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NT0058,0059 首都高の青い鳥~キリン
思い出してみたら、どちらも若い頃の不完全燃焼から来る拗らせオジサンの話だった。しかも作中の彼らは今のオレより若いと来てる。参ったな・・・。けじめを然るべきときにつけられなかった、故の迷走であるが、その然るべきにつけられなかったら最後、作中の彼らは一応けじめがついてすっきりした顔をしているが、いや、違うだろ、拗らせたら最後、限りなく同じ形をしていてしかし別の呪縛になるようなきがするんだが、どうか? 老い、いよいよ走れなくなるまで走ることを強要してくる呪いだ。
さもなければ、彼らみたいにどうやったって敵わない、笑っちゃうくらいレベルが違う若い奴に情け容赦なく追い抜かれていくか。そりゃね、そうなっちゃったら実際は悔しいに違いないが、自分自身の痕跡はここから無くなっちまうかもしれないけれど、オレがいた場所は確かにここだった、とか感じながら消えていくんだろう。呪縛から解放された魂はようやく成仏するってわけだ。
魂のうちの幾漠かはそこで成仏しても、しかし、その後の時間というのが確かにあって。そこで終わっときゃ、ひょっとしたらいい話で済んだかもしれないが、若い時には経験しきれなかったみっともない思いもすること、多々あったり。それも、ま、然るべき時にやり切れず何をどうしても、若い時にやりたかったことやったのに、拗らせてしまう要因ではある、ような気がする。
んでさ。拗らせてしまうほど、何をどうしたかったのか? と考えた時に、突き抜けたかったんだろうな、みんな、と考えた。オレもなんだが、これっぽっち書いただけでは、そういうことに頭を巡らせていないと、何のことだかちっとも分かんねぇ、って。多分オレだって若い時は、突き抜けたいと思っていたはずなのに、老いてしまうとそういう時の気持ちを忘れてしまってる。きれいさっぱりと。で、だしぬけに、何をどうしたかったのか? と問われたりなんかしても、なんかピントの外れたことしか言わないような気がする。
以下、今流のジェンダー論とは多々相容れない理屈だが、思いつくまま、まずは書いてみる。女性は子宮を持って生まれた時点でどうやったって女性なのである。後は個々の選択だし、病気などの事情を抱えた人にはまぁ、申し訳ないとしか言えない。男性は、男性に、何かになろうとして、初めてそういうものになる。思わなければ、その辺の有象無象、今流に言えばモブ以上、いや、それにすらなれない。何かうごめいているが、せいぜい背景として自己主張もせずおとなしくしていてください、と、言われてしまうような。
若い時なんて言うのは、それぞれの人生の中で一番脳細胞が動いて、勢い、要らんこともいっぱい考えてしまいがちになるものだが、まぁ、そういう奴らの中で一定割合、どれだけかは知らんがな、何のために生きているのか、うまれてきたか、自分の存在意義、そんなもんを考えてしまうわけだ。んで、もって若い時はそれへの回答のヒントにもまた乏しい。それはそれで苦しいもので。
最初から考えない奴もいるし、ちょびっと苦しいと思ったらさっさと考えるのを止める奴もいる。そんな奴を、若い時なんて特に蔑みつつも、いや、ちらとも蔑むような感情を持ってしまったら最後、と言うべきか、思考の沼にはまり込んでいく。
そういう奴らの精神と思考はとてもバランスが悪く不安定だ。オレの場合は、ということで書くならば、そういう時に限って、いや、ずっと、今も、か、人の言う事に聞く耳を持たない。
でも、そこから突き抜けたいと、ずっと思っているのだ。そうじゃないかい?
青い鳥は、何も考えていないような主人公にぶっちぎられたときに、自分の”果て”にたどり着いたのだと感じ、キリンは女に出会い、結果的に薩埵峠近くのガードレールから飛ぶことにはなったけど、そういう場面で、彼は、ひょっとしたら昔ならアクセルを戻したタイミングでも回しきれたという事実により、吹っ切ることができたようだ、一応は、だけど。
さて、自分が何者か?という問いが、なぜか異様に重い問いになってしまっている奴。今はね、あの時から、更にアニメとかラノベの異世界に行っちまえば現世のその重さから解放される。苦しいのはそれだけじゃないけれど。エルフやけもみみの美少女が慰めてくれる。重いことを考えなくてもね。
でも、多分いる。それを良しとせず、さりとて、「無敵の人」となって周り巻き込んで爆散してしまうわけにもいかないと思って、ひとり重さに耐えているのか耐え切れず潰されそうになってる奴。
あぁ、そうか。エルフ、けもみみのかわりの単車だったり、チューニングカーなどと言うのもおこがましいボロボロの何か弄った車だったか。そうので、あと少しアクセルを開ける、その感覚を夢想し、それを実際にやってみたかったんだ。それが、いってみれば「突き抜ける」ってこと。
まぁ、なにをやるのかなんて、答えは人それぞれなんだが、今いる境地なんて、そいつならではのもので、周りには誰もいない、寒風吹きすさぶ荒野のようなものだ。ぶっちぎってくれる若い奴も寄り添ってくれる若い女もいない。いないからやらないのか? そうじゃないだろ?って。
ネットでいろいろガス抜きも出来る時代に、しかし、そこに言葉をあげて散らしたりせず、重さの純度をひたすら上げている奴も、きっといるだろう。そういう奴に、幸、多からんことを祈る、としか言えないが心からそう思う。