迷走録(-1378)
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2025年7月3日木曜日
8828 NSR500 1989?
8828 NSR500 1989
NSR500 1989 ?
in cartoon color scheme
2025年7月2日水曜日
8825 Eddie Lawson _47
8825 Eddie Lawson _47
Eddie Lawson
NSR500 1989
2025年6月21日土曜日
8784 NSR500 1988 (再掲)
(誤って削除してしまったため 再掲する)
8784 NSR500 1988
for Wayne Gardner
1988年 NSR
1988年のNSR500には、実のところこれと言った印象はない。前年チャンピオンを獲ったワイン・ガードナーはケガや何やで、エディ・ローソンにチャンピオンの座を奪われている。やはりというか、ワイン・ガードナーは目標を見上げてそこに向かっていくときにこそ力を発揮するが、一度それを獲ってしまうと、集中力をなくすタイプなのかもしれない、とも考えている。
性能でこの年のNSR500がYZR500に負けていたのかどうなのかということまでは分からない。
レプリカー模造、というより、同時進行で開発された公道モデル、NSR250R、MC18の話。っていうか、直接的にはレース用NSR250やRS250とほぼほぼ同時開発、ということらしいが。ミラーとか外せばそのままレースに出ることが出来た、公称自主規制45馬力でも、実際には70何馬力か出ていたのではないかという噂。時代だねぇ、イケイケ、ドンドンのバブル時代。景気のいい話だ。おかげで、カワサキのマッハIII500SS以来の「widow maker」なんていうありがたくない二つ名を頂戴したとかしなかったとか。
この後のNSR250Rは、パワーは同等ながら、扱いやすさを身につけていったが、とにかくこのMC18は、TZR250には負けられね~、峠最速はオレのもんだ、とばかりに相当尖った物であったようだ。オレはついに、借りものであってもまたがることはなかったがな。
あの頃の峠文化というものも不思議なものだった。まぁ、結構イキってるくせに下手糞な奴もいただろうし、最初はそもそもみんな下手糞だ。新車で峠に乗りつけて、いきなりコケてカウルバキバキにして涙目、なんてことはフツーにあったことだろう。
あぁ、こんなことがあった。そいつの単車がNSRだったかTZRだったかは忘れた。見てないんで。当時学生でも普通に建設現場のバイトに行くことが出来た。今じゃ労働衛生法とか何とか縛りが厳しくてそういう訳にはいかないみたいだが。
その日の仕事は滋賀のどこぞの小学校だったか中学校の体育館の墓断熱材のグラスウール張りのバイト。盛夏ではないにしてもそれなりに暑い季節だったと思う。そういう時にでもグラスウールを扱う時は合羽を着こんでゴムの手袋をし、完全防備で向かう。肌についたら、まして汗で広がった毛穴にグラスウールが入った日にゃあ、3日間は痒くて死ねる。
そいつ、新しく入ってきたばかりで、聞いたところ単車のテールカウル新調したんだが、シートのウレタンゴムをケチっていて、その代わりにグラスウールの切れ端もっていっていいっすかね? って訊くもんだから、別に切れ端ぐらい惜しくはなかったけれど、そこにいたやつ全員「「「「「やめとけ!」」」」」といったものだ。
エンジンとかブレーキとかって部分はそういう訳にもいかないが、バブルの時とは言え、如何に金を浮かすかに腐心する峠小僧。それが長じておかしな改造とかをし始めてそれが流行りになったりする。あと、あのころ流行ったヘルメットの角なのかアンテナなのか、あれ、何だったの? はたまた変なところにBOØWYの歌詞が貼ってあったりしてな。
わらわらそういうのが峠に湧いて、んで、規制が始まるんだ。今思うとな、そういうのをガス抜きとしてお目こぼしもないから、今の若いコ、余計に変なところに入り込んでとんでもない犯罪に走るんじゃないかと思うことが偶にある。
時は経ち、1年位前かな、MC18、88(ハチハチ)のロスマンズカラーのNSR250Rが近所のコンビニに停まっていた。どんな奴が乗ってんだろう?とみていたら、ほんのちょっと若いがほぼオレと同世代のおとっつぁんだった。当時、たくさん売ってたくさん廃車になったNSRだ。大事に乗ってくれたらいい。そう思った。
2025年4月18日金曜日
8782 Wayne Gardner _25
8782 Wayne Gardner _25
Wayne Gardner
NSR500 1987
1987年のワイン・ガードナー
モリワキに乗ってヨーロッパでも走っていた、日本と縁があった、律儀なオーストラリア人というのが当時の印象。特に、チーム、というか、HRCの中では優先順位の上にはフレディ・スペンサーがいたけれど、貪欲に、呼ばれれば8耐だって何度でも出走し、勝って見せた。当時、ホンダにとっては彼こそが頼りになるライダーだったことだろう。
すぽんとフレディ・スペンサーがいなくなった頃には、HRCとの信頼関係も深く、しかし、マシンは残念ながらフレディスペシャルという出来で、それでも若く貪欲な彼は、87年のチャンピオンになった。
HRC所属になった85年から、87年にかけて、彼の運気も最高潮だったのだろう。この間は多くの事でうまくいったように見える。
ライディングテクニックも当然あるのだろうが、マシンなど必ずしも彼に最適化されて設えたものではなかったにもかかわらず、であるからこそ余計燃えた部分もあるのかもしれない。ワークスマシンから2段落ちのRS500での初出走以来、それを克服するようなアグレッシブな走りというのが、結果彼を支え続けたわけだが、
果たして、そこをピークに、この後、やや運にも見放された部分もあったのではないか? ケガを負い後輩に抜かれ、引退。
まぁね、アンラッキーな部分はあったのかもしれないが、一般のモブからすれば充分、幸せな人生である事だろう。
