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2024年2月27日火曜日

8235 雨晴海岸 2023年11月

 

8235 雨晴海岸 2023年11月

 57歳のこの歳になっても、18の時と同じちぐはぐさを抱えて生きているわけだが、そういう物を抱え込んでいるから、こうやって多分同じ年の奴よりも割と労力をブログなんかに注ぎ込んでいるわけなんだろう。かなりのエントリーをしているというのに、未だ一銭も収益化していない、この時代においてはダメブログなんだが、そういうことが今回のテーマなどではない。
 まぁ、そんなちぐはぐさが、18歳、間もなく19歳になるところの、高校を卒業したばかり、受けた大学にはことごとく振られたオレを、氷見線に乗せて雨晴海岸に連れて行ったわけである。別に何の用があったわけでもない。夏は海水浴場として、この時代はまだ賑わいがあった頃だが、春の浅い時期は誰もいない。快活な青春というやつには、今一掠らなかったオレで、あ~、夏、1人で海に行って、それでもナンパしたわ。一個上の女の子。一回だけその後一緒に映画に行ったな、「魔界転生」かなんか。浮かれた気持ちとどっか焦燥感がごっちゃになってるなんて、大人になった今ならわかるが、それはオレだけのものじゃなかったと思うが、まぁ、19になる直前の3月に戻る。
 何を考えていたかなんて、どうか思い出さそうとしないで欲しい。だって忘れたもん。オレも大したことは考えていなかったように思う。まぁ、他の人と同じくらいには海が好きだったと。
 一緒に歩いてくれる女の子がいなかったオレは一人で海岸線を雨晴から島尾へと歩いたわけだが、何やら知らぬおっちゃんが、じっとオレを見ていた。ちょっと気持ち悪かった。

 そういえば、この頃、都市伝説的にこういうことを聞いたことがあった。カップルが海でいちゃついてると、日本語じゃない言葉をしゃべる男たちに囲まれて麻袋をかぶせられどこかに連れていかれてしまう、なんて、高校生の時に聞いたことがある。

 なんてことはない。都市伝説ではなく、言うまでもなく、北朝鮮の工作員による日本人拉致のことであり、オレが聴いたのは九州宮崎の青島海岸なんて話だったけど、それが露見したのは他でもない、この雨晴海岸で4人の工作員がカップルの拉致に失敗して、それを1978年、地元紙北日本新聞、翌年産経新聞の記者が紙面で書いたからである。

 って、実は今こうやってキーボード打っている、その二日前、つまり一昨日まで、この雨晴海岸での件を知らなかったのだから、オレも相当呑気である。我ながら呆れる。しかし、いくら1978年から1984年、まだ中学生高校生だったとはいえ、ちゃんとこのことを知らなかったというのも不思議な話だが、例えば大体同時期のグリコ・森永事件や少し後オウムの時のように、或いは昨年来のジャニーズ問題のように、大々的には報道されなかった気がする。実際、テレビは1979年当時一切報じなかったし、全国紙も報道したのは産経だけだったそうだ。
 なぜだろう? 当局の「外交的配慮」が働いた、それに報道機関が忖度したのだろうか?

 この時、ちゃんと広くこの問題が認知されなかったのは大きな問題であるように思う。しかし、それを今までちゃんと検証されたという話は聞かない。あるのは、この時頑張った産経の記者による記録だけである。

 で、だ、海辺を歩いていたオレを見ていたおっちゃん。彼はオレが連れていかれないように見守ってくれていたのだろうか? それとも彼はオレを獲物として観察していた工作員だったんだろうか? いずれにしろ、この時は1985年の3月である。北朝鮮による拉致というのは、wikipediaによれば、1991年までおこなわれたとのことだ。


2024年2月10日土曜日

8212 あの坂の向こうには海が広がる

 

8212 あの坂の向こうには海が広がる

 米島にある中越パルプの工場は子供のころから恐ろしく凶暴な悪臭を周囲にはなっていた。今はこういう時代だ。そういうことは許されない時代なので、工場の外に出てしまえば向かいに普通に食品スーパーがあったりするほど普通だが、一度など前の会社の仕事で工場の構内に入った時など、一番コアなところで仕事をしたせいもあるが、かの臭いは健在で、工場で働く人の中でリアルに鼻が曲がってる人を何人か見かけて、ひぇ~! とか思った。

 昭和40年代、50年代、高岡市内の子が親に氷見や雨晴に、夏、海水浴に連れて行ってもらう時は、まぁ、今とは違う旧道の国道160号線で国泰寺に行くように途中で曲がって、何かきちんと認定をとった「日本モーターツーリストホテル協会(?)」の看板を掲げているけど、ぶっちゃけモーテルの前を通って、というルートもあるにはあったが、伏木の国分浜を横目に、この前投稿した廃墟の前の道を通って、というルートを使うことが多く、で、上記、中越パルプの前を通る時は、当時の父のクルマ、510ブルにはカーエアコンはついていなかったけど、窓を閉め切って、何分かサウナの気分を味遭わなければならなかった。熱中症の危険があったわけだ、今思うと。

