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2023年9月18日月曜日

NT0033,0034 一連のジャニー喜多川こと、喜多川擴(ひろむ)による、所内での権力をかさに着た、未成年タレントに対する性加害の問題に関し 3

 1.ジャニーズ事務所や被害者がこの先どうなるかは、それほど興味がない。


 -①この問題とジャニーズ(事務所、タレント)自体への認識

 -②今回の事務所の対応について 被害者達について


2.マスメディアが、一連の喜多川擴の所業に目をつむり、特に、2003年の東京高裁の文春との訴訟の判決を黙殺してしまったことこそ、一連のこの件に関して、最も問題視するべきものであると考える。


3.BBCの番組に今回の事は端を発しているが、今までいなかった仕掛け人の存在を感じる。


 この3点について、ダラダラ書いていくことにする。



 またしても、古く据えた臭いをはなつようなダメな権力社会構造(のひとつ)は、外圧にしよってしか変わらなかった、と思ってしまうと、わずかに憂鬱な気分になるが、切実に何かを変えたいとき、もう、この国の野党的なものは全くあてにできない現状に、外圧を動かすという選択肢をとる者も現れてもおかしくないのではないか、と、ふと思った。


 そういえば、と、考える。なぜ、アメリカ系のメディアではない、イギリスのBBCだったんだろう? アメリカにはジャニーズは強いコネクションがあると聞いたことがある。喜多川擴自身アメリカに住んでいたこともあるそうだ。となれば、そこのメディア関係者を相手にしていたら、「計画」が漏れてしまう、そう考えたか?


 まだまだ、今までのこの方面の動きとは結構違う事があったことに気づく。


 イギリスメディアであったが、外国メディアであったからこそ、一連の喜多川擴性加虐疑惑が都市伝説レベルの信ぴょう性から一気に真実味を加えることに成功した。外国のメディアという事もあったかもしれないが、日本のメディアであっても断言する(当然裏付けをしっかりとって)ということが大事ということが分かる。

 黙殺はできない。SNSでの拡散。この段階ではしかし日本のメディアは反応しないが、外国人記者クラブで被害者が会見を行う。そろそろ日本のメディアも無視できない状況になる。

 そして日本記者クラブでの会見。


 注目するのは、これらの記者会見で、被害者が、揃いの印象の標準的なスーツにネクタイで登場していること。例えば北公次氏などわずかに残るインタビュー記事等を見るに、如何にも芸能人っぽいというか、要するにチャラい格好でインタビューを受けている。一般に向けて何かを訴えたいとき、どちらの格好の人の言葉がより受け取りやすいか?


 これらが、結構短期間に電撃的に行われたこと。

 時間があれば、ネットの書き込み仕出し何かを利用したジャニーズ側の反撃もあったことだろう。無くはなかったが、組織化され、確実にヘッドクオーターがいるような感じで、結構な数のしかし無駄がない反撃というのが未だなされていない。喜多川擴は目先が利いた人であったようであるから、存命だったら、事が起こる前から、そういう事への準備もやっていたかもしれないが、


 よりによって、2023年のこの時期である。中枢にいたはずの滝沢何とか君が抜けるなど離脱が相次ぎ、ジャニーズ事務所は内部の引き締めに手一杯で、BBCの報道から始まるこの動きに反応しきれなかった。ネットの書き込み仕出しの用意もままならなかった。


 まるで何かの実験、検証を見ているような気分である。


 安倍晋三の、知っている人は知っていた統一教会とのずぶずぶ、というのと、喜多川擴の性加虐、知っている人は知っていたが、多くの場合都市伝説レベルのたわごとと捉えられていたり、そもそも知らなかったりというところで、相似である。


 安倍晋三と統一教会のつながり、初期には、これまであったファクトを並べるだけで、かなり追い詰めることができたが、やがて統一教会という一つの団体であるから組織だった、それに付随する形でネトウヨ、ネット仕出しによる反撃が始まる。論点をずらす、安倍晋三の功績を称えるというやり方。統一教会の事は正面から反論しない。

 一方追い落とそうとする側、これまでの統一教会の所業という手札、数はあったが、それだけ。組織だった戦略も何もない。個々が得意げにそれを披露していただけ。やがて、統一教会の追い落としから、被害者、二世信者の救済の方に論点がずらされていき、野党が国会でそれを持ち出した時点で、あ、負けたな、と思った。実際国葬何ていうものをまんまとされて、負けは確定した。


