7479 研二クン仕様 3_retake
ひとつ厄介なことが、人間って弱いものだから、アイデンティティとか自分の正しさとかの根拠を、権威、歴史伝統、その辺に求め、盲従したり、不勉強の上におかしな解釈が入り込んだりして、まぁ、なんていうか、とっ散らかって大変なことになる、というのがある。まぁ、それは実害がある場合とない場合があって、ない場合など、直接批判はできないけれど、それが時間、代を重ねるごとに、更におかしな具合に拗らせちゃったりして、もうひたすら「面倒」というしかないものになってしまう。
ずっと、法華宗界隈の事書いてきたけど、日本の暴走族? 珍走団?だってそうだ。何よりもまず、やたら画数の多い感じを使った当て字とか、本家ロンドンのロカビリーからせいぜいキャロルクールスまでのリーゼントを真似たにしては、随分とビミョーなトサカ頭、チョッパー由来なのかプレスライダー由来なのかわからんが、それでちゃんと運転できるの? っていう感じの絞りハンドル、それ前見えないでしょう、という取り付けられ方した、ロケットカウルとか。まぁ、その辺はまだかわいいよ。
拗らせがさらに進んで右翼団体何かに身を進めるが、決して歴史を勉強しなおすわけではない。都合のいいことだけちょこちょこ摘み上げて、自分は歴史の本流の上に立っている、なんてお手軽に思い、足りない自分の知識と知恵に反することを目にしては、それがそこにある必然に思いをはせるなんてことは当然せず、ここぞ、オレの生きる世界とばかりに攻撃する。
あらゆる宗教のチカラの根源はここにある。神が仏が存在を肯定してくれるからそこに立っていられる。あとは、その思いの強弱。
第一に、アイデンティティなんて横文字自体問題がないことはない。ところがそれに合う適当な日本語がどうも見当たらないので仕方ないが。そういうものを意識しなくても、引っ掛かりなく生きて生きていけるなら何となくやれてしまう今の社会、ということもあるのだろう。ただ、一旦、一歩でもそういうコースを外れてしまうと、とんでもない恐慌状態に陥ってしまう。
何にすがるか、それについて個別に批判したりしなかったりは意味がないし、いかなるものでもそれぞれの意志は尊重されるべきだが、ただ、それはそういうものだと知っているのと知らないのでは大違いではないかと思う。
どちらがいいのかって? そいつぁ言えないね。
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