2022年1月30日日曜日

7327 岩戸亮介

 

7327 岩戸亮介

Ryosuke Iwato
ZX-10R 2022


7326 Marcos GT

 

7326 Marcos GT

7325 TT750

 

7325 TT750

7324 Z400GP & note「アウトサイダー」/ コリン・ウィルソン 0-2

7324 Z400GP

 アウトサイダー、アウトサイドがあるなら、当然インサイダー、インサイドもあるわけなんだが、インサイド、内側にはなにがあるのか? っていうか、「アウトサイド」「インサイド」を定義するのか? 境界は? ということになる。

 まぁ、特に今更言うまでもなく、政治的な話をすれば、インサイドとは与党、ということになるが、では野党はアウトサイドで野党議員はアウトサイダーかと言われると、そうではない。寧ろ日本ではその無能ぶりで結果的に与党を助ける準インサイダーであるともいえる。
 このコリン・ウィルソンの「アウトサイダー」的な意味合いから外れるならば、アウトロー、テロリストもアウトサイダーの括りに入るのかもしれない。一義的には、社会の標準的なものの外側、標準的であるというなら内側、ということになる。
 社会の標準的なものの考え方、フィーリングからの疎外感が大きなテーマであったと思う。しかし、まぁ、「疎外感」と書いてしまうと、陳腐であり軽いものに感じられてしまうから厄介だ。実際にそれはいかにも個人的なものであるが、「疎外感」の3文字はなにやらそれで、それぞれ個々人を全くの個別のものにしてしまい、いや、個人的なものであるから最初から連帯なんてありえないけれど、しかし、何ら他者にその処方の糸口すら期待できない、というものにしてしまうのではないか、という感覚もある。

 '90年代半ばごろより「適応障害」とか、なんとか、それは病であるという風に言われるようになってしまった。哲学や文学が敗北してしまったとその時思ったものだ。’90年代初めごろまでは、少なくともオレは、処方となる言葉を自分で探していたし、そういうものだと思っていた。その中でこの本も見つけたわけなんだけど。
 多分、ある程度、神経内科的な治療法、処方は確立しているのかもしれない。知らんけど。

 しかし、感覚的には、どうにもそれには違和感があるし、アウトサイダーをインサイドに引き入れるということ自体、正しいのかどうか、ちょっと考えなおすべきなのかもしれないように思ったりもする。


 さて、画像のZ-GPだが、旗棒にRPMの直管である。族…旧車會仕様であるともいえる。が、直管はさておいても、旗棒、絞りハンドルというのは、もともと、プレスライダーが始めた、事件現場、国会議事堂から、如何にバイクで記者の書いた記事や写真のフィルムを新聞社に、如何に早く届けるかというところから生まれたスタイルである。速さに意義があったし、弾丸のようにすり抜ける単車はカッコよく映ったのだろう。
 しかし、多分、良くは分からないがこのようなスタンダードな単車に絞りハンドルというのは、プレスライダーの単車としては’80年代前半には絶滅したスタイルだろう。250ccまでの小排気量でも十分な性能が出るようになったし、場合によってはオフロードバイクみたいなものの方が取り回しがよく小回りが利いただろうから。以降、族車にのみそのスタイルが受け継がれるようになる。おそらくやってるコ本人、何でそんな形なのかも知りはしないかもしれない。珍妙なスタイルだけ残って珍走団などと呼ばれるようになる始末である。

 で、かつて単車乗り「あちら側」「こちら側」なんて言い方をしたそうな。単車乗りに限らず、急進的なサブカル人も言ってたらしいが、何しろリアルな会話の中でそれを聞いたことはない。因みに1966年生まれであるが。
 まさしく、アウトサイダー、インサイダーなんだが、しかし、如何にもイキった言い方で、今のコはそういうものをかなり極端に忌避する。非常にかっこ悪いと感じているようだ。

 中二病というのは、伊集院光氏がラジオで言い出した言葉だと思うが、「珍走団」というのもその流れ。学生、子供の時にそういうイキったやつらにいやな思いをさせられた、代打数の「普通の」人々の心をとらえたものと思われるが、

