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2022年5月3日火曜日

7482 GSX1100S_28 & ランボゥに戻る前にキリンに立ち寄る

 

7482 GSX1100S_28


 考えてみたら、法華宗の事ばかり書いていて、ランボゥの事書いてないし、それなら、別にカワサキ空冷4発を合わせることもないのだ。んでもって、ランボゥに話題を引き戻す前に、東本昌平氏の「キリン」の事について少し、と思い、今回は刀。

 非常に稚拙な、という修飾語はつくが、プチ宗教論争、プチ思想哲学論争なんて、20代の時、げっぷが出るほどやったのだ。それもこれもすべてはマウントとるためなんだが、夜の酒を飲みながらのそれに備えて、昼間のうちに書籍でにわか知識の詰め込みなんかもやったりしたものさ。今更、同僚で顕正の彼女を、以降、ここでは姫と呼称するが、姫とは多分直接的な論争になることはないだろう。姫の同級生の方か、顕正会のもう少し上位の人が、こんなオレを、それでも、折伏弘通しようというなら、多少はあるのかもしれない。まぁ、オレが彼らの立場なら、こんな奴はごめんだがね。

 ざっくり整理するならば、妙法蓮華経と勤行の良さは充分理解できた。それだけで価値があることは分かった。しかし、顕正会の主張方針とは相いれることができず、会員として活動することもできない、ということだ。

 心が決まって、改めて思うのは妙法蓮華経の経文としての端正さである。そう感じるというのは一体どういうことなのか、生まれて初めて、じゃないわ、前に鈴木大拙氏の「歎異抄」を読んだことがあるんだった。臨済宗門徒の氏が、親鸞の教えが浄土宗門徒の間で変質することを嘆いた、なんていう、言ってみれば愚痴本だ。名著とは言われているが。仏教関係の書籍を買うのは、その「歎異抄」に次いで、ということになる。それが今回、3冊ほど仏教研究書籍、他に何冊か、まとめてお買い上げだ。
 
 
 法華経関連書籍が4冊と、佐藤優氏が母校の、氏は神学部であったから、多分その神学部で講義したその内容らしい、という本と、ガダリやデリダと並んで、オレが若い時スターだったドゥルーズの、これ、入門書みたいな内容らしい。

 ホントは土木の技術書買って読めばいいのだが、ついつい手が出るのは、単車とかクルマの本じゃなければこのあたりだったりする。GWとその後の2週間の出張の夜、コロナだし遊びに行けないので夜の御供として。

 若いころというと、美術部の後輩に、一時期幸福の科学に偉く傾倒した奴と、バイト仲間の他の大学の学生(っていうか百万遍のかの国立大学の奴)でオウム真理教に入信しちゃった奴がいた。それぞれから、結構熱心に勧誘されたりした。
 って思いだしたよ。なんか、オレ、勧誘しやすいのか、原理研の勧誘こそなかったけど、前に書いた通り、英会話の教材やら、高校の時新宿駅で自衛隊の勧誘を受けたし、渋谷から青山通り、表参道と歩いただけで2回、厚化粧のオバちゃんお姉さんに、シルクスクリーンやらリトグラフやら売りつけられそうになった。以来、クリズチャン・ラッセンが特に嫌いになったんだがな。
 そう思うと、オレって、そんな隙だらけに見える? って、少し落ち込んでしまう。

 そのあたりから、思ってたのさ。新宗教、新興宗教なんていうのは、組織として不安定な分、教祖が「烏の色は白」といってもそれに従わなければならないようなところがある。そうしないと組織を維持できない。壺とか怪しげなもの売られる以前に、そういうのが我慢できない。

 こうやって、オレは、良いと思ったりとか興味を持ったりしたら、その話の裏も取り、そのうえで受け入れるかどうか決める、なんて言うやり方をいつの間にかとるようになった。法華経との出会いはきっと悪くないものであるという予感がある。それをもたらしてくれた姫には感謝だ。心から。

