2024年6月16日日曜日

8274 NR _2

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NT0063~0064 NRとNSXをうっぱらったお金を貢いだ挙句クソ女をめった刺しにした彼へ

  多少器量が劣っていても心が綺麗ならば、などと昭和の伴侶の求め方、条件としてあったように思うが、器量が劣っているが人当たりがよければ「性格がいい」という誤解というか幻想というか、がいつしか生まれ、しかし、ここで言葉が反転し、器量が多少劣っているが性格が輪をかけて最悪だった、というのが木嶋佳苗死刑囚だった。これを打っている時点では刑は未執行で、再審請求とか出てるんだろうか? それが通るような新事実というものはなく、4件の殺人容疑の起訴、1件の未起訴、3件の結婚詐欺罪、3件の未遂、1件の窃盗罪。死刑に関るのは専ら殺人罪のほうであろうが、これらの容疑をすべて否定することは不可能と思われるがどうか?

 50過ぎの未婚のおっさんたち、若い綺麗なコとか狙わず身の丈に合った、しかし長く一緒に居れそうな女性を選んだはずが、保険金かけられて殺されたのだ、と理解した。正直、これで婚活などと言うものに腰が引けちゃった男性も少なくないんじゃないか、少なくとも過大な期待ができるものではなく、すぐに逃げられる態勢で臨む、特にそれなりに年齢を重ねた男性が増えてしまったのではないか?

 では、何を頼りに望ましいタイミングでパートナーを得られなかった男性は、相手を探せばいいのか? 諦観がひとつ深まったように思うのだ、この2007年から2009年にかけて起きた事案では。


 であるのに、もしいたならば自分の娘ぐらいの女性に懸想して、自分の命の次くらいに大事なクルマとバイクを売り払ったお金を見継いだ挙句、見継いだ途端に冷たくされて、その女性をめった刺しした、オレよりほんの少し若い男の話。

 この際、相手の女がクソで、めった刺しされても仕方なかった、という見解に異は唱えない。しかし、男の方、なんで、こんなクソ女につかまったかなぁ、とは思う。他の誰のためでもない、彼自身のためにめった刺しなどするべきではなかった。いや、別にしてもいいんだけどね。


 言い分として、詐欺同然に何千万取られたのに、警察等はまるで救済してくれないから、などという、まぁ、言ってみれば自力救済。NSX1台、NR1台の売却金額分、どうしたら気が済むか、というのが詰まるところなんだが、それがクソ女一人分の命とめった刺しする時のカタルシスというのであれば、それも、なんというか、安上がりというか、NSXとNRが哀れというか。


 一番の悲劇は、その方面、まるで練れることなしに50何年か来てしまったことか。「なろう」あたりの、ざまあがテーマのラノベ読んで喜んでる童貞クンたちと何ら変わらぬ人生と人への洞察の浅さを感じる。しかし、それでも目の前の、見た目はそこそこの女がクソかもしれないという可能性は思い浮かばないか? その辺、50何年かその方面砂をかむような思いを何度もして漸く自分だけのヒロインに巡り合えた、なんていう、童貞くんみたいな気持ちになっちゃったんだろうか?


 NSXとNR、十何年か保有していたらしいが、ちょろちょろっと動かして満足していて、突き抜けたように走り回るようなことはしていなかったのかもしれぬ。NRなんてひとコケいくらかかるかわからない。結局のところ、多少の、どころか立ち位置次第では死ぬほど努力しても今の時代、思った伴侶など得られない、というケースは珍しくなくその方面、早々に絶望的と判断すべき男子は多いのだ。その時に生まれるいろいろな心のぐちゃぐちゃを吹っ切る突き抜けるための物であってほしかった。そりゃね、愛とかパートナーとか家庭とか至上の価値を持つもので、という人もいるだろうが、そうじゃない、そもそもどうしたってそういうものが得られないという奴もざらにいる時代なんだから、そういう価値には早々見切りをつけたっていいのである。じゃあ、そういうものを除外するとして他に何を価値とするのか? 何のために生きるのか? それをのんびり、ある時はシャカリキに探す人生だってあっていい。クソ女のために自分の人生終わらすというのは、・・・いや、それも人生か。


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