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2025年9月27日土曜日

「贈与」に至る / 糸口を探す 6 大杉栄の時代にはアンパンマンはいなかった 3

 


8849 312 PB _7

Ferrari 312 PB #0884
Clay Regazzoni
Sebring  1972

 話を少し変える。
 資本主義の行き詰まりを何とかするヒント、オレはバタイユにあるのではないかと思っている。
 一見すると、バタイユは経済や資本主義の「解決策」を提示する哲学者ではなく、むしろその矛盾や行き詰まりを徹底的に暴く人だが、だからこそ資本主義の硬直した論理に隠れた可能性を示唆してくれるともいると思っている。
 例えば、バタイユの中心概念の一つに「消費」がある。彼は富やエネルギーを単なる生産・蓄積の手段としてではなく、「過剰に使い切ること=浪費」にこそ人間の本質的な自由や創造性が現れる、と考えていた。資本主義的合理性では「効率」と「利潤最大化」が至上ですが、バタイユはそこから外れた浪費や無駄こそ、人間や社会を再生させる余地だと見ているわけだ。

 少し整理しよう。

 まず、浪費の哲学。資本主義では「蓄積」が美徳ですが、バタイユは「余剰を消費すること」に価値を見出します。オレはこの「余剰」を「過剰」と読み替える。経済活動の中で、「効率化されすぎた構造の外にある無駄や余白」を意識的に作ることは、新しい需要や創造性を生む可能性はありはしないか?


 禁忌と過剰について。社会が抑圧してきた「欲望」や「過剰」は、バタイユ的にはエネルギーの放出の場であり、既存の秩序を揺さぶる源になる。資本主義の行き詰まりも、抑圧されてきた文化的・精神的「過剰」を認めることで新しい展開が生まれるかもしれない。

 ここで出てくるのが、交換ではなく贈与、だ。バタイユは「贈与」の倫理を重視した。物やエネルギーを見返りなしに放出する行為は、効率や利潤の論理を超えた社会的結合を生む可能性がある。
 資本主義の行き詰まりは、利益の計算ばかりを優先した結果なので、「贈与的経済」の要素を部分的に取り入れるヒントになるように思えて仕方ないわけだ。

 つまり、バタイユは「合理的経済の論理」を直接変革する理論は持っていないが、「浪費・過剰・贈与」という視点を通して、資本主義の硬直した価値観をゆるやかに揺るがすヒントを与えてくれる。

 だから、アンパンマンとバタイユの組み合わせだ。前にやったように「子ども向けヒーロー像」と「過剰・逸脱・消費の哲学」をつなげるやつだ。

 整理するとポイントはこうだ。

 アンパンマンは、基本は「弱者を助ける、自己犠牲的ヒーロー」。消費される存在(パンを与える=自分の身体を分ける)でありながら、常に再生可能ということ。

 バタイユは、「過剰の哲学」=社会の効率・生産性だけでは説明できない、人間の浪費・無駄・エネルギーの放出をその思想の旨とした。そこで、欲望、エロティシズム、暴力、死など、合理性の外で生きる力に注目した。

 アンパンマンは、子供向けに善と正義の象徴として描かれるが、バタイユ的に言えば「快楽と死」や「破壊」の世界の中に置かれると違和感が面白い。例えば、アンパンマンが飢えや暴力の前でどう振る舞うか。単なるヒーロー行動ではなく、極限状況での倫理・身体感覚を伴う行為として描く。「顔を差し出す」行為は、自己の喪失と奉仕の快楽が交錯するバタイユ的瞬間になる。
 アンパンマンの「与える自己犠牲」も、バタイユ的に見ると「過剰消費・浪費の象徴」になり得る。「消費される存在」「無駄に命を使う」ことが、資本主義的生産効率の限界を超えるヒントになる。社会が「効率だけ」で回らなくなったとき、バタイユ的な浪費・無駄・過剰を許容するヒーロー像が示唆となりはしないかと考えているのだ。


 または、この最近のハワイのホームレスコミュニティも、思い浮かぶ。
 実情は高沸しすぎたアメリカの物価で、言えと言うものを持ち続けることが出来なくなった、それまで普通に生活を送れていた人々が家を手放したうえでバラックのようなところに住むコミュニティーを作っているらしいが、高度に秩序は維持されているという。高額な生活費と原始的なコミュニティ運営、秩序の保たれた共同生活がその特徴だ。労働ではなく、贈与・相互扶助が経済の基盤となっているそうである。近代社会の規範や効率とは別の価値観で、幸福や生存の形が成立している。「文明の外側にある自由」として描くと、バタイユの「逸脱」や「エネルギーの過剰」に通じる。

 海風が吹き抜ける小さな村には、決して法律や制度の圧迫を受けずに暮らす人々がいた。ハワイの太陽に照らされ、波の音が子守歌のように響く中で、彼らは「所有」という概念に縛られることなく、ただ必要なものだけを分け合い、働き、助け合っていた。そこでは誰もが生きる権利を平等に持ち、誰もが互いに貸し借りと返済の義務を負う、プルードンの言う「相互主義」が日々の生活に息づいているようだ。
 一方で、外の世界が抱える貨幣経済や国家権力の強制はここには届かない。無理に競争することも、成功や失敗で序列を決めることもない。人々は農園を耕し、食料を分かち合い、村のルールは全員で話し合って決める。争いはあれど、それは暴力や圧力ではなく、議論と調整によって解決される。まさにプルードンが描いた「自由な契約」に基づく社会の縮図が、ここにあるのではないか?
 しかし、完全な理想は存在しない。嵐が来れば収穫は飛ばされ、病気や怪我も避けられない。それでも、人々は互いの力を借り、知恵を持ち寄り、助け合うことで生き延びてきた。国家や権力に頼ることなく、自己管理と相互扶助の中で生きる。ハワイの太陽の下、彼らの小さな村は、プルードンが夢見た自由と平等の小宇宙のように、静かに存在しているように思われる。  かの、災厄ともいえるドナルド・トランプのアメリカで、図らずも原始共産制が現出しているのは痛快ともいえる。


 そう言ったところで、個々人はどう振舞っていくべきか?

 個人の自律と贈与はどうか?プルードンが強調する相互扶助や「所有の否定」を、個人レベルで具体化すると、「自分の行動を自分の価値基準で律する」という姿勢になる。自律の倫理とは他者や国家に依存せず、自分の判断で生活や選択をすることであり、贈与の実践とは、利害や見返りを求めず、日常生活の中で小さな「贈与」を積み重ねる。食べ物や時間の共有、知識の提供、困ったときの手助けなどのことを指す。
 ここで重要なのは、**社会的理想としての「互助」ではなく、個人の倫理行動としての「助け合い」**に焦点を置くことだ。

 「所有」と「自己」の関係について考える。プルードンは「所有は盗みだ」と言った一方で、自分の力で得たものを尊重すべきという側面もある。個人のあり方としては、最小限の所有意識は当然あるだろう。物や資源に執着せず、必要な分だけを手元に置くという感じで。そして、所有する以上、それをどう使うかの倫理的判断を個人が持つ

 これは、ハワイのホームレスコミュニティでの生活を想像すると分かりやすく、限られた資源の中で互いに助け合い、モノに対する執着を最低限にしている姿勢が該当する。

 個人の生活における「連帯」の実感についてはどうか?理論的には「連帯」や「互助」を語るのは簡単だが、個人の生活レベルで実感するには、次のような行動が伴う。日常の小さな「契約」や「約束」を守ることで信頼を築くことが必要だろう。自分の利益だけでなく、他者の利益も意識して行動しなくてはいけない。必要に応じて助けるが、助けたことを誇らず、評価を求めない、当たり前を感じるようにならなくては。

 何か、70年代にちらほら見かけられた、ヤバ気なカルト的コミュニティみたいだ。そう思うとちょっと退くか?