 まぁ、しかし、特に顕正会のような立ち位置の新宗教、そこの支部長あたりが仮に折伏にくるのだとしたら、そのような本では何も日蓮大聖人様の教えなどわからない、とか、間違いだ、とか言うのだろう。まぁ、それならお互い何が分かってるのか? って話なんだが、お互い何もわからないんだよ。なんて、少々乱暴か。主観も客観も必ず正しいことなんてない。一般に客観が正しいみたいな思われ方をしているが、そういうのはただ、外から見る分には、以上の意味はないから、中の事は分からないし、内側にこもっては外からの評価がわからない。信心が、他所の評価も気にならない。自分の信心で目いっぱいで、他人様の信心などどうでもいい、という立場を取らない、あくまで折伏にこだわるなら正しいものはまるで見えていないということになる。ただ、自分が絶対正しい、という料簡こそ、実は真っ先に間違いであると断ぜられるべきものであると思っている。その辺からして多分決して分かり合えない。

 まぁ、オレが思ってることだって正しいとはほぼ思っていない。特に万人にとっては。間違っているから常に正しいものを探すのだけど、正しいものを手に入れた瞬間に間違ったものになってしまうのだから、きりがない。しかし、そういうことの面白みが、何となくわかってきていたりしてな。


 限界超克の姿こそ男にはふさわしい
 それは一種永続的な闘争であるが
 その苛烈な思惟に耐え続けるのは難しい
 若さは性急に結論を欲し 問題を切断しようとする

 自身の有限を自覚しながらも
 再び立ち上がり走り出さなければならない
 初めてアクセルを握った時から
 何も変わってはいないのだ

 そらで覚えているのを書き出してみた。それぐらい若い時のオレには重要な一節だった。「キリン」が最初にMr.Bikeに連載されていた時に、東本氏によって、作中と、漫画とは別のページに書いてあったのを合わせて、こんな感じだったと思う。
 こめかみとその奥の脳髄の芯が随分と疲れたような感覚は取れなかったけれど、これはこれからこういうものだし、男ってこんなもんだ、なんて妙に腑に落ち、何か世界が変わったような気がした、これを読んだときは。
 因みに、「男には」なんて、「男」を振り回すなんて、随分昭和だが、しかしこの場合の男はつまり、例えば戦場で、恋人の写真を持参して「戦争が終わったらこのコと結婚するんです」なんて妙なフラグを立てることもなければ、そもそも、持って歩く写真に写す恋人などいないのに、いざ始まってしまえば、真っ先にヘルメットごと頭を撃ち抜かれてしまうような男、意を決して女性に愛の告白をして「君のためならなんだってできる」といったら、即座に「じゃぁ、私のために、私の前から今すぐ消えて」と言われてしまうような男である。いくら男女平等とはいえ、そういうのはごめんだろう、多分、女性の方々も。

 モチベーションが低いわけではないが、妙に疲れ果てた感覚があるし、それでいて変に覚醒していて、寄り添ってくれる人もなく脚に力は入りきらないのだが、寄り添ってくれる人がいなければ、前に行かないのか? 違うだろ? と、ゴーストが囁いてくれちゃったりなんかして、一度、丹田に力を込め、歯をほんの少しだけ食いしばり、食いしばりすぎると俺みたいに奥歯ボロボロになりますので。まぁ、そういう自己イメージだ。そうやってよろよろ前に進みだす。

 どこかの教えにおすがりすれば、それは間違いであると断じられ、なにか即席のお救いをあてがわれるのだろうが、そういうことは選ばない。

 で、自己陶酔と揶揄されるから人には言わないけれど、案外とこれが、居直ってしまえば楽しいと思えなくもない。そんな感じ。


 キリンが、何十年越しにポルシェに挑みかかるきっかけは若い女性だった。こちらも若い女性であることは変わりないが、あちらはイケオジで女性と懇ろになったりしていたが、こちらは、そういうことはほぼあり得ない。でも、な~んか (´・ω・`)人(´・ω・`)ナカーマ、とか、思ってしまった。

