7477 Martin Z1000R_1 retake
'70年代後半から'80年代前半にかけてだと思う。その前後もあるにはあったが、オレのイメージではこのころが百花繚乱という感じの全盛期だったと思う。
その頃のヨーロッパの単車メーカーが作る二気筒よりは、いまいち違いが判らないけれど、日本の4メーカーが作る4気筒エンジンの方がパワーがあり、結構人気だった。セックスピストルズだったかクラッシュだったかは忘れたが、退屈な自国のメーカーの単車よりは破壊的パワーを持つホンダの単車を、と、レコードジャケットか何かに使っていたように思う。とはいえ、まだ、このころ、ヤマハは出遅れてて少数であったが。勝ってきた単車のエンジン、エンジンブロックが鋳鉄肉厚でマージンが大きく、ギリギリシリンダーの径を広げてオーバーサイズのピストンブっこんで、パワーを上げるなんて言うのは、当時日本人には思いつかないことだったようだ。Japanese Universal Motorcycleなんて、4メーカー、ちょっと見た目はどれも一緒、と揶揄はされたが、元々パワーがあり、さらに上乗せできると人気は相当のものだったようだ。
この際の百花繚乱とは、フレームメーカーということ。画像のマーチン、ほかにもニコバッカー、ハリス、エグリ、そしてビモータ。他にもいっぱいある。日本の単車を買った人が思い思いにパワーを上げるのは良いけれど、単車メーカーから出荷されたものの吊るしのフレームでは、そろそろそんなパワーも受け止めきれなくなりつつあって、その置き換えに、ということだ。
GPから耐久、ノンタイトルの賞金レースまで、そこに出走して、互いに、どちらのフレームが優れているか、そういう面もあっただろう。誰が作ったフレームが優れているか? 言い換えれば、誰の設計コンセプトが正しいか、誰の工作技術が優れているか、ということでもあったはずだ。
やがて、日本のメーカーの単車も、コンピューターで応力とか計算したアルミフレームで最初から出してくるようになり、こういうフレームメーカーは淘汰されていくのだが、そんなフレームメーカーの鉄パイプ製フレームが息を吹き返して、日本製アルミフレームを凌駕する場面もあったりで、今でもニーズが全く消滅してしまったわけでもなく、という感じ。でも、環境対策で設計がキメキメキツキツになった今では、パーツの交換が自前でできる余地がかなり少なく、いよいよ絶滅するかもね。
どうなんかな? ’80年代の事と今の事、今の事は置いといて、’80年代当時のことだ。誰が作ったフレームが優れているか、というのは論争で決まるものじゃなかったはずだレースや公道を走って、乗り手の癖も踏まえて、それで決まったはずだ。
人生における、こう生きたらよろしい、というのもすべてその時点では仮説で、本当に正しいのかどうかは、一生かけて、それこそ今際の際までの時間をかけて、証明するしかないのであるまいか? 他人が言う、それこそ怪しげなマナー講師が勝手にでっち上げたマナーとか呼んでいるものの如き、生き方についてのあくまで”仮説”に従う必要もなく、自分が思うように生きて、最後に笑っていれば勝ちだ。それこそ、その後どす黒く硬直しようが、それはもうどうでもいいのだ。
途中間違っていることに納得できたなら修正変更したってかまわない。ただ、うまくいかないからと、慌てて人の言うことに盲従するということだけはやめた方がよい。
自分が正しいかどうかは論争で決めるんじゃない。行動で決めるのだ。しかも相当の時間をかけて。今、例えうまくいってなくても、そんなことは大したことじゃない。