 何はともあれ、ここでのキーワードは「個人的信義」だ。社会全体の制度や法律ではなく、個人の信念と行動が中心になる。
 社会思想を個人レベルに落とすと、結局、社会の理想は「個々人の行動の総和」として現れる。つまり、個人の生活倫理が集まることで、社会的な「互助」や「平等」の小さな形が生まれる。形式的な制度に頼らず、個人の選択と倫理が社会を形作る、という感じ。


 何か難しくなってきたな。だからここでアンパンマンに戻ってみる。つまり、社会の仕組みや制度の理想を語るよりも、個々人のあり方や日常の振る舞い、優しさや思いやりが積み重なった結果として、理想的な社会が立ち現れる、という感じで。そしてアンパンマンはその象徴として最適、というわけだ。
 アンパンマンは「社会制度や法律で人を救う」のではなく、「自分の身体の一部(アンパン)を分け与えてでも、目の前の困っている人を救う」という個人レベルの行為を体現している。プルードンの「相互扶助」や「個人主義」とも呼応するが、彼の理論は抽象的で経済的・社会的関係に重きを置くのに対し、アンパンマンは日常的・情緒的な次元で同じ原理を表現しているわけだ。

 大杉栄の在り方にロマンは感じるけれど、それよりも「ソウイウモノニワタシハナリタイ」というスタンスでいたいし、そこまで言うならば宮沢賢治よりは中原中也の方が好みなのでめんどくさい。
 大杉栄の思想や生き方の“純度”には確かにロマンがある。無条件に理想を体現してる感じ。だけど、そこに自分を置くのはちょっと神格化されすぎているし、なんかちょっと違うという事も無くはない。
 「ソウイウモノニワタシハナリタイ」っていうスタンスだと、もっと個人的な、感情の起伏や不完全さを肯定したくなる。でも、私人ということで言うならば、オレは宮沢賢治より中原中也の方が好み。中也の詩は、理想とか大義ではなく、ただ自分の弱さや孤独をまっすぐ曝け出すところが魅力だから。
 要するに、ロマンの質の違いなのかもしれぬ。大杉栄=大きな理想、賢治=理想の追求、中也=自己の不完全さの肯定、みたいな。だから「めんどくさい」。

 一方で、詩の言葉がスルッと入ってく瞬間は間違いなくあるけれど、そういうある意味迂遠なことをやっていてはいけないのではないか、と思ったりもしてな

 其処は堪えて、中也の表現で「茶色い戦争」というのがあったと思う。決して平和主義者を標榜していたわけではないが、そういう嫌悪感は、個人の枠組みを持っているからこそ出る言葉なんだと思う。「茶色い戦争」という表現は、たとえ中也自身が平和主義者として名を馳せていたわけではなくても、個人の感覚や倫理観を通して世界を見たからこそ生まれたものだと思うのだ。
 中也の詩では、戦争や暴力に対して単純に善悪を問うのではなく、その色合いや匂い、肌触りまで感じ取るような微細な感覚が描かれているように思う。「茶色」という色を選ぶことで、戦争の泥臭さや現実感、そして感情的な嫌悪が、抽象的な「戦争」という概念ではなく、感覚として読者に伝わるのだ。
 つまり、表現に嫌悪感が宿るのは、中也が戦争そのものを哲学的に考察しているからではなく、個人の感覚の枠組みの中で「これは耐えられない」と直感的に感じたからこそ出てくる言葉だと思う。彼の詩は、そういう個人的な感受性が普遍性に変換される瞬間を捉えているのが魅力だからな。

 まぁ、中也自身、自覚していたのは、オレはあんなのにはついていけねえや、という感じだと思うが。その感覚は、プルードンの理想や共産主義的な「人類皆平等」の夢と現実のギャップに直面した瞬間とも言えはしないか?言い換えると、「オレには無理だ」と自覚するのは、単に能力や性格の問題ではなく、その理想を支える価値観や生活リズム、対人関係の仕組みに自分が適合できないことを理解した瞬間でもある。


2025年9月17日水曜日

「贈与」に至る / 糸口を探す 4 大杉栄の時代にはアンパンマンはいなかった 1


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 大杉栄と言えば、日本におけるアナキズム(無政府主義)の代表的人物だが、「思想体系の創造者」というより「運動家・実践者」的性格が強かった と言える。

 まず、思想的背景として、大杉はヨーロッパ無政府主義思想(クロポトキン、バクーニンなど)やマルクス主義、さらには自然主義文学や個人主義哲学などを幅広く摂取していた。しかしながら「これが大杉栄の一枚岩の体系」といえるものは存在しない。むしろ折衷的で、状況に応じて柔軟に引用・展開していくスタイルだった。

 著作と理論的側面をみるならば、『正義を求める心』『社会的個人主義』など、アナキズムを日本の現実に合わせて紹介・解説した著作は多く残している。特に「社会的個人主義」という概念は、大杉が工夫した一つのキーワードで、「個人の自由」と「社会的連帯」を両立させようとする試みだった。だとしたら、プルードンあたりの原初の無政府主義を志向していたのではないか? しかしこれも一貫した哲学体系というよりは、輸入思想の翻案・橋渡しの役割に近いものだった。

 運動家としての側面はどうだったか? 労働運動・農民運動・大衆運動の現場に深く関わり、雑誌『平民新聞』『労働運動』『近代思想』などを通じて活動を展開した。その生涯は、理論構築よりも「直接行動」や「大衆啓蒙」に重心が置かれており、そこにこそ彼の独自性があった。

 というところで、体系を築いた思想家 というよりは、運動家、活動家だったとみるべきだろう。ただし、無政府主義を「輸入思想の寄せ集め」で終わらせず、「社会的個人主義」として一定の整理を行った点で、部分的に「理論家」としての側面も認められないでもない。


 もし「体系を作った思想家」と比較するなら、例えばクロポトキンが『相互扶助論』で自然科学と社会思想を統合しようとしたのに対し、大杉は「翻訳者・紹介者・活動家」としての役割が強い、と整理できるのではないか?

 大杉栄は 「純粋な翻訳者」ではなく、翻訳しつつ自分の思想や状況解釈を差し込む人物だった。

 翻訳者としては、クロポトキンやバクーニン、マルクスなど、西欧の社会主義・無政府主義の文献を紹介し、日本語で読める形にした功績は大きいといえる。例えばクロポトキンの『パンの略取』など、当時の運動家が直接触れられなかった思想を日本に伝える役割を担っていた。

 そして大杉は、単なる翻訳にとどまらない。
 大杉は訳文に注釈や論評を加えたり、翻訳後に日本社会への適用可能性を論じたりした。彼の「社会的個人主義」という概念は、バクーニンやクロポトキンから影響を受けつつも、大杉自身が「日本の大衆」「農村社会」に即して再構築したものだった。つまり、翻訳を通じて「思想の輸入」+「現地化」を同時にやっていたわけだ。

 則ち、思想家というより媒介者だったのではないか?
 大杉はバクーニンのように「徹底した破壊の理論」を打ち立てたわけではない。またクロポトキンのように科学的な根拠を与える体系を築いたわけでもない。ただ、日本の社会状況を前に、輸入思想を「どう使えるか」という実践的な翻案を行った。その意味では 「翻訳者」以上、「純粋理論家」未満=媒介者・運動知識人 と言えるmpではあるまいか?