 
 ランボゥの詩というのは、そういうのが、そんな珍しくはないことで、ちょっとばかりしんどいかもしれないが、特別絶望的な孤独感を感じるほどの事もない、と、いい具合に教えてくれる。
 ような気がする。知らんけど。


 というようなところを、顕正会の件は、ブログでは、一応のまとめとしておく。新しい展開があって、それが面白いと思えば書くことにする。


 
 


2022年5月1日日曜日

7479 研二クン仕様 3_retake & あ痛てて?

 

7479 研二クン仕様 3_retake


 ひとつ厄介なことが、人間って弱いものだから、アイデンティティとか自分の正しさとかの根拠を、権威、歴史伝統、その辺に求め、盲従したり、不勉強の上におかしな解釈が入り込んだりして、まぁ、なんていうか、とっ散らかって大変なことになる、というのがある。まぁ、それは実害がある場合とない場合があって、ない場合など、直接批判はできないけれど、それが時間、代を重ねるごとに、更におかしな具合に拗らせちゃったりして、もうひたすら「面倒」というしかないものになってしまう。

 ずっと、法華宗界隈の事書いてきたけど、日本の暴走族? 珍走団?だってそうだ。何よりもまず、やたら画数の多い感じを使った当て字とか、本家ロンドンのロカビリーからせいぜいキャロルクールスまでのリーゼントを真似たにしては、随分とビミョーなトサカ頭、チョッパー由来なのかプレスライダー由来なのかわからんが、それでちゃんと運転できるの? っていう感じの絞りハンドル、それ前見えないでしょう、という取り付けられ方した、ロケットカウルとか。まぁ、その辺はまだかわいいよ。
 拗らせがさらに進んで右翼団体何かに身を進めるが、決して歴史を勉強しなおすわけではない。都合のいいことだけちょこちょこ摘み上げて、自分は歴史の本流の上に立っている、なんてお手軽に思い、足りない自分の知識と知恵に反することを目にしては、それがそこにある必然に思いをはせるなんてことは当然せず、ここぞ、オレの生きる世界とばかりに攻撃する。
 あらゆる宗教のチカラの根源はここにある。神が仏が存在を肯定してくれるからそこに立っていられる。あとは、その思いの強弱。

 第一に、アイデンティティなんて横文字自体問題がないことはない。ところがそれに合う適当な日本語がどうも見当たらないので仕方ないが。そういうものを意識しなくても、引っ掛かりなく生きて生きていけるなら何となくやれてしまう今の社会、ということもあるのだろう。ただ、一旦、一歩でもそういうコースを外れてしまうと、とんでもない恐慌状態に陥ってしまう。
 何にすがるか、それについて個別に批判したりしなかったりは意味がないし、いかなるものでもそれぞれの意志は尊重されるべきだが、ただ、それはそういうものだと知っているのと知らないのでは大違いではないかと思う。

 どちらがいいのかって? そいつぁ言えないね。

7478 toecutter replica & 世紀末なんたら伝説と末法 

 

7478 toecutter replica


 丁度「鎌倉殿の十三人」、大河ドラマでやってるが、鎌倉時代の武士なんて言うのは、まだまだ、野盗と区別がつかないならず者が多く、まぁ、言ってみれば某世紀末何たら伝説に出てくるようなヒャッハーな人たちがいっぱい? このあたりを末法の世とし、法然、日蓮、道元が現れた、なんて、昔歴史の授業で習ったこと、wikipediaで確かめながら進めていく。

 日蓮が今の関東、千葉鴨川のあたりのその辺の農民とかのリーダー的な家に生まれ幼少時を過ごし、仏門に入り、特定の人物に師事するということもなく、大体は独学でसद्धर्मपुण्डरीक सूत्र, Saddharma-Puṇḍarīka-Sūtra、即ち「白蓮華のように最も優れた正しい教え」(植木雅俊訳)にたどり着いたとあるが、多分その頃の関東と言えば、集落から一歩出たらヒャッハーの真っただ中で、幼少時から末法の世を皮膚感で感じていたのだろう。