 で橋を渡り、左に曲がる。

 10間道路なんて、昔はそれは当時なりの高規格道路として敷設されたのだろう。今となっては片側1車線幅18mの道なんて、普通の田舎の道なんだけど。
 ただ不思議な道だと子供心に思っていた。坂を上って下ってを何度か繰り返す。谷筋の川に沿っての道というのはいかにも普通で意識しないが、この道はいくつかの谷筋と低いなりにも段丘地形の尾根筋を串をぶっ刺したように横断する。登って下ってが何となく楽しかった。

 昔、空荷の当時としての大型トラックが、此処から港を目指す。荷を積んでいないのだから揺れたってかまわない。伏木港で原料を積んだトラックは今度は一本東側の平坦な道を走って市内の、日本曹達や前述中越パルプなどの工場にその原料を搬入する。出荷はこの逆回りで伏木駅前を通る平坦な道で港にもっていき、軽くなったトラックがこの道を使って高岡の町に戻る、そういうことを意図してこの道は作られたのだと小学校の先生に教わった記憶がある。

 なにはともあれだ。最後の坂を上り切った時に前に広がる海がオレは好きだった。

2024年2月4日日曜日

8204 高岡 伏木国分 廃墟 2023年11月

 

8204 高岡 伏木国分 廃墟 2023年11月


 伏木から氷見に向かっていく道、伏木国分から雨晴に抜ける、今ではトンネルが通っていて皆そこを通るが、オレが子供の頃はトンネルなんてなく、海沿いの道を通っていた。ほんの少しだけ遠回りだ。今通ってみたら道幅も狭い。

 入り口にちょっとだけ値の張る銭湯があるが、他に何があるわけでもない短い区間だが、子供のころから崖に持たれかかるような廃墟が一つだけある。別にこの前の地震で廃墟になったわけではない。子供のころからある廃墟は、記憶が確かではないが一度綺麗に直されたか建て替えられたかして、人が住んでるんだか宿泊施設を営業しているんだかそういう気配があった時期もあったが、脱力するように今ではやはり廃墟なのであった。

 廃墟と言ってもおどろおどろしい感じは薄い。少し山の方にもう一つ元病院というシャレにならない廃墟もあったのだが、そこは今や建物は解体され草に覆われてしまい近づくことができない。こちらの廃墟はそんなことなく、只々無様なさまを晒している。

 昔、企画もののアダルトビデオで全国を旅して土地の女のコにお願いして、っていうかナンパして、というのがあったのだが、その当地編、この廃墟で撮影してたんじゃないかと思う。海見える廃墟だったし。安く見られたものだなぁ、富山女子! と、なんかさみしい気持ちになった。

 昨年の11月の状況。確認に行ったわけではないので分からないが、地震で倒壊の恐れがあるからと、建物前の海の道、ひょっとしたら通行止めになっているかもしれないが、それで困る人は多分いない。



The road from Fushiki to Himi runs from Fushiki Kokubu to Amaharashi.Nowadays, there is a tunnel that everyone passes through, but when I was a child, there were no tunnels and we went along the road along the coast. It's just a little detour. When I passed by now, the road was narrow.

There is a slightly expensive public bath at the entrance, but it's a short section with nothing else going on, but there is one ruin that looks like it's leaning against a cliff from my childhood. It's not like it was ruined by the recent earthquake. I don't remember the ruins that have existed since I was a child, but there was a time when they had been cleaned up or rebuilt, and there were signs that people were living there or that they were operating lodging facilities. It was now in ruins, as if it were debilitating.

Even though it's called a ruin, it doesn't seem scary at all. A little further up the mountain, there was another terrifying ruin, a former hospital, but the building had now been demolished and it was covered in grass, making it impossible to approach. The ruins here are nothing like that, just exposing themselves in a state of disrepair.

About 20 years ago, there was an adult video project in which he traveled all over the country and asked local girls, or rather, picked them up, and I think the local version was filmed in this ruin. . It was a ruin with a view of the sea. That was cheap, Toyama girls! I felt an unbearable feeling.

The situation in November of last year. I didn't go to check, so I don't know, but the beach road in front of the building may have been closed due to the risk of it collapsing in an earthquake, but I don't think anyone would be bothered by that.


2024年1月28日日曜日

8192 高岡 伏木中央町 2023年11月 _2

 

8192 高岡 伏木中央町 2023年11月 _2

 2024年元旦の地震において、高岡では一番被害が出たところの在りし日の様子。幸いしないでは亡くなった方はいないが、液状化で例えばこの絵の中央の電信柱が黒と黄色の帯が地面についてしまうくらい、沈んでしまった。ひどく傾いて、建て直すしかないというお家もあるだろう。