 要するに、大杉は「輸入思想の通訳」でもあり、「日本向けの実践的アレンジャー」でもあったわけだ。

 
 大杉栄は、無政府主義からマルクス主義までを幅広く摂取しつつ、どちらか一方に純粋に立脚するのではなく、折衷的・媒介的に使っていた 人物だった。

 若い頃はマルクス主義に親近だった。最初は『資本論』を熱心に読み、社会主義者としてマルクス経済学を重視していた。特に「階級闘争」「資本主義の搾取構造」への分析は、大杉の社会批判の基盤になっている。

 やがてアナキズムへ傾斜していくわけだが、しかし、ボリシェヴィキ革命後のソ連を見て、国家権力を握った社会主義の危険(専制化・中央集権化)を強く感じました。そこでクロポトキンらのアナキズムに魅力を見出し、国家や権力を否定する方向にシフトしていったのだ。

 「社会的個人主義」とはなにか?
 大杉は「個人の自由」を大切にしつつ、「社会的連帯」も不可欠と考えた。このため、アナキズム的な「権力否定」と、マルクス主義的な「社会経済分析」を併用しようとした。つまり、思想的には 「マルクス的な分析」+「アナキスト的な価値観」 のハイブリッドだったわけだ。

 右派などからは意外と思われるかもしれないが、徹底した「イズムの党派性」を嫌っていたようだ。大杉は「無政府主義者」や「マルクス主義者」としてラベル付けされることを嫌い、むしろ状況に応じて思想を取り入れ、現実運動に活かすスタンスだった。このため、後世から見ると「体系性に欠ける」と評されがちだが、同時に「日本の運動を前に進める柔軟性」があったとも言える。

 言い換えてみよう。大杉にとっては、マルクス主義とは資本主義分析の道具であり、アナキズムは理想の社会像・倫理の指針で、この両者を併用していたともいえる。

 実際、プルードンあたりの原初の無政府主義は「運動家」の立場からは扱いにくい思想家 だった事だろう。

 プルードンの思想の特徴として、まず、「所有とは盗奪である」というテーゼがある。これは資本主義批判として鮮烈。しかし「所有の全面否定」ではなく「小所有(自営業・手工業的所有)」を肯定していた。
 そして、国家・権力への批判。国家や大規模な中央集権に強く反対していた。この点で、そのため後のアナキストに大きな影響を与えた。それのみでは、大杉もさぞや不本意だったことだろう。

 相互主義(ミューチュアリズム)というものが、統治にの代わりとなる。労働者・小生産者が相互に信用を基盤に経済活動を営むという構想だ。これは協同組合運動や信用組合に影響した。
 では、なぜ、プルードンの思想は運動家から見たら、扱いにくかったか?

 大衆運動への即応性が乏しい世言うことがまず考えられる。プルードンは労働者階級の「小生産者」と「自営的職人」を理想化しており、巨大工場での労働運動には必ずしも親和的ではない。19世紀後半以降の労働運動(組合・ストライキ)にはバクーニンやマルクスの方が直接的に武器になった。
 これは革命より漸進改革寄りだったためだ。プルードンは「暴力革命」に懐疑的で、信用制度や協同組合を通じた社会変革を志向していた。直接行動を重視する大杉栄のような運動家には力不足に見えたことだろう。
 則ち、理論的には面白いが実践が難しいといえるかもしれない。プルードンの「相互主義」は、実際には大規模資本主義や国家権力に押し潰されやすい。従って、運動戦略としては「使える部分が限定的」だった。

 大杉はプルードンも読んでいたと思われるが、彼の著作や活動を見る限り「クロポトキンやバクーニン」の方を前面に押し出していた。つまり「プルードン=思想史的に重要だが、運動現場で使うにはやや不向き」という評価だったと思われる。
 プルードンは 思想史の基礎石(アナキズムの原点)として大事だった。しかし、社会運動の即効薬 にはならず、むしろ「古典的な参照点」に留まったのだろう。


 プルードンの相互主義とは、ご近所の町内自治会の穏やかな連合みたいなもんなのだろう。 「町内会・生協・信用組合の連合体」みたいな社会構想のように思えてならない。
 それは、小規模な生産者(職人、農民、自営業)が「相互契約」に基づいて協力するするもので、信用制度や相互扶助で資金や労働を融通し合う仕組みだ。
 ここで、国家や大企業のような大きな権力は必要なく、あくまで「横のつながり」で秩序ができる、という、「無政府主義」と言う言葉が出てくれわけだ。
 言ってしまえば、江戸の講や寄合、戦後日本の農協や自治会のネットワークに近い。革命的な「ドンパチ」ではなく、暮らしの中から秩序を積み上げていくモデルである。

 革命を掲げる運動家(大杉など)にとっては、プルードン的な「自治会の積み重ね」は力強さに欠けて見えたことだろう。資本主義や国家権力に正面から対抗するには、バクーニン的な「直接行動」やマルクス的な「階級闘争」のほうが実践的に思える。だから大杉は「思想史的には大事」と認めつつも、運動戦略としては前に出さなかったのだろうな。

 まとめるならば、 「プルードンは近所づきあいを理想化した哲学者」 「大杉は街頭でマイク握ってる活動家」
 ぐらいの差がある、と整理できそうだ。
 とか言いながら、実は大杉の人となりをあまりよく知らない。あの頃のインテリはどうしてそのような方向に向かったんだろうかとも思ったりする?
 大杉栄を含め、大正期の「インテリ」がなぜアナキズムやマルクス主義といった急進思想に向かったのか――これは当時の社会状況と「インテリ層の生まれた位置」を見ていくと腑に落ちる部分があるように思う。

 明治後期〜大正期の社会状況として、まず急速な近代化と格差がうまれたことがある。日本は富国強兵と産業化を推し進めたが、都市には過酷な労働条件の労働者が溢れ、農村は貧困に苦しんでいた。
 自由民権運動の残響もあったことだろう。明治の初期に「人民の自由」を訴えた運動が潰されて以降、民衆の政治参加は制限され続けていた。それに加え、国家の強権性、則ち大逆事件(1910)のように、思想弾圧は苛烈。知識人にとって「国家=暴力装置」という意識が強まっていった。

 これが、爆発のための熱が上がっていった原因と考えるならば、燃料はどうだったか?
 インテリ層の出自と「浮遊感」とでもいおうか。多くの急進的インテリは、地方の中下層出身(地主の次男三男、農村の秀才)だったらしい。学歴を手にして都市に出るけれども、上層のエリートにはなれず、また農村共同体にも戻れない。つまり 「自分の居場所がない」浮遊感 を抱えやすかったわけだ。この「浮遊するインテリ」が、自分の存在意義を社会運動や思想闘争に見いだしたのだろう。

 それならばなぜアナキズムやマルクス主義にむかっていったのか?
 アナキズムの魅力はなんだったか?
 国家権力に対する鋭い否定は魅惑的だったのだろうな。個人の自由を強調する倫理的な響きもあったことだろう。
 大杉が惹かれたのは、ここに「道徳的正義」と「行動主義」が重なったからのような気がする。

 マルクス主義の魅力は何だったか?
 社会構造を科学的に説明する理論的な力があった。それまでそういうものはなかった。階級闘争という「大きな物語」が、自分たちの不安定な立場に位置づけを与えてくれたようなきがしていたのだろう。

 アナキズム、マルキシズム、共通していたのは「現状を変えられる力」への渇望だ。ただ文筆にとどまるのではなく、「現実を動かす」ことができる思想が欲しかった。

 インテリの心理的背景も見ておこう。「学問や文学で食えるのか?」という不安、これは今でも、っていうか現在こそ強いかもしれない。「自分の知識を何のために使うのか?」という問いが、自らを苛む。権力に取り込まれて安定を得るか、民衆と共に立つか――その分岐で、多くは急進思想に惹かれていったのだろう。


 

2025年9月8日月曜日

「贈与」に至る / 糸口を探す 2 KP61、ジョルジュ・バタイユ、哄笑

 


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 では、ジョルジュ。バタイユが、四輪のボロボロのスターレットKP61でダートラとかジムカーナ転戦するとか、どうだろう?

