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2024年12月22日日曜日

8648 Alessandoro Nannini

 

8648 Alessandoro Nannini

Alessandoro Nannini
Benetton B188 Ford DFR V8
Monaco 1988

 何をいまさらと言われそうだが、オレの絵というのはほとんど、ネットで見かけた「お!」という絵を基にしている。この絵は金子博氏の写真を基にしているが、絵にすれば絵になるものが、金子氏のものは、絵にしても、金子氏の世界から逃れることが出来ない。大家の凄みをひたすら感じてしまった。


2024年9月16日月曜日

2024年8月14日水曜日

8443 Didier Pironi _3

 

8443 Didier Pironi _3

Didier Pironi 
Tyrrell 008 Ford-Cosworth DFV
Autódromo Oscar Alfredo Gálvez, Buenos Aires  1978


2024年8月11日日曜日

8427 Ayrton Senna da Silva _28, NT0081 あの時何かが終わったと直感したのだ

 

8427 Ayrton Senna da Silva _28

Ayrton Senna da Silva
Toleman TG184 Hart
Mónaco  1984

NT0081 あの時何かが終わったと直感したのだ


 タンブレロに激突しへし折られたファルスは何かの暗喩であると直感した。

 セナという人は、強い意志の人であったと聞いていた。象徴的にこういう例えをしたのを目にしたことがある。
 幅が1.2m程の水路があったとする。まぁ、普通の健康な成人であれば、飛び越えるまでもない、問題なくまたげるだろう。では、高さが100mある二つのビルが隣り合って建っている。隙間は1.2m。屋上から屋上へ飛び移れるか? 普通の人間では同じ幅なのに怖気づき躊躇するだろう。セナは何のためらいもなく渡ってしまう人間だ、と。

 必要なら人の何倍の努力をすることも厭わない。自分自身に停滞することや逆行することは決して許さない。立ちふさがる障害も力技で乗り越える。って、停まったら死ぬって、サメかなんかみたいだな。そういう、なんというか、近現代というものの体現者のような人だったんじゃなかったか?
 これは、彼の死後、いろいろ彼の事について読んだりして抱いた印象なのだが、まぁ、事故の翌日にすでにそんな感じの事を思ってはいた。

 何が終わったと感じたか? セナをスターに据えた日本のF1ブームは多分終わるだろうとは思ったが、そういうことじゃない。

 多少かぶれていた現代思想的な用語を使うならば、モダンが終わり、これからポストモダンが始まっていくのだ、みたいなこと、違う言葉ではあったが感じていたのかもしれない。それまでは個人にとって意志を貫きうる幸せな時代だった。が、以降、個人というのは負けていく、かなり抽象的だな。何に負けていくというのだ? 機械にか? 不可視な共同体の意思にか?

 しかも、モダンは、自らの意思で幕引きをするのではない、なし崩し的に、しかし、二度と立ち直れない形で、でも、最初は見えないように、そんな感じでこれから負けはじめていくのだ、と、あの時は言葉に出来なかったが、今こうして言葉にしてみると、確かにそういうことを感じていたのだと思う。

 妙な焦燥感だけが次第に肥大化していった。何かしなくちゃいけない。でも何をだ? そして何もできないまま今まで来てしまった。


2024年8月6日火曜日

2024年8月4日日曜日

2024年7月30日火曜日

8395 Patrick Depailler _4

 

8395 Patrick Depailler _4

Patrick Depailler
Tyrrell P34/77 Ford-Cosworth DFV
Kyalami  1977


2024年7月27日土曜日

2024年7月24日水曜日

2024年7月20日土曜日

2024年6月30日日曜日

8283 Gilles Villeneuve _20

 

8283 Gilles Villeneuve _20

Gilles Villeneuve
Marlboro - McLaren M23 Ford-Cosworth
Silverstone  1977


2024年6月16日日曜日

8271 Ayrton Senna da Silva_27

8271 Ayrton Senna da Silva_27

Ayrton Senna da Silva
MP4/6
Phoenix 1991

NT0060 1994年5月1日のこと(正確には日本時間で2日のこと)

 本来京都の北山というと結構広い範囲を指すのだという話を聞いたことがある。岩倉から鞍馬、花脊、雲ケ畑もそうだ、と、誰かが言ってたような気がするが、まぁ、バブルの頃はそんな山奥まで行かない、植物園の北っ側の、京都にしてみれば割と新しめの区画整理がされたあたりを指していた。景気がよかったころだから、京都中心地の若旦那が金に物を言わせて、なんか変な建物建てたりスカしたブティック何かが結構立っている地域だった。今はどうなんだろ? 最初の成り立ちから言うとそうじゃない気もするし、案外そのまま今まで来ているような気もする。

 建築中の鉄骨3階建ての1階、半地下みたいになってるスペースにコンクリートブロックを何百個かオレと50手前のおっちゃん2人の人力でトラックから運び込むというのがその日の仕事で。


 初夏であったから、そこそこ暑かったはずだ。で、汗かきのオレであるから真夏のように汗をかき、その日の相棒のおっちゃんや元請けの監督に揶揄われていたはずだ。今もそんな感じだから多分そうだったのだろうという程度の記憶。晴れてはいた、快晴だった。それは間違いない。


 それにしても前夜、オレはテレビを持っていなかったが、隣室の男の部屋から聴こえる、F1中継の音である。いつもにもまして大騒ぎだったけど、何を言っているかわからなかったけど、イマミヤさん、泣き叫ぶような声だったのは聴こえた。何かあったらしい、尋常ならざること。コンクリートブロックを手で運びながら、ずっとそれが気になっていた。


 とはいえ、夕方になるまでそれが何だったか知るすべもなく、夕方帰りのコンビニで売れ残りのスポーツ新聞を買ったか何かして、漸く前の晩のイモラ、タンブレロでの大事故を知る。この時点では情報はまだ錯綜しており、希望的観測もなくはなかったが、しかし、レスキューが駆けつけた時には黄色の「彼」のヘルメットからは脳漿があふれ出しており即死であったらしい。2,3日の内にそれは明らかになる。


 彼のFW16は、流行りの吊り下げ式ウィングのハイノーズではなかった。そうであったならもっと象徴的だったかもしれないが、雄々しいファルスがへし折られたのだ、と、何が時代の大きな潮目を感じてしまった。

 彼の死について、間違いなくショックではあったけれど不思議と悲しいという感情は大きくなかった。ただ、大きな挫折も停滞すらも良しとせず、何よりも前進を第一とした意志の結末に出会ったような気がした。これから人類の何かは坂道を、場合によっては転がり落ちるようにして降りていくのだ、そのように感じた。オレにとってのその時の日付は1994年5月2日。現地時間では5月1日のことだ。



 

2024年2月17日土曜日

2023年8月20日日曜日

8053 Max Verstappen

 

8053 Max Verstappen

Max Verstappen
RB19 HondaRBPT
Spa-Francorchamps  2023

この前まで東南アジアからせっせと天然ガス送り込んでいた高校の同級生が、盆明けからBBS本社とこっちの工場の折衝の仕事すると、盆の飲み会で言ってたな、と思いながら描いた。


2023年8月10日木曜日

2023年7月8日土曜日

7974 Henri Pescarolo _5

 

7974 Henri Pescarolo _5

Henri Pescarolo
Matra Simca MS120
Clermont-Ferrand  1970

2023年7月2日日曜日

2023年6月17日土曜日