 ということは、来世以前、たった今、救済などとお高くも止まれない、正にわが身を守らなければいけない、魂の救済? そんなの後々、という現実も身に染みていたのだろう。仏様の話は今晩ゆっくりするとして、たった今だ、この酷い現実を何かしなければ、というところが、法華宗系が他の宗派に比して特に政治を志向する原因の一つなのかもしれない。或いは仏の教えと現実の乖離具合、そのギャップをいかに埋めるかで、終生頭がいっぱいだったのかもしれない。

 それにしても、日蓮正宗、創価学会と、妙信講則ち顕正会の人たち、正本堂の建立なんてことで対立するとか、っていうか、そこに、派閥同士のマウントの取り合いがあったんだろうが、それ自体、像法または末法の徒の所業と思わなかったのかしら? 日蓮がいたら実に下らん、と、三者まとめて一刀両断されるかも、とか思わなかったのかしら?

 まぁ、日蓮がそれをいかに思ったかなんて知るすべもないが、

 例えば、平安末期から鎌倉期の、特に治安の乱れを、現代の状況に類似する、という法華宗社会観、歴史観であるが、事此処にいたり、信心が無くなったからだ、などと言ったところで、現実の野党の主張並みに、抽象的過ぎて、お花畑で、却って、だから宗教は、となりかねない。っていうか、なってるし。そういう現実を、今の日本中が間違っている、などと繰り返してそれしか言わないのであれば、これまた無能な野党と同じなのである。
 せめて、信心によってどうなる? またはどうして信心を獲得できない? その辺を地道に探っていくところが見えればよいのだが、まぁ、大方の印象はそうじゃない。
 宗教法人は、自分たちに誤謬は一切なく間違っているのはこの世の方で、力ずくでそういう民心を変えなければならない、というのがまぁ、ほぼ100%で、これでは、彼らが忌み嫌う共産党員と全く同じなのである。
 まぁ、好きに言っててくれよ、ただしオレのいないところで、なんだが、

 一応オレも政治学科にいた人間で、とりあえず分かったのは、政治という如何に複雑怪奇で人心をまとめるなんていく困難も知っているし、っていうか習ったし、それに対するあらゆる処方も仮説の域を出ないことも習った。経済学、社会学、心理学、法律、それらの更に細かく分類分化されたものが、人数分の利害も絡んで、もうほっぽり出したくなるほど「面倒くさい」をはるかに通り越した複雑さで、それを何とか解明しようとする学問であったと思うが、それを「仏の教え」なんて、一言で何とかなると思われているとしたら、何とも舐められたものだ、と、苦笑いしか出てこない。仏の教え、それは結構。それを是非、膨大な個別の問題、恐らく全人類の人口以上の数がある、に生かして順に解決していってはくれまいか? おそらく、それは教義のお仕着せでは何一つ成せないはずだ。

 とりあえずはウクライナ問題だ。コロナ禍の事もある。それにして物流や経済が急激に悪化している。ウクライナ問題では、それこそヒャッハーなことをしでかすロシア兵がかなりいたそうである。国立戒壇の建立なんて言ってる場合じゃないぞ。今ある危機についてちゃんと彼なりに対処しようとしたのが日蓮ではなかったか?