 バタイユの KP61スターレットでジムカーナ転戦。二輪のTZ250だと「骨折」一直線だけど、四輪のジムカーナなら「ボロいKPで限界まで突っ込んでスピンしまくる」感じで、また違った「浪費と供犠」が見えてくる。

 KP61スターレットとは、80年代当時の若者にとって「安い・軽い・FR・壊してナンボ」みたいな車だった。競技ベース車としては最強の入門車。ジムカーナやダートトライアルで、みんな転がして、部品を拾って、また直して走る。
 バタイユがもしその現場にいたら、間違いなく「安くて古いからこそ尊い」って言い張っただろう。「最新のシビックで勝つことに何の意味がある。崩れ落ちる寸前のスターレットで笑いながらスピンすることこそ供犠だ」とかなんとか、パドックの片隅で煙草ふかしながら言ってそう。

 地方のジムカーナ会場って、ほんとに田舎の広場だったりする。現に当地では、真夏で人が来ないスキー場の駐車場でやってたりする。他には、廃飛行場の跡地とか、河川敷の舗装路とか、観客なんてほとんどいなくて、参加者とその仲間と近所の子供が数人。
 そこにボロいKP61をトランポなしで自走して持ってきて、スペアタイヤ4本とジャッキだけで走る。エンジンはキャブが咳き込むし、LSDはチャタチャタ鳴くし、クラッチは半分焼けてる。

 んで、バタイユがコースインすると、もう全開。進入で荷重抜けてリアがスパーンと流れて、そのまま派手にスピン。パイロンなぎ倒して、審判の人に赤旗振られて戻される。でも、車から降りたバタイユは、目をぎらぎらさせてこう宣うわけだ。

 「これこそ破局だ。破局は祝祭なのだ!」
 KP61って、そもそも安いから「潰してもいい」って前提で乗られてた。だからジムカーナやダートでクラッシュして、フェンダーが凹んでも、ライトが割れても、誰も泣かない。直すのは仲間。適当に叩いて色塗って、また走る。
 それをバタイユは「供物」として扱うだろう。「KPは共同体の神に捧げる羊である」なんて言い出しかねない。

 そして彼は、地方シリーズを転戦する。長野の浅間台スポーツランド、新潟の胎内スピードパーク、関西の名阪スポーツランド、九州の恋の浦。どこに行っても、パドックで「首なし団」と称する仲間と焚き火を囲み、酒を飲み、昼間はスピン大会。「誰が一番多くパイロンを倒すか」が裏の勝負。優勝者には地元のリンゴ一箱。でもそれはすぐに食い尽くされて、跡形も残らない。
 浪費の美。

 バタイユは供犠を語るとき、必ず「笑い」をちらつかせる。犠牲は厳粛なものじゃなく、どこかで「祭り」のように騒がしく、無駄で、バカバカしい。つまり供犠は「遊び」でもある。
 だから、筑波のパドックで骨折した仲間を見ても、悲壮感じゃなくて「やっちまったな!」と笑い声が先に出る。それを「神聖」と呼んでしまうのが、彼のトリックだ。

 普通の破滅思考は、破滅を目標にして一直線に突っ走る。しかし、バタイユの場合は、「どうせいつか終わるんだから、だったらその途中で笑いながら盛大にぶち壊そうよ」という感じ。 全然、暗くない。 むしろ太陽に向かって舌を出してるような明るさすらある。
 地方ジムカーナの賞品がリンゴ一箱とか、地方サーキットの勝者に渡るのが米袋とか。そういう「しょっぱい景品」を仲間たちとむさぼり食って、跡形もなく浪費してしまう。それをバタイユは絶対に楽しんだはずだ。彼は「無駄になること」そのものを肯定していた。
 だからKP61を壁にぶつけてフェンダーをぐしゃっとさせても、それで落ち込むんじゃなく「これで供犠は済んだ」と笑う。

 破滅主義者だったら、車が壊れたら「これでもう走れない、終わりだ」と沈むはず。でもバタイユは逆だ。壊れるからこそ嬉しいし、無駄に終わるからこそ意味がある。そうやって、むしろ「生き延びる方向」に転がっていく。

 考えてみたら、これってすごく変な話で、「死」とか「破滅」とかを正面から扱うのに、どうしてかそこに「陽気さ」が宿ってしまう。バタイユは常に「闇を見よ」と言いながら、結果的に「光の中で踊る」方向へ連れて行ってしまう。
 それはたぶん、彼が破滅を「手段」として見ていたからだと思う。破滅そのものに住みつくんじゃなく、その瞬間に立ち会うことで「陶酔」に触れる。だから、暗黒のはずが、いつの間にか祭りになる。


 例えば、筑波サーキット。予選で転倒して骨折、予選落ち。でもパドックで缶ビールを飲みながら「俺は今日、供犠を果たした」と宣言する。仲間たちは爆笑しながら「いや、それはただのコケだろ」とツッコむ。そういうやりとりが、もう完全に「生の肯定」なんだよな。

 KP61スターレットでジムカーナに出て、全力で突っ込んでパイロンなぎ倒して、順位は最下位。でも本人は最高に笑っていて、「破局は美しい」と言いながらピースサイン。その姿って、「破滅」を選んでいるようでいて、実際には「生きることを選んでる」


 結局のところ、バタイユは破滅思考じゃないんだと思う。彼がやってるのは「過剰思考」。
 ちょっとだけやればいいのに、もっとやる。
勝つために走ればいいところを、転ぶまで攻める。
腹八分目に 食えばいいところを、全部平らげる。
程々に飲めばいいところを、吐くまで飲む。
 そういう「過剰」の中で、死や破局に触れてしまうことがある。

 でもそれはあくまで副作用であって、目的じゃない。だから彼は、いつも笑っている。「俺は死にたいんじゃない。ただ、もっと生きたいだけなんだ」。その裏返しがあの思想なんじゃないかと思う。

 もし彼が単なる破滅主義者だったら、たぶん我々、いやほとんどオレだけ?はこんなに惹かれなかったはずだ。「どうせ全部滅びる」って言葉だけなら、世界中にいくらでもある。でもバタイユの言葉には、どうしても「おかしさ」と「楽しさ」が混じる。死を語っているのに生が滲む。それが妙に人間的で、だから魅力的なんだと思う。

 いわば、ジョニー・ロットンであって、シド・ヴィシャスではない。 バタイユって「どう見ても破滅的なことばかり言ってるのに、なぜか死に急がない」タイプ。だからジョニー・ロットンであって、シド・ヴィシャスじゃない。

 シド・ヴィシャスは完全に「自己破壊=様式美」になっちゃった人で、破滅をそのまま生きて燃え尽きてしまった。でもロットンは「全部ぶっ壊す!」と叫びながらも、ちゃっかり長生きして、今でもロック・アイコンとして毒を吐き続けてる。つまり「破壊と反逆」をエネルギー源に変換する能力がある。

 バタイユも同じで、供犠や浪費、エロスや死の欲望を語りながら、実際の生活はどこか「ずる賢く延命」してる。しかもその延命が、決して妥協や日和りじゃなくて、「反逆精神を持ったまま老いる」っていう稀有な在り方だ。

 ジムカーナのスターレット転戦でもそう。
 確かにパイロン吹っ飛ばしてクラッシュばかりしてるんだけど、それは「死にたいから」やってるんじゃない。むしろ「限界の先で生き延びて、また次の会場に行く」ためにやってる。破滅を燃料にして、でも破滅は選ばない。

