8783 伊東四朗 _2
コメディアン
どういうわけか、オレは伊東氏の「にん!」という持ちネタを見た覚えがない。どちらかと言うと、意識に入ってきたのは、コメディアンだと思っていた氏が、結構シリアスな刑事役をやっておられるのを拝見してのことで、あと、長年やっておられる吉田照美氏とのラジオ番組、というところか。だみ声だけど優しい感じの口調のオジサン。
ググってみると、うちの親父と「学年」という言い方をすればタメだ。うちの親父は早生まれなんだが。俺個人の事を開陳してしまってもしょうがないが、うちの親父、この2,3年、目に見えて衰えてはいたのだが、昨年秋口からそれが加速し、この3月に入院。退院後も介護のための施設(厳密な区分では「介護施設」とは言わないらしいが)にそれ以前から衰えている母と一緒に入所することになっている。ついぞ、オレが幼かったころの、今のオレよりはるかに若い両親を思い出したりするのだが、まぁ、な、生きとし生けるものの摂理である。
伊東氏も年齢ながらという部分と年齢なりに、というところがあるのだろう。その時々の生活仕様で氏のラジオ、聴いたり聴かなかったりして、今は聴いていないのだが、可能な限りお元気で続けられますよう。
さて、コメディアン、芸人というのにも、傍目に観て、いろいろタイプはいるようで、芸風そのままの私生活を送っておられるらしい方、破滅型なんていうのもいる。私生活が芸風と真逆の方もおいでになるとも聞く。コメディアンというか喜劇俳優と言うべきだが、渥美清氏など、私生活での人となりは公開されていなかったが、性格なども車寅次郎とは真逆を行く人であったと聞く。伊東四朗氏はどうなのだろう? 私生活でハチャメチャだったという話は聞かない。
笑いとは諧謔とは何だろう? 素人なりに考えたりするのだ、これはお笑い、コメディに限らず、あらゆる芸事、表現、っていうか、仕事というもの全般、いかなる観察眼をもち、それがどれだけの精度があるか、が、第一段階。そこに脚色、デフォルメを加えるときに、対象への敬意と個々人のひらめきと感情が入る。敬意なのか愛情なのか、批判なのか、はたまた敵意なのか。そういうものなのではないかと推察している。
伊東氏が何を込めているのかは知らない。しかし、シリアスな芝居やラジオの声から、オレは昭和の、今は死語になった「お茶の間」を思い出すのだ。