 あの時俺と同じように感じていた人がいて、あの時の失敗、こうしたらよかったんじゃないか? なんて考えたりして。そういう人物が今回の事を、これから何かをする為の実験なのか、自分なりに何かの落とし前をつけたいのか、それは分からないが、実際にそういう人物がいたのだとしたら、心から「お見事!」と言わせていただくことにする。

 ま、この先どうなるかはわからないがね。以前のように何もなかったように、ジャニーズ事務所が復活してしまう可能性も、まだ十分ある。

 



NT0031,0032 一連のジャニー喜多川こと、喜多川擴(ひろむ)による、所内での権力をかさに着た、未成年タレントに対する性加害の問題に関し 2

 1.ジャニーズ事務所や被害者がこの先どうなるかは、それほど興味がない。


 -①この問題とジャニーズ(事務所、タレント)自体への認識

 -②今回の事務所の対応について 被害者達について


2.マスメディアが、一連の喜多川擴の所業に目をつむり、特に、2003年の東京高裁の文春との訴訟の判決を黙殺してしまったことこそ、一連のこの件に関して、最も問題視するべきものであると考える。


3.BBCの番組に今回の事は端を発しているが、今までいなかった仕掛け人の存在を感じる。


 この3点について、ダラダラ書いていくことにする。



 オレがこの問題についてジャニーズ事務所や被害者をさておき、一番問題視し糾弾されるべきのはマスメディアであると考えている。


 彼らのスタンダードでは、これが後ろ盾が特になければ頂点にいる芸能人であっても、覚せい剤や不倫と言った醜聞があれば徹底的に叩く。2,3か月、連日その報道をして芸能人として再起不能まで追い込むはずのところだ。

 喜多川擴(ひろむ)は、芸能人でこそなかったが、芸能界で最も影響力のある人物であり、その人物の性犯罪が裁判所で事実であると認定されたならば、芸能界は天地がひっくり返る。


 2003年の東京高裁での文春との名誉棄損を争った裁判で、文春の主張する未成年タレントへの性加虐が事実と認定され、翌年最高裁への上告が棄却されて確定する。民事裁判であり刑事裁判ではない。被害者が訴えれば刑事事件になり得たのかもしれない。そう望んだ被害者もいたのかもしれないが圧力がかかり出来なかったのかもしれない。一切が分からない。

 何しろ、これを伝えたのは、大手メディアでは新聞のベタ記事のみ。テレビは一切報じなかった。あれ程の影響力、権力を持った人物の所業を、である。


 まぁ、ジャニーズ事務所がタレントの出演決定権を盾に、メディアをコントロールしていたのは有名話ではあるが、他にもメディアへの圧力のかけ方は幾通りもあったことだろう。しかし容易にそれに屈してしまった、その過程を明らかにし、関係者が全て偽りのない証言をし、「再発防止策」が本当に必要なのは、ジャニーズ事務所ではなく、マスメディアではなかろうか?


 戦争の時のメディアの挙動について、それほど詳しいわけではないが、権力に付和雷同というのが、当時の挙動そのままという言を見たことがある。だとしたら、当事者ではないオレにとっては、変態爺の性犯罪よりも余程深刻な問題である気がしてしかたない。


 仮に、2003年時点、一社一局の現場でジャニーズに反旗を振りかざすことを決めたとする。理は我にある、というのが大きな強味。しかし、ジャニタレは一斉に引き上げられてしまう。視聴率は下がるが、このころ、ボチボチ聞かれるようになっていたコンプライアンスという言葉、CMのクライアントはどうするか? 2005年から2020年までネスレの社長をなさっていた高岡浩三氏は、喜多川擴の性癖について知っていて、社長在任中はCMには決してジャニタレを起用することはなかったというが、他の企業ならばどうしたことだろう?

