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2024年7月16日火曜日

8353 NR500 _13

 

8353 NR500 _13

NR500  1979
for Takazumi Katayama

NT0075 1979年の事を書こうと思ったのに

 NR500がお披露目された1979年はオレは中学1年の部活少年で、その方面、小学生の時こそスーパーカー少年ではあったが、それも1977年FISCO第1コーナーで観客ひとりを巻き込んだヴィルヌーヴとピーターソンの事故以来情報が途絶えて興味を失っていた。まして2輪のレースなど、そりゃぁ訊かれればあるんだろうな、ぐらいには思っていたのだろうが興味の範囲外だった。家の近所にホークIIが停まっていたが、さしてカッコのいい乗り物とは思えなかった。

 二輪と二輪のレースに興味を持ったのは、高校生の時の、例によって漫画、「バリ伝」による。最初の方、よくよく考えれば、コーナーでバンクしてる外脚でガードレール蹴とばすなんて、もっと後の漫画のルフィ? 読んでないけど「ワンピース」、びよ~んと脚が伸びないと無理だって。
 「750ライダー」初期、ギスギスした不良マンガが途中からラブコメ漫画になったけど、CB750の魅力は小学生には伝わらなかった。だから「バリ伝」から。あとは「あいララ」とか「ペリカンロード」あたり?
 ハングオフ、当時はハングオンと言っていたが、それでバンクしてコーナ回っていく姿は鮮烈だった。

 「楕円ピストン」の存在を知ったのは、高校生になってから、バイク誌ではなく一般青年誌からだったと思う。週プレかGOROかスコラか。いやポパイかホットドッグプレスだったかもしれない。内燃機関のさわりのさわりについては、スーパーカーブームの時に知った。吸気排気それぞれ4つずつのポートとバルブ。混合気の燃焼にムラとかなかったのかしらとか、ピストンリング、ちゃんとピストンに密着するのかしらとか、その辺の記述、一般青年誌には書かれていなかったが、まぁ、ちょっとの情報だけで重そうなバイクのような気はした。でも、まぁ、そんなものを作ってしまうホンダに内心喝采していた。
 あと、スズキの油冷エンジンとか。750CC4気筒ならシリンダー1本あたりヤクルトのプラスチックの小さいボトルほどの容量。そこにつくバルブが4本。それの燃焼室からすれば裏側、上から潤滑油を吹き付けるとか、エンジンなんて熱持つだろうに、それにへこたれないつまようじに画鋲が付いたようなパーツ、よく作れるな、とか。

 80年代の後半の4輪に先駆けて、2輪はこの時すでにほぼほぼトップにいた。GPこそホンダは休止があった後の出戻りで苦労していたが、それ以前のMVアグスタをヤマハやスズキの2ストは凌駕していたし、GPでなく耐久レースではあったがホンダはこの時すでに無敵だった。

 田舎で情報は遅かったが、それでも、次は何が来るのか? 高校生の坊やのそんなワクワクは、かろうじて明るくない青春に火をともしていたりしていなかったりした。

 って、1979年の事を書こうと思ったのに、その後の話になってしまった。


2024年6月16日日曜日

8274 NR _2

8274 NR _2

NT0063~0064 NRとNSXをうっぱらったお金を貢いだ挙句クソ女をめった刺しにした彼へ

  多少器量が劣っていても心が綺麗ならば、などと昭和の伴侶の求め方、条件としてあったように思うが、器量が劣っているが人当たりがよければ「性格がいい」という誤解というか幻想というか、がいつしか生まれ、しかし、ここで言葉が反転し、器量が多少劣っているが性格が輪をかけて最悪だった、というのが木嶋佳苗死刑囚だった。これを打っている時点では刑は未執行で、再審請求とか出てるんだろうか? それが通るような新事実というものはなく、4件の殺人容疑の起訴、1件の未起訴、3件の結婚詐欺罪、3件の未遂、1件の窃盗罪。死刑に関るのは専ら殺人罪のほうであろうが、これらの容疑をすべて否定することは不可能と思われるがどうか?

 50過ぎの未婚のおっさんたち、若い綺麗なコとか狙わず身の丈に合った、しかし長く一緒に居れそうな女性を選んだはずが、保険金かけられて殺されたのだ、と理解した。正直、これで婚活などと言うものに腰が引けちゃった男性も少なくないんじゃないか、少なくとも過大な期待ができるものではなく、すぐに逃げられる態勢で臨む、特にそれなりに年齢を重ねた男性が増えてしまったのではないか?

 では、何を頼りに望ましいタイミングでパートナーを得られなかった男性は、相手を探せばいいのか? 諦観がひとつ深まったように思うのだ、この2007年から2009年にかけて起きた事案では。


 であるのに、もしいたならば自分の娘ぐらいの女性に懸想して、自分の命の次くらいに大事なクルマとバイクを売り払ったお金を見継いだ挙句、見継いだ途端に冷たくされて、その女性をめった刺しした、オレよりほんの少し若い男の話。

 この際、相手の女がクソで、めった刺しされても仕方なかった、という見解に異は唱えない。しかし、男の方、なんで、こんなクソ女につかまったかなぁ、とは思う。他の誰のためでもない、彼自身のためにめった刺しなどするべきではなかった。いや、別にしてもいいんだけどね。


 言い分として、詐欺同然に何千万取られたのに、警察等はまるで救済してくれないから、などという、まぁ、言ってみれば自力救済。NSX1台、NR1台の売却金額分、どうしたら気が済むか、というのが詰まるところなんだが、それがクソ女一人分の命とめった刺しする時のカタルシスというのであれば、それも、なんというか、安上がりというか、NSXとNRが哀れというか。


 一番の悲劇は、その方面、まるで練れることなしに50何年か来てしまったことか。「なろう」あたりの、ざまあがテーマのラノベ読んで喜んでる童貞クンたちと何ら変わらぬ人生と人への洞察の浅さを感じる。しかし、それでも目の前の、見た目はそこそこの女がクソかもしれないという可能性は思い浮かばないか? その辺、50何年かその方面砂をかむような思いを何度もして漸く自分だけのヒロインに巡り合えた、なんていう、童貞くんみたいな気持ちになっちゃったんだろうか?