 だから彼は「供犠の哲学者」なのに、自分自身を最後の羊として屠ろうとはしない。むしろ「俺が屠られたら共同体は困るだろう?」とニヤリと笑って、またハンドルを握る。

 ここが、まさにジョニー・ロットン的。死を演じてしまったシドとは違って、死を「利用」して生きる。破滅に見せかけて実はとことん生のほうに執着している。

 そういえば、ジョルジュ・バタイユの哄笑する姿を想像すると、ジョニー・ロットンや植木等のそれと重なって見える。




2025年7月4日金曜日

2025年6月27日金曜日

アンパンマンの贈与倫理──やなせたかしの戦争体験と「正義」の再定義10 雑記4 狼の皮をかぶった子羊の末路、その頃ガンダムは

 


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 ある年齢以上の、日本の”男の子”なら聞いたことがあるフレーズ「羊の皮をかぶった狼」というのは、実は画像のKPGC10ではなく、その一つ前の型、特にその中のホットモデル、S54Bスカイラインに与えられた二つ名だった。見た目、普通の乗用車で、何とかポルシェを凌駕してやろうと、4気筒エンジンが収まっていたところに、無理やり6気筒を押し込んで作った、なんかまぁ、無茶なクルマだったが、それのおかげで、長らく「スカイライン」と言う名前は日産と言う会社の財産にもなったし、ある意味呪いにもなった。
 そこで終われば、この項での話は、かっこいいクルマの話で終わるのだが、狼になれなかった、でも羊にも戻れない、かつては幸せな子羊だったものの物語のアニメが本題である。原作はやなせたかし氏だった。

 「チリンの鈴の音」。オレの下手な説明よりは、Wikiでも見ていただいた方が理解が早いし、動画も上がっている。30分ほどの短編アニメだ。
 何の情緒も交えずに書くならば、母親に愛されて幸せだった子羊が狼に母親を殺されて、狼にかたき討ちをしようとするが、勿論敵うはずもなく、狼と一緒に行動することになった。成長し異形の生き物になったかつての子羊は、再び羊の群れを襲おうとしていた狼を倒すが、あまりの変わりように羊の群れには帰れず、ひとり、いや一匹、姿を消す、と言う話。

 またもや!、子供向けのふりをしていて、到底子供には理解が難しいテーマの作品である。

 その辺の、そしてオレの幼いころのような子供なら、どう思うだろう? 狼はワルモノか? かつての子羊、チリンを受け入れない羊の群れが悪いのか? そもそも、チリンが母親のかたき討ちをしようとしたことが間違っているのか?
 争うこと、戦うことは、本当に悪なのだろうか? ここで、やなせ氏が本当に反戦を第一のテーマとしていたのか?と、いう疑問が出てくる。
 狼は、羊を襲うものだ。生きるために。羊の群れがチリンを受け入れなかったのは、個々としては弱い羊の生存戦略だ。親を殺されて敵討ちを志すチリンを止められたか? 皆、それぞれの役目を全うしての、結果としての悲劇だ。
 誰が悪い、と言う話ではないのかもしれない。存在を全うすると言うことに良い悪いもない。例えば、一つやなせ氏のテーマに、「正義はひっくり返る」というものがあった。みんな精一杯なのだ。

 わからない。ただ考え続ける他にやり様がないように思える。ただ、チリンも敵を討たれた老狼も、羊の群れも、愛さなくてはいけないのかもしれないとは思った。
 たとえば、爆弾が落とされた街の、焼け跡で泣き叫ぶ子どもに、「それでも人間には理性がある」などと語ってみても、たぶんその言葉は何の意味もなさない。爆発の音、焼け爛れた匂い、誰も助けてくれなかったという絶望の方が、ずっと雄弁だ。
 「戦争は悪い」と言ってしまうことの簡単さと、その言葉が無力である場面の多さに、人は遂に諦観を手に入れる。だからなのだろう、「わかりやすい敵」を設定して、それを倒すことで終わる物語が、もうそれしかない、と言わんばかりに幅を利かせる。だが、本当はそんなに簡単ではないだろうと。
 狼は悪くない。羊も悪くない。チリンも間違っていない。誰も責められない、という構造そのものが、最も苦しい。では、どうやっていさめるか? どうやって止めるか? それは「問い」を差し出すことしかできないのだと思う。

 ——お前は、どう生きたいのか?
 ——なぜ、怒りを抱えたのか?
 ——怒りを超えて、どこへ行こうとしているのか?

 そうした問いを、静かに、鈴の音のように差し出すこと。それが、やなせたかし氏が『チリンの鈴』に託したものだったのではないかと思う。そして、それはきっと戦争だけでなく、日々の争いや断絶、誤解や怒りや悲しみにも、同じように響く。チリンは遠い山の中に消えたが、その鈴の音は、今日もどこかで、誰かの心に残っている。言葉にならないものがあると知った上で、それでも言葉にする。


 思えば冨野由悠季氏はこういうことをやりたかったのではないかと思わないでもない。確かに『機動戦士ガンダム』でやろうとしたのは、「戦争を描くことで、戦争を否定する」ことだった。でも、やっぱりモビルスーツはかっこよすぎた。ザクもガンダムも、あまりに造形が魅力的で、MS戦の演出が緻密で、キャラクターたちもみんな強くて傷ついて美しかった。つまり、反戦メッセージの上に、強烈なエンタメが乗ってしまった。
 これは、別に失敗ではなくて、むしろ「だから届いた」とも言える。が、結果的にあの世界へのあこがれは、弱きものへの視線を大きく削ったものとして現れた気がする。冨野氏自身もそのことをよくわかっていて、だからこそ後年の作品ではどんどん“わかりにくく”し、“気持ちよくなりすぎない”ようにしていったように思う。そのたびに「ついてこれない観客」と、逆にかじりついてくる妙に拗れたガノタの出現。もちろん、普通にファン、と言う人が多数ではあろうが。表現者としての冨野氏に葛藤があったのではあるまいか?

 やなせたかし氏は、自身の作品の主人公たちに「かっこよさ」を一切与えなかった。チリンは強くなるけれど、美しくはならない。戦っても、英雄にはならない。ラストに至っては、もはや“物語”としてのカタルシスすら拒絶する。
 そして、観客に何もご褒美を与えない、苦い寓話があるのみ。

 『ガンダム』は、どこかで「少年の夢」を背負ってしまった。ロボットアニメの文法とスポンサーの都合と、なにより当時の視聴者の熱狂の中で、「チリンの鈴」のような冷徹な問いの純度を保つことは、難しかったのかもしれない。
 それでも、冨野氏は、ずっと問い続けたのかもしれない。「人はなぜ争うのか?」「なぜ分かり合えないのか?」「正しさとは何か?」「ニュータイプとは何か?」

 「チリンの鈴の音」と相似形じゃないかと、気がついた。『ガンダム』は**“チリンが人間だったら”の物語**なのかもしれぬ。戦争というシステムの中で、愛を失い、力を求め、正しさに迷い、どこにも帰れなくなる人々の群像劇。チリンの鈴が、ガンダム世界では無数のキャラクターたちの“心の声”として響いていたのかもしれぬ。
 ガンダムは「かっこよすぎた」。でも、それによって多くの人に届いた。「本当は何を描きたかったんだろう?」と立ち止まる者も、今なお絶えない。だから、エンタメ、経済的要請に負けたようで、実は勝っているのかもしれない。冨野氏が撒いた問いの種は、まだ終わっていない。


 「アンマンパンマーチ」の歌詞、

 なんのために生まれて
 なにをして 生きるのか
 こたえられないなんて
 そんなのは いやだ!

