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年譜的に言えば、日蓮31歳の春、約13年の叡山、三井寺、高野山での遊学から故郷に帰り、天台宗清澄寺にて弟弟子たちに 妙法蓮華経=法華経こそが最勝の経であり、念仏や禅宗が、法華経とランクが下がる称名念仏を同等に扱ってしまっている間違いを犯していることを指摘し、法華経のお題目のみを唱えるべきと主張し、まぁ、ここから法華宗=日蓮宗が始まった、って感じのようだが、
法華経が意味わからずとも大変端正な経文であることは、何となく理解できた。ウチの母の実家が門徒の真言宗衆徳山胎生院総持寺のFacebookのお友達でもある永田さん夫妻には申し訳ないが、般若心経よりお経読んでる、って手ごたえがある経文だった。般若心経、ちょっと短すぎのような感じで食い足りない部分があるって、本当は実はすごく長いお経なんだけど。法華経も般若心経も、鳩摩羅什が中国に持ち込んでいる。西遊記に出てくる三蔵法師というのは、水戸黄門の名の人物の如く、歴代何人もいる人の役職名みたいなもので、鳩摩羅什が最初の三蔵法師なんだそうだ。東アジアの仏教の広がりに多大な影響を与えた人物なんだが、だとすれば、この方現在の新疆ウィグル自治区あたりの出身ということで、仏教関係者、総力上げて、中国政府のウィグル弾圧非難しなきゃならないじゃないのか? と、ちらっと思ってみたり。日本に伝播したのもほぼ同時期だろう。
法華経、最高! じゃなくて最勝! とするのはそれはそれでいい。しかし、他の経文を一切否定するのはいかがなものか? その疑問疑念に対する答えをまず見出すことにしようか。法華宗を除く他の宗派、宗門が、基本テキストを妙法蓮華経、般若心経あたりとするのは同じで違いはその解釈とするのに対し、法華宗は法華経オンリーワン。書き出してわかる。確かに異質だ。
それに対する弾圧軋轢から日蓮宗が硬化していくのもわかるが、それで、日蓮入滅後、日蓮指名の六人の高弟、日昭、日朗、日興、日向、日頂、日持が、いきなりそれぞれの派閥を作ってしまった。内部分裂は日蓮宗のお家芸?
このころから現代までどのような離合集散があったかはわからないが、頑なさというのが大きなネックになっているのは間違いないように思える。現在の派閥争いというのが、ただの信者獲得のみに終始していて、教義に関する論争が見えてこない。日蓮の直弟子、釈尊の直弟子を自称する顕正会だが、配られる冊子などを見るに、これではあれほど死ぬ思いをして法華経にこだわりぬいた日蓮大聖人様があまりに可哀そうだ、という内容である。
法華経最優先、いや、オンリーワンでもいいが、本当に頑なに他を拒否、折伏しなければならなかったのか? その体質が今では同門他派へと向かっているというところで、その辺の寛容さがなければ、寧ろ自身が自壊するような気がしてならない。
日蓮が、思い込みが並みならぬ強烈な人だったというのが想像できるが、どうしてそこに至ったのか、ぼちぼち研究していきたい、時間があるときに。
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