 とはいえ、一介の田舎のおっさんにすぎないオレにしても、それについての処方など一切持っているわけではない。自分にできないこと人に求めるのも何なんだが。

 逆に言えば、日蓮聖人の教えは、「白蓮華のように最も優れた正しい教え」を唱える、それがすべてで、それ以外は一切要らないということもできる。一切の政治的活動もだ。

 まぁ、そういうわけで、摂受ならまだしも、つまりそういう考えの人も世の中に入るんだねぇ、と思えても、オレはそれを自分のものとすることはできない、オレを折伏弘通するなんて言うのはやめてください。たのんます。

 画像は、世紀末何たら伝説な漫画の世界観の元になった「Mad Max」に出てきた、トゥカッターの単車のレプリカ。

2021年12月31日金曜日

7279 Wayne Rainey_7

 

7279 Wayne Rainey_7

Wayne Rainey
OWA8
Bugatti Circuit 1989

「男はつらいよ」に関し 3

 満男の愛車として劇中登場したのは、スパーダとGPz400Rの2台では、このウェイン・レイニーのYZRは何かというと、第46作目、「寅次郎の縁談」中、就職活動中、なかなか内定が取れなくてヤサグレてた満男の部屋に貼ってあったのが、ラッキーストライクカラーのYZRに乗って、この画像はコーナーの立ち上がりだが、右コーナーのコーナーアペックス付近、今のコみたいに肘擦りこそしていないものの、フルバンクの姿勢のウェイン・レイニーのポスターだった、というわけだ。
 単に、無造作な舞台背景ではなく、満男のある面へのキャラ付けの意味合いがあることが決定的なんだと思った。
 白時に黒のヘルメットでラッキーストライクというと1989年のことだが、この映画の撮影は早くても1991年、公開が1992年なのだから、こういう映画の性格上公開に割と近い時期まで撮影していた可能性もある。
 無造作に選ぶとすれば、GPでもドゥーハンとか、同じレイニーでもマルボロカラーであるとか、シュワンツでもいい。いや、GPにこだわらなくても、セナ様のポスターの方が調達しやすかったのではないか? わざわざ、でなければ、貼ってあったのが89年のレイニーであることはないようにも思う。あと「HRC」とか「TERRA」っていうステッカーも貼ってあったりする。

 あ、でも、89年頃撮影した時のセットがそのまま残ってるという可能性もあるな、確認はしていないけれど。どうでもいいか。


 2019年の「おかえり寅さん」、あ、ネタバレ注意、なんて、今の今までよりによってこのオレが書くとは思っていなかった言葉を書いてみる。まぁ、大したことは書かないんだけど。満男クンはオレよりはほんの少しだけ若いんだけど、シリーズを通じて、善人たちが幸せ等なのが辛い、というのとは別に、オレと同じ種類のバカで観ているのが辛かったりする。だから、誰もいない、娘も視ていないところで伯父さん思い出してめそめそするの、オレもおなじことやっちゃったりするんだろうか? と思ったりもするが、同じ音のミツオがいっているとおり、「いいじゃない、人間だもの」なのかもしれず。

 山田洋次氏ではなく、庵野秀明氏を連れてきて「シン・男はつらいよ」でも作らない限り、いよいよ、シリーズこれが最後なんだろう。山田洋次氏の作風でこれから映画を作るのも難しいし、敢えて作風を変えてまでそれをすることを、ファンが許さないかもしれない。
 底に流れる精神はそのままに、それでも、「男はつらいよ」のリメイクなり続編なりを作っていくとしたらどうなるだろうと、妄想してみた。

 まず、満男クン、単車乗りに復帰しろ、と。娘の高校受験もあるだろうが、次作がおそらく露天商、即ちテキ屋に関することらしいので、つまりは伯父寅次郎氏がモデルなのは明白で、となれば寅さんがした通り、日本中を放浪するように旅しながらノマド小説家となるしかない。まぁ、次作の時には娘の高校受験もひと段落してそうだが、しかしむすめをひとりにするわけにもいかず、というところで、池脇千鶴氏が演ずるところの担当編集者が名乗りを上げて、住み込みで娘の世話をするようになる。「おかえり寅さん」劇中、ほのかに、満男クンとの仲が進展するかもしれない、という描写があるのだが、
「君の事は信頼しているし、君もボクの事をよく理解してくれてると思ってる。ある意味きみがいるから、小説家としてやっていけるんだけど、でも、だからと言って、結婚とは結び付かないんだ。結婚って何だろう?」
的な若い子が言いそうなセリフを、50を過ぎても満男クンは平気で言いそうではある。まぁ、かの編集氏、さくらおばあちゃん、博おじいちゃんをはじめ周りの人には、そのように認知されていく中で、
 満男クンの日本準で体験したエピソードが映画として綴られていくわけである。寅さんがそうであったように、ちょくちょく葛飾柴又には帰ってきたりするんだけど。あと、寅さんのような艶話とはちょっと違うエピソードな。
 さあ、富山県、そうなったら積極的にロケ、誘致し給え。


