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2021年3月13日土曜日

この10年の事

  2011年3月11日は、高岡市長慶寺のローソン新築に向けたボーリング調査をしていた。小矢部川と千保川の合流地点よりはわずかに上流であるけれど、一級河川、それなりの規模の川の中下流域で、小矢部川が右に蛇行している地点の内側となれば、普通に軟弱な地盤の所ではある。実際の所、住宅は少なく、工場とかごみの焼却施設とか、国道160号線沿いにはガソリンスタンドとか車屋とかそういうのがあるようなところ。

 鉄骨平屋であれば、判断によってはボーリング調査など行わず、スウェーデンサウンディングで地盤調査を済ませてそれで確認申請を取ってしまうようなところではあるが、一括してローソンの新規店舗の建設を請け負っている、多分この時は全国展開をしているハウスメーカー、建設会社ではなかったかと思うが、そこの方針でボーリング調査一択であった。

 で、まぁ、今はボーリングマシンの動力、電動モーターというのも増えつつあると思うのだが、結局電源の事を思えば、ヤンマーの汎用ディーゼルエンジンで動かすのが多くの場合で、おかげで左耳難聴になってインフルエンザにとどめを刺されて、片耳聴こえなくなってしまったのだが、音も然ることながら、振動もかなりのもので、足場単管で組まれたボーリングの足場の上は結構揺れる。おまけに試験地は軟弱地盤の上を走る国道160号線のすぐ横で、大型が通ればそれだけで揺れる。だから14時26分、当地は震源から離れているので震度3だったそうだが、揺れが到達したのは何分後だったんだろうか? とにかく、そんな大きな地震が来ているとは知らなかった。春の浅い時期で晴れてはいたけれど、冬のような防寒着が必要な、なんとも微妙な季節だった。今もそうなんだが。

 夕方、会社に帰る途中のカーラジオで、大地震が来てしまったことを知る。しかし、丁度津波が遡上していた名取川とか、どこにあるのか知らず、静岡のあたりなんだろうか? 四国の方なんだろうか? と思っていた。

 オレのあの日の東日本大震災の体験はそんなところである。被災地以外の多くの人と同じように、津波などの映像で心を痛めたりしたり、津波の恐怖におののいたりした。今もしている。

 同時代の日本人として、思うことは多々ある。しかし、募金以外何もしていない。ある程度落ち着いて以降、あのあたりに旅行に行くことすらない。間もなく、同程度の地震が、同じ東北地方か東海地方又はその以西にやってくると言われているが、次、この国はもうちょっとましなことができるんだろうか? そのためにオレは何かやれたんだろうか? と思うが、言うまでもなく、特に何もやっておらず、恥じ入るばかり。


 マグニチュード8だの9だのというのは、幸いにして起きることは考えにくいところに住んでいる。しかし、7弱程度のものであれば、天正大地震と安政飛越地震、記録にある限り2度起きている土地柄だ。この地の震度がそれほどでなくても、狭い日本だ、日本のどこかで起きれば受ける影響はとてつもなく大きい。

 本当に起きた時は、この前よりもうちょっとマシなことをしたいものだ。