 NSXとNR、十何年か保有していたらしいが、ちょろちょろっと動かして満足していて、突き抜けたように走り回るようなことはしていなかったのかもしれぬ。NRなんてひとコケいくらかかるかわからない。結局のところ、多少の、どころか立ち位置次第では死ぬほど努力しても今の時代、思った伴侶など得られない、というケースは珍しくなくその方面、早々に絶望的と判断すべき男子は多いのだ。その時に生まれるいろいろな心のぐちゃぐちゃを吹っ切る突き抜けるための物であってほしかった。そりゃね、愛とかパートナーとか家庭とか至上の価値を持つもので、という人もいるだろうが、そうじゃない、そもそもどうしたってそういうものが得られないという奴もざらにいる時代なんだから、そういう価値には早々見切りをつけたっていいのである。じゃあ、そういうものを除外するとして他に何を価値とするのか? 何のために生きるのか? それをのんびり、ある時はシャカリキに探す人生だってあっていい。クソ女のために自分の人生終わらすというのは、・・・いや、それも人生か。


2022年9月23日金曜日

7558 VF1000R_2 & T1017 地球温暖化についての数字的なこと

 

7558 VF1000R_2

因みに文章と画像の関連はほぼない。

 SDGsというやつ、本当に胡散臭いと思っている。コロナ禍の初期に世界中の産業がダウンした時でさえ、二酸化炭素を減らせる閾値に達しなかった、というのを聞いて、こんなことをちんたらやったってぜんぜん追いつかないのではないか、と思うようになったのだ。

 統治機構側の、「なんかやりました~」というポーズ付け以上のものがないのではないか? と思っている。それに伴う広告代理店方面の利権についてはこの際置く。
 では、正味どれくらいに二酸化炭素の排出を抑えるべきで、その為に産業の稼働率をどれくらい押さえるべきか? 正確さに関し議論は当然起きるだろうが、ひょっとしたら、現在の5分の1、10分の1ぐらいの規模に小さくしないといけないのではないか、と感じている。
 だとしたら、経済が立ちいかなるのは当然で、自殺者の数字自体が戦争以上の大量虐殺を引き起こすことになってしまうのかもしれない。

 とか思っても、数字も調べずに書いていてもあかんやろ、と思い、せめてweb検索だけでもしてみた。

 端的に、温暖化が起きないぐらいの二酸化炭素排出量はどれくらいなのか? という数字は見つけられなかったが、現在国際的な議論のベースとなっている、排出量削減目標値とその影響については、以下の通り。

https://qr.paps.jp/yfDa9
(ロングライフラボ 【背景を知る】世界と日本のCO2排出量の実態)

こちらを引用するならば、

>>
国連は、地球温暖化を2.0℃以上ではなく1.5℃に抑えることによって、多くの気候変動の影響が回避できると主張しています。例えば、2100年までに、地球温暖化を1.5℃に抑えた場合、世界の海水面上昇は2.0℃の温度上昇の場合に比べて10㎝低くなるのです。この地球温暖化を1.5℃以下に抑えることを達成させるためには、2030年までに世界のCO2排出量を2010年比で45%減少させる必要があると示していますが、残念ながら現状は世界的には増加しているのです。
(参考:IPCC特別報告書『1.5℃の地球温暖化』の政策決定者向け要約を締約国が承認(2018年10月8日付IPCCプレスリリース・日本語訳)
>>

 つまり温暖化自体は避けられないものの、影響が少ないとされる気温変動が1.5℃、その為に2010年の排出量に比して45%の削減が必要、と。

 実際の気温変動はどうか?
https://qr.paps.jp/yfDa9
(気象庁 世界の年平均気温)
 2020年までの100年間で0.73℃、日本だけに限れば100年で1.26℃なんだそうだが、

 ダメじゃん。
 今年の世界中での洪水の件数の多さを考えるに、エルニーニョ現象があるにせよ、1.5℃まで上がっては、もうそれだけで今年のなんて目じゃないくらい災害が起きてしまうことが容易に想像できる。
 温暖化とは静的に海面が上昇するわけではない、氷河や凍土が溶けていくのではない、それに伴って酷い災害が起きるのがまず最初に来ると考えるべき。

 国連が誰がどういう方法で算出した数字を基にして言っているのかはわからないが、この目標値1.5℃というのが、酷く甘く楽観的な数字であると考えるべきなんじゃないか? しかも、低い所からの100年間の数字ではなく、すでにかなり影響が見え始めている所からの1.5℃である。



I think the SDGs are really shady. When I heard that even when industries around the world went down in the early days of the Covid-19 pandemic, they didn't reach the threshold for reducing carbon dioxide, I wonder if they'd be able to catch up at all. It became like this.

 Isn't there anything more than a pose from the governing body saying "I did something~"? I think. At this time, the rights of the advertising agency that accompany it will be set.
Then, how much should we reduce net carbon dioxide emissions, and how much should we reduce the operating rate of the industry? Of course, there will be debates about accuracy, but I feel that perhaps we should reduce the scale to about one-fifth or one-tenth of the current scale.
If so, it's only natural that the economy will thrive, and the number of suicides themselves may end up causing a mass slaughter even greater than that of war.

Even if I thought about it, I thought it would be a shame to write it without looking up the numbers, so I at least did a web search.

"Simply put, how much carbon dioxide is emitted before global warming occurs?" Although I could not find the number, the emission reduction target value and its impact, which are currently the basis of international debate, are as follows.

https://qr.paps.jp/yfDa9
(Long Life Lab [Understanding the background] Reality of CO2 emissions in the world and Japan)

To quote here,

>>
The United Nations argues that limiting global warming to 1.5°C rather than 2.0°C or more could avoid many climate change impacts. For example, if global warming is limited to 1.5°C by 2100, global sea level rise will be 10cm lower than if it were to rise by 2.0°C. In order to keep global warming below 1.5°C, it is necessary to reduce global CO2 emissions by 45% by 2030 from 2010 levels. is actually increasing.
(Reference: Parties approve summary for policymakers of IPCC Special Report "Global Warming of 1.5°C" (IPCC press release dated October 8, 2018, Japanese translation)
>>

In other words, although global warming itself is unavoidable, the temperature change, which is considered to have little impact, is 1.5°C, so it is necessary to reduce emissions by 45% compared to 2010.

"What about actual temperature fluctuations?"
https://qr.paps.jp/yfDa9
(Japan Meteorological Agency Global annual average temperature)
 The temperature will be 0.73℃ in 100 years until 2020, and 1.26℃ in 100 years only in Japan.