 「う~ん、なんて言うかな、ほら、”ああ、生まれてきてよかったな”って思うことが、何遍かあるじゃない、ね? そのために人間生きてんじゃないのか?」

 どのエピソードで寅さんが満男クンに言ったセリフか、ちょっとわからないが、回想として「おかえり寅さん」に出てくる場面である。オレなんかね、生きる意味に結構拘泥しすぎてしくじったと思ったりしているクチだが、若い奴にそんなこと質問されたら、オレならどう答えるだろう? 

2021年12月30日木曜日

7278 GPz400R_5

 

7278 GPz400R_5

「男はつらいよ」に関し 2

 第44作「寅次郎の告白」の最後の方、ちらっと出てくる満男君の愛車、シレッとした顔して、スパーダからGPz400Rに替わっておりました。流すところですが、あの鹿児島まで行ったいわば相棒、さらっと買い替えてしまったか、山田洋次さん、小道具スタッフが替えてしまったことにも頓着しなかったか、それとも、まぁ、それなりに時間も経ち、映画で語られないところで買い替えのドラマとも言えない何かがあったことにしたのか。まぁ、ホントどうでもいいですね。
 いや、どうでもよくないか。公開当時、「寅さん」なんて見なかった、単車乗りを中心にした満男と同世代が、今更「男はつらいよ」シリーズ見ることもあると思うんだが、多分、山田洋次氏的には、その当時のよくいる若者のキャラ付けするための小道具以上の意味はなかったように思うんだが、スパーダからGPz、ホンダからカワサキへの買い替えって、ないわけではないが、それなりの事はあったと思うし、単車に乗っていたという事実自体、満男のキャラクターメイキングにそれなりのポジションを占める事実であったと思われる。当時としては確かに特別、というほどの事ではなかったとは思うが、伯父に影響を受けた、という部分では効果的な小道具ではなかったと思われる。思い付き、思い込みで鹿児島まで行っちゃうところとかね。満男クン、例え泉ちゃんが絡んでいなくても、いろいろ経験したのかな、GPzに乗って、とか、想像してしまう。

 さて、寅さん、車寅次郎氏のことである。シリーズ通じてである。繰り返すが、何度もじっくり見たわけではないので見落としがあるのかもしれないが、テキ屋をやっていて、商材の仕入れの場面ってあったんだろうか? と思ったりするが、ちょっと思いつかない。商売として、あれは成り立っていたんだろうか?と。
 売り口上はほぼ超が付くくらいの一流だったとしよう。しかし、旅姿は、空色のダボシャツ、辛子色のジャケットを腕を通さずにはおるだけ、ソフト帽を外すことはめったになく、あとは古ぼけた革のトランク一つ。商材を持ち歩いているようには思えないし、高額で利益率の高いものを売っているようにも思えない。行く先々で伝手で商材を仕入れ、その場で売っていたということなんだろうか? あの世界の事は全くわからないが、なんかちょっとな、今じゃ絶対あり得ないし、寅さんが活躍した高度経済成長期末期からバブル期、平成の何年間かの間であっても、それだけでやって行けたとはとても思えないのだが、そこは蛇の道は蛇なのかな?
 あと性格。一応振られはするけれどもてないわけではない、なぜか気になるチャーミングな人物ということになっているが、殊現在、リアルであんな人が身近にいたら、ちょっと困る。
 そういう人物も受け入れられたおおらかな時代、といえばいいのかしら? でも、やはりスクリーンの中だけにしていただきたいんじゃないかしら?