 この「普通」というのが、とてつもなく曲者であるようにも思う。

 

7323 T33

 

7323 T33

7322 Alex Hofmann_1

 

7322 Alex Hofmann_1

Alex Hofmann
ZX-RR
Donington Park 2004


7321 Randy Mamola_14

 

7321 Randy Mamola_14

Randy Mamola
XR-35
Brandshatch 1981


2022年1月25日火曜日

7320 Z400FX_8 & ノート「アウトサイダー」/ コリン・ウィルソン 0-1

 

7320 Z400FX_8

ノート 「アウトサイダー」/ コリン・ウィルソン 0-1


 20代前半だ。京都にいたオレは、銀閣寺道の交差点近くの古本屋で、ボロボロの「アウトサイダー」という本を手に入れた。別にこの少し前、同じ題名のハリウッド青春映画に感化されたわけではない。が、言葉の響きになぜか惹かれるものがあったのだろう。


 それからの一年、片時も手元から離さず、一言一句の意味をかみしめながら、実にゆっくりとその本を読んだ。そんな読み方をした本は、後にも先にも他に一冊もない。


 大阪に行くときも、京阪電車の中でずっとそれを読んでいた。定食屋に入っても、店の少年ジャンプとかは読まずに、手に持った本の文字を追っていた。
 メモ用紙がなくて、本の内容とは全く関係ない走り書きもあったりする。一度など、四条京阪の駅で入ったトイレに紙がないので、裏表紙の一つ内側の白紙をほぐしてトイレットペーパーの代わりにした時もあった。

 結構状態の悪かった本は更にボロボロになり、自分で色画用紙を張って表紙を修理したりした。


 ほんのさっきだ。それほどの付き合いだった本の事しばらく忘れていたけれど、ふと思い出し、そうだ、あれのノート、今更ながら書いてみよう、と思い立った。

 生憎と、今、モノに埋もれてすぐには出せない。まぁ、10分ほど発掘すれば出てくるだろうが、次回にでも、如何にオレがその本をボロボロにしたか見ていただくことにして、


 それにしても、多分、おれは「アウトサイダー」という言葉に惹かれたから、あんなボロボロの本を買ったのだと思うのだが、そんなことは今のコにはありえない事だろうな、と思うのだ。本の内容を何十年ぶりかで紐とく前に、そのことについてちょっと考え込んでしまった。

 「アウトサイダー」と「アウトロー」は、一般的には類似語として考えられているようだが、この本の内容ではそうではないということになっていた。まぁ、それはそれとして、特にネットが一般のものになって以降、ネット弁慶が増えたせいもあって、随分とアウトローに対して手厳しい、だけの、社会になってしまった。だけ、と書いたのは、手厳しいことは言っても、その背景、アウトローを生み出してしまった社会の責任については触れようとしないというのが多数派であるということ。

 もっとも以前から、宥和的というか、慈愛をもって、その原因に浮きあい原因を解消していくという動きはごく少数ではあったのだが、ネットで、オレを代表とした凡夫がゴミみたいな言い分を人様になんの推敲もなく晒せる時代になってから、口汚くアウトローを詰る言葉の音量が特に大きくなったような気がする。


 この本では、アウトサイダーの社会から乖離する精神については書かれているが、反社会的行動については取り扱っていない。考えてみれば、ネットでも、社会の一般的な考え方から外れてしまっているかもしれないが、こんな私を認めてほしいという主張を目にすることは少なくないので、需要がないとは言わないが、しかし、「アウトサイダー」という言葉を今現在の社会肯定する素地というのはかなり少ないように思えるのだ。


 本文を読んでいく前に、もうちょっと、その辺考えをまとめてみようなとも思う。



2022年1月22日土曜日

7315 Marco Lucchinelli_4

 

7315 Marco Lucchinelli_4

Marco Lucchinelli
TT750
Daytona 1985


7314 Edi Stöllinger retake

 

7314 Edi Stöllinger retake

Edi Stöllinger
KR250
Misano 1980


7313 Barry Sheene MBE_3 retake

 