"It's no good."
Considering the large number of floods around the world this year, it is easy to imagine that even if there is an El Niño phenomenon, a temperature rise of 1.5°C alone would cause disasters that would be unimaginable this year. can.
Global warming is not just a static rise in sea level, it is not just the melting of glaciers and frozen soil, but it should be considered that the first thing that comes along with that is the occurrence of terrible disasters.

I don't know how the United Nations calculated the figures, but shouldn't we consider the target value of 1.5 degrees Celsius to be an extremely naive and optimistic number? What's more, it's not the 100-year figure from the lowest point, but the 1.5°C from the point where we're already starting to see a significant impact.


Je pense que les ODD sont vraiment louches. Quand j'ai entendu dire que même lorsque les industries du monde entier se sont effondrées au début de la pandémie de Covid-19, elles n'ont pas atteint le seuil de réduction du dioxyde de carbone, je me demande si elles seraient capables de rattraper leur retard. C'est devenu comme ça.

N'y a-t-il rien de plus qu'une pose du conseil d'administration disant "J'ai fait quelque chose ~" ? Je pense. A ce moment, les droits de la régie publicitaire qui l'accompagnent seront fixés.
Ensuite, de combien devrions-nous réduire les émissions nettes de dioxyde de carbone et de combien devrions-nous réduire le taux d'exploitation de l'industrie ? Bien sûr, il y aura des débats sur l'exactitude, mais je pense que nous devrions peut-être réduire l'échelle à environ un cinquième ou un dixième de l'échelle actuelle.
Si tel est le cas, il est naturel que l'économie prospère et que le nombre de suicides eux-mêmes puisse finir par provoquer un massacre de masse encore plus important que celui de la guerre.

Même si j'y pensais, je pensais que ce serait dommage de l'écrire sans chercher les chiffres, alors j'ai au moins fait une recherche sur le web.

"En termes simples, quelle quantité de dioxyde de carbone est émise avant que le réchauffement climatique ne se produise ?" Bien que je n'aie pas pu trouver le chiffre, la valeur cible de réduction des émissions et son impact, qui sont actuellement à la base du débat international, sont les suivants.

https://qr.paps.jp/yfDa9
(Long Life Lab [Comprendre le contexte] Réalité des émissions de CO2 dans le monde et au Japon)

Pour citer ici,

>>
Les Nations Unies soutiennent que limiter le réchauffement climatique à 1,5°C plutôt qu'à 2,0°C ou plus pourrait éviter de nombreux impacts du changement climatique. Par exemple, si le réchauffement climatique est limité à 1,5°C d'ici 2100, l'élévation globale du niveau de la mer sera inférieure de 10 cm à ce qu'elle serait si elle augmentait de 2,0°C. Afin de maintenir le réchauffement climatique en dessous de 1,5 °C, il est nécessaire de réduire les émissions mondiales de CO2 de 45 % d'ici 2030 par rapport aux niveaux de 2010. augmente en fait.
(Référence : les parties approuvent le résumé à l'intention des décideurs du rapport spécial du GIEC intitulé "Global Warming of 1.5°C" (communiqué de presse du GIEC daté du 8 octobre 2018, traduction en japonais)
>>

Autrement dit, bien que le réchauffement climatique lui-même soit inéluctable, le changement de température, considéré comme peu impactant, est de 1,5°C, il faut donc réduire les émissions de 45% par rapport à 2010.

"Qu'en est-il des fluctuations de température réelles ?"
https://qr.paps.jp/yfDa9
(Température moyenne annuelle mondiale de l'Agence météorologique japonaise)
La température sera de 0,73℃ dans 100 ans jusqu'en 2020, et de 1,26℃ dans 100 ans seulement au Japon.

"Ce n'est pas bien."
Considérant le grand nombre d'inondations dans le monde cette année, il est facile d'imaginer que même s'il y avait un phénomène El Niño, une hausse de température de 1,5°C à elle seule provoquerait des catastrophes qui seraient inimaginables cette année. boîte.
Le réchauffement climatique n'est pas seulement une élévation statique du niveau de la mer, ce n'est pas seulement la fonte des glaciers et des sols gelés, mais il faut considérer que la première chose qui s'ensuit est la survenue de terribles catastrophes.

Je ne sais pas comment les Nations Unies ont calculé les chiffres, mais ne devrions-nous pas considérer la valeur cible de 1,5 degrés Celsius comme un chiffre extrêmement naïf et optimiste ? De plus, ce n'est pas le chiffre de 100 ans à partir du point le plus bas, mais les 1,5°C à partir du point où nous commençons déjà à voir un impact significatif.


Ich denke, die SDGs sind wirklich zwielichtig. Als ich hörte, dass selbst als Industrien auf der ganzen Welt in den frühen Tagen der Covid-19-Pandemie zusammenbrachen, sie die Schwelle zur Reduzierung von Kohlendioxid nicht erreichten, frage ich mich, ob sie überhaupt in der Lage sein würden, aufzuholen. Es wurde so.

Gibt es nicht mehr als eine Pose der leitenden Körperschaft, die sagt: „Ich habe etwas getan ~“? Ich finde. Zu diesem Zeitpunkt werden die damit verbundenen Rechte der Werbeagentur festgelegt.
Wie viel sollten wir dann die Netto-CO2-Emissionen reduzieren und wie viel sollten wir die Betriebsrate der Industrie reduzieren? Natürlich wird es Debatten über die Genauigkeit geben, aber ich bin der Meinung, dass wir den Maßstab vielleicht auf etwa ein Fünftel oder ein Zehntel des derzeitigen Maßstabs reduzieren sollten.
Wenn ja, ist es nur natürlich, dass die Wirtschaft floriert, und die Zahl der Selbstmorde selbst kann am Ende ein Massenmord verursachen, das noch größer ist als das des Krieges.

Selbst wenn ich darüber nachdachte, dachte ich, es wäre eine Schande, es zu schreiben, ohne die Zahlen nachzuschlagen, also habe ich zumindest eine Websuche durchgeführt.