 いや世論がジャニーズに対してどんなスタンスをとったことだろうか? 好ましくないまでも、許容してしまうのか? 今ほど厳しく当たることはなかったか? 企業のCMもそれによるだろう。


 それが男子であっても未成年性虐待絶対ダメ、という規範が強くなった今でこそ、野火のようにジャニーズ批判は広まったが、2003年当時判断を保留しなくてはいけないということが多々あったように思う。そして、この判断保留でできた時間の空白に、ジャニーズ側の反撃がある。あらゆる場面で自己アピールをしてきたことだろう。それで、まぁ、仕方ないんじゃない、そこまで厳しくしなくて良いんじゃない、とぐすぐすになり告発側は負けた可能性が結構ある。単に自分たちだけでもちゃんと報道するというのはだめかもしれない。ちゃんと多局多メディア横断的にキャンペーンを張れなくては。タレント出演決定権はジャニーズにあっても放送権はテレビ局が有している。それはなされなかった。マスメディアの再発防止策を考えるなら、その辺の機構上の問題の洗い出しも必要なのかもしれぬ。


 そ書いていて気が付いた。マスメディアの問題は別として、特にこの時代、判断保留、しかも、それでもちゃんと判断する前提で自分からその為の材料を集めるわけではない、他人の動向を見て自分の身のふりを決める的な判断保留は、社会にとって害毒になり得るのではないか?


NT0028~0030 一連のジャニー喜多川こと、喜多川擴(ひろむ)による、所内での権力をかさに着た、未成年タレントに対する性加害の問題に関し 1

  一連のジャニー喜多川こと、喜多川擴(ひろむ)による、所内での権力をかさに着た、未成年タレントに対する性加害の問題に関し、


1.ジャニーズ事務所や被害者がこの先どうなるかは、それほど興味がない。


 -①この問題とジャニーズ(事務所、タレント)自体への認識

 -②今回の事務所の対応について 被害者達について


2.マスメディアが、一連の喜多川擴の所業に目をつむり、特に、2003年の東京高裁の文春との訴訟の判決を黙殺してしまったことこそ、一連のこの件に関して、最も問題視するべきものであると考える。


3.BBCの番組に今回の事は端を発しているが、今までいなかった仕掛け人の存在を感じる。


 この3点について、ダラダラ書いていくことにする。



 喜多川擴の少年に対する性嗜好とそれ起因するトラブルは、今回の事でネットでいろいろ見ていくうちに、ジャニーズ事務所が開設される1965年のほんの少し前に始まり、死ぬ直前の2010年台半ばまで続いたとされる。そんな昔から?! 訴訟で前た後のそんな時期まで?! 驚くよね、さすがにそれは。


 しかし、喜多川爺の性犯罪自体については、ジャニーズのファンでは断じてないこのオレが知っていたくらいのものだから、多く知られている事だと思っていた。実際、被害者の会の告発があった時も、その前のBBCの番組が世に出た時も、「うん、知ってた」という反応がそれなりにあったのだから、そのはずなんだが、思いのほかその数は少ない。ジャニヲタと呼ばれるような女性ファン、熱烈なコアファンから、普通に、ジャニーズの○○クンいいよね、っていってそうなゆるくジャニタレが好きだった層まで、が、しかし、案外このことを知らない。承知しないでファンをやっていたようだ。推しのダークサイドには目を瞑るのが流儀なんだろうか?


 しかし、オレが爺の所業を知ることになった、北公次氏の告発本が出た時も、糾弾されることはなく、芸能界は、普通の社会とは違う流儀で流れているのかもしれない、と、思うようになっていた。


 結果的に、っていうか最初から知っていたけれど、いる場所からしても容姿からしてもジャニタレ達とは別の生き物であるオレだから、爺がオレに覆いかぶさってくる心配など全くない、以上に、別世界の話のような感覚ではあったが、しかし、北公次告発本以前より、薄っすらとジャニーズ事務所とタレントには嫌悪感があった。オレに限らず当時の世の男性、男子の一定割合以上はそうであったように思う。


 片岡義男氏の「夕陽に赤い帆」という短編集だったと思うが、こういうのがあった。

 場所はある晴れた午後の高原の別荘の一室。テレビがついている。が、部屋には誰もいない。

 テレビでは男性アイドルグループのコンサートの生中継で、グループのメンバーは多忙なためヘリコプターで直接ステージに乗り込むという演出。しかしヘリコプターは着陸せず上空でホバリング。そこから、一人一人アイドルグループのメンバーが突き落とされるという話。テレビの中継のアナウンサー以外のセリフは一切ない。最初はそれも演出と思われていたが、がちの殺人シーンに会場はすぐに阿鼻叫喚、というところでその短編は終わっていた。