 こんな、異常なほどストレートな実存的問いかけを、毎週テレビのオープニングで投げかけてくるって、やなせたかし氏、正気じゃねぇ(褒めてます)。普通なら「がんばれアンパンマン!」とか「アンパンチでバイバイキン!」的な明るさを全面に出すはずなのに、真っ先に生の根源的意味を問う。この姿勢、やなせ氏の一貫したテーマ——「正義とは?」「愛とは?」「善悪とは?」——を、3〜5歳の子どもに全力でぶつけてる。

 「こたえられないなんて/そんなのはいやだ!」
 ここなど、完全に自分自身への宣言だろう。大人がよく言う「まあ、生きてればいろいろあるさ」とか「答えなんてなくていいんだよ」っていう“逃げ”を、幼い子どもが拒否してる。それも、歌詞として叫んでる。 大人の諦めを断固として拒否する、魂のスタートライン。
 やなせ氏自身が何度も語っているのは、「本当に苦しんでいるのは子どもだ」「大人は、自分のことは自分で処理できるが、子どもはできない」という視点だった。だからこそ、子ども向け作品ほど**「本物の問い」を投げるべき**だと彼は考えていた。

 絵はゆるいのに、断じて子供だましは作らなかった。
「アンパンマン」は、見た目はパンで、敵は菌で、戦い方もユルい。 でもその根底には、「どう生きるか?」「どうやって誰かを助けるか?」という、実はヒーロー論の最前線が通っている。

 冗談でなく、これはもう戦後の精神史に刻まれるべき詩ではあるまいか?大人が疲れきった時代に、子どもたちにこう問いかける。 「生きる意味を探していいんだよ」「答えを持ちたいと思っていいんだよ」その姿勢は、戦争で希望を失った時代の先に立って、「それでも生きていく」ための哲学だった。

 アンパンマンは、ただの顔を分け与えるヒーローじゃない。 問いを投げ続ける、希望の残響だ。 ゆるい絵柄で、逃げ場のない本質を描くという、ある種の詐欺的な、しかし誠実極まりない手法。 単純な線に柔らかい色彩、どこからどう見ても幼児向け」の絵柄だった。しかし、やってることはこうだ。

 食べ物を与えるために自分の顔をちぎる。
 空腹と孤独と寒さに泣く者のそばに現れ、無言で助ける。
 戦うことよりも、立ち続けることに意味を見出す

 アンパンマンって、「勝つ」ことより「支える」ことに重点を置いている存在だ。ヒーローなのに、戦闘よりもケアが本分。
 つまり、見た目が子ども向けなのは、重いものを背負わせるための戦略だったのではあるまいか?

 戦中派であり、弟を戦争で亡くし、戦後は飢えと屈辱と無名の中で生きてきたやなせ氏にとって、「生きる意味」は私たちが思う以上に重たいテーマだったのかもしれない。
 そしてそれを、ただの道徳やお説教ではなく、わらべうたのように見せかけて叩き込んできた。 子ども向け作品で、「哲学」が入り込む余地があるという事実を、最もよく体現したのが『アンパンマン』なのだろう。 アンパンマンのあの「顔を与える」という行為は、単なるヒーロー行為ではなく、自己犠牲・再生・共同体の維持といった概念をまるごと内包している。それを、「パンが飛んできて助けてくれる」っていうシンプルな形で伝えてくる。すさまじい表現力だ。 だから逆説的に、「チリンの鈴」のようなストレートな痛みに比べて、 アンパンマンはもっと遅れて効いてくる。大人になってから「あれってそういう話だったのか」と気づいたとき、子どものころ受け取っていたものの深さに、ようやく追いつく。


 などと、尤もらしく書いているが、子供の時は、遂にアンパンマンと言うものがこの世にあることを一切知らなかった。もし、子供の時に観ていたらどんな子供になってたやら。
 現代の世界の行き詰まり。ずっと、人類の文明もあと2,3世代、その後は壊滅的に衰えていく、或いは、何億年に一度かの、生態系総入れ替えがそろそろ起こるのではないか、と、何となく感じている。オレが仕舞った、次の日にそれが起こっても一向に構わないが、オレ自身、全世界の人口分の1、それに加担していることを思えば、何かせねば、何か言わねば、何か考えねば、と思った時に、今の世界の問題を「過剰」と言う言葉で言い表すならば、それならば、と、ノーム、バタイユ、ジジェクなどの「贈与」について、読んだり何なりしていた。そこにアンパンマン、今田美桜ちゃんが、思いのほかかわいかったこともあり、意識に飛び込んできたわけだ。

 しかしそれは、一見すると飛躍のようでいて、実は本質への最短距離だったのかもしれぬ。 アンパンマンは、顔をちぎって人に与える存在だ。「自己犠牲」でもなく、「見返りを求めない親切」でもない。むしろそれは、“与えずにはいられない存在”として描かれている。 ここで、ジジェクやバタイユが描いた「贈与の暴力性」や、「見返りなき贈与の構造」が思い出してしまったのも、無理からぬことであるとご理解ください。

 バタイユ:消尽(蕩尽)としての贈与。社会秩序を逸脱する、祝祭的な非合理。
 ジジェク:贈与とはしばしば暴力的で支配的ですらあり、「贈られた側」はその返礼の構造に巻き込まれる。
 ノーム(グレーバーなどのアナーキズム的贈与論):交換の前に、まず無償の行為があったという認識。


「なんのために生まれて、なにをして生きるのか」ここには、経済合理性とは無関係な存在理由への問い、交換の論理では語れない、まさしく「贈与的存在論」の問いかけがこめられている。

 なんのために生まれて
 なにをして 生きるのか
 こたえられないなんて
 そんなのは いやだ!

 この一節は、役に立つ/立たないの問題を超えて、与える存在であることの必然を探る問いでもある。

 子どもの時ににアンパンマンを見ていたら、たぶん「顔ちぎって与えてるヒーロー」という変な記憶で終わったかもしれない。しかし、贈与論――バタイユの蕩尽、ジジェクの「贈与の裏に潜む暴力」、ノームの「交換以前の贈与」――を通過したがために「与えることの絶対性」に反応することできた。
 アンパンマンは、自己を維持することに意味がある存在ではなく、他者のために蕩尽されることで完成するヒーローだ。これは、資本主義の“自己保存型”ヒーロー像とは真逆だ。アメリカン・ヒーローが悪を倒して自己を完成させるならば、アンパンマンは他者に自己を与え尽くして消えていく存在だ。 この「贈与→蕩尽→再生」の構造が、やなせたかしの底にあった思想であり、まさに贈与論の実践形といってもいい。


 やなせたかし氏の生涯を扱ったNHK朝ドラ『あんぱん』で描かれるのは、ヒーローを描きながら自己の貧しさ・無名・敗北・死の恐怖を抱え続けた男の人生。60を過ぎて初めて売れた、正義を疑い続けた、「アンパンマン」は戦争の痛みから生まれた、そんな男の描いたヒーローが、「顔を与える」存在であることは、偶然でも気まぐれでもないような気がする。

 チリンが「復讐によって自我を保とうとした者」なら、アンパンマンは「与えることで自己を保とうとする者」だ。そしてどちらも孤独で、でも問いを放つ存在だ。仮面ライダーやガンダムにはたどり着けなかった境地の問いがある。



2025年6月19日木曜日

存在と鋼鉄6:ポルシェの身体性

 