"Einfach gesagt, wie viel Kohlendioxid wird ausgestoßen, bevor die globale Erwärmung eintritt?" Obwohl ich die Zahl nicht finden konnte, sind der Emissionsminderungszielwert und seine Auswirkungen, die derzeit Gegenstand internationaler Diskussionen sind, wie folgt.

https://qr.paps.jp/yfDa9
(Long Life Lab [Hintergrund verstehen] Realität der CO2-Emissionen in der Welt und in Japan)

Um hier zu zitieren,

>>
Die Vereinten Nationen argumentieren, dass die Begrenzung der globalen Erwärmung auf 1,5 °C statt auf 2,0 °C oder mehr viele Auswirkungen des Klimawandels vermeiden könnte. Wenn beispielsweise die globale Erwärmung bis 2100 auf 1,5 °C begrenzt wird, wird der Anstieg des globalen Meeresspiegels um 10 cm geringer ausfallen als bei einem Anstieg um 2,0 °C. Um die globale Erwärmung unter 1,5 °C zu halten, ist es notwendig, die globalen CO2-Emissionen bis 2030 um 45 % gegenüber dem Stand von 2010 zu reduzieren. nimmt tatsächlich zu.
(Referenz: Parteien genehmigen Zusammenfassung für politische Entscheidungsträger des IPCC-Sonderberichts "Global Warming of 1.5°C" (IPCC-Pressemitteilung vom 8. Oktober 2018, japanische Übersetzung)
>>

Mit anderen Worten, obwohl die globale Erwärmung selbst unvermeidlich ist, beträgt die als wenig einflussreich angesehene Temperaturänderung 1,5 °C, sodass eine Reduzierung der Emissionen um 45 % gegenüber 2010 erforderlich ist.

"Was ist mit tatsächlichen Temperaturschwankungen?"
https://qr.paps.jp/yfDa9
(Globale jährliche Durchschnittstemperatur der Japan Meteorological Agency)
Die Temperatur wird bis 2020 in 100 Jahren 0,73℃ betragen und nur in Japan 1,26℃ in 100 Jahren.

"Es ist nicht gut."
Angesichts der vielen Überschwemmungen weltweit in diesem Jahr ist es leicht vorstellbar, dass selbst bei einem El Niño-Phänomen allein ein Temperaturanstieg von 1,5 °C Katastrophen verursachen würde, die in diesem Jahr unvorstellbar wären. kann.
Die globale Erwärmung ist nicht nur ein statischer Anstieg des Meeresspiegels, es ist nicht nur das Abschmelzen von Gletschern und gefrorenen Böden, sondern es sollte berücksichtigt werden, dass das erste, was damit einhergeht, das Auftreten schrecklicher Katastrophen ist.

Ich weiß nicht, wie die Vereinten Nationen die Zahlen berechnet haben, aber sollten wir den Zielwert von 1,5 Grad Celsius nicht für eine äußerst naive und optimistische Zahl halten? Außerdem ist es nicht die 100-Jahres-Zahl ab dem niedrigsten Punkt, sondern die 1,5 °C ab dem Punkt, an dem wir bereits beginnen, einen signifikanten Einfluss zu sehen.


Creo que los ODS son realmente turbios. Cuando escuché que incluso cuando las industrias de todo el mundo colapsaron en los primeros días de la pandemia de Covid-19, no alcanzaron el umbral para reducir el dióxido de carbono, me pregunto si podrían alcanzarlo. Se volvió así.

¿No hay nada más que una pose del cuerpo gobernante diciendo "Hice algo~"? Pienso. En este momento se fijarán los derechos de la agencia de publicidad que lo acompañan.
Entonces, ¿cuánto debemos reducir las emisiones netas de dióxido de carbono y cuánto debemos reducir la tasa de operación de la industria? Por supuesto, habrá debates sobre la precisión, pero creo que tal vez deberíamos reducir la escala a una quinta o una décima parte de la escala actual.
Si es así, es natural que la economía prospere, y el número de suicidios en sí mismo puede terminar causando una matanza masiva incluso mayor que la de la guerra.

Incluso si lo pensé, pensé que sería una pena escribirlo sin buscar los números, así que al menos hice una búsqueda en la web.

"En pocas palabras, ¿cuánto dióxido de carbono se emite antes de que ocurra el calentamiento global?" Aunque no pude encontrar el número, el valor objetivo de reducción de emisiones y su impacto, que actualmente son la base del debate internacional, es el siguiente.

https://qr.paps.jp/yfDa9
(Long Life Lab [Comprender los antecedentes] Realidad de las emisiones de CO2 en el mundo y Japón)

Para citar aquí,

>>
Las Naciones Unidas argumentan que limitar el calentamiento global a 1,5 °C en lugar de 2,0 °C o más podría evitar muchos impactos del cambio climático. Por ejemplo, si el calentamiento global se limita a 1,5 °C para 2100, el aumento global del nivel del mar será 10 cm más bajo que si aumentara 2,0 °C. Para mantener el calentamiento global por debajo de 1,5 °C, es necesario reducir las emisiones globales de CO2 en un 45 % para 2030 con respecto a los niveles de 2010. en realidad está aumentando.
(Referencia: Las partes aprueban el resumen para los formuladores de políticas del Informe especial del IPCC "Calentamiento global de 1,5 °C" (comunicado de prensa del IPCC del 8 de octubre de 2018, traducción al japonés)
>>

Es decir, aunque el calentamiento global en sí mismo es inevitable, el cambio de temperatura, que se considera de poco impacto, es de 1,5°C, por lo que es necesario reducir las emisiones en un 45% con respecto a 2010.

"¿Qué pasa con las fluctuaciones de temperatura reales?"
https://qr.paps.jp/yfDa9
(Temperatura media anual global de la Agencia Meteorológica de Japón)
La temperatura será de 0,73 ℃ en 100 años hasta 2020, y de 1,26 ℃ en 100 años solo en Japón.

"No es bueno."
Teniendo en cuenta la gran cantidad de inundaciones en todo el mundo este año, es fácil imaginar que incluso si hay un fenómeno de El Niño, un aumento de temperatura de 1,5 °C por sí solo provocaría desastres que serían inimaginables este año. pueden.
El calentamiento global no es solo un aumento estático del nivel del mar, no es solo el derretimiento de los glaciares y el suelo congelado, pero se debe considerar que lo primero que trae consigo es la ocurrencia de terribles desastres.

No sé cómo las Naciones Unidas calcularon las cifras, pero ¿no deberíamos considerar el valor objetivo de 1,5 grados centígrados como un número extremadamente ingenuo y optimista? Es más, no es la cifra de 100 años desde el punto más bajo, sino los 1,5 °C desde el punto en el que ya estamos empezando a ver un impacto significativo.