7313 Barry Sheene MBE_3 retake

Barry Sheene MBE
0W60 1982


7312 KZ1000MkII_10

 

7312 KZ1000MkII_10

7311 S30Z_46

 

7311 S30Z_46

 明け方、大分、宮崎の方でそれなりに大きい地震があったそうだ。プレート境界面の、割と地中深いところが震源なんだそうで、それが、境界面伝いに段々とせりあがってきたら南海トラフ地震となる。
 太平洋辺縁の地殻活動の相関、時系列の記録を見れば素人でも何か関係があるとは思うものだが、あいにくとまだ、確立された法則のようなものは見つかっていない。トンガの海底火山の大噴火、衝撃波による高潮のような津波。太平洋辺縁に限らず地球全球で地殻の活動期なんだそうだ。

 コロナ禍。なんなんだろうな、コレ。病気自体も然ることながら、社会構造の不都合、脆弱性を次々暴き、機能不全に追い込む。年寄り二人と心臓を患ったことがある初老の中年男のウチにウィルスが入り込んでしまったら、西宮の妹は3人分の葬式を出さなきゃならないことになる。

 つまりは怯えてる。地震とかコロナとか。せめて少しでも苦痛の少ない穏やかな仕舞を望んでいたのだが、それもかなわなくなるかもしれない。

 日々、目に見えて身体の機能が低下していく老いた両親。しかし、まだ二人とも存命なのだから、オレはラッキーなのかもしれない。そして遠からずそれはわが身で、しかも、その日を一人で迎えなければならない。そういうものだろうと、そのことについては諦めだけがあり、怯えとかはないけれど、ドスンと腹の奥に重しになっている。

 突き抜けたい、と、若いころ思っていた。まぁ、若いころのそれは、色恋ごとについてだったんだが、今となっては、もう、この衰え行く身体、そして精神全体について、だ。


 それはそうと、こうして、単車やらクルマやらオネエチャンやら風景やらの絵のようなものを舐ってるのだが、10000枚も描けば、遂に一廉の人物になれそうもないオレでも、なにかになれるかな?と淡い期待をもっているのだが、線を追う、色を分ける、そんな作業をやっているとき、ふと、小学生のころピアノを弾いていてバイエルの教本で鍵盤を追っかけてるときの感覚を思い出したりする。熱狂はない、が、他では案外味わうことが少ない、自分が一転に収斂されていく奇妙な楽しさだ。
 尻に感じた猛烈な横G加速G、それを思い出したり想像したりしながら、案外それで、憂鬱は少し軽くなり、とりあえず明日の分のモチベーションは回復したりする。

 そんな甲斐性もなく、ヘタレでビビりだから、アクセルを踏み込めず突き抜けて走り去るなんて遂にできそうもないけれど、それでも、どこかでそんな自分を夢想したりするときがある。


 50過ぎて会社で今やってることのために、まさか、小学生の時毎日前を通ていた鉄工所の門をくぐることになるとは思わなかったか、その鉄工所の前あたり、緩いカーブになっていて、小学校の帰り、そのカーブの向こうから、白い、普段見ないような車が走ってきた。細いバンパーの前の型のポルシェカレラ(901ボディの所謂ナローポルシェ)かな、とも、思ったが、近づくにつれてそれが、S30Zであることが分かった。そういうことがあった。まぁ、フェアレディZなら田舎でもそんなに見ないことはないけれど、すれ違う時、小学生のオレは「かっこいい~」って興奮した。
 日本車の性能が世界のトップレベルの成るにはまだ数年要する頃で、フェラーリやランボルギーニが、時速302キロとか300キロとか言ってた時に、条件が良いところを走っても200キロ何とか届くか届かないか、という時ではあったけれど、スーパーカーブームに毒されたニッポンのオトコのコにとっては、フェアレディは、ニッポンの誇りだった。

7310 Gilles Husson retake

 

7310 Gilles Husson retake

Gilles Husson
Team Gavory Z1000
BOL D'OR 1978


7309 The Pastday -station front of My Hometown

 