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ポルシェの身体性

 ポルシェが戦後に生み出したスポーツカーは、単なる交通手段ではなかった。それは、「個人が自由に楽しむための、性能と美意識の塊」であり、「走る」ことの歓びそのものを凝縮した存在だった。ここには、20世紀の大量生産社会を超えて、再び「個」の欲望が全面に押し出されてくる構造がある。フェルディナンド・ポルシェがナチス体制下で設計した国民車(ビートル)とは対照的に、その後のポルシェ車は、「この私」のための機械、つまり自我の延長であり、自らの存在を賭けて駆動させる道具へと変貌した。
 この変化は、まさにニーチェ的な転回である。ポルシェが体現するのは、「アポロン的秩序」ではなく、「ディオニュソス的陶酔」の領域だ。理性ではなく感覚、抑制ではなく解放、計算された生ではなく速度のなかで生の深奥と直結する感覚。ニーチェが語った「生の力への意志」は、滑らかなボディに、爆発的なエンジン音に、そして鋭く曲がるコーナーで感じるG(重力)のなかに顕れる。
 だが同時に、速度と死は常に隣り合っている。ジャン・ボードリヤールが指摘するように、現代の人間は「死を可能性としてではなく、技術の故障としてしか考えられなくなった」。それでもなお、時速200kmで突き進むポルシェの運転席に座る者は、自らの死を「予感」として抱え込む。モータースポーツにおける事故、あるいは一瞬の判断ミスによる壊滅的な結果は、加速が存在の輪郭を限界まで押し広げることの代償である。そしてそこにあるのは、単なるスリルではなく、「生きている」という実感そのものだ。
 この構造を可能にするのが、20世紀的な「近代技術」の総体である。モータースポーツと近代性は、共犯関係にある。内燃機関、流線型、空力特性、サスペンション制御……それらすべては、「速度と人間」を融合させるために生まれた。だが同時に、機械によって増幅された身体は、「人間らしさ」を脱ぎ捨てる。かつては神にしか許されなかった速度が、今や人間の指一本で手に入るようになった。ここにあるのは、人間中心主義的近代の終着点であり、機械との共生を前提とした「ポスト人間的存在」の胎動でもある。
 この時、身体はどのように変容するのか。ここで参考になるのがメルロ=ポンティの身体論である。彼は身体を単なる「物体」ではなく、「世界と接続する知覚の根」であると見なした。ポルシェの運転席において、身体は車体と融合する。手はステアリングを超えて前輪の摩擦を知り、足はアクセルを踏むことでエンジンの脈動と一体化する。それはもはや「機械を操作している」感覚ではない。身体が車となり、車が身体となる――この現象は、「延長された身体性」という新たな人間観を提示する。
 スポーツカーを運転する、単車を操縦するという行為は、単なる移動でも、所有欲の発露でもない。それは一種の存在論的実験であり、「私は誰なのか」「私はいかにして生を駆け抜けるのか」という問いへの、一つの応答なのである。
 ポルシェが戦後に展開したスポーツカーは、大衆社会の中で個人の自由と嗜好が重視されるようになったことの象徴である。それは単なる移動手段ではなく、「走ること」自体を楽しむための、美意識と性能の塊だった。機能や効率を重視したフォルクスワーゲンの国民車とは対照的に、ポルシェの車は、「この私」が感じ、「この私」が欲するものに応える装置であった。そこにあるのはニーチェ的な意味での「力への意志」——他者や制度に従うのではなく、自らの欲望を駆動させる力としての機械、そして速度。
 だがその速度は、常に「死」と背中合わせである。F1やル・マンでの事故は、その象徴的な現れであり、モータースポーツの世界では、死は不慮の事故というよりも、存在の限界に触れる瞬間に立ち現れる感覚とすら言える。加速し、ブレーキを踏み、コーナーを曲がるその身体感覚には、生の緊張と死の予感が重層している。技術の進歩が人間を守る一方で、人間はその技術の極限において、あらためて「私は今、生きている」と実感する。
 こうした感覚は、モーリス・メルロ=ポンティが語った「身体が世界と接続する根である」という哲学とも深く共鳴する。彼にとって身体は、単なる物質的な器官の集合ではなく、世界と関係を持ち、意味を生み出す感覚の中心だった。私たちは世界を客観的に「見る」のではなく、身体を通して「感じている」。そして、その身体は常に動いており、対象に触れ、重さや速度を知覚し、空間の中で「自分がどこにいるか」を把握している。
 ポルシェのスポーツカーに乗るという行為は、この「身体の根源性」を露わにする。ハンドルを握る手の微細な震え、路面のざらつきを伝えるタイヤ、エンジンの鼓動のような振動。それらはドライバーの身体と機械の間に境界があることを忘れさせるほどに密接で、やがて一体化する。身体がマシンを「操作」するというより、身体とマシンが同じリズムで呼吸しているような感覚すら芽生える。この没入状態において、ポルシェは単なる交通手段ではなく、「感じる器官」としての身体の延長になる。このとき、運転者はもはや単なる主体ではなく、世界の中に浸され、運動と知覚の交差点に立つ存在となる。まさにメルロ=ポンティが言うように、「私は考える、ゆえに存在する」のではなく、「私は世界に触れている、ゆえに私はいる」のだ。スポーツカーの運転という行為は、近代的な合理性や計算可能性を超えて、「生きられる今」に回帰する哲学的経験でもある。ポルシェとは、そのような没入的・身体的知覚の媒介装置であり、思考と感覚、個と世界がひとつの運動の中で融け合う場を提供しているのだろう。

存在と鋼鉄5:ポルシェの脱ナチス

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 ハリウッド映画ではあるが、1986年の「トップガン」で、ケリー・マクギリス演じるチャーリーが乗っていたのも、2019年の「Ford VS Ferrari」の冒頭辺り、マット・デイモン演じるキャロル・シェルビーが乗っていたのも、356だったし、事故死したジェームス・ディーンが乗っていたのは550だった。自国の大排気量V8ではなかった。確かにジェームス・ディーンの頃のアメ車は特にJames鈍重だったってことはあるかもしれないが、それを割り引いても、アメ車じゃなく、ポルシェだったというのは、それぞれに意識したわけでもなかったとしても、何かがあったのではないか? ポルシェの脱ナチス

 ポルシェは、どうして国民車ではなく浮世離れしたスポーツカーを作るようになったのか?

 フェルディナンド・ポルシェが手がけた「国民車(フォルクスワーゲン・ビートル)」と、その後彼の名を冠する「ポルシェ」という高級スポーツカー・ブランド」の間には、一見すると断絶があるが、実は思想と時代背景の転換が反映されているように見える。

 1930年代、ナチス政権下のドイツで、フェルディナンド・ポルシェはアドルフ・ヒトラーの構想に応じて、ドイツ国民すべてが手にできる「国民車(Volkswagen)」の設計を担当した。それが、のちに「ビートル」として知られるクルマである。安価で整備が簡単、農村でも使える頑丈な構造で、T型フォードに対応する、ドイツの大衆車だった。 しかし第二次世界大戦の終結とナチスの敗北により、ナチス政権の庇護を受けていたフェルディナンド・ポルシェは、しばらく連合国によって拘束される。その後、彼の息子フェリー・ポルシェが、家業を再建すべく新しい方向性を模索する。

 戦後の混乱期、ドイツでは「大衆車」はフォルクスワーゲン社(のちに完全民営化)が受け持つようになり、ポルシェ家が改めて大衆車を作る余地はほとんどなかった。そこでフェリー・ポルシェは発想を転換し、「自分たちの理想を追求した車を、自分たちの技術でつくる」という方向に進んだ。
 今はそうでもないのかも知れないが、クルマ屋である以上、走る、曲がる、止まるで、自分の作ったクルマがどこのよりも、スゲエと言われたいものじゃないだろうか?