我认为可持续发展目标真的很可疑。当我听说,即使在 Covid-19 大流行初期,世界各地的行业都陷入低迷,但他们没有达到减少二氧化碳的门槛,我想知道他们是否能够赶上。变成了这样。

除了执政团的“我做了什么~”的姿势之外,没有什么比这更了吗?我认为。此时,随之而来的广告公司的权利将被设定。
那么,我们应该减少多少二氧化碳净排放量,我们应该减少多少行业的开工率?当然,关于准确性会有争论,但我觉得也许我们应该将规模缩小到目前规模的五分之一或十分之一左右。
如果是这样,经济繁荣是很自然的,而自杀人数本身可能最终导致比战争更大的大屠杀。

就算我这么想,我也觉得不看数字就写出来会很丢脸,所以我至少做了一次网络搜索。

“简单地说,在全球变暖发生之前排放了多少二氧化碳?”虽然找不到数字,但目前国际争论的减排目标值及其影响如下。

https://qr.paps.jp/yfDa9
(Long Life Lab [了解背景] 世界和日本的二氧化碳排放现状)

在这里引用,

>>
联合国认为,将全球变暖限制在 1.5°C 而不是 2.0°C 或更高可以避免许多气候变化影响。例如,如果到 2100 年全球变暖限制在 1.5°C,全球海平面上升将比上升 2.0°C 低 10 厘米。为了将全球变暖控制在 1.5°C 以下,到 2030 年,全球二氧化碳排放量必须比 2010 年减少 45%。实际上是在增加。
(参考:缔约方批准 IPCC 特别报告“全球变暖 1.5°C”决策者摘要(IPCC 2018 年 10 月 8 日新闻稿,日文翻译)
>>

换句话说,虽然全球变暖本身是不可避免的,但被认为影响不大的温度变化为1.5°C,因此需要比2010年减少45%的排放量。

“实际的温度波动呢?”
https://qr.paps.jp/yfDa9
(日本气象厅全球年平均气温)
到 2020 年,100 年后气温将达到 0.73℃,仅在日本,100 年后气温将达到 1.26℃。

“这不好。”
考虑到今年全球洪灾频发,不难想象,即使出现厄尔尼诺现象,仅气温上升1.5℃,就会造成今年难以想象的灾难。能够。
全球变暖不仅仅是海平面的静态上升,不仅仅是冰川和冻土的融化,而是应该考虑到随之而来的第一件事就是发生可怕的灾难。

我不知道联合国是怎么计算出来的,但我们不应该把1.5摄氏度的目标值认为是一个非常幼稚和乐观的数字吗?更重要的是,这不是从最低点算起的 100 年数字,而是从我们已经开始看到重大影响的点算起的 1.5°C。

2022年9月19日月曜日

7554 NR750_3 & T1014 北関東道を走った時のBGMについて 3

 

NR750 for Le Mans 24h moto 1987
rider ;   Gilbert Roy, Ken Nemoto,  Malcolm Campbell

 平手造酒、国定忠治、吉良の仁吉、「めんどうみたヨ」、クレージーキャッツである。コミックソングではある。
 国定忠治は反権力のアンチヒーロー、吉良の仁吉は、北関東ではない、清水の次郎長配下だったこともある、義理堅く若くして立ち回りで落命する粗忽もの、という印象。
 クレイジーキャッツがこのような形であるにしろ、歌に歌った股旅もの、’70年ごろ流行りだったようだ。


They are Hiratenomiki, Chuji Kunisada, Kira no Nikichi, "Nendou Mitayo", and Crazy Cats. It's a comic song.
Kunisada Chuji is an anti-authoritarian anti-hero, and Kira's Nikichi is not from the northern Kanto region, but was once under Shimizu's Jirocho.
Even though Crazy Cats is in this form, it seems that the sung-to-the-song trip was popular around '70.


Ce sont Hiratenomiki, Chuji Kunisada, Kira no Nikichi, "Nendou Mitayo" et Crazy Cats. C'est une chanson comique.
Kunisada Chuji est un anti-héros anti-autoritaire, et Nikichi de Kira n'est pas originaire de la région du nord du Kanto, mais était autrefois sous Jirocho de Shimizu.
Même si Crazy Cats est sous cette forme, il semble que le voyage chanté à la chanson était populaire vers les années 70.


Sie sind Hiratenomiki, Chuji Kunisada, Kira no Nikichi, "Nendou Mitayo" und Crazy Cats. Es ist ein komisches Lied.
Kunisada Chuji ist ein antiautoritärer Antiheld, und Kiras Nikichi stammt nicht aus der nördlichen Kanto-Region, sondern war einst unter Shimizus Jirocho.
Auch wenn Crazy Cats in dieser Form vorliegt, scheint es, dass der Sung-to-the-Song-Trip um 1970 populär war.


Ellos son Hiratenomiki, Chuji Kunisada, Kira no Nikichi, "Nendou Mitayo" y Crazy Cats. Es una canción cómica.
Kunisada Chuji es un antihéroe antiautoritario, y el Nikichi de Kira no es de la región norte de Kanto, sino que una vez estuvo bajo el mando de Jirocho de Shimizu.
A pesar de que Crazy Cats tiene esta forma, parece que el viaje cantado con la canción fue popular alrededor del '70.


分别是平手卷、国贞忠二、吉良日一、“念豆三代”、Crazy Cats。这是一首喜剧歌曲。
国贞忠二是反独裁的反英雄,而吉良的日一并非来自关东北部地区,而是曾经隶属于清水的次郎町。
尽管 Crazy Cats 是这种形式,但听歌之旅似乎在 70 年代左右很流行。



2022年5月28日土曜日

7505 Patrick Igoa retake

 

7505 Patrick Igoa retake

Patrick Igoa
RVF
BOL D'OR 1987


 ’85年はロスマンズ・ホンダのスペンサーが250と合わせてのダブルウィン、’86年はマルボロ・ヤマハのローソンがチャンプ、'87年はロスマンズ・ホンダのガードナー、’88年はロスマンズ・ホンダに移籍したローソンがチャンプに、という時代。日本ではバブルの、まだ登り坂にいたころのオレはというと、どこかに鬱々としたものを抱えながら、こんな二輪のレースを雑誌で追いかけることに慰めを得ていたわけなのだが、