7309 The Pastday -station front of My Hometown

 高校の3つ上の先輩にあたるモーリー・ロバートソン氏の先年亡くなられた御母堂、ロバートソン黎子氏の実家は、我が町では、それなりに名家として知る人ぞ知る。モーリー氏の従弟は妹の小中高の同級生の雪が積もってても短パンボーイだったりして、県内ではそれなりにデカいつもりでも関係者にすぐ突き当たる。
 まぁ、でも、大学の社会学で習ったには、っていうか、講師が雑談に言ったには、日本においては、自分起点で知り合いの知り合いの、でつないでいけば、4~5人で大方の日本人につながるそうなんだが、まぁ、そんな感じで。

 パンクロック好きの高学歴の変な外人(まぁハーフなんだが)として、渋谷陽一氏のラジオとかにちょくちょく出てた30数年前は、長髪でほっそりしたイケメンだったが、いつの間にか髪の毛が薄くなり貫禄も出て、って、その辺は人のことも言えないので、その辺にして、で、なんてったっけ? 経歴詐称でバタ臭い顔の人がMC降りた番組に代わりに出るようになってから、テレビで、モーリーパイセンの顔よく見るようになったんだけど、そうなる直前の、彼のYouTubeチャンネルで、故郷訪問というVがいくつかあって、その中でも紹介されていた。

 今は取り壊されて、駅前ロータリーの一部になってしまったところにあった雑居ビル。モーリーパイセンは叫ぶように言った。「九龍城じゃねぇか!」って。オレもずっとそう思っていた。表のバスターミナル側には、ミスタードーナッツとか、旅行代理店の出店とかあったんだけど、裏側はなんか入るのためらわれる定食屋とかピンサロとか。内側は回廊式になっていて、変なところに祠があったりして、薄汚れていて。
 高校生の時だったか、暇に任せて探検したことがある。言ってみれば、ダンジョン感。上層は、実は居住施設になっていて、回廊を抜き足差し足歩いていたら、生活音が聞こえたりして、慌てて退散した。

 或いは、押井守氏の「攻殻機動隊」、ゴーストハックされた光学迷彩男を追跡している場面のシチュエーション。あんな感じ。

 突然異界に入り込んでしまったような感覚が、実はなかなか楽しかった。

 耐震強度的に、恐らく完全にアウトで、全国的にも姿を消しつつある昭和40年代の建造物。そこに息づいた人の臭いとか何とか。

 そいや、思い出した。高校の授業サボって、やはり今は無くなってしまったウチの街唯一の百貨店の昔の建物の屋上にあった、小さな遊園地っぽいスペースでぼーっとしてた時の事。一応、そういうものはそういうものとしてそこで「営業」してるんだけど、客なんて一人もいない。まだ、今みたいに人がいないなんてことはなかった中心街だったけど、見下ろすと、結構やれた感じの街並みが広がっていて、結構昼間なのに暗がりっぽいものもあったような気がした。

 それがよかった、なんてこともないのだろうが、あれは夢の事だったのではないか、というぐらい、今は何もないウチの街の駅前だ。

2022年1月3日月曜日

7289 Etiénne Quartararo

7289 Etiénne Quartararo

Etiénne Quartararo
RS250R 1986

  写真のヘルメット見て、「ああ、片山敬済氏の写真ね」と、思うじゃない。しかし、緑ゼッケン(=250cc)で#65とかつけてたはずがなく、250cc走ってた頃はヤマハだったしロスマンズではなかったし、って、ロスマンズカラーだけどロスマンズじゃねぇし、この写真、と、2度見3度見して、キャプションも読んで、エティエンヌ・クアンタラロ氏1986年とある。え、この名前って? と思いググってみたら、案の定、2021年プレミア・クラスでタイトル獲ったファビオ・クアンタラロ君の御尊父であらせられるとの事だ。
 写真は250㏄だが、125㏄ではフランスの国内チャンピオンにもなったことがあるそうで、そこそこ能力はあったのだろうが、スポンサー集められなかったのかな? GPには出てきていないはずだ。今まで聞いたことがなかった。さすがにフランスの国内選手権のことまでは知らない。

 しかし、まぁ、片山レプリカのヘルメットといい、ロスマンズカラーなのにロスマンズじゃないところといい、突っ込みどころに事欠かない写真だが、考えてみれば、当時、結構名の知れたライダーも平気でスペンサーレプリカ被ってレース出てたし、当時としてはフツーなのかもしれない。
 まるで、当時のバリバリマシンの読者投稿写真を見るようで、楽しい。どこかに角生えてないかい?