 まぁ、寅さんは極端にしても、みんな優しく、弱いけれど強く、聖人でもないが悪人でもない。一所懸命生きている。悲しい顔をすることはあるけれど、暗い目はしない、そういう人たちの時代。ノスタルジーに浸るだけなんだろうか? オレの場合はNETFLIXで確認がてらみてるけれど、やがて物悲しくなる。

 

7277 VT250 Spada

7277 VT250 Spada

「男はつらいよ」に関し 1

 当地富山と、四国のどこかだったかが、遂に「男はつらいよ」のロケ地にならずに、渥美清氏の死去によりシリーズ終了を迎えてしまったため、富山県民的にはちょっとしたトラウマになってしまい、山田洋二監督の次のシリーズ「釣りバカ日誌」ではいち早くロケ誘致に動いたのだが、これも三国連太郎氏の死去でシリーズ終了。そこそこ人気はあったものの「男はつらいよ」ほどではなかったのではないか、と思われる。
 富山市岩瀬など、そのロケ誘致に熱心だったのだと聞き、49作目の制作に際し、山田氏渥美氏などは前向きだったが、松竹映画との交渉が不調だった、らしい。また、一説では、そこまで当地が後回しになったのは、渥美氏が結核など大病を患っていた若いころ、不義理をした女性が当地の女性だったから、当地が後回しになった、なんて話も聞いたことがあるが、それについては確認が取れない。まぁ、若いころの苦い思い出が人生に陰影を与えることもあるわけで。

 さて、画像の赤のVTスパーダ、車寅次郎氏の甥、吉岡秀隆氏演じる諏訪満男クンの最初の愛車で、今はジャン・アレジの奥さんが若いころ演じていた満男君の後輩の及川泉ちゃんが鹿児島でへこたれてるのを聞いて、葛飾柴又から鹿児島まで満男君がこれに乗って駆け付けるなど、大活躍だった。それと同型のバイクである。

 満男君の親父の弘さんは、寅次郎氏に助けられたのか邪魔されたのかよくわからないうちにさくらさんとくっつくことができたが、寅次郎氏と満男君は揃いも揃って女性に対しては不器用で、というのがこのシリーズの肝なんだが、寅次郎さんの移動にはほとんど窓が開く各駅停車の国鉄→JRに対し、特に若いころの満男君はこんなバイクに乗ってたりするのだが、いずれにしろ、基本が気ままな旅をする自由人の乗り物で、窓がはめ殺しの新幹線とか、ましてや飛行機なんてものは使っていた記憶がない。まぁ、全部をじっくり見たわけではないのだけれど。

 さて、あらゆる場面で、この話、現実の、特に今現在の日本では成立しないファンタジーであるというのは、説明要る?
 何百キロも離れた女の子に会いに行くのに、今の子、バイク走らせたりするんだろうか? コスパを考えて、今の子は恋しない、というが、それはお金の話ではなく、それだけの熱量を見せてしまうと、持ってしまうと、却って退かれてしまうというリスクを考えて、ならばと、そこまで入れ込んだりはあらかじめしない、ということなんだと思う。惹かれるだけならまだしも、そこまでやると、半ば犯罪者か精神異常者のような目でみられてしまうから。
 満男、即ち、我々の若いころはどうだったか? 女性との距離感を誤るとこれもまた大事故になってしまうのは今と同じで、オレも懲りずに何度も失敗しているが、まぁ、アリと言っちゃアリだったかな?

 そもそも、今の子でこういう単車に乗るのは、我々の頃よりもはるかに少数派で、時間感覚と距離感覚がマヒしたような単車での自由な旅なんて、ないとは言えないまでも更にかなり少数派なのではないだろうか? 若い子はお金もないしね。大人として大変申し訳ない。