 華やかなGPではそんな感じだったが、耐久でも、スペンサーやガードナーのNSRと同じカラースキムのVFRの改造車(T.T.F-1)が無敵を誇っていたことは、知っていた。

 目つきの悪いひげと目が大きく落ち着きがなさそうな若者、ジェラール・コードレイとパトリック・イゴア。GPほどには知らなかったけれど、それでも、目にした画像はなぜか印象深かった。見ていたのが「Grand-Prix Illustrated」に掲載された写真であったから坪内隆直氏による撮影だったか? それとも他の方によるものかはわからない。
 1980年代の事であるから、今の電子書籍だったらV4750ccの爆音でも挿し込まれそうだが、紙の写真、寧ろ、BGMにギターソロかピアノソロが似合うような、なぜか詩情にあふれるものだった。
 パトリック・イゴアはまだまだキャリアの登坂の途上で、このあとフランス・ヤマハからGP500にも出場しているが、耐久のトップレーサーといえど、GPの一発の速さには勝てない。実際、耐久シリーズのうちの一戦だからスズカの8耐にも出走しているけれど、なにせお祭りレースでスプリントで速いスターライダーが大挙して出走するものだから、目立たない。
 しかし、淡々と、それでいて力強く周回を重ね、結果的に、このころの何年かは、GP以上に耐久レースのロスマンズカラーは無敵だったと記憶している。

 ジェラール・コードレイもパトリック・イゴアも、被るヘルメットについては無頓着で、画像のものとは色違いのものと併せ、二人して同じカラーパターンの吊るしのものをかぶってたりしていた。んで、画像のこの黒赤、当時、オレが被ってたのと同じカラーリングなわけである。当時、スペンサー・レプリカ、平・レプリカ、片山・レプリカ、いろいろあったな、中には2輪なのに、松本恵二レプリカとかナイジェル・マンセル・レプリカも目にしたことがある。そうそう、巨摩郡レプリカもあったな、だけど、そういうレプリカヘルメットとして買ったわけじゃない。何しろ昭栄加工のカタログの標準モデルだったわけだし。寧ろ同じカラーリングのヘルメットがレースに出ててそれに興味を持った方で。

 
 突き抜けてしまえば、案外そこは静謐な世界なのではないか? などと、サーキットを夕陽方向に走るRVFの後ろからの写真を見ながら、そんなことを感じていたのかもしれない。


In 1985, Spencer of Rothmans Honda to Double Win with 250, Lawson of Marlborough Yamaha in 1986 Champ, Gardner of Rothmans Honda in 1987, and transferred Lawson of Rothmans Honda in 1988. The era when they became a champ. In Japan, when I was still uphill in the bubble economy, I was comforted to chase such a two-wheeled race in a magazine while holding something depressed somewhere.

It was like that in a gorgeous GP, but I knew that the modified VFR(T.T.F-1) with the same color skim as the NSR of Spencer and Gardner was invincible even in durability.

Gerard Cordray and Patrick Igoa, a bearded man with bad eyesight and a young man with big eyes and seemingly restless. I didn't know as much as the GP, but the images I saw were still impressive for some reason. I was looking at the photo published in "Grand-Prix Illustrated", so was it taken by Takanao Tsubouchi? I don't know if it was due to someone else.
Since it was in the 1980s, it seems that the current e-book would be inserted even with the explosion of V4750cc, but for some reason it was full of poetic sentiment, such as a paper photo, rather, a guitar solo or piano solo that suits BGM.
Patrick Igoa is still on the way up the hill in his career, and after that he has participated in the GP500 from Yamaha, France, but even though he is a top durable racer, he cannot beat the speed of one shot of the GP. In fact, he's one of the endurance series, so he's also running in the Suzuka 8 Hours, but it's not noticeable because there are a lot of fast star riders in the sprint in the festival race.
However, I remember that the Rothmans color of the endurance race was invincible more than the GP for several years at this time as a result of repeated laps powerfully.

Both Gerard Cordray and Patrick Igoa were careless about the helmets they wore, and they wore the same color pattern hanging helmets as well as the ones in different colors from the ones in the image. So, this black-red color in the image is the same coloring that I was wearing at that time. At that time, there were Spencer replicas, Taira replicas, Katayama replicas, and even though there were two wheels, I also saw Keiji Matsumoto replicas and Nigel Mansell replicas. Oh yeah, there was a replica of Koma-gun, but I didn't buy it as such a replica helmet. After all, it was the standard model of the Shoei processing catalog. Rather, if a helmet with the same coloring appeared in the race and was interested in it.

It was
If it pierces through, isn't it unexpectedly a quiet world? I may have felt such a thing while looking at the picture from behind the RVF running in the direction of the setting sun on the circuit.


1985年,Rothmans Honda的Spencer以250双赢,Marlborough Yamaha的Lawson 1986年冠军,Rothmans Honda的Gardner 1987年,1988年转会Rothmans Honda的Lawson。他们成为冠军的时代。在日本,当我还在泡沫经济中上坡的时候,我很欣慰地在杂志上追逐这样的两轮比赛,同时在某处压抑着什么。

就像在华丽的 GP 中那样,但我知道与 Spencer 和 Gardner 的 NSR 相同颜色脱脂的改良 VFR(T.T.F-1)即使在耐用性上也是无敌的。

杰拉德·科德雷和帕特里克·伊戈亚,一个视力不好的大胡子男人和一个看起来很不安的大眼睛年轻人。我不像全科医生那么了解,但我看到的图像由于某种原因仍然令人印象深刻。我在看《Grand Prix Illustrated》上刊登的照片,那是Takanao Tsubouchi拍的吗?不知道是不是因为别人。
由于是1980年代,现在的电子书好像V4750cc爆了也能插进去,但不知为何充满了诗意,像是一张纸质的照片,不如说是吉他独奏或钢琴独奏适合BGM。
帕特里克·伊戈亚的职业生涯还在上坡路上,之后他参加了来自法国雅马哈的 GP500,但即使他是顶级耐用赛车手,他也无法超越 GP 的一杆速度。事实上,他是耐力系列赛的一员,所以他也参加了铃鹿8小时耐力赛,但并不引人注目,因为在节日比赛的冲刺中有很多快速的明星车手。
但是,我记得耐力赛的罗斯曼颜色在这个时候由于反复圈速而比GP更无敌好几年。