 ということは、このエティエンヌ・クアンタラロ氏、ほぼオレと同世代か。このエティエンヌ・クアンタラロ氏にしても、ヴァレンティノ・ロッシの親父のグラジアーノ・ロッシ氏にしても、四輪ではヨス・フェルスタッペン氏にしても、現役時代、遅くはないにしても、トップまで行くこともない、いまいち地味だったけど、息子が大成してさぞや嬉しかろう。
 トップを走った、ガードナーの息子は今年からプレミアクラス、ドゥーハンの息子は四輪でF1のすぐ下のクラスまで登ってきている。さぁ、どうなるかね?



 

7288 ZX-9R_2

 

7288 ZX-9R_2

ZX900B 1994

2022年1月2日日曜日

7287 R35_58

7287 R35_58

 

7286 Maurice Maingret_1

 

7286 Maurice Maingret_1

Maurice Maingret
Sidem Kawasaki Z1000
Barcelona 1978


7285 XJ750R・OU28 1984_2

7285 XJ750R・OU28  1984_2

XJ750R・OU28
Suzuka 1984
rider; Shinichi Ueno & Hiroyuki Kawasaki


 

7284 Anthony Gobert_3

7284 Anthony Gobert_3

Anthony Gobert
ZX-7R
Hockenheim 1995


 

2022年1月1日土曜日

7283 Randy de Puniet_2

 


7283 Randy de Puniet_2

Randy de Puniet
ZX-RR
Sepang 2007


7282 330 P4 spyder

 

7282 330 P4 spyder

330 P4 spyder
Paul Hawkins
Brands Hatch 1967


7281 H1 500SS Mach III_3 & 2022元旦所感

 

7281 H1 500SS Mach III_3

元旦所感

 カレンダーが新しいものに掛け替わった、などと言っても、特にカレンダーなど壁に掛けることもなくなって何年も経つ。こういう時、子供がいない家というのは、どうにも新鮮な気持ちで新年を迎える殊勝な気持ちが弱い。ましてコロナ禍、妹夫婦も来ることがなく、老いた両親と三人、しかし、外は子供の時にあったような、そこそこな雪。静かな元旦だ。

 で、カレンダーが掛け替わったというのに、昨年、いや、昨日と同じように、オレはこんなことをしている。勿論年内にはそれなりに大掃除とか料理とか準備はした。

 結構ね、去年は仕事が胃に来た。この年になるまで、そんな仕事をしてこなかったから。まぁ、悪いこととは思っていない。それも人生としてはアリ。若い時は、そういうものから逃げてしまったり、逃げちゃだめだ逃げちゃだめだと思いながらそればかりになったり。気持ちは後ろ向きではなく、ネガティブなことはちっとも思ってないのに、なぜか胃にはしっかり来ているなんていう、これは初めての経験だ。結構面白い。でも、胃が痛い、時々。
 医者に診てもらって、特に悪いところはないようなので、このままいく。仕事、ずっと続くけれど、とりあえず、一区切りまで、うまくやりたいと思う。

 気が付けばカウントダウンに入っている年齢になっている。下手打てば明日この世にいなくなってるかもしれない。今更後悔のない人生を、なんて無理なくらい、後悔が掃いて捨てるほどあるんだが、それなりに整理をつけながらやっていくことになる。

 実は、このブログに何千と上げている絵みたいもの、これらもその一環だったりする。思った数にはまだ3千程足りない。まぁ、ぼちぼちやっていくしかない。

 ただ、見えないけれど、皆があることを感じ取っている線を一本超えただけの事で、それがめでたいのかどうか、この年になれば、そういう区切りまでとりあえずたどりつけたのは、よかったね、というのはよくわかる。

 また一年、皆様も元気で過ごされますよう、お祈りしております。