 その結果生まれたのが、1948年に登場したポルシェ356。軽量、コンパクト、精緻な操作性とバランス感覚。高級であるというよりは、「技術的純粋さ」を追求したモデルだった。

 やがてそれは富裕層の心をつかみ、「ステータス・シンボル」となっていく。1950年代以降の経済復興(いわゆる“奇跡の復興”)とともに、ヨーロッパには「遊びとしての車」「趣味としてのスピード」が求められるようになる。つまり、経済と文化の成熟にともなって、ポルシェは“使われる”より“見られる”車になっていった
 20世紀初頭など、走りを志向し起こしたメーカーがステイタスを獲得した後、ふやけた高級車ブランドに堕してしまったところも結構あるのだが、ポルシェの凄い所は、「どこのクルマよりオレんとこのクルマはスゲエ」を常に証明しようとし続けているところにある。もっとも、クルマの能力がとっくに人間の操縦能力を超えたものになってしまっているので、その辺の路地を走る分には、ふやけていようがどうだろうが関係なくはなっているのだが。それでもだ。

 国民車の理想は、ある意味で「国家による福祉的自動車政策」だった。そこには「ひとつの民族・ひとつの国家・ひとつの車」という全体主義的な響きもあったと言えると思う。
 一方、ポルシェがつくったスポーツカーは、「個人が自由に楽しむための、性能と美意識の塊」。つまり、20世紀の大衆社会の中で、個人の自由、個人の嗜好にこだわる文化が花開いたことの象徴でもある。

 フェルディナンド・ポルシェの歩んだ道は、戦前の「大衆のための合理主義」から、戦後の「個人のための情熱主義」へと転換したドイツ社会の縮図とも言える。国民車からスポーツカーへ――そこには、戦争、敗戦、復興を経て変容した人間観と価値観の変化が刻まれている。


 ポルシェが戦後に手がけたスポーツカーは、単なる交通手段ではない。それは、「個人が自由に楽しむための、性能と美意識の塊」であった。そこにあるのは、「移動する」ことの機能性ではなく、「走る」ことそのものへの欲望――すなわち、人間の内なる衝動への応答である。フェルディナンド・ポルシェとその子フェリー・ポルシェが創出したそれらの車は、合理性を極めた産業製品でありながら、同時にニーチェ的なディオニュソス的陶酔に応える器でもあった。

 ニーチェは、「芸術とは生の肯定である」と語った。美と速度と音の融合体であるポルシェの車は、まさにそうした生の躍動の表現である。それは、国家や民族といった「共同体の機能」の中に人間を埋没させようとしたナチズム的構造への反転であり、「この私が、今、ここで、生きている」という個の感覚を極限まで浮上させる道具だった。

 一方でハイデガーの視点を借りれば、こうしたスポーツカーは「技術=ゲシュテル(囲い込み)」の最先端にある存在でもある。自然と人間を計量化し、制御可能なものとして対象化するこの時代において、ポルシェのマシンは、技術が「人間存在そのものを規定し始める」ことの一つの表現でもある。だが同時に、それは「ただの手段」に堕すのではなく、操る者に一種の存在論的な歓喜をもたらす装置ともなりうる。すなわち、「ハンドルを握ることで、私は世界の中に投げ出され、速度と重力のなかで、存在の限界を体感する」――それは機械と人間の新しい合一のかたちでもある。

 ポルシェは、かつて「国家のために設計された大衆車」の設計者であったが、戦後には「個人のための陶酔装置」を生み出す者となった。その変化は、20世紀のヨーロッパにおいて、「人間とは何か」という問いが、集団性の中から、再び個へと引き戻されていったことを象徴しているのかもしれない。


2025年6月18日水曜日

存在と鋼鉄4:成長と完成の神話――近代とその亡霊たち

 


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成長と完成の神話――近代とその亡霊たち

 いつからだろう。「なぜ生きるのか」という問いが、「どう生きれば最も効率的か」に変わってしまったのは。
あるいは、「これでよいのか」という問いが、「まだ足りないのではないか」という焦燥にすり替わってしまったのは。
 成長・向上・改善――。
この一見ポジティブに響く言葉たちが、21世紀の人類を“数字”に閉じ込める檻になるとは、誰が予想しただろうか。

 ここでは、「成長信仰」および「完成への執着」がどのように形成され、どのような思想的系譜に依拠し、どのような転倒を招いているのかを、思想史の視点から描いていく。

 近代の誕生と「神のいない世界」

 ルネサンスから啓蒙主義へ――人間は神の庇護から自立し、世界を自らの手で説明しようとした。逆に言うと、それ以前の人間の思考野が信仰というもので、ロックがかかっていたところがあった、という事だろうか? 神様からのお仕着せの言葉で、自ら思考し既定することなく世界の枠組みを受け入れてきた。自らそれを考えだそうとした試みの始まりである。

 フランシス・ベーコンは「知は力なり」と述べ、知識を手段とした世界支配を掲げた。
 デカルトは「われ思う、ゆえにわれあり」と、外部から切り離された自己の確実性を主張した。

 この流れのなかで、「世界は測定可能であり、理性によって制御できる」という信仰が生まれた。当時の空気感は、一種の万能感に支配されていたのかもしれない。人間が世界を規定していくのだという、自負やら傲慢やらが入り乱れたような。
 このとき、人類は「永遠の問い」よりも、「無限の成長」という新しい神話を手に入れた。思えば、この選択が例えば今の行き詰まりを産んでいるとオレは思っているが、それは言っても詮無き事だ。問題は「永遠の問い」があることを忘却してしまったこと。


 資本主義と効率の論理

 マックス・ヴェーバーが喝破したように、プロテスタンティズム(とくにカルヴァン派)は、労働と勤勉、節制と貯蓄を通じて神の選民であることを証明するという倫理を育んだ。包括的に存在論的思考全体の話にはならなかったのは、時代の不明だろうか?

 神の不在が明確になるにつれ、この倫理は資本主義の歯車として独り歩きしはじめる。利潤は善であり、効率は美徳であり、生産性は道徳であった。

 「(経済的に)成長しているか?」という問いが、「存在していていいか?」という問いと合一するようになるという、オレから見ればある種の不幸を人類は背負い込むことになった。


 ニーチェとハイデガー――進歩への懐疑

 ニーチェは『ツァラトゥストラ』において、「人間は乗り越えられるべき橋である」と語った。
 しかしそれは、近代的な成長とは別の文脈にある。

 ニーチェにとって、成長とは個としての意志=力への意志(Wille zur Macht)に根ざした創造的行為であり、「他者から優れている」ことではなく、「自己を更新すること」にこそあった。
 そしてハイデガー。
  彼は『存在と時間』において、「現存在(ダス・ザイン)」が死に向かう存在であることを明らかにした。それゆえ人間は、完成に至る存在ではなく、常に不完全のまま、開かれている存在である、とした。

 だが現代は、そのような“開かれ”よりも、“完成されたプロダクト”としての自己を目指す。
 彼が批判した「技術による世界把握(ゲシュテル)」は、現代の成長主義そのものである。


 ナチズムの夢と破滅

 ナチス・ドイツが求めたのは、「完成された国家」であり「純化された共同体」であり「強化された人間」であった。ニーチェの思想を恐らくは恣意的に誤読し、超人思想を民族優越主義に置き換えた。技術を信仰し、「フォルクスワーゲン(人民の車)」で未来社会を夢想した。フェルディナンド・ポルシェのエンジニアリングは、戦争と機械の神話を支えた。

 だが、「完成」は常に排除と破壊を伴う。完成しないもの、不完全なもの、非効率なもの――それが「敵」とされる。
 そして、「完成」されようとした国家は、もっとも野蛮なかたちで崩壊する


 成長の終点と、ポスト成長の倫理

 いま、われわれは「成長し続けることが前提である社会」の限界を目撃している。気候危機、格差拡大、精神の空洞化――どれも「過剰な最適化」の帰結だ。
 では、脱成長は可能か? 「問いの復権」は可能か?

 バタイユが述べたように、「無駄」「非生産」「蕩尽」こそ、人間的な営みである。
 イヴァン・イリイチが描いたように、道具が人間に奉仕する社会から、人間が道具に奉仕する社会への転落に抗う必要がある。
 ハイデガーが言ったように われわれはただ、なおも問う者としてのみ、存在の真理に近づける。


 いま必要なのは、「完成すること」でも「成長しきること」でもなく、未完のまま、関わり続ける勇気でなないか。生きるとは、「なにかになること」ではなく、「問い続けること」「揺らぎつづけること」ではないだろうか?

 成長とは、人間を測る単位ではなく、人間が測りきれない何かに出会うための、偶発的な現象であると思う。