杰拉德·科德雷和帕特里克·伊戈亚都对自己所戴的头盔毫不在意,他们戴着相同颜色图案的悬挂式头盔,以及与图片中不同颜色的头盔。因此,图像中的这种黑红色与我当时穿着的颜色相同。那时候有Spencer复制品,Taira复制品,Katayama复制品,虽然有两个轮子,但我也看到了Keiji Matsumoto复制品和Nigel Mansell复制品。哦,对了,有一个Koma-gun的复制品,但我没有买它作为这样一个复制品头盔。毕竟是松荣加工目录的标准型号。相反,如果在比赛中出现了具有相同颜色的头盔并对此感兴趣。

它是
若是穿透了,岂不是竟然是一片寂静的世界?当我从 RVF 后面看图片时,我可能有这样的感觉,它在赛道上朝着夕阳的方向行驶。


En 1985, Spencer de Rothmans Honda a doublé avec 250, Lawson de Marlborough Yamaha en 1986 Champ, Gardner de Rothmans Honda en 1987 et a transféré Lawson de Rothmans Honda en 1988. L'époque où ils sont devenus champions. Au Japon, alors que j'étais encore en montée dans la bulle économique, j'étais réconforté de courir après une telle course à deux roues dans un magazine tout en tenant quelque chose de déprimé quelque part.

C'était comme ça dans un GP magnifique, mais je savais que le VFR modifié (T.T.F-1) avec le même écrémage de couleur que le NSR de Spencer et Gardner était invincible même en termes de durabilité.

Gerard Cordray et Patrick Igoa, un homme barbu malvoyant et un jeune homme aux grands yeux et apparemment agité. Je n'en savais pas autant que le GP, mais les images que j'ai vues étaient toujours impressionnantes pour une raison quelconque. Je regardais la photo publiée dans "Grand-Prix Illustré", alors a-t-elle été prise par Takanao Tsubouchi ? Je ne sais pas si c'était dû à quelqu'un d'autre.
Comme c'était dans les années 1980, il semble que le livre électronique actuel serait inséré même avec l'explosion du V4750cc, mais pour une raison quelconque, il était plein de sentiments poétiques, comme une photo papier, plutôt un solo de guitare ou un solo de piano qui convient à BGM.
Patrick Igoa est toujours en train de gravir les échelons de sa carrière, et après cela, il a participé au GP500 de Yamaha, en France, mais même s'il est l'un des meilleurs coureurs durables, il ne peut pas battre la vitesse d'un coup du GP. En fait, il fait partie de la série d'endurance, donc il court aussi les 8 Heures de Suzuka, mais ça ne se voit pas car il y a beaucoup de pilotes vedettes rapides au sprint dans la course du festival.
Cependant, je me souviens que la couleur Rothmans de la course d'endurance était plus invincible que celle du GP depuis plusieurs années à cette époque à la suite de tours répétés puissamment.

Gerard Cordray et Patrick Igoa ne se souciaient pas des casques qu'ils portaient, et ils portaient des casques suspendus de la même couleur ainsi que des casques de couleurs différentes de ceux de l'image. Donc, cette couleur noir-rouge dans l'image est la même coloration que je portais à ce moment-là. A cette époque, il y avait des répliques de Spencer, des répliques de Taira, des répliques de Katayama, et même s'il y avait deux roues, j'ai aussi vu des répliques de Keiji Matsumoto et des répliques de Nigel Mansell. Oh oui, il y avait une réplique de Koma-gun, mais je ne l'ai pas acheté comme une telle réplique de casque. Après tout, c'était le modèle standard du catalogue de traitement Shoei. Au contraire, si un casque avec la même coloration apparaissait dans la course et s'y intéressait.

C'était
S'il perce, n'est-ce pas un monde inopinément calme ? J'ai peut-être ressenti une telle chose en regardant la photo de derrière le RVF courant en direction du soleil couchant sur le circuit.


В 1985 году Спенсер из Rothmans Honda одержал двойную победу с 250, Лоусон из Marlborough Yamaha в 1986 году, Гарднер из Rothmans Honda в 1987 году и перевел Лоусона из Rothmans Honda в 1988 году. Эпоха, когда они стали чемпионами. В Японии, когда я был еще в гору в экономике пузыря, меня утешало гоняться за такой двухколесной гонкой в ​​журнале, держа что-то в депрессии где-то.

Так было и в великолепном GP, но я знал, что модифицированный VFR (T.T.F-1) с таким же цветным покрытием, как NSR Спенсера и Гарднера, был непобедим даже в долговечности.

Джерард Кордрей и Патрик Игоа, бородатый мужчина с плохим зрением и молодой человек с большими глазами и, казалось бы, беспокойный. Я знал не так много, как ГП, но изображения, которые я видел, почему-то все равно впечатляли. Я просматривал фотографию, опубликованную в "Grand-Prix Illustrated", значит, ее сделал Таканао Цубоути? Не знаю, было ли это из-за кого-то другого.
Так как это было в 1980-х, то кажется, что нынешняя электронная книга будет вставлена ​​даже при взрыве V4750cc, но она почему-то была полна поэтических сентиментов, типа бумажного фото, скорее, гитарного соло или фортепианного соло который подходит BGM.
Патрик Игоа все еще находится на пути в гору в своей карьере, и после этого он участвовал в GP500 от Yamaha, Франция, но, несмотря на то, что он лучший гонщик, он не может превзойти скорость одного выстрела GP. На самом деле, он из серии на выносливость, поэтому он также бежит в Suzuka 8 Hours, но это не заметно, потому что в спринтерской фестивальной гонке много быстрых звездных гонщиков.
Тем не менее, я помню, что цвет Ротманов в гонке на выносливость был непобедим больше, чем GP в течение нескольких лет в это время в результате повторных мощных кругов.

И Джерард Кордрей, и Патрик Игоа небрежно относились к шлемам, которые они носили, и они носили висячие шлемы с одинаковым цветовым рисунком, а также шлемы, отличающиеся от тех, что на изображении. Итак, этот черно-красный цвет на изображении — это та самая расцветка, которая была на мне в то время. В то время были реплики Спенсера, реплики Тайры, реплики Катаямы, и хотя колес было два, я также видел реплики Кейджи Мацумото и реплики Найджела Мэнселла. Ах да, была реплика Кома-гана, но я не покупал ее как такую ​​реплику шлема. Ведь это была стандартная модель каталога обработки Shoei. Вернее, если в гонке появился шлем с такой же расцветкой и заинтересовался им.