 アイドルグループとはビートルズのようなバンド系ではなく、ジャニーズのアイドルを思わせるようなそれであった。

 片岡氏にすれば、この短編について訊かれれば、苦笑しながら「若気の至りだった」というのだろうが、まぁ、そうなれば痛快だろうな、と思って書かれたと思って間違いないと思う。斯くの如く、ジャニーズ的なものへ嫌悪というは存在していたはずだ、絶対に。


 嫉妬のようなものより何より、北公次告発本以前、1965年の訴訟沙汰もそれなりに広まっていたことではあったからのようだ。

 おっさん→爺が少年に襲い掛かる絵図を悍ましい、と感じることは不自然ではないはずだ。


 かつてはそれすらとんでもなかったが、今日的基準で言うならば同性愛というもの自体はあり、ということになっている。しかし、それが「未成年に対し」、「非合意、またはパワハラ的状況で」行われたことが、まず直接的に問題視されていることであり、


 延いては、少女たちが熱を上げる陳列された商品が、実は爺の食べ残しであった、という、詐欺ではないのだろうが、芸能事務所として顧客(ファン)に対して極めて不誠実な姿勢を、言葉にはされていないようだが、ネガティブなイメージになっている、そういう事があるに違いない。


 しかし、オレの「許す-許さない」をここにかぶせる気にもなれない。問題が明らかになる前より、彼らが存在していることは、薄っすらイヤだったんだが、ファンの人も多きことだろうし、オレの所のタイムラインにさえ現れてくれなければそれでいいや、と思っていたし、これからもそう。



 喜多川擴が存命でない以上、件の「謝罪会見」もそんなに意味がある用には思えない。他の「謝罪会見」や「国会の証人尋問」と同じように、中身などあるように思えなかったし。


 喜多川擴が存命で、彼の社会的立場がリアルタイムにズタズタになるのを見ることができたならば意味があったかもしれないが、残った小悪党どもが、如何に困ろうが、如何に切り抜けようが・・・、いや、意味がないことはないのか。ある事のケースの研究としてかんさつしていくことは、ひょっとしたら意味があるかもしれない。


 今後ジャニーズ事務所が、消滅しようが、存続し様がどうでもいい。ただ、うちのfacebookやXなどのタイムラインに、オレが視たいなどちっとも思わないもない彼らのどうでもいい日常に関する記事が、並ぶことがなければそれでいい。



 被害者の方々に対しては、そっか、変態爺に掘られちゃったんだね、お気の毒に、以上の事は思えない。精神的苦痛に対する賠償をもとめるとかなんとかについては、まぁ、うまく分捕れたらいいね、とは思っても、特に応援する気も支援する気もなし。


 被害者に名乗り上げた人たちに限らず、ジャニタレに限らず、そして、ファンもそうだけど、本当にあなたたちは、喜多川擴の性嗜好の話や、ジャニーズ事務所の内部の話、知らずにいたのか?

 ジャニタレの皆さん、一生そこにいるのか、程々で独立するのか、引退するのか、先のことなどわからないだろうけれど、若い人生の大事な時間を過ごすところがどんなところか、事前に調べよう、知ろうとしなかったのか? それは親、家族に対しても同様の疑問。


 高尚な表現を目指して行くところじゃないだろう、ジャニーズ事務所は。女の子にモテたい、あわよくば美人芸能人と懇ろになりたいという動機で門を叩いた少年たちがほとんどだと思う。そこで目がくらんでいて、これでは、同情もそれほど湧いてこない。まぁ、残念だったな、の一言ぐらいは行ってあげても良い。


 正直、喜多川擴の性癖が、2004年、裁判で負けても収まっていなかったのが驚きではあるが、その爺も存命でなく、東山紀之氏が実は、何て言う疑惑はあるものの、ここまで騒ぎが大きくなれば、「再発防止策」なんていう「謝罪会見」につきものの常套句等必要であるとは思えない。

 ジャニーズ事務所がつるし上げられている、という事実以外、細かいことは本当にどうでもいい。そして、つるし上げているという事実、誰が、何を求めて、そして、このことがこの社会にどんな影響を及ぼすかが大事であって、本当に事務所も被害者もどうなったってオレとしては構わないのだ。