンの音色が流れていて、そこらじゅうで所かまわずタンゴ踊ってるってことはないよな?

 でも、ちょっと前のネットで70、80の婆さんが、よぼよぼに見えて、実はタンゴガチ勢の踊りをストリートで披露した、っていうのがあったな。


 バンドネオンとアコーディオン、違いはボタンか鍵盤か、だけなのかな? あの音色、結構好きだ。ブエノスアイレスの夜の治安、どうなのかも知らないが、ほろ酔いで街をふらふら歩くことがあるとしたら、その時はオレの人生も満更じゃないと思えるに違いない。


2024年3月11日月曜日

8243 高岡 長慶寺 2018年7月

 

8243 高岡 長慶寺 2018年7月

 今年の3.11は何やら殊更東日本大震災で亡くなった方のご遺族の話をネットやらテレビやらで目にする。実際この何年間のそれより多いのだろう。何しろ元旦から能登ででかいのあったわけだし、最近では千葉も何やら不穏だ。意識がどうしてもそういうところに向くところにはもってこいの素材ではあるに違いないが、そう、亡くなった方々にとっては13回忌にもあたる。

 13年早いのか短いのか。しかし、テレビで当時今のオレと同じ年で奥様をなくされた男性が70歳であるとテロップに出ていた。同世代くらいの夫婦の機微というのが自分事ではないので全くの想像でしかないが、そこそこケンカすることもあっても、基本信頼しあいお互い一緒に時間を過ごしていく掛け替えのない相手、であるはずで、そういう伴侶がいない、と。子供がいれば慰めにはなるが代わりにはならない。どこか決定的な欠落を抱え込む、そんな13年間というのはどういうものなのだろう?
 今から13年経てばオレも70になっている。ちょっとゾッとした。

 しかし、13年前である。前にもブログに書いたが、オレはその日は、高岡長慶寺のローソン建築のためのボーリング調査をやっていた。ボーリングの足場の上は絶えずディーゼルエンジンで振動しているし、おまけにこの敷地、すぐ横が片側2車線の国道で、大型車がよく通るわけだが、このあたり軟弱地盤で、それだけで地面がグワングワン揺れるのだ。地震があった時、当地には震度3が伝わったが全然それに気づくことはなかった。直帰すれば手っ取り早いのだが、一旦富山の会社に戻って調査内容を記録しなくてはいけない。会社への道すがらのラジオで、テレビと同時音声、「名取川を津波が遡上しております。畑の上を船が流されています!」などと言ってるではないか。
 名取川? どこ? 女優の名取裕子氏の顔が、別にファンではないけれど思い浮かんだきり。まぁ、日本国内には間違いないらしい。それにしても、畑の上を船が流されていく津波って、相当なもんだぞ?! しばらく聴いているとどうやらそこは仙台近郊らしい。そっちか!

 会社に戻ると社長以下社員一同テレビにかじりついて観ていた。阪神大震災や9.11WTCの事を思い出した。しばらくはテレに等はこれ一色になるのだろう。ひどいことになったものだ、と思っていた。

 一昨年か。仙台に出張に行った時の宿が、津波こそやってこなかったようだが、壊滅的な被害を受け多くの人が亡くなったときく閖上の山側数キロの道沿い、震災後より、仮設住宅や復興作業従事者の宿になっていただろうコンテナハウスをお色直ししてビジネスホテルに改装したところだった。夜、オレは、1人で閖上の方に行ってみようかとも思ったが、そういう度胸を持てなかった。ほんの少し走ればすぐだったんだが。何かに飲まれてしまうような気がしたのだ。津波じゃなくて。宿から見る海の方角は暗くライトもほとんど見られなかった。

 さて13年前オレがボーリング調査したコンビニだが、今の会社の通勤途中にある。朝、トイレを催すとそこで用を足し、缶コーヒーとタバコを買う、まぁ、普通に利用している。
 今年の元旦は、オレんちの事情で、そんなに晴れがましくはない地味な正月ではあったんだが、まぁ、平穏な日常であるはずだった。それを突き破るように地震はきたんだ。13年前も、オレはフツーに仕事していたし、多くの人にとっては何もなければ13年も経てば何をしていたか記憶に無くなってしまうような日常だったはずだ。

 そんな日常という、なんだろ? 幕かな? 何かな? そんな感じのものを突き破ってやってくるものだ、災いというものは。ということは、その幕の向こうにいつも災いは待機しているということになる。

2024年2月24日土曜日

8228 万代 2024年2月

 

8228 万代 2024年2月

 大学の英語サークルの先輩が撮られた写真よりイラスト化。何気なく程々にざわざわした感じが何となく好きな写真だったので掲載許可をいただいた。

2024年2月10日土曜日

8212 あの坂の向こうには海が広がる

 

8212 あの坂の向こうには海が広がる

 米島にある中越パルプの工場は子供のころから恐ろしく凶暴な悪臭を周囲にはなっていた。今はこういう時代だ。そういうことは許されない時代なので、工場の外に出てしまえば向かいに普通に食品スーパーがあったりするほど普通だが、一度など前の会社の仕事で工場の構内に入った時など、一番コアなところで仕事をしたせいもあるが、かの臭いは健在で、工場で働く人の中でリアルに鼻が曲がってる人を何人か見かけて、ひぇ~! とか思った。

 昭和40年代、50年代、高岡市内の子が親に氷見や雨晴に、夏、海水浴に連れて行ってもらう時は、まぁ、今とは違う旧道の国道160号線で国泰寺に行くように途中で曲がって、何かきちんと認定をとった「日本モーターツーリストホテル協会(?)」の看板を掲げているけど、ぶっちゃけモーテルの前を通って、というルートもあるにはあったが、伏木の国分浜を横目に、この前投稿した廃墟の前の道を通って、というルートを使うことが多く、で、上記、中越パルプの前を通る時は、当時の父のクルマ、510ブルにはカーエアコンはついていなかったけど、窓を閉め切って、何分かサウナの気分を味遭わなければならなかった。熱中症の危険があったわけだ、今思うと。

 で橋を渡り、左に曲がる。

 10間道路なんて、昔はそれは当時なりの高規格道路として敷設されたのだろう。今となっては片側1車線幅18mの道なんて、普通の田舎の道なんだけど。
 ただ不思議な道だと子供心に思っていた。坂を上って下ってを何度か繰り返す。谷筋の川に沿っての道というのはいかにも普通で意識しないが、この道はいくつかの谷筋と低いなりにも段丘地形の尾根筋を串をぶっ刺したように横断する。登って下ってが何となく楽しかった。

 昔、空荷の当時としての大型トラックが、此処から港を目指す。荷を積んでいないのだから揺れたってかまわない。伏木港で原料を積んだトラックは今度は一本東側の平坦な道を走って市内の、日本曹達や前述中越パルプなどの工場にその原料を搬入する。出荷はこの逆回りで伏木駅前を通る平坦な道で港にもっていき、軽くなったトラックがこの道を使って高岡の町に戻る、そういうことを意図してこの道は作られたのだと小学校の先生に教わった記憶がある。

 なにはともあれだ。最後の坂を上り切った時に前に広がる海がオレは好きだった。

2024年1月28日日曜日

8192 高岡 伏木中央町 2023年11月 _2

 

8192 高岡 伏木中央町 2023年11月 _2

 2024年元旦の地震において、高岡では一番被害が出たところの在りし日の様子。幸いしないでは亡くなった方はいないが、液状化で例えばこの絵の中央の電信柱が黒と黄色の帯が地面についてしまうくらい、沈んでしまった。ひどく傾いて、建て直すしかないというお家もあるだろう。