さて、彼の現役時代など、日本車しか勝てんという頃であり、必然日本に近づこうとする。親日家と思われたが、2016年、息子絡みの暴行事件で江戸所払いと相成っている。 (´・ω・`) ショボーン。まぁ、何より彼も人の親であったという事だ。
2025年4月13日日曜日
8778 NSR500 1985 _2
8778 NSR500 1985 _2
NSR500 1985
for Freddie Spencer
1985年の事
果たして、燃料タンクと排気エキスパンジョンチャンバーの位置をオーソドックスな位置に修正した1985年のNSR500とフレディ・スぺンサーの組み合わせの快進撃ときたら他者には手が付けられなかった。勢い余ってこれのエンジンを半分に割ったRS250RW、実質初代のNSR250でスペンサーはシリーズダブルエントリー、ダブルウィン。あまりの圧勝具合に、以降一人のライダーが2つ以上のクラスを掛け持ちすることはできなくなった。これより前は、350㏄のクラスがまだあったときには、ジャコモ・アゴスチーニなんかも2クラスエントリーをやっていたみたいだが。
他者に対し圧倒的なのに、それでも尖って前に向かっていく、この年からのロスマンズカラーのNSR。初期のNSR500といえば、84年型というよりはこの年のモデルを思い浮かべる人の方が圧倒的に多いだろう。
坪内隆直氏が編集人をなさっていた「Grand Prix Illustrated」は、当時社会の事など全くわかっていなかった田舎から出てきた19歳にも、非常に手が込んでいるが商売の割には遭わないんだろうな、と想像させる、GP愛にあふれた月刊誌だった。
第3号を板橋区蓮根の予備校の寮の近くの書店で手に入れて、何か非常に特別なものであるように思えた。世界が違う。
間もなく、神田神保町に当時あった、今はどうなのかわからない、書泉グランデでバックナンバーが平積みされているのを観て、創刊号第2号をすぐに買い込んだ。この後1989年の月刊最終号まで買い続けることになった。
そもそもが中学で部活をやっていたころから、テレビが必要ない人間になっていたこともある。ただでさえ2輪のレースの事などテレビでやらなかった時代に、今のように望めばほぼほぼリアルタイムでテレビ観戦などできるはずがない。情報はこうした雑誌から最速でも1か月が其処ら遅れで手に入れるしかなかった。
であるから、すべては妄想だったのかもしれないけれど、もう他をぶっちぎってるのに、更に超然として先に向かっていく姿を幻視し、それが何か支えになっていた。その後この社会でわらわら湧いてきた似非宗教家たちの言葉より雄弁だったように思う。
2024年12月24日火曜日
8658 Freddie Spencer_33 retake (Freddie Spencer _54)
8658 Freddie Spencer_33 retake (Freddie Spencer _54)
Freddie Spencer
NS500 1983
8657 片山敬済 _59
8657 片山敬済 _59
Takazumi Katayama
NS500
Assen 1982
2024年12月23日月曜日
8656 Freddie Spencer_13 retake (Freddie Spencer _53)
8656 Freddie Spencer_13 retake (Freddie Spencer _53)
Freddie Spencer
NS500 1983
2024年9月22日日曜日
8533 NS500 _2 retake2
8533 NS500 _2 retake2
NS500 1982
rider; Freddie Spencer
2024年7月15日月曜日
8345 XR14 _6
8345 XR14 _6
XR14 1976
for Giacomo Agostini
2024年1月20日土曜日
8185 RSV400
8184 RSV400
RSV400 1994
rider ; Loris Reggiani
2023年10月2日月曜日
8145 Freddie Spencer_49
8145 Freddie Spencer_49
Freddie Spencer
TZ500
Brandshatch 1980
2023年9月23日土曜日
8132 Carlos Checa _2
8132 Carlos Checa _2
Carlos Checa
OWK6
Sepang 2000
2023年9月16日土曜日
8117 Eddie Lawson _45
8117 Eddie Lawson _45
Eddie Lawson
NSR500 1989
2023年8月31日木曜日
8080 Franco Uncini _2
8080 Franco Uncini _2
Franco Uncini
RG-Γ 1983
2023年8月28日月曜日
8074 Freddie Spencer_48
8074 Freddie Spencer_48
Freddie Spencer
NSR500 Mk.I 1984
2023年8月12日土曜日
8031 Max Biaggi _9
8031 Max Biaggi _9
Max Biaggi
NSR500 1998
2023年7月30日日曜日
8006 片山敬済 _52
8006 片山敬済 _52
Takazumi Katayama
NR500
Silverstone 1980
8002 Valentino Rossi _36
8002 Valentino Rossi _36
Valentino Rossi
NSR500 2001
2023年2月26日日曜日
7850 平忠彦 _35
7850 平忠彦 _35
Tadahiko Taira
OW86 1987
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