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2025年4月19日土曜日

8783 伊東四朗 _2

 

8783 伊東四朗 _2

コメディアン

 どういうわけか、オレは伊東氏の「にん!」という持ちネタを見た覚えがない。どちらかと言うと、意識に入ってきたのは、コメディアンだと思っていた氏が、結構シリアスな刑事役をやっておられるのを拝見してのことで、あと、長年やっておられる吉田照美氏とのラジオ番組、というところか。だみ声だけど優しい感じの口調のオジサン。

 ググってみると、うちの親父と「学年」という言い方をすればタメだ。うちの親父は早生まれなんだが。俺個人の事を開陳してしまってもしょうがないが、うちの親父、この2,3年、目に見えて衰えてはいたのだが、昨年秋口からそれが加速し、この3月に入院。退院後も介護のための施設(厳密な区分では「介護施設」とは言わないらしいが)にそれ以前から衰えている母と一緒に入所することになっている。ついぞ、オレが幼かったころの、今のオレよりはるかに若い両親を思い出したりするのだが、まぁ、な、生きとし生けるものの摂理である。
 
 伊東氏も年齢ながらという部分と年齢なりに、というところがあるのだろう。その時々の生活仕様で氏のラジオ、聴いたり聴かなかったりして、今は聴いていないのだが、可能な限りお元気で続けられますよう。

 さて、コメディアン、芸人というのにも、傍目に観て、いろいろタイプはいるようで、芸風そのままの私生活を送っておられるらしい方、破滅型なんていうのもいる。私生活が芸風と真逆の方もおいでになるとも聞く。コメディアンというか喜劇俳優と言うべきだが、渥美清氏など、私生活での人となりは公開されていなかったが、性格なども車寅次郎とは真逆を行く人であったと聞く。伊東四朗氏はどうなのだろう? 私生活でハチャメチャだったという話は聞かない。

 笑いとは諧謔とは何だろう? 素人なりに考えたりするのだ、これはお笑い、コメディに限らず、あらゆる芸事、表現、っていうか、仕事というもの全般、いかなる観察眼をもち、それがどれだけの精度があるか、が、第一段階。そこに脚色、デフォルメを加えるときに、対象への敬意と個々人のひらめきと感情が入る。敬意なのか愛情なのか、批判なのか、はたまた敵意なのか。そういうものなのではないかと推察している。

 伊東氏が何を込めているのかは知らない。しかし、シリアスな芝居やラジオの声から、オレは昭和の、今は死語になった「お茶の間」を思い出すのだ。


2025年1月19日日曜日

8714 Ein Porträt von Friedrich Wilhelm Nietzsche, vermutlich generiert durch KI

8714 Ein Porträt von Friedrich Wilhelm Nietzsche, vermutlich generiert durch KI

多分AIで生成されたであろうニーチェの肖像を手作業で絵にしてみた。

 

2025年1月17日金曜日

8710 Portrait d'Arthur Rimbaud proposé par AI Generation

 

8710 Portrait d'Arthur Rimbaud proposé par AI Generation

 有名なローティーンの頃のアルチュール・ランボウのぼやけた写真を基にAI生成でハイティーンと思われる年代の肖像を作ったものがネットに転がっていたので、手作業で絵にするなどと言う訳のわからんことをやってみた。