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2021年9月22日水曜日

7094 Ron Haslam_3

 

7094 Ron Haslam_3

Ron Haslam
moto elf 4 1987

 1997年頃、縁あってゲーム開発の仕事をする機会があったときに、初めて「エルフ」が妖精とか、あと、ファンタジーの定番種族であるというようなことを知った。非常に、恥ずかしながら、だが。何しろ、多少絵が描けるということで、ゲーム制作に呼んでもらえたのだが、それまで、フェミコンとか何とか、家庭用ゲーム機とは縁がなく、ドラクエとかファイナルファンタジーとか、名前は知っていたけれど、コントローラーを握ったこともなかったのだ。

 エルフと言えば、少年の頃「タイレル(ティレル)」にでかでかと書かれた文字だったり、あとは、変な前後サスペンションのレーシングバイクとか、トラックのブランドにもあったな、そういえば。

 今は、アナログでやってたやり方をphotoshopで描いた、まぁ、上のような絵だが、90年代後半まで、透明、不透明水彩で、恐ろしく時間をかけてアナログでやっていた。知り合いの広告屋がそれを知っていて、絵を描ける奴を探していたゲーム制作会社を紹介された、と。ゲームなんて全然したことがなかったんだけどな。

 ゲームに限らず、あらゆる分野で、小資本のインディーズが夢を見られた最後の時代ではなかったかと思うが、夢が夢で終わってしまった。そんな感じ。勿論、今でも飛びぬけて優秀なマネージメントさえあれば、小さい所でも上に登っていけるけれど、とにかく高次元のマネージメントが求められる。ふわっとしたもので、思い付きだけでなんとかなる、という意味で、ひょっとしたら、この時すでにそうじゃなくなっていたのかもしれない。


2021年8月31日火曜日

7066 宇川徹_5

 

7066 宇川徹_5

Tohru Ukawa
NSR500 2001

 2000年のフランスGP250㏄クラス、宇川の赤と黄色のNSRは散々ロッシのアプリリアに仕掛けるものの、次第に離されていった。それはなんかもう、見慣れた光景で、それでも宇川は諦めずにロッシを追いかけるが、終盤にはストレート一本分ぐらいははなされていたんじゃあるまいか?

 宇川だけの事ではない。’90年代、イチローとか、GPでも原田とかがけろっとした顔で勝っちゃうようになったけど、それより前、それこそすべてをささげるように必死に、ある意味悲壮であるくらいにやっているのに、勝てない。
 高校の2年の夏前、膝の靱帯をやっつけちゃうまでバレーボールやっていたけど、隣県のインターハイでもう優勝した強豪校に練習試合に出かけて行った時のことを思い出したりもする。必死にやっているけど、だんだん、飛べなくなってくる、身体が動かなくなっていく。日本のバレーボール自体そうだったんだが。必死にやっているはずなのに勝てない。そのことが余計体と心を縛っていく。

 必死に追いかける宇川の後ろにちらちらヤマハの中野真矢とオリビエ・ジャックの姿が映るようになり、2位争いという形になりつつあり、トップを退屈に走るロッシを映さなくなったタイミングで、あれ? 今コースわきにアプリリア停まってなかった? ということがあった。アナウンサー氏はオレより気づくのが遅かったが、ホームストレートにロッシのアプリリアが帰ってこなかったことでそのことに初めて気が付いたようだ。

 ポディウムでは、2位の中野はそれなりに嬉しそうだったが、真ん中に立つ宇川の顔は晴れなかったように見えた。ロッシさえいなければ勝てる。しかし、ロッシには勝てない。その事実に顔を歪めるしかなかったのだろう。

 500㏄クラスに上がった、翌年、個人スポンサーを持ち込んだロッシの黄色いNSRとは印象が異なっていたが、宇川とロッシはチームメイトだった。そして、ロッシがいなければ勝てる、ロッシには勝てない、というのがこの年も続いた。ロッシもロッシで、チームメイトの宇川を優先的に潰そうとしていた節があったが。

 いつだったかな、カメラの前で宇川がロッシに勝てないとガチ泣きしていたことがあった。痛々しかった。

 その時から20年か。