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2014年7月20日日曜日

3586 前田淳_2 & 「モータースポーツと死生観 4」


前田淳_2 (3586/7670)

Jun Maeda
onSC57
The TT 2005


モータースポーツと死生観 4

 繰り返すが、日本では二輪のレース専門誌であっても、マン島TTや、その他のヨーロッパでの公道イベントのことは、ほとんど伝えられない。マン島TTについては、時折わずかに扱われることもあるが、その分量は微々たるものであるし、その他のイベントについては皆無であるといっていい。
 それは、確かに、世界選手権のつかないローカルレースであるからということもあるかもしれない。いや、厳密にはローカルではないはずだが、遠く離れたく極東に於いてはそのように切り捨ててしまうことも充分可能だ。
 しかし、それは多分口実に過ぎないのではないか、とも思えるのだ。

 ボロボロ、ライダーが死ぬ、特殊なレース、という言い方も出来るかもしれない。酷い言い草で、語弊もいっぱいなのだが。
 前田淳選手が死んだ時はどうだったか? 若いときには国内でそこそこ期待もされたようだが、何やら反骨精神が強かったのかどうなのか、どうやらレーサーとして一般的なコースに乗ることを良しとしない人物ではあったらしい。1997年にマン島に初出場、以来、日本人ではマン島TTの第一人者的なところがあったようだが、2006年に、レース中の謎のスローダウン、後続車に追突されて…、ということらしい。
 らしい、とは、当時はオレにしたところで、マン島TTにさほど興味があったわけではなかったから、当時のことを見たことのようには話すわけにも行かず、今、wikipediaとか、その他のウェブに書いてあることを読む程度ということなのだ。
 当時の認識である。国内のレースに走る価値を見失った、といえばカッコイイが、その輪の中に入りきれないというか、結局のところ、どうしたってトップを走る連中には追いつけず、外で、しかもGPとか違うところで、何か走ってたみたいだが、死んじゃったみたいだね、と。なんという無礼、なんという認識不足だったことか。

 公道イベントの魅力は別格である。それはファンであってもそうだ。ましてや、走り手当人にとっていかほどのものであるか。そして、彼が2003年にブロンズ、2004年にシルバーを獲ったことは、日本人として讃え、また誇るべきものであったと、今更に思うのだ。

 しかし、当時、前田淳の死に対して、それがレースファンであっても、思ったことといえば、大多数、オレと似たようなものではなかっただろうか?

 松下ヨシナリ選手にいたっては、事故死後、初めてその名前を知る始末だった。同じくウェブでは、関係者のブログなどによると、結構、走ることを反対されていたらしい。Facebookなどで、その死を知ったのだが、まぁ、なんというか、イカれた中年が、ノコノコ死ににいったような印象がひょっとしたらあったかもしれない。

 松下選手が走るに際しての反対とは、つまり家族がいるからとか、何かそんな感じのニュアンスではなかったかしら? 結構前に目にしたので、もう一度それについて書かれたブログを探したが見つからなかった。オレの勘違いかもしれない。

 2点。
この家族がいるからそのような「無用な」危険に身を晒すことは厳に控えるべきだ、というのが、今の日本の社会での一般的、主流にある、男性の考え方であると思われるが、それは、果たしてどうなのか? 間違っているとは決していえないけれど、そういうものの考え方に陥穽はないのだろうか?という点。
そして、延いては、このような人死があるゆえに、専門誌はおそらく、マン島TTほか公道イベントのことを伝えないのであろうが、この現代日本でのこういった種の死に対するものの考え方、である。
 この二つは、結局のところ同じところにつながると思うが、もうちょっと考えてみることにする。

(0019/7670)