Это было
Если он пронзает, разве это не неожиданно тихий мир? Возможно, я почувствовал нечто подобное, глядя на картинку из-за RVF, бегущего в направлении заходящего солнца на трассе.


2022年3月15日火曜日

7404 VT250F_2 & 「君は天然色」

7404 VT250F_2

 「過ぎ去った時間、癪だけど今よりまぶしい ♪」

なんて、負け惜しみいたしません。そんな元気すらないオジサンでございます。昔はリア充的な意味で幸せだった、なんてことはちっともないけれど、それでも何となく浮かれていられた。「あしたはきっと何かあるなんて、甘えたことをぬかしてるジョー」(電気グルーヴ)であります。「他力本願、ハルクホーガン、オレの●ーガン、君のコー●●」であります。

 電気グルーヴじゃなくて、大瀧詠一でしたね。

 この「君は天然色」である。ジャケットのカラフルさとメロディラインのポップさ加減に騙されるが、「A Long Vavation」、なかなか毒の効いた歌詞の曲がそろっている。「君は天然色」も、歌われているのは幸せな恋ではない。
 で、ジャケットの永井博氏のリトグラフかシルクスクリーンか。いや、一枚モノの描きおろしかもしれない。ある明度以下の影は黒のベタ塗りである。その上に、一枚モノの描きおろしというなら、ホルベインのガッシュでいえばアイボリーブラックというよりはジェットブラックの上に原色、チューブから絞ってきてそれほど水で薄めていない色を乗せてあるような、そんな描写。
 若い時は、そういう割り切りが好きだった。でも、この年になると、陰影の中にも書くべきことがいっぱいあるんじゃないか、抽象的な意味だけではなく、直接的そのものずばりの絵であっても、そう思うようになってきた。っていうか、正直、黒ベタ塗りの面を見ているが辛いのだ。

 1981年3月21日、「A LONG VACATION」リリース、1982年5月25日 VT250F発売、ということらしい。この両者、つながりは全くない。この時代からみた、あの時代は・・・という括り以外。
 ただ、何かに酷く焦がれていた、若いころの感情、もう結構忘れてしまっているけれど、どんなんだったかな、と、ちょっとだけ必死に思い出そうとしたら、何となく重なって思えた。

 どうなんだろうな、昔話なんて、結構不健全って言われてしまうことが多いんだけど、実際今のものには逸らない、心が何となく動かないこともあって、それを詳述してしまうと尚更不健全って言われてしまいそうで、でも、あの時のあの感覚というのはすごく大事なものだったようにも思ったりして。

 VT借り出して、小豆島行ったことがある。明石のあたりの国道、アスファルトの照り返しが熱く、大型車の排気ガスがひどかったな。でも、思い出すのはろくな結末を迎えなかった甘い恋ではなく、そういうじりじりした感覚ばかりで、それがひどく懐かしいのだ、不思議なことに。

 

2021年12月30日木曜日

7277 VT250 Spada

7277 VT250 Spada

「男はつらいよ」に関し 1

 当地富山と、四国のどこかだったかが、遂に「男はつらいよ」のロケ地にならずに、渥美清氏の死去によりシリーズ終了を迎えてしまったため、富山県民的にはちょっとしたトラウマになってしまい、山田洋二監督の次のシリーズ「釣りバカ日誌」ではいち早くロケ誘致に動いたのだが、これも三国連太郎氏の死去でシリーズ終了。そこそこ人気はあったものの「男はつらいよ」ほどではなかったのではないか、と思われる。
 富山市岩瀬など、そのロケ誘致に熱心だったのだと聞き、49作目の制作に際し、山田氏渥美氏などは前向きだったが、松竹映画との交渉が不調だった、らしい。また、一説では、そこまで当地が後回しになったのは、渥美氏が結核など大病を患っていた若いころ、不義理をした女性が当地の女性だったから、当地が後回しになった、なんて話も聞いたことがあるが、それについては確認が取れない。まぁ、若いころの苦い思い出が人生に陰影を与えることもあるわけで。

 さて、画像の赤のVTスパーダ、車寅次郎氏の甥、吉岡秀隆氏演じる諏訪満男クンの最初の愛車で、今はジャン・アレジの奥さんが若いころ演じていた満男君の後輩の及川泉ちゃんが鹿児島でへこたれてるのを聞いて、葛飾柴又から鹿児島まで満男君がこれに乗って駆け付けるなど、大活躍だった。それと同型のバイクである。

 満男君の親父の弘さんは、寅次郎氏に助けられたのか邪魔されたのかよくわからないうちにさくらさんとくっつくことができたが、寅次郎氏と満男君は揃いも揃って女性に対しては不器用で、というのがこのシリーズの肝なんだが、寅次郎さんの移動にはほとんど窓が開く各駅停車の国鉄→JRに対し、特に若いころの満男君はこんなバイクに乗ってたりするのだが、いずれにしろ、基本が気ままな旅をする自由人の乗り物で、窓がはめ殺しの新幹線とか、ましてや飛行機なんてものは使っていた記憶がない。まぁ、全部をじっくり見たわけではないのだけれど。

 さて、あらゆる場面で、この話、現実の、特に今現在の日本では成立しないファンタジーであるというのは、説明要る?
 何百キロも離れた女の子に会いに行くのに、今の子、バイク走らせたりするんだろうか? コスパを考えて、今の子は恋しない、というが、それはお金の話ではなく、それだけの熱量を見せてしまうと、持ってしまうと、却って退かれてしまうというリスクを考えて、ならばと、そこまで入れ込んだりはあらかじめしない、ということなんだと思う。惹かれるだけならまだしも、そこまでやると、半ば犯罪者か精神異常者のような目でみられてしまうから。
 満男、即ち、我々の若いころはどうだったか? 女性との距離感を誤るとこれもまた大事故になってしまうのは今と同じで、オレも懲りずに何度も失敗しているが、まぁ、アリと言っちゃアリだったかな?

 そもそも、今の子でこういう単車に乗るのは、我々の頃よりもはるかに少数派で、時間感覚と距離感覚がマヒしたような単車での自由な旅なんて、ないとは言えないまでも更にかなり少数派なのではないだろうか? 若い子はお金もないしね。大